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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
座敷童子
129/328

You can't do it if you try

 ベッドで体を休めていた楯列は、廊下からの足音を聞いて身を起こした。が、すぐに横になる。その足音は随分と静かで、敵意の欠片すら感じさせない柔らかな足音だった為だ。やがて、ゆっくりと扉は開く。患者を気遣っているのか、その人物は音は殆ど立てなかった。

「こんにちは、君が楯列衛……つまり、まもるちゃん?」

 そう言って柔和な笑みを浮かべたのは炉辺である。彼女はにこにことしながら、楯列のベッドに向かって歩き始めた。

「僕をちゃん付けで呼んだのはあなたが初めてですよ」

「嫌だったかな?」

「いえ、新鮮だ。実に良い気分です」

 楯列は苦笑し、上半身を起き上がらせる。

「まもるちゃんは、はじめちゃんのお友達、なんだよね?」

 炉辺はパイプ椅子を組み立てて座った。

「一君を知っているんですか?」

「うん、あの子はうちの常連さんだからね」

「はっはっ、さすが一君だ。心が広いだけでなく顔まで広いとはね」

「それで、まもるちゃん」

 炉辺が声のトーンを落としたので、楯列は僅かに身構える。

「まもるちゃんは逃げないの?」

「逃げませんよ。友人が矢面に立っているのに、守られている僕が背中を見せる訳にはいきません」

「でも、君は戦えないじゃない。わざわざ残る必要はないよ」

 その言葉を聞いた楯列はシニカルな笑みを浮かべた。

「今は彼に全てを委ねています。が、僕もここでじっとしているつもりはありません。その名が示す通り、僕は彼の楯にだってなるつもりです」

「……どうしてそこまで出来るの? はじめちゃんには力があっても、まもるちゃんには勤務外みたいな力がないんだよ? 危ないよ、そんなの」

 この人は心の底から、出会ったばかりの自分を心配してくれている。自然と、楯列は微笑を浮かべていた。

 ――嬉しいな。

「僕が、一君を愛しているからですよ」



 シスターの腕がしなり、鞭が壁を砕く。棘が床を抉り、待合室のソファやテレビを打ち据えていく。

「かははっ、やるじゃねえの!」

 相対する山田は、飛び散る破片を避けようともせず、豪快に笑っていた。

「くっ、何を笑って……」

 シスターは茨の形をした鞭を振り回す。その度に病院にあるものは破壊されていく。

「けどよ、振り回すだけじゃねえだろ!」

 山田は身を低くして床を蹴った。刹那、彼女の右側から鞭が飛んでくる。が、山田は棘の付いていない部分に拳を当てて強引に軌道を変えた。

 シスターの鞭捌きは大したものではある。手首を切り返し、山田の進行ルートを巧みに潰そうとしていた。

 それでも、止まらない。シスターの技量がどんなに優れていようとも、山田栞は突き進む。

「ムチャクチャな……」

 ピラトの軌道は直線から曲線、曲線から直線を描いていた。前後左右、上下から山田に降り注ぐ。

 それでも、一発だってかすっていない。パジャマの生地一ミリだって触れられない。『神社』の進撃は止まらない。

「おっせえんだよ」

 挙句、

「きゃっ……」

 シスターは山田に鞭の先端を掴まれてしまう。

「飽きちまった。鞭なんてふざけたもん使いやがるから、どんだけ良い腕してんのかと思ってたんだけどよ」

 山田は頭を掻き、冷めた目でシスターを見遣った。

「――弱いな」

 かちり。シスターの頭の中で音が鳴る。

「……主よ。主よ、主よ、主よ、主よ……!」

 力比べでは山田に分があった。シスターはじりじりと引き寄せられていく。

「主よっ、あなたと私の御名を汚す不信心者にぃ!」

「うおっ?」

「茨の裁きをっ!」

 シスターは鞭から片手を離した。均衡が崩れ、山田の体は後ろに下がってしまう。

 瞬間、シスターは懐からもう一本の鞭を出した。片手で山田を押さえながら、二本目の鞭で彼女を打ち据える。

「っの……ヤロ!」

 二発目を食らう前に鞭から手を離し、山田は床を転がった。

「栞ちゃんっ」

「来んじゃねえ!」

 山田の脇腹が露出している。パジャマの布地ごと肌が抉られて、傷口から血が滴っていた。

「異教徒があっ!」

 シスターの攻撃は苛烈を極めている。一本なら山田も攻撃が見えていたのだが、二本となると話は別だ。二つの鞭が生物のように不規則な動きで、山田を追い詰めていく。

「欝陶しいんだよ!」

 右からの攻撃を右手で弾くが、左からの攻撃は弾けない。鞭は山田の肩を打ち据え、ダメージを与えていく。



 見えるが、避けられない。

 シスターの攻撃を山田の後ろから見ていたヒルデは息を呑んだ。

 鞭は生きているかのように自由に動いている。壁を、床を、天井を抉りながら這っていく。山田も良く躱していたが、そろそろ限界だろう。彼女の怪我はまだ治りきっていないのだ。本人は治ったと言って笑っていたが、あんなキレの悪い動きで万全の筈がない。もしも山田がコンディションを整えていたなら、鞭が三本でも問題はなかっただろう。

 しかし、今は違う。山田の体調は良くて万全の半分程度と言ったところとヒルデは見ていた。

 そして、今の山田よりシスターの方が強い。力だけなら不調の山田でも軍配が上がる。

 力だけならば。

 しかし、力だけで勝敗は決まらない。何より山田にとって相手との相性が悪い。鞭を使い、中距離からでも攻撃を仕掛けられるシスターと打撃一辺倒の山田。

 山田が一発を打ち込む前にシスターは何十発と打ち込める。

 茨の形をした鞭。あの武器も山田の不利に拍車を掛けていた。そもそも、鞭を武器に使っているのは性質、もしくは性格が悪い事に他ならない。

 鞭とは本来、拷問用の道具なのである。一撃で致命傷を与えられないから、その分殺さないように加減が出来るのだ。鞭を打つ者が絶対的に有利な立場にいて、打たれる者が反撃の出来ない立場にいて初めて、鞭は辛うじて武器となる。しかし、戦場においてはそれが通らない。だからこそ、鞭は道具の域を出なかったのだ。仮に一発が当たっても、刀剣等を持った相手に無理矢理に突っ込まれては効果がないから、である。鞭を使いこなせたとしても、得物が鞭である以上迅速には命を奪えない。

 しかし、相手が空手ならば話も変わってくる。相手の攻撃の届かない位置から一方的に攻撃を仕掛けられる状況ならば、鞭も武器として効果を発揮するのだ。

 そして、一発で死なないというのが最高に嫌らしい。食らった者は強烈な痛みに苛まれながら戦闘を続行しなければならない。動かなければ、新たな痛みがやってくる。が、痛みは動きを鈍らせるのだ。長期戦になればなるほど、山田は不利な状況を強いられ続ける。

 一発目で皮を剥ぎ取り、二発目で肉を抉り出し、三発目で骨を砕く。

 シスターは薄っすらとした笑みを浮かべていた。勝利を確信した者が浮かべる、実に幸せそうな、実に醜悪な顔である。

 確かに、山田の不利は動かない。二本の鞭に翻弄され、痛みによって精神を削られている彼女ではシスターに勝てない。

 ――彼女、だけでは。

 ヒルデは瞬きを繰り返して鞭の軌道に目を凝らした。早い。シスターの技量は確かだ。鞭なんて悪趣味じみたモノを、よくぞここまで昇華させられると素直に感心する。

「…………ん」

 一人では一本が限界だ。片方を捉えても、もう片方の鞭に打ち据えられる。

 二人なら。二人なら一人一本押さえれば済む話だ。そしてヒルデは確信している。シスターがあの笑いを止めない限り、自分たちの勝ちは揺るがないと。



「いってえなちきしょう!」

「吠えるだけでは私のピラトを抜けませんよ、同業者さん」

 鞭は鬱陶しいが、耐え切れないほどではない。気を張れば、苦痛はどこかへ飛んでいく。

「ああああっ、なんだよもう!」

 それでも痛いものは痛いのだ。山田は歯を食い縛り、鞭を拳で払いながら、少しずつ距離を詰めていく。

「……しつこいですね」

 シスターは山田が近付く度に後ろへ下がり、一定の距離を保っていた。その様子を見て、山田は口の端を吊り上げる。一歩、また一歩。飛び散るタイルの破片を体全体に受けながら、鞭で叩かれながらも彼女は前進を繰り返した。

「どうして、進むのですか?」

「ああ?」

 存外に穏やかな口調で尋ねられたので、山田は目を丸くする。

「あなたは座敷童子を狙ってもいない。私とも初対面で、お互いに何の遺恨もない筈です。なのに、どうして?」

 どうして、進むのか。

 山田はシスターの言うとおり、彼女とは今日、ここで、初めて出会った。恨みもない。怒りもない。憎しみもない。シスターには何一つ悪感情を抱いていない。

 どうして、行くのか。

 どうして、縁もゆかりもない人間に鞭で打たれながら、傷付きながらも行くのか。

 ――決まってんだろ。

「オレは今むしゃくしゃしてる」

「何ですって?」

「言った筈だぜ。腹が減ってるオレの目の前にお前がいる。それだけで充分じゃねえか」

 豪快に笑ってから、山田は駆けた。

「くっ、主よ!」

「おおおおおおおおっ!」

 山田は飛んできた鞭を右手で掴み、強引にシスターを引き寄せる。

 シスターは残った鞭で必死に山田を叩き続ける。

「んなおもちゃでオレをやれるわきゃねえだろっ」

 そう言ってから、山田は床に膝を突いた。

「……あ?」

 体から力が抜けていく。立ち上がろうとするのだが、足は言う事を聞いてくれなかった。顔を上げると、にやりと笑うシスターが目に入ってくる。

 彼女は血を流し過ぎたのだ。激痛を強靭な精神力で無視していたに過ぎない。ダメージは確かに受けていたのである。

「ようやく止まってくれましたか」

 シスターは「猪よりも面倒でした」などと呟きつつ、鞭で床を鳴らした。彼女が腕に力を込めると、山田の手から、するすると鞭が抜けていく。

「では、主の命によりあなたの罪を祓うとしましょう。ああ、こちらでは笞刑(ちけい)と呼ぶのでしたっけ?」

 ぶれる視界、ぐらつく肢体。

「……てめえなんかがオレに」

 それでも、気持ちまでは揺らがない。山田は気力だけでシスターを睨み付けていた。彼女の視線を受け、神の代行者である修道女は苛立たしげに唇を噛み締める。

「その目、止めてください。主も言っておられます、虫酸が走る、と」

 シスターは躊躇せず鞭を振り下ろした。一本目の鞭が山田の頬をかすめ、皮を剥ぎ取る。

 しかし、山田は怯む事無く、目を瞑らないでシスターを睨み続けていた。

「その目を止めなさいっ」

 二本目の鞭が彼女の肉を抉り出すべく振り下ろされる。

「……くっ」

「…………させない」

 鞭は山田に届く前で中空に浮いていた。いや、受け止められていた。

「ヒル、デ?」

 山田は眼前の光景が信じられずに目を白黒とさせる。

「任せて、栞ちゃん。覚えたから」

 ヒルデは掴んでいた鞭をシスターに向かって放り投げた。

 シスターはそれを引っ掴み、憎々しげにヒルデを睨む。

「覚えた、ですって?」

「…………私が一本。栞ちゃんが一本。大丈夫だよね?」

 かはははは。

 豪快に笑うと、山田は床を踏み抜く勢いで立ち上がった。

「誰に言ってんだ。オレを誰だと思っていやがる」

「私を無視しないでくださいっ!」

「蛇でも鬼でもねえ奴に、このオレが!」

 山田は駆け出す。

「私をっ!」

「オレが!」

 鞭が飛ぶ。

「無視しないでくださいっ!」

「負ける筈ねえだろうが!」

 床が砕けて、拳は放たれる。



 リボルバーの残弾を確認し、ジェーンは女子トイレ一番奥の個室をノックする。

 返事はない。何の音もしない。

 かちり。撃鉄を起こすと、ジェーンはもう一度ドアをノックした。

 返事はない。しかし、気配はしている。隠し切れない、ヒトの臭い。何者かがここにいる。この個室の中にいるのだ。

 撃つか。撃つまいか。

 迷った末、ジェーンは扉の下方にある隙間から中を覗こうとして姿勢を低くする。もしも中にいた人物が目的の者でないなら失礼に当たるのだが、その時はその時だと楽観的に構えていた。

 だが次の瞬間、扉が勢い良く開け放たれる。ジェーンは咄嗟に銃を向けて立ち上がった。中から現れたのは修道服を着た女性である。彼女は扉に手を掛けたまま、半身だけを晒していた。

「あ、あなたは?」

 ジェーンと、気弱そうなシスターの視線が交錯する。

「勤務外ヨ」

 勤務外。その言葉を聞いた瞬間、シスターはまたもや扉を閉めた。

 ジェーンは確信する。店長から前もって『教会』について聞いていたのもあったが、何よりも勤務外としての勘が告げていた。これが一を、自分たちを危険に晒す存在だと。

 そう思った時にはもう指が引き金に触れている。扉が鉄製だったので、ジェーンは銃口を下に向けて、扉の隙間を狙って発砲した。

「お兄ちゃんはどこっ!?」

 彼女の狙いは跳弾である。勿論、相手の姿が見えていないから、不規則に跳ね方が変化する跳弾を自在に操り、狙って当てるなんて芸当は不可能に近い。それでも、トイレの広さは高が知れている。可能性はゼロじゃない。

 一発、二発三発四発、五発六発。

 トイレの中で銃弾が縦横無尽に跳ね、タイルの床を削り取り、シスターの体に散っていく光景がジェーンには見える――気がしている。現に、銃声に紛れて小さな悲鳴が聞こえていた。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、である。

 しかし、中で物音がしていない。誰かが倒れる音も、隙間から血液が流れてくる様子もない。

「ジェーンさんっ」

「カンノ、フリーランスよ」

 神野が血相を変えて駆け寄ってくる。そういえば合図を決めていなかった。神野は銃声を聞き付けてやってきたのだろう。

「どこに、ですか?」

 ジェーンは一番奥、入り口から数えて五つ目の個室を指差した。

「間違いナイ、『教会』のシスターが一人ヨ。今は中でhide and seekのつもりみたいだケド」

「あの、銃声が聞こえたんですけど」

「六発打ったワ。だけど当たってないカモ、ノーリアクションなのヨ」

 神野は表情を曇らせる。

「……殺して、ないですよね?」

「さあ? でも、まだ生きてるはずヨ。フリーランスだもの、free(ただ)じゃ死なないでしょうネ」

 ジェーンはジャケットのポケットから弾薬を取出し、リボルバーに装填していく。

「お兄ちゃんの場所を知ってたら良いんだケド」

 神野はアイギスを壁に立て掛け、竹刀を握り締めた。気を入れ直し瞬きを繰り返す。もう、戦いは始まっているのだ。

「オープン……」

 扉に手を掛けたジェーンは一息に引っ張る。

「セサミッ」

 扉を開けた直後、シスターがその中から現れた。彼女は古びてぼろぼろになったマントのような布を手にしている。

「I see you! って何よコレっ!」

 マントでジェーンの視界を隠しつつ、シスターは走り出した。

「行かせない……!」

 あと一歩で出口というところで、シスターの前に神野が立ち塞がる。彼の力量、能力を計りかねて、彼女はトイレの中に押し留められてしまった。入り口には神野が、後ろにはジェーンがいる。挟まれたシスターは持っていたマント――聖骸布(マンディリオン)――を翻して息を吐いた。

「……き、勤務外が何の用でしょうか?」

 ジェーンは引き金に指を掛け、銃口をシスターに向けたまま口を開く。

「お兄ちゃんはどこ?」

「おに、お兄ちゃん? あの、それは誰の事なんですか?」

 シスターの後ろにあった鏡が音を立てて割れた。鏡には弾丸がめり込み、ばらばらになった破片が床に落ちていく。

「次は当てるワ。――お兄ちゃんは、どこ?」

「わ、私、知りませんっ」

 半泣きのシスターは聖骸布を握り締め、必死になって訴えた。

「私、お、男の人なんて、今日はまだ見てません。あっ、あなたのお兄さんなんて方は知りませんっ」

「そう……」

 ジェーンはシスターから視線を外さずに、リボルバーをゆっくりと下ろしていく。

「あなた、お兄ちゃんを見てないのネ」

「はっ、はい。見てもいないし、知ってもいません」

 壊れた人形みたいに繰り返し首を振るシスターを見遣り、ジェーンは憂欝そうに溜め息を吐いた。

「あなた、フリーランスよネ? フリーランス『教会』」

「そっ、そうです」

「ケガ、してないのカシラ?」

 シスターはきょとんした顔で小首を傾げる。

「アレだけショットしたのに、平気みたいだったカラ」

「あ、ああ、あの、それはですね――」

 何か得心がいったらしく、シスターは聖骸布を広げてみせた。

「――この、マンディリオンのお陰なんです。これ、凄く固いんですよ。だから私、これに包まって銃弾を防いでいたんです」

「へえ、こんなぼろいので……」

「あっ、だ、ダメっ」

 聖骸布へ不用意に手を伸ばした神野の手首を握り、シスターは顔を真っ赤にして彼から離れる。

「その、すみませんでした」

 居たたまれなくなった神野は頭を下げ、悲しそうに俯く。

「それじゃ、そのマントがあなたのアイテムなのネ」

「はい、そうです」

「ふーん。カンノ、それ取って」

「へ?」

「それよ、それ。その布」

 ジェーンはシスターが大事そうに抱えている聖骸布を事もなげに指差していた。

「お兄ちゃんはいなかったけど、ここでフリーランスを月までぶっ飛ばせば、お兄ちゃんはきっとアタシの事を見直してくれるワ」

「え、え、え?」

 神野はジェーンとシスターへ交互に視線を遣りながら戸惑っている。

「ちょ、ちょっと! こっ、これは私たちの大切な……」

「――知らないもん。アタシはお兄ちゃんに喜んでもらえれば良いんだカラ」

 弾倉に弾を込めながら調子外れの歌を口ずさむジェーン。彼女に悲しげな視線を送りながら、シスターは胸の前で十字を切っていた。

「あ、ああっ、主よ。どうかこの迷える小羊に救いをお与えください……」

「押し付けまがまがしいわネ。アタシは救いナンカいらない、お兄ちゃんがいれば、もう何もいらない」

「がましい、です」

「こ、この……主を冒涜するような……」

「カミサマなんか、いてもいなくても変わらないわヨ」

 ジェーンは嘯きながら、回転式の弾倉をくるくると回してから銃に戻し、撃鉄を引き起こす。

「ゆっ――るせない!」

 シスターの蛮声に呼応するかのように、彼女の握っていた聖骸布が動き出した。

「ジェーンさんっ」

 まずい。そう思った神野はシスターに竹刀を振り下ろすが、聖骸布が広がって彼女を包み込む。竹刀は布に衝撃を吸収され、床に叩き付けられた。

「どいてカンノっ」

 続いてジェーンが銃弾を撃ち込んでいく。それでも、聖骸布はその全てを飲み込み、吐き出していった。殺傷力を失った弾は乾いた音を立てて床に跳ねる。

「マンディリオン……」

 シスターが呟いた瞬間、聖骸布は床に広がり、ジェーンと神野の足に触れようとした。神野はそれを竹刀で払いながら後退する。

しかし、ジェーンはその場に留まり続けていた。聖骸布が纏わり付いているのにも気にしないで弾薬を装填し、シスターを狙って発砲を開始する。

「無駄、ですよ」

 聖骸布はシスターの盾になり、ただの一発でさえ銃弾を通さなかった。尚もジェーンは銃を撃とうとしていたのだが、突然として糸が切れたマリオネットみたいに床へ膝を突いてしまう。彼女は膝で立つのも辛いのか、唯一の武器であるリボルバーを手放して、両手を使って体を支えていた。

「くっ」

「ちっ、近付かないで」

 苦しそうにするジェーンへ駆け寄ろうとした神野は、シスターの視線に射竦められてしまう。

「動いたら、こ、この子を殺してしまいます」

「……声が震えてる。あんたにやれるとは思えないぜ」

「私がやれなくても、マンディリオンが殺します。聖者と、聖者に等しき者には聖なる守りを」

 シスターはジェーンを見下ろし、聖骸布を愛おしそうに撫でた。

「生者には聖なる裁きを。この布に触れた者には骸に成り果ててもらいます」

「ジェーンさんから離れろ」

「こ、声が震えてるのはあなたも同じでしょう?」

 握り締めた掌から汗が一滴流れ落ちる。神野は竹刀の先をシスターに向けたまま、息を呑んでジェーンの様子を見遣った。まだ彼女は息をしている。生きている。だが、シスターの言葉が本当なら非常に危うい状態である事は間違いない。

「わ、私だって何の恨みもない人を殺したくありません。だけど、あなたたちがわっ、私の邪魔をするって言うんなら……」

「分かった。俺だって人殺しなんて真っ平ごめんなんだ。あんた、本当に一さんを知らないんだな?」

 シスターは頷き、それでも敵意を込めた視線を神野に向け続けていた。

「なら邪魔はしない。行けよ。だから、ジェーンさんから……」

「……分かりました」

 シスターは聖骸布をジェーンから遠ざけ、ポケットの中へ回収すると彼女から背を向ける。

「ただし、ここから一分は出ないでください」

「それも分かった。だけど、本当にジェーンさんは無事なんだろうな」

「マンディリオンはせ、生者の生命力を奪います。で、でも安心してください。丸一日はまともに動けないでしょうが、死にはしません」

 神野はジェーンに肩を貸して起き上がらせようと試みた。しかし、彼女は本当に力が入らないようで、少しでも力を抜いて、手を離せば倒れてしまいそうであった。

「し、失礼します」

 シスターはトイレから出て行く。

 ――邪魔はしないさ。今、だけは……!



 一は直感していた。終わりはもう近いのだと。

「手こずらせてくれたじゃない」

 放たれた釘は九つ。その内の一つは一の肩をかすめ、壁に突き刺さっていた。

「……一、ぬしだけでも逃げろ」

 その内六つは一にも槐にもかする事無く壁に突き刺さっている。

「俺だけ逃げても意味はねえんだよ」

 一は蹲る槐を庇うようにして、シスターの前面に立っていた。

 放たれた釘の内、二つが槐に命中していたのである。一つは右足に。一つは左肩に。血が着物を朱に染めており、彼女自身の表情は蒼白なものになっていた。

「一般人のくせに、フリーランス相手によくもまあ、ここまで……」

 ――勤務外だよ、ボケ。

 しかし一は反論せずに黙っておく。何にせよ、アイギスのない間自分は一般人と変わらないのだからと、そう思うと改めて情けなくなった。

 逃げられない。目の前には狂気を纏い、凶器を持ったフリーランスがいる。今の槐は一人じゃ動けない。逃げるには、彼女を抱えていくしかない。

「まさか今更逃げようだなんて思ってないわよね?」

「……まさか」

 釘を刺され、一の背筋が凍った。

「本当ならあんただけは見逃してあげても良かったんだけど、私を押し倒しておいてただで済むとは思っちゃ、いないわよね?」

「お布施でもよこせってのか?」

「結構よ。座敷童子をもらって、あんたの泣き喚く顔さえ見られればもう満足だから」

 シスターは酷く嗜虐的な笑みを浮かべ、持っていた釘を掌の上で器用に遊ばせる。

 一は周囲に目を配った。勿論助けの来る気配はない。何とか一階まで下りてこられたまでは良かったのだが、階段を下り切ってすぐ『教会』に捕まってしまった。もう少しで正面玄関だったのだが、今や後ろには壁、前には階段と『教会』。廊下まで出ようにも、一歩でも動けば殺されてしまうだろう。

 何も、出来ない。

「一、わしを渡せ」

 一の心臓が大きく跳ねた。槐の提案は魅力的なものに思えてしまう。彼女を差し出せば、殴る蹴るの暴行は受けるかもしれない。だけど、命だけは助かるかもしれない。

「ふーん? 良いんじゃない、どうせあんたら会ったばっかなんでしょ? 命まで義理立てる必要はないんじゃない? ほら、主だってそう言ってるわよ」

「……渡せない」

「一、お主……?」

 アイギスさえあれば。

 自分以外に誰かいれば。

 ――俺は、一人じゃ何も出来ない。

「悪いな、槐。それでも俺はきんむうあ!?」

 シスターは一の頭を掴み、壁に押し付けた。

「はじめっ!?」

「ごちゃごちゃうっさいのよ雑魚が!」

 槐は立ち上がろうとするが、シスターに釘を投げられてしまう。着物が床に縫い付けられ、彼女は一が何度も何度も壁に叩き付けられるのを見ているしか出来なかった。

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