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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
座敷童子
131/328

誰?

「安心せい、峰打ちじゃ」

 小刀を袖の中にしまった槐は満足そうに、意識を失っている聖へ告げた。

「峰打ちでも死ぬ事があるって聞いたぞ」

「む、そうじゃったか?」

 と言うか峰打ちではない。

「つーか、すげえうわーって感じで飛び掛っていったけどさ。怪我、大丈夫なのかよ」

「阿呆、わしらを痛め付けた奴に報いる絶好の機会だったのじゃぞ」

「……怪我の事を聞いてるんだけど」

 一はその場に座り込んで槐に視線を送る。彼女は露骨に目を反らしていた。

「ま、そんだけ動けりゃ大丈夫そう、か。問題は……なあ、この人死んでないよな?」

「無論じゃ。ちいと血を流させ過ぎたかもしれんがの」

「本当かよ……」

 聖が敵であるにせよ、槐を座敷童子であり続けさせる為には、なるべく早く医者を呼んだ方が良いだろうと一は判断する。

「しかし、ぬしの力は凄いのう。今までの役立たずぶりが嘘のようじゃ」

「役に立たなくて悪かったな」

 槐は「冗談じゃ」と、一の肩をぽんぽんと叩いた。

「一、あの小僧を助けんで良いのか?」

「神野君? ああ、もう終わったみたいだよ」

 年下ながら何とも頼もしい同僚である。一はアイギスを畳み、あちらの戦闘に目を向けた。



 あちらの戦闘こそ、神野と灯の戦いは一合で終わった。灯が臨戦するより先に、神野が聖骸布を弾いたところで、である。

「ひ、卑怯です」

 灯は座り込んだまま、神野を恨めしい目付きで睨んでいた。

「涙目で言われても困るんだけど……」

「邪魔しないって言ったじゃないですか」

「一分待ったじゃないか」

「そっ、それとこれとは話が別です!」

 灯はぎゃあぎゃあと泣き喚いて神野を困らせ、呆れさせている。

「……悪いけど、向こうも決着は付いてる。姉さんなんだろ? さっさと病院に連れて……いや、ここ病院だったっけ」

「わ、私を殺さないんですか?」

「そんなのごめんだって言ったろ。ほら、運ぶの手伝うから」

 神野は灯に手を差し伸べた。

「主が、言っておられるからですよ……」

 彼女は頬を赤らめながら、躊躇いながらもその手に自分の手を重ねた。



 聖、光、灯。『教会』は倒れ、ここに彼女らとの決着は付いた。一たちは勝利したのである。何の為に戦ったのかも、誰の為に血を流したのかも、何もかも分からないままに。

 だが、勝ちは勝ちである。

 その後、一たちの懇願によって『教会』の面々と負傷した者たちは病院のベッドに運ばれた。



 そして時刻は午後九時。『教会』との戦闘が終わって二時間は経った頃だろうか。

「一、妹は大丈夫なのか?」

「ああ。神野君に送ってもらった。今頃は家に帰って寝てるんじゃないかな」

 一と槐は今、無茶苦茶になった状態のロビーにいる。彼らは適当なソファを占領して、雑談を交わしていた。

「ぬしが送らんで良かったのか? あの娘、一と一緒に帰るやどうのと泣き喚いておったが」

「まだ聞きたい事があったからな」

「……わしに、か?」

「いや、お前らに、だよ」

 一は荒れ果てたロビーを見渡す。

「しかしひでえな。壁は壊すわ床は抉るわ、皆やり過ぎじゃないか」

「それだけ激しい戦いだったんじゃ。今更じゃが、ぬしが生きていた事に驚いてしまうのう」

 槐は一を見定めるような、無遠慮な視線を送った。

「運が良かっただけだよ」

「……そう言えば、ぬしは戦いの最中、何か聞こえていたと言っておったな」

「ああ、お前には聞こえてなかったのか。ほら、栞さんたちが戦っていた時の音だよ。壁が砕けたり、ジェーンが銃を撃った時の音」

「むう、悔しいがさっぱりじゃ」

 やはり、血。

 一は自らに流れるソレの血を、恨むと共に感謝する。少なくとも、そのお陰で窮地を脱するきっかけが生まれたのだから。

「む、どうした一、考え事か?」

 槐に下から顔を覗き込まれ、一は仰け反った。

「失礼な奴じゃのう」

「悪い悪い。……なあ、楯列が来る前に聞いときたい事があるんだけど」

 一は一度言葉を区切り、頭の中を整理していく。

「『教会』は何を狙ってたんだろうな?」

「愚問じゃな。わしに決まっておるだろう。それ以外に奴らが動く理由はない」

「……お前、あいつらと会うのは何度目だ?」

 槐は僅かに目を見開き、その事を一に悟られないよう顔を伏せる。

「初めてに決まっておるじゃろ」

「じゃあ楯列とは?」

「……何じゃと?」

 思わず上げてしまった顔。合わせてしまった目。今更避ける事など出来ず、槐は一の視線を真っ向から受け止めていた。

「あいつとはいつから会ってたって聞いてんだよ」

「衛とも、先日顔を合わせたばかりじゃ」

 初めて出会って、その相手に刃を突き立てた。一は笑ってしまう。

「嘘だよ、そりゃ。全部話せ。隠してる事も何もかも、洗い浚い話してもらう」

 槐は再び俯いてしまう。もはや、暗にそうだと認めているに等しかった。

「楯列が来てからで良い。だけど、絶対に話してもらう。どうしてこうなったのかをな」

 一はソファに深く身を沈める。疲労している筈なのに、不思議と眠気は襲ってこない。それどころか、体は昂ぶっている。頭は冴え、血は熱く、感覚は鋭さを増していた。


 ――かつん。


 耳は確かにその音を捉えている。こちらに向かってくる、一人分の足音だ。恐らくは楯列のものだろうと思い、一はそれ以上何も思わない。気にも留めない。

「一っ!」

「あっ?」

 体が、宙に浮いていた。何が起こったかも把握出来ずに一はソファから身を投げ出される。呻きを上げて床に落ちれば、すぐ横にソファも横倒しになっていた。埃が舞い上がり、彼の鼻腔をくすぐっていく。

「……あっぶねえ」

 冷や汗が背中を流れる。槐は無事だろうか。一はほうほうの体で立ち上がる。

 と、無事だったらしい彼女は鋭い視線をこちらに向けていた。俺のせいじゃない。そう言おうとしたところで、そうじゃないのだと気付いた。彼女は自分の後ろにいるモノを睨んでいるのだと。

「……早田」

 振り向いて、一はぞくりとした。久方ぶりに出会った早田からは一切の感情が消えていたのである。置いていかれたという悲しみも、彼女を置いていった自分たちに対する怒りも、ましてや再会出来たという喜びもなかった。

 早田はただ、一を見ているだけである。

「先輩、久しぶりだな」

 抑揚のない、感情の篭らない平坦な声。

 一は気圧されながらも、早田を見つめ返した。

「よう、ここが良く分かったな」

「病院に行くと奴が言っていただろう?」

 ――馬鹿野郎。

 心中で余計な事を言っていた楯列に毒づき、一は後ずさる。早田が一歩、足を踏み出したのだ。

「探し回ったぞ。大小問わず、駒台の病院をしらみつぶしに回った。先輩がいないと分かる度に、私の心は擦れていった」

「お疲れ様。ジュースでも飲むか?」

「走っている内に思うのだ。私は何をしているんだろうとな。段々と、分からなくなってくる。先輩と会いたいのか、それともただ走りたいのか」

 早田はまた一歩足を踏み出す。彼女の雰囲気のただならぬものを感じて、槐は一と早田の間に割って入った。

「娘、お主……」

「常の私なら、先輩の姿を見掛けた瞬間嬉しさのあまり飛び付いていただろう。だけど、そうはならなかった。私は先輩の座っていたソファを蹴っ飛ばしていた。嬉しいが、憎い。相反する感情が私にブレーキを掛けている。なあ先輩、私はどうしたい? 何をしたいんだ?」

「早田、少し落ち着いてくれ」

 ひまわりのような笑みを浮かべる後輩は、ここにいない。静かな狂気を秘めた早田に、一は恐怖を感じていた。

「ろくな説明もしないでほっぽり出したのは悪いと思ってる。だけど、お前を巻き込みたくなかったんだ。それでも俺を許せないってんなら、とりあえず殴れ」

「殴れ? 殴ったところで、私の気持ちはどうにも変わらないぞ。だが……」

 早田は一との間に立つ槐を無視して進む。

「先輩が殴れと言うのなら、そうしよう」

「待て、一に手を出すな」

 槐が口を挟むが、一は彼女に「良いんだ」と声を掛けた。その声からは、半ば諦めの色が感じられる。槐は納得していなかったが、渋々といった形で離れていく。

「やれよ」

 一が自分の右頬を指で示した瞬間、早田は拳を振り上げていた。決して、早くはない。ついさっきまでフリーランスと戦っていた彼には、彼女の拳が自分の頬に届くまでがはっきりと見えていたのである。

 ――避けろ。避けろ。避けろ。当たると痛い。

「――――っ!?」

 その、示していた指ごと殴られた。倒れる事も、フリーランスに殴られた時ほどの痛みもなかったが、一の心だけがやけに痛んでいる。じくじくと、ずきずきと、奇妙な喪失感で胸が一杯になっていく。

「今ので許しを乞う先輩ではあるまい。こちらを向いてもらおうか」

「まだ、殴り足りないのかよ」

「殴られたくないのか?」

 フリーランスより厄介な奴だと思いながら、一は言葉を選んだ。

「俺はマゾじゃないんだ」

「いいや、先輩は充分にマゾだと思うぞ」

 言って、早田は一の左頬を殴り抜く。その際も彼女は無表情のままであった。

「許して、欲しいのか?」

 正直に言ってしまえば、一には分からない。早田に許してもらいたい。その気持ちは確かにあった。だが、そうなれば置いていった意味がなくなってしまう。彼女は、彼女だけには日常に戻って欲しい。こちら側を知って欲しくない。だから、ここで縁を切ってしまえば目的は達成される。だから、揺れる。

「許して欲しければ、今、ここで、私を抱け」

「えーと……」

 この馬鹿は何を馬鹿な事を言っているんだろう。どう返すのが適切なのか。

「先輩はまだ、だろう?」

 早田は一の襟元を引き寄せ、そっと囁く。

 顔に吐息を吹き掛けられ、一の背筋がぞっと粟立った。が、早田の顔からは表情が死んでいたので、甘やかな気持ちは爆発的に萎えてしまう。

「まだって、何が?」

「とぼけなくても良い。先輩はまだ初体験を済ませていない筈だからな」

 一は押し黙った。答える義理はない。それ以上に認めるのが悔しいのである。

「先輩ともあろうものが、まさか怖いのか?」

「違う」

 童貞なんて、捨てられるものなら捨ててやりたい。だが、アイギスを得る為にアテナと契約した身では、二度と叶わない。一生純潔を貫き通す事が、一が勤務外でいられる絶対条件なのだ。そしてまだ、女神の加護を手放す気はない。

「安心しろ、私もまだだ。だから、もらってくれると嬉しい」

「だったらもっと嬉しそうな顔しやがれ」

「済まないな。だが、私が無表情キャラをやっているのも先輩のせいなのだ」

「……まさか、別路線を開拓しようなんて思ってるんじゃねえだろうな」

 早田は何も言わず、一の頬を殴った。流石に予想外だったのか、彼は後ろに倒れていく。

「先輩はまだ自分の立場を分かっていないらしい」

 早田は倒れていく一の襟元をしっかりと握り、無理矢理に自分の顔近くまで持ち上げた。

「どうやら、徹底的に教え込む必要がありそうだ」

「何を、だよ……」

「ナニカを、だ」


「そこまでにしてくれないか?」


 振り下ろし掛けた拳を止め、早田は顔を上げる。そこで、彼女は今日ここにきて初めて感情を露わにした。

「やあ、久しぶりだね早田君。僕は君に二度と会いたくなかったのだけど」

「きさまぁ……!」

 場の空気を全て掻っ攫うような声で、爽やかに謳い上げるのは楯列である。彼は無警戒に、一種悠然として歩みを進めていた。



 現れた楯列を見遣り、槐は溜め息を吐いた。

「やあ、一君。殴られている姿もキュートだね」

「……てめえ、今頃出て来やがって」

「良いタイミングだと思うけどなあ」

 早田は一から手を離し、今度は楯列へと詰め寄る。

「説明もなしに放り出すとは、やってくれたじゃないか、楯列」

「ありがとう。ふうん。なら、今の君に説明をすれば許してもらえるのかな?」

「許しはしないが、貴様の顔面を殴るのは千発から九百発にしておこうか」

「太っ腹だね、早田君は」

 楯列は早田を見下ろして薄く笑った。何をするのかと思えば、彼は槐に目線を向ける。

 ――ああ。

 槐は覚悟を決めた。彼は全てを話すつもりなのだろう。ならば、自分は認めるより仕方ない。願わくば、彼が彼らに嫌われないように。



 一は床に座り込み、楯列に事のあらましを話すよう促していた。

「早田、話が終わるまでは手を出すなよ」

 早田は一に返事をせず、壁に背を預ける。彼女の顔はまた、無表情なものになっていた。

「それじゃあ、何から話そうか」

「全部、最初っからだ」

 楯列は鷹揚に頷いた。

「……分かったよ。うん、あれは、二十年以上も前の、雪がちらつく寒い日の事だった。僕こと楯列衛は楯列家の第一子として産声を上げて……」

「ちょっと待て。そこ、飛ばせないのか」

 雲行きがのっけから怪しくなりそうだったので、一は話を中断させた。

「最初からと言ったじゃないか」

 最初過ぎる。

「融通の利かない奴め。だったら仕方ない、俺の質問に答えていってくれ」

「良いとも。さあ、一君は僕のどの部位が気になるんだい?」

「……お前と槐の関係についてからだ。妹じゃないってのは聞いてる。だけど、それだけじゃないだろ」

 一に無視され、楯列は大仰に溜め息を吐いた。

「答えろ。お前は槐と、いつ出会ったんだ」

「僕の好意には鈍いくせ、こんな事には鋭いんだから。……そう、そうだね。僕は槐君と初対面じゃない。もっと前に知り合っていたんだ」

「具体的には?」

「生まれた瞬間からさ。正確に言えば、彼女とは僕が生まれる前からの付き合いになるのかな」

 驚きはしない。一は槐に視線を向け、彼女の挙動を確認する。

「ああ、嘘じゃないよ。楯列家はね、座敷童子との縁が深い一族なのさ」

「縁?」

「僕も詳しくは知らない。座敷童子のいる生活が当たり前になっていたから、疑問にすら感じなかったんだ」

 そんな生活聞いた事がない。一はとりあえず続きを促した。

「楯列は座敷童子のお陰で富を築いていったのさ。ピーク時には、二桁を越える座敷童子が家に居着いていたらしい」

「二桁って、そんなに集まってきてたのか?」

 そこで楯列は自嘲気味に笑い、力なく首を振る。

「いや、集めたのさ。力ずくかもしれない。知恵を絞ったのかもしれない。だけど、結果から見れば誘拐と変わりないだろうね」

「……槐も、集められた内の一人だったんだな」

 槐は答えなかった。一の問いがくだらないものだと笑っているのか、怒っているのかとも判然としない。

「座敷童子たちも数が多いから、楯列の内、特定の誰かに取り憑くのが当たり前になっていてね。槐君は僕を担当していたんだ」

「生まれた時から、か。じゃあ、槐は妹ってより姉ちゃんだな」

「だと愉しかったんだろうけど、残念ながら、そうはならなかったよ。槐君とは一ヵ月も経たず別れてしまったからね」

 楯列はそう言ってから、僅かに顔を曇らせた。

「どころか、最終的には全ての座敷童子が消えてしまったのさ。ここ数か月の間にね」

「数か月……?」

 一は眉根を寄せる。数か月なんて、本当に最近の話じゃないか。

「徳、格の高い者から順々に消えていったよ。彼らがいなくなるたび、家には不幸が舞い込んだんだ」

「は、いいざまだ」

「……早田」

 吐き捨てるように言った早田を窘めると、一は再び楯列に向き直る。

「それで東北に、槐のところまで行ったのか」

「実際に会うまでは槐君かどうかとは分からなかったけどね。座敷童子なら誰でも良かったんだよ。残念ながら、良い出会いとは呼べないものだったけれど、ともかく僕は槐君と出会えた」

 槐はばつが悪そうにしてそっぽを向いた。

「目的は槐を連れて帰る事だったのか。でも……」

「ああ、上手くはいかなかったよ。先客がいたからね」

「『教会』、か」

 一は独り言のように呟き、シスターたちを思い出した。

「彼奴らはしつこかった。二週間もわしを追い回して、家の者にも迷惑を働いておってな」

「そうか。ま、三百年も世話になってる、いや、している人たちだもんな…………あれ?」

「どうした、一?」

「お前、ずっと東北の旅館にいたんじゃなかったっけ?」

 槐は言い辛そうにして俯いたり、一と視線を合わせては反らすのを繰り返す。

「その、わしは外の世界を見てみたかったんじゃ」

「取り憑いた家から出られないんじゃなかったのか?」

「いや、座敷童子は出ないだけだよ。彼らは義理堅く、情に厚い。だから、一度取り憑いた家からは滅多に出ないんだ。でも、取り憑く対象や時期ってのは僕らが思っているよりも自由なのさ」

 どうやら、槐は元々いた場所から楯列家の者に付いていったらしい。

「それで、どうして槐は元の場所に帰っちまったんだ?」

「……駒台、この街から嫌なモノを感じたのじゃ。わしら座敷童子は幸せをもたらし、幸せに敏感じゃが同時に不幸に敏感でもある」

「嫌なモノって、何だよ。槐が駒台に来たのは二十年も前だろ? その頃にはまだ、ソレなんて……」


 ――ソレなんて、いなかった?


 本当にいなかったのか? お前らは本当にいたのか? 言い掛けた言葉を飲み込み、一は槐を茫然として見つめた。

「……? わしが感じたモノの正体は分からん。じゃが、わし以外の座敷童子もここから逃げ出していった。ふ、そして今、わしらの予感は当たっておったと痛感しておるよ。この街は狂っておる」

「狂ってる、だって?」

 楯列も早田も声を発する事無く、槐が次に何を言うのかを待っている様子だった。

「一、ぬしは何も思わんのか? 人を外れた力を持つぬしら、先の女子らや、わしらソレを含め、駒台には禍々しいモノが多過ぎる。まるで、ここには魔が降りておるようじゃ」

 魔が、降りている。そう言われて、一は何も言えないでいた。

駒台(ごうまだい)とは言ったものじゃな。さて、次は何を聞きたい?」

 頭が追い付かない。一は必死に脳内から疑問を引き出そうとするが、的確なものは見当たらない。

「――槐ちゃん、君は何故楯列を刺したのだ?」

 しどろもどろしている一を見兼ねたのか、沈黙を守っていた早田が口を開いた。

「……ふむ。そう、じゃな」

 槐は楯列に目線を送り、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「今思えば、八つ当りだったのかもしれぬな」

 槐はおどけてみせたが、彼女の声音からは悲哀の色が見て取れた。

「『教会』には追い回され、久方ぶりに出会った人間はわしの事を覚えておらなんだ。挙げ句、無理矢理にわしを連れ出そうとしおった」

「済まない、槐君。僕は……」

「もう良い。こうしてぬしに出会え、再び外に出ようと思えた。それだけで、もう良いのじゃ」

「……ちっ」

 早田は舌打ちをして、楯列たちから顔を背ける。

「結局、『教会』の目的は何だったんだろうな」

「彼女たちの目的は槐君だよ。それは間違いない。ただ、槐君を使って何をするかまでは分からないんだけどね」

 後で本人たちに聞けば済む事だと思い直し、一は頭を掻いた。

「何となくだけど、大筋は掴めてきたよ」

「……ああ、そうだな」

 一に同意する形で頷いた早田は、キッと楯列を睨み付ける。

「充分に分かった、理由とやらが。今日の事は楯列、お前らが座敷童子を囲んだせいで起こったんだとな」

「早田、その言い方は……」

「間違っていないだろう? こいつらが槐ちゃんたちに見捨てられ、未練がましく追い掛け、すごすごと戻って、私たちの街に不幸を招き入れた! 何も間違っていないっ、そうだろう!」

 早田は今にも楯列に掴み掛からんばかりの勢いである。一方の彼は何を言おうとするでもなく、黙ったまま俯いていた。

「……許しは乞わないのか? 謝罪の意思を見せろ。何とか言ったらどうなんだ、疫病神が」

「殴らないのかい?」

 涼しげな顔で、涼しげな声で。でも、彼の目だけは冷たくて。

「殴らないのかい、と聞いたのだけど」

「…………っ!」

「早田!」

 早田は正面玄関から病院を飛び出していた。見る見る内に、彼女の後ろ姿が遠くなっていく。

「行きなよ、一君」

 追い掛けるかどうか迷っていた一に楯列が声を掛けた。

「話はまた後でしよう。槐君」

「うむ」

 槐は頷き、外へ出ようとしていた一に「しゃがめ」と命ずる。

「……ああ」

 一は時間がないとごねようとしたが、言う事を聞いていた方が時間を無駄にしないと判断した。

 こうしている間にも、早田は遠くへ行ってしまう。自分から離れていってしまう。今日見つけだして、彼女の手を掴まえられなければ、もう二度と会えない気がしていた。

「心配するでない。ぬしにはわしが付いておる」

 優しげに囁くと、槐は一の手に頭を乗せる。

「……おいこら」

「暴れるでない」

 まるで子供扱いだ。しかし、一は槐の年齢を思い出して何も言えなくなる。それに、彼女の手は存外に気持ち良かった。

「……うむ、良いじゃろう。一、行ってまいれ」

「これさあ、何の意味があったんだ?」

「あの娘、思い詰めておった。放っておけば何をするか分からぬぞ、一」

「無視すんじゃねえよっ。……分かってる。早田は、必ず連れて帰る」

 槐は満足気に微笑む。

「わしは奴に借りがある。助けてもらった恩を返させてもらうからな。一、任せたぞ」

 任された。一は立ち上がり、駆け出す。



 走れ走れ、今度は男が走る番。



 病院のロビーに残った二人は、一が出ていった後も玄関の自動ドアを眺め続けていた。

「のう、衛。ぬしらの関係は一体何なんじゃ?」

「ん、僕らの関係、かい?」

 改めて問われると、答えはすぐに出てこないものである。それでも、興味深そうにこちらを見上げてくる槐を見て、楯列は思考の回転を早回しさせた。

「……友人、関係なんだろうね。多分、だけど」

「多分、じゃと?」

 楯列は首肯する。

「それも、とても危ういバランスでね」

「何だか、わしには分からん世界じゃのう」

「はは、分からなくても良いよ。いや、分からないでいて欲しい、かな。僕にだってまだ分かってないんだから」

 多分、一生分からない。だけど、一生変わらない。そうあって欲しい。危うく、怪しく、甘やかなバランス。

「この街が狂っているなら、僕たちも狂っているんだよ」

 離れたくない。近付きたくない。積み上げて壊したい。元通りにして崩したい。

「魔が降りる街、降魔の街か。本当、駒台(ここ)は狂ってるね。それとも、元から狂っていたのかな」

 狂ったモノがいるからコマダイなのか。コマダイだから狂ったモノがいるのか。雲を掴むような話だと心中で苦笑し、外の景色に目を遣る。今日は良い天気だったと気付き、声に出して笑った。

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