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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
プロローグ
13/328

心配してやったってのに

 荒野。

 荒れ果てている野。人けもなくて寂しい野原。

 窓から唯一見える景色を眺め、一はそんな事を思っていた。ぼんやりと。

「座らないの?」

 一はその声に、やっと我に返った。

「いや、僕はこれを持って来ただけですし」

 そう言って、掴んでいたビニール袋を女性に見せる。

 女性は部屋の中だと言うのに、フードを深く被っていた。どんな事を考えているのか、表情も、顔ですら分からない。フードからは、鮮やかな赤で彩られた唇だけが薄っすらとそれを覗かせている。

 黒いローブ。白い肌。細い指。硝子の様に脆く美しい声。

 一は参っていた。

 ――まるで魔法使いだな。こういう人苦手だ、早く帰りてぇ。

「見せてちょうだいな。何を持って来てくれたの?」

「失礼します」と、小さな机の上に袋を乗せる。

 サンドイッチ、おにぎり、ジュースと言った商品が並べられていく。

 並べていく最中、一は何か違うな、と思った。

 まさか、差し入れを欲していた人物がこんな女の人だったとは、一は思いもしなかった。

 食べ物ばかり、と言うのは不味い気がしてならない。

「成る程ね」

 女性が囁く。

「何か、こういうのばっかですいません。あんまり詳しい話を聞いてなかった物で。てっきり、僕の中ではもっとこう、厳つい男の人をイメージしてたんで……」

 一が弁解する。

 目を泳がせ、耳まで真っ赤にさせて喋る一を見て、女性が小さく笑った。

「別に良いのよ。何も言わなかったのはこっちなんだから。私はてっきり……」

 女性が詰った。まるで、自分でも思っても見なかった事を言おうとしたみたいに。

「あ。サトウ、さんですか? 店長が連絡してなかったみたいで……。これじゃ完全にウチの手落ちですね」

 一が申し訳無さそうに口を開く。

「今度は期待してるわね」

 優しく、励ます様に女性が言った。

 ――また来なきゃなんないのかよ……。

 一が苦笑で返す。

「じゃあ、僕はもう帰って、その。良いですかね?」

「あら」と女性が短く声を発した。

「もう帰るの? 来たばかりじゃない」

 そう言って、一の方へ顔を向ける。

「いや、お仕事のお邪魔しちゃ悪いですし」

 一が帰っても良い雰囲気へ展開させようとした。

「私は仕事してないから良いのよ」

「……さいですか……」



 ――退屈。

 カウンターに頬杖を付きながら、糸原はそう思った。

 北駒台店は、住宅街の傍にあり、立地条件は悪くない。

 筈、だが。得体の知れないソレと戦う勤務外が在籍する為、客足は多くない。

 皆、恐れて近づかないのだ。

 それでもやって来る客と言うのは、物珍しさからくる好奇心が恐怖より優先される人間、勤務外に対して何も考えていない神経の図太い人間くらい。

 店にある目ぼしい雑誌も粗方読み尽くしてしまい、糸原は怠惰な時間を過ごしていた。

「宜しいですか?」

「ああ、ども。堀、さんでしたっけ?」

 堀が缶コーヒーをカウンターに持ってきた。

「やっぱり退屈ですか?」

 笑顔を絶やさず、堀が言う。

「私は忙しいよか良いと思うけどね」

 糸原がバーコードを読み取りながら、軽そうに言った。

「私は一旦支部に戻りますので。お先に失礼します」

「お疲れ様ー、です」

 堀が商品を受け取って、ドアの方へと足を向ける。

「差し入れって誰にですか?」

「はい?」

 突然の質問に、堀が振り返った。

「一が届けに行った相手。誰かな、って」

「ああ、タルタロスの方ですか。そうですね、名前は存じ上げませんが、立場は上の人でしょうね。提携している店の人間を使い走りに出来るくらいですから」

 と、シニカルに堀が笑う。

「……ヘルって奴じゃない?」

 糸原が淡々と呟いた。

 堀が眼鏡を中指で押し上げる。

「心当たり、と言うか。なるほど、先日まではそこに居たんですよね」

「まあね」と言いつつ、糸原が髪を手で梳いた。

「実は、タルタロスに勤務する人の名前。私には一人も分からないんですよ」

 缶コーヒーの蓋を開け、堀が言う。

 糸原が訝しげに堀を見つめた。

「そもそも、知っている人が居るかどうか危ういですね。提携をしている、と言ってもどこまでの情報を教える物か、線引きも曖昧なんでしょうね」

 私は下っ端だから、情報も入ってきづらい。と堀は付け加える。

「ふーん。流石に名前くらいは教えると思うけどね」

「そうですねえ。確かに百パーセント信用する事も出来ないです。まあ、お互いに害を成す存在とも思えません。現に、一君の前任の方は何事も無く勤めていましたしね」

 堀が相変わらず顔に笑みを張り付かせたまま答えた。

「なら、良いんだけど」と糸原が独りごちる。

 それでは、と頭を下げ、堀が扉を開けた。既に蓋の開いているコーヒーで喉を潤し、一分も掛からずそれを飲み干した。

 ゴミ箱に空き缶を投げ入れ、車のキーを手探る。

「今の所はね」

 そう呟いた堀の顔からは、先程までの穏やかな笑みが完全に消えていた。



「それで三森さんって人がですね」

「ええ」と女性が相槌を打つ。

 小さな部屋に、一と女性が二人。

 一が今までの事を思い出しながら、拙くも、必死で話す。

 楽しそうに、怒りながら、悲しく。表情をコロコロと変え、一が話す。

「楽しい話ね」

 女性が口元に手をやる。

 上品な仕草だなあ、一は女性を見ながらそう思った。

「地上の話は聞いているだけで心が躍るわ」

「? 地上?」

 一が首を傾げる。

「こっちの話よ。それで、続きは無いの?」

 腕を組んで、一が考え込む。

「今の話は終わりなんですけど、ちょっと話題を変えましょうか」

「良いわよ」と、女性が返す。

 ややあって、一が口を開けた。

「あなたの名前は?」

 女性が小さく、肩を震わせた様に見える。

「何だと思う?」

 透き通る声で、女性がそう言った。

 また一が考え込む。唸ったり、髪の毛を弄ったりして、思考を巡らす。

「わっかんないですねー。()こういうの苦手なんですよ」

 一が困った様に笑った。

「付けてよ、名前」

 一は自分の耳を疑った。

 女性は窓に視線をやっている。

「え、俺が? そんな、犬猫じゃ無いんですから」

「フフ、それもそうね。名前は秘密よ。貴方の好きな様に呼んで」

 一に視線を移して、女性が愉快そうに言った。

「そうですか? じゃ、まあ『あなた』で」

「詰まらないわね」

「……俺の名前は何だと思います?」

 意趣返し、とでも言うのだろうか。今度は一が質問した。

「ハジメ」

 女性が直ぐに答える。

 一の顔が不審の色に染まっていった。

 ――下の名前は、言ってないよな……。

「外れです」と、一が笑う。

「ニノマエ。ニノマエハジメ、合ってるでしょう?」

 女性が、自身有り気に微笑んだ。

「……エスパー?」

「エスパー? ああ、超能力者の事ね。違うわ、知っていたのよ」

「何で?」と、一が目を丸くして、震えを隠しながら声を発する。

 一の全身に嫌な気持ちが走った。

「何でだと思う?」

 女性がそう言った後、沈黙。

 部屋には、ピンと張り詰めた空気が流れた。先程までの、不自然なくらいの穏やかな雰囲気は既に流れ去っていた。

 ――ソレ? 違うよな。じゃあ何なんだこの人は?

「冗談よ」

 笑った。

「え?」

「連絡した時に、貴方の店の事、色々聞いていたのよ。サトウが居ない事は聞かされてなかったけどね。驚いたかしら?」

 女性が笑う。

 曖昧な返事をして、一が苦笑いした。

「中々楽しませて貰ったわ。そろそろお開きにしましょうか」

「そうですね」と一が席から立つ。

「今度はもっと良い物をお願いね」

 女性が一を見上げ、言った。

 相変わらず、フードの下の顔は見えないまま。

「じゃあ、名前。次来た時には教えて下さいよ」

「そうね、考えておくわ」

 女性の口元が弛んだ。



「遅かったじゃない」

 糸原が、店のドアを開けた一に声を掛ける。

 一が店を出て、帰って来るまでに数時間。

 とっくに今日の勤務時間は終わっていた。

「すみません」と、一が頭を下げる。

「で? あー、その」

 言葉を詰らす糸原。

 らしくないな、と一が不思議に思った。

「何ですか」と一が声を掛けるも、糸原は頭を下げ、人差し指をこめかみに当てて返事をしない。

 やがて、黙ったままの糸原を放って、一がバックルームへと足を向けると、背中に何かがぶつかった感触。ややあって、床に何かが落ちる音。

 一は不思議に思って視線を落とす。

 ――煙草だ。

 包装された状態の、恐らく商品であった煙草を一の手が拾い上げる。

 振り向くと、糸原が神妙な顔をしながら手招きをしていた。

「だから、用があるなら言って下さいよ」

「あー、だいじょう、ぶ。だったの?」

 顔は下げたまま、糸原が声を絞り出す。

 だいじょうぶ。

 大丈夫。

「えっと、だから……何がですか?」

 可哀想な人へ接する様に一が声を発した。

「……何もされてない?」

「されてませんよ」

「変な事言われなかった?」

「言われてませんよ」

「気分とか悪くなってない?」

「なってないです」

 一は矢継ぎ早に質問する糸原を、怪訝そうに見た。

「アンタが差し入れを届けに行った奴。どんなだった? その、あー。怪我とかしてなかった? 腕とかに」

 ――怪我? して、ないよなあ。

「してませんでしたよ」

「それなら良いけど。ほら、さっさと仕事終わらせてごはんよ、ごはん。ファミレスでも立ち食い蕎麦でもどこでも良いわもう。すっごいお腹減ってるんだから。あー、お姉さん心配して損したー」

 と、捲くし立てて糸原が溜息を吐く。

 その様子を、一が黙って見つめていた。

「何よ?」と、ジト目で糸原が睨む。

 言い難そうに、一が視線を逸らした。

「心配、ですか? 糸原さんが。何か有難いってか珍しいですね」

 あはは、と一が笑う。

「フランスよ」

「は?」一が固まる。

「フランス料理よ」

 顔を赤くした糸原がそう言い切った。

「無理ですよ。しかもどこでも良いって言ってたじゃないですか」

「フランス料理が良いの」

 一の顔を見ないまま、糸原がバックヤードへ向かう。

「無理ですって」

「無理じゃない。私はワイン飲みたいしシャーベットもチーズもエスカルゴも食べたいの。凄く。凄く食べたい。私の言う事が聞けないっての?」

 背中を向けて、糸原が喋る。

「持ち合わせも無いですし、店がどこにあるのかも知らないですし、俺はそんな場違いなトコ行きたくないです」

「じゃあどこに連れてってくれるっての?」

 糸原の表情は分からない。

「お金の掛からない所が良いなあ、なんて」

「アンタモテないでしょ」

 一が素直にはい、と頷いた。

 そして思案する。

「……学校の、ゼミの奴から聞いたんですが、駅前に新しくファミレスが出来たらしいです。ファミレスにしては、まあ、食べられる方だと」

 ゆっくりと一が話す。

「それで?」と、糸原が続きを促した。

 ――くっそ。ムカつくな、なんか。

「ファミレスじゃあ今日の糸原さんには不満かもしれないけど。晩御飯、俺と一緒に食べてくれませんか?」

 フランスとは遠く離れた所ですが、と一が付け足す。

「……今日はそれで許したげるわ」

 それだけ言うと、糸原はバックルームに入っていった。

 やれやれ、一が大きく伸びをする。

 ふと、棚を見ると、商品が滅茶苦茶に陳列されていた。

 ――フェイスアップ教えてなかったっけな……。

 一はこれからの事を想像し、一人溜息を深く吐いた。



「ん? 何だ糸原、やけにご機嫌だな」

「別にー」

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