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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
座敷童子
127/328

Ri-Ri-Ri

「なあ、お前って本当に座敷童子なんだよな?」

 一は槐を見ながらぽつりと呟いた。

「小僧、まだ疑っておるのか?」

「だってさ、何かこう信用出来ないっつーか。座敷童子って取り憑いた奴に幸運を呼んでくれるんだろ?」

 とてもじゃないが、一にはフリーランスに追われている事が幸運とは思えない。

「それは……」

 槐は顔を曇らせる。

「一君、彼女にも事情があるんだよ」

「幸運を呼べない事情が、か?」

「……うむ。実は、その、わしは今、座敷童子の地位を追われようとしているのじゃ」

「座敷童子の地位? そんなのあるのか?」

 そう言えば、彼女は先ほども自分は最上位だとか言っていた。その事を思い出し、一は話の続きを促す。

「そんな事も知らんのか、お主?」

「あー、ごめんごめん。良かったら教えてくんないか?」

「誠意が感じられんが、良いじゃろう。座敷童子は大雑把に、チョービラコとノタバリコに分けられるんじゃ」

 一は訝しげに眉根を寄せた。

「超ビラビラと海苔バター?」

 海苔バターはちょっと美味しそう。

「違うわ、たわけ。チョービラコじゃ。チョービラコは座敷童子でも上位のものを指していてな。チョービラコと呼ばれるものは色が白く、美しい。何より力もある」

「へえ、つまり、お前がそれなのか」

「まあ、今はな」

 槐は妙に歯切れが悪い。不思議に思ったが、一は曖昧にしておく。

「反対にノタバリコは階級が低いんじゃ。幸運を呼び込む事は滅多にない。座敷を這いずり回ったり、家人の寝ている時に臼を挽くような音を立てるだけで気味が悪い」

「座敷童子と言っても幸せにしてくれる訳じゃないんだな」

 一は座席に深く腰掛け、溜め息を吐いた。

「当たり前じゃ、わしらにも意思と権利はあるからのう」

「ん、そういやどうしてお前はチョービラコって地位から降ろされそうなんだ?」

「ああ、それは僕を刺してしまったからだよ」

 はっはっは、と。楯列は、見ている一が馬鹿らしくなってしまうくらいに明るく努める。

「座敷童子の定義とはね、基本的に幸せを運ぶモノなんだよ。そんな存在が、人をナイフでぶっすり刺して不幸にしてしまえば、意義を失うんだ。存在意義、存在理由をね」

「どういう意味だよ?」

「つまり、いてもいなくても良い存在。どうでも良い存在になる。この世から消えるんだ」

 一は反射的に槐を見た。

「そう。本来なら、わしはチョービラコを降ろされ、ノタバリコにも見くびられるたたりもっけになるところじゃった」

「なんだって? たたりもっけ? たたりもっけってなんだよ?」

 さっきから聞き返してばかりだとは思ったが、この状況ではもう仕方ないと一は腹を括る。

「口減らしで殺された子供は、その多くが生まれて間もない嬰児でね。その為、人間とは認めてもらえなかったんだ。だから、葬式もしてもらえず、きちんとしたお墓も作ってもらえずに家の周囲、あるいは土間の下などに埋められた。そうしたものの中で祟りのないものは座敷童子と認められ、祟りのあるものはたたりもっけと呼ばれたそうだよ」

 楯列は嫌な顔一つせずに説明を続けた。

「とある民俗学者の文献では嬰児を蛙と捉えていてね、祟る蛙でたたりもっけとしているケースもあるんだ」

 今日は気の重くなる話ばかり聞いている。一は息を深く吐いた。

「つまり、座敷童子が悪い事をしちまったら位が下がるって事なのか?」

「概ね間違ってはおらんな」

 槐はむすっとした顔で答える。

「なら、今のお前は座敷童子じゃなくてたたりもっけなのか?」

「……違う。今のわしは、自分でも分からぬくらいに不安定な位置におるのじゃ。座敷童子でもなく、たたりもっけでもない。大した力を持たぬ、脆弱なソレじゃ」

「僕はそんな事ないと思うんだけどね」

「気楽なものじゃな」

 何となくではあったが、槐の正体が一には掴めてきた。しかし、彼女が『教会』に狙われている理由がさっぱり分からない。その旨を楯列に伝えると、彼は苦笑した。

「要は、僕もフリーランスも同じ穴のムジナなのさ。槐君が座敷童子の力を持っているのなら連れて帰り、幸運を得たい。だけどもし、槐君がたたりもっけなら、フリーランスという彼女らの立場上殺さなくてはいけない」

「身勝手な話じゃな」

「全く。悪いとは思っているよ。だからこうして傍に置いているんじゃないか。ああ、今の言い方では恩着せがましいかな」

 身勝手なのは槐もそうだろうと一は思う。彼女にどんな理由があったとしても、楯列を傷付け、傷付けた当の本人に守ってもらっているのだから。

「っと、いったん話は終わりにしようか」

「え?」

 車は速度を落とし、とある建物の敷地に入っていく。

「って、ここ……?」

 見覚えのある場所に、一の心はざわめいた。

「みんなお疲れさま。当座の目的地ではあるのだけど、着いたよ」

 楯列が指差したのは、オンリーワンの関係者が利用する病院である。一が何度も足を運んでいた、あの病院だ。



 車を止めて車外に出ると、一たちは白衣を着た集団に深々と頭を下げられた。

『お坊ちゃま、いらっしゃいませー!』

「なっ……?」

 綺麗に揃った野太い声。突然の大合唱に戸惑う一を他所に、集団は楯列を取り囲んで跪く。

『今日はどうなさいましたか?』

 一は寒気がした。これでは一種の宗教ではないか。

 しかし、当の楯列は驚いた様子もなく、平然として愛想笑いを浮かべている。

「連絡は入れておいたよね? もし空いているのなら、部屋を一つ貸して欲しいのだけど」

「はい一部屋入りまーす!」

 その言葉を聞いた瞬間、白衣集団の一人が声を上げた。続いて残った十数人が『喜んでー!』 と威勢の良い声を上げる。

『坊ちゃま、サイドメニューも充実しておりますが?』

「うーん、僕は入院しに来ただけだからね」

 一人が立ち上がり、手拍子。

「坊ちゃまの、ちょっと良いとこ見てみたい!」

 その手拍子に合わせて、老若男女問わず、白衣を着た者全てが踊り始めた。ある者は飛び跳ね、ある者は腰を振り、ある者は側転で楯列の周囲を回る。

『それイッキ、イッキ、イッキ!』

 辺り一帯が異常な熱気に包まれていく。

「ただの居酒屋じゃねえか」

 しかも性質が悪い。

 呟く一は車のボンネットに腰を下ろし、事態の行く末を見守っていた。と言うか関わりたくなかった。

 ここは本当に病院なのだろうかと疑問を持ち始めたところで、槐が音もなく隣に座る。

「騒がしいのう」

「そうだな。お前はああいうの嫌いか?」

「いや、わしに関係のないところで騒がれるのはそうでもない。むしろ好ましいぐらいじゃ」

 槐は遠い目で彼らを見つめていた。

「なあ、どうして楯列を刺したんだ?」

「……分からん。奴には悪いと思ってはいるのじゃがな」

「なら、あいつに少しは感謝してくれよな」

「感謝、じゃと?」

 一は頷き、槐の頭を撫でようとする。が、その手を叩かれてしまった。

「悪い、癖だ。……感謝だよ。あいつが死ななかったから、お前はたたりもっけってのにならなくて済んでるんじゃないのか? あいつが不幸だと思っていないから、だから……」

「ふむ。面白い解釈じゃな、小僧。確かにそうかもしれん」

「だったら、感謝だよ。違うか?」

 槐は一を見上げ、つぶらな瞳をくりくりと動かす。

「お主、名前は?」

「数字の一が二つで一一(にのまえ はじめ)

「悪くない名前じゃな、(はじめ)

 どうも。そう呟き、照れ隠しに笑ってみせると一はそっぽを向いた。



 あの白衣の集団はこの病院の医者だったらしい。あの中には副院長もいたとか、いないとか。一たちは世も末な連中に案内され、病院の二階、一番角の部屋に通された。

 荷物を置いて椅子に座ると、そこでようやく人心地が付く。

「さっきの人たち、ありゃなんだよ?」

「ここは僕の父親が割と懇意にしていてね。色々と援助しているんだ。こういうのは好きじゃないのだけれど、少しばかり七光りを発してみたのさ」

 ――割と、ねえ?

 楯列はベッドに寝転がりながら自嘲した。彼のお陰と言えばお陰なので、一は余計な事は言わない事にする。

「……ここからはどうするんだ?」

「とりあえず待機だね。ついさっき僕の家の方から応援を呼んでおいたから。目下、僕たちを邪魔するものはあの『教会』ってフリーランスだけだからね。彼女らをどうにかすれば、道は自ずと開けてくるさ」

「つまり、槐を渡すつもりはないんだな」

「勿論さ。槐君がそう望む限り、僕はそうなる様に臨むまでだね」

 一は息を吐き、覚悟を決め始める。楯列さえ助けられればそれで良かったのだが、槐も一緒に助けなければ意味はないらしい。

「なら、決まりだ。『教会』さえ倒せれば、俺たちはまた普通の生活に戻れる訳だな」

「ああ、その日常にもう一人可愛い子が入ってくるんだけど、構わないかい?」

「それも込みだよ」

 立ち上がり、一は部屋を出ていこうとする。

「一、どこへ行くんじゃ?」

「一雨来そうだからな。傘を調達してくる」

「……雨? 今日は良い日和ではないか」

 槐は窓を見遣りながら不思議そうに呟いた。

「いや、槐君、来るよ。一君がそう言うなら必ずね。……一君、頼んだよ。応援は呼んでおいたけど、彼らを当てにするのは酷だからね」

「俺を当てにするのは酷じゃないのかよ」

「君は鍵だから。槐君が幸せになれるかどうかの。何より、僕にとってもね。僕らの命運は、君の双肩に掛かっていると言っても良いくらいだよ」

 明るい口調で言われ、一の毒気はすっかり抜かれてしまう。

「期待はすんなよ」

「するさ。頼んだよ、一君」

 一は頭を掻き、苦笑いを一つ浮かべた。



「ざっけんなよっ! オレを舐めてやがんのかっ!」

 稲妻を思わせるような大きな声が病室に轟いた。

 声の主はベッドから上半身を起こし、目の前のナース服を着た、看護師らしき女性に突っ掛かる。

「落ち着いて、しおりちゃん。緊急のお客さまが入ったらしくて、夕ご飯は少しだけ遅くなっちゃうのよ」

 柔和な笑みを浮かべた看護師は、どうどうと、声を荒げる女性を諫めた。

 胸元に可愛らしい熊が刺繍された、薄いピンク色のパジャマを着た女性。彼女はここの入院患者である。名を、山田栞(やまだ しおり)と言った。山田は『神社』と呼ばれるフリーランスである。が、彼女は先日駒台で発生したヤマタノオロチ事件での戦闘で負傷して以来、ここに入院していたのだ。

 山田は舌打ちをしてから、対面のベッドを睨み付ける。

 この病室にはベッドが二つ。つまり、患者が二人。

「……新しい患者さんが来るんだけど、部屋が空いていないから悪いけど相部屋にしてくれないかな? あんたにそう言われてから、もう随分経つよな?」

「そうだねー」

「滅多に見舞いが来ない入院患者の楽しみっての、知ってるか? 睡眠と食事だよ。少なくともオレはそう思ってる」

「もう、そうだよ。しおりちゃんったら無理言ってメニュー変えてもらってるんだからね」

 看護師――炉辺乙女(ろばた おとめ)――は指を立て、めっと可愛らしく頬を膨らませた。

「酒が駄目なら肉ぐらい食わせろよっ、第一、オレはもうとっくに治ってるっつーの。いや、それは良いんだ。問題は隣のあいつだよ。楽しみの一つ、睡眠を邪魔しやがるんだ」

「ヒルデちゃん淋しがりだから、友達が出来て嬉しいんだよ」

「あーあーそーだよ。夜通し語り明かすぐらいに仲良しだっつーの!」

 山田はベッドを何度も殴り付ける。

「睡眠はあいつのせいで台無しだ。その上、オレに残された唯一の楽しみまで奪うっつーのか!」

「ちょっとだけ待ってって言ってるじゃないのー」

「うるっせえ! 畜生、誰かに文句言わなきゃ気が済まねえ! どれもこれもっ、全部あいつが来てからだ!」


 ――どさどさっ。


「あ?」

 病室の扉が開かれていた。その入り口の傍に、パジャマを着た背の高い女性が立ち尽くしている。そのパジャマは薄いピンク色で、胸元には可愛らしい熊がプリントされていた。

 二つのパジャマは、ペアルック。

「…………ご、ごめんね。わ、私……」

 今にも泣き出してしまいそうな女性は、床に落としてしまった大量のお菓子を見つめて、声を震わせている。

「い、いや、その、そーゆー意味じゃなくてだな……」

 山田はばつが悪そうな顔をしてから、しどろもどろになって弁解を始めた。

 炉辺は床に散らばったお菓子を拾い集め、入り口近くに立つ女性――ヒルデ(彼女もまた、セイレーン事件以降にここへ入院していたのだ)――の頭を撫でてやっている。

「しおりちゃんがお腹減ったって言うから、買ってきてくれたのね?」

「…………ん」

「ヒルデちゃんは優しいなー。…………しおりちゃんもそう思わない?」

 炉辺に笑顔で見つめられ、山田は直立不動の姿勢をとった。

「思うっ、思うから!」

「じゃあしおりちゃん、ヒルデちゃんに言うべき事があるんじゃない?」

「……う。その、わ、悪かった。お前の事は嫌いじゃないんだ、ただ腹が減ってイライラしててよ……」

 ヒルデは瞳をきらきらと輝かせる。

「…………本当?」

「本当だって! だから、ゆ、許してくれ。な?」

 何度も何度も頷き、ヒルデは嬉しそうに山田へと駆け寄った。

「…………お菓子、何が良い?」

「えー、あー、何でも良いよ。あ、はは」

 山田はヒルデの頭を撫でながら、力なく笑う。

「あ、ヒルデちゃんも今日の夕ご飯少し遅くなっちゃうんだけど、大丈夫?」

「ん。けど、どうして?」

「急なお客様が来ちゃって、そっちの準備に皆大忙しなの」

「…………お客?」

 ヒルデは小首を傾げた。

「そう、お客様」

「客、だあ? オレらよりも偉いっつーのか、そいつ」

 空腹のせいで虫の居所が悪い山田の手に力が入る。

「……痛い」

「っと、悪い悪い。で? 誰なんだよ、そいつは?」

 炉辺は唇に指を当てて、申し訳なさそうに微笑んだ。

「この病院にお金を出してくれてる人って言ってたかなあ。そこの息子さんが来たから、おもてなししなきゃって皆言ってたよ」

「気に食わねえなあ。ボンボン坊ちゃまってか、はっ。おもしれえ、今まで良い目見てきたんだから、今日ぐらいは痛い目見てもらおうじゃねえか」

 山田はベッドから飛び降り、スリッパを履いてずかずかと歩き出す。

「しおりちゃん、どこに行くの?」

「そいつを殴りに行くんだよ」

「ちょっと、喧嘩は駄目だよ?」

「喧嘩になんてなる訳ねえだろ。こっちゃ腐ってもフリーランスだ。心配すんなって、怪我してもお医者様がすぐに治してくれる。だろ?」

 かはは、と。山田は豪快に笑った。

「ヒルデ、お前も行くよな?」

「…………んー」

 ヒルデは瞼を擦りながら、何か考えている様子だったが、

「栞ちゃんが行くなら、私も」

 抱えていたお菓子を山田のベッドに並べると、彼女の後を追い掛ける。

「ノリが良いじゃねえの。それじゃあ、今から一緒にそいつを殴りに行くとすっか」

「しおりちゃんっ」

 炉辺は山田の袖を掴むが、すぐに振り解かれてしまった。

「だったらすぐに肉を用意しろってんだ!」

「それはー、ちょっと。私が作ったお料理でも良いの?」

「それじゃ食わねえ方がマシだな」

「…………んーん」

 ヒルデは緩々とした動作で首を、横に振る。

「そーゆー訳だ。じゃなっ」

 山田とヒルデは楽しそうに駆けて行く。お揃いのパジャマで。



 ――出ない。

 一は病院の外に設置された公衆電話の受話器を一度置き、溜め息を吐いた。

 もう何度もコールしているのに、店には誰かがいる筈なのに、誰も電話に出てくれなかったのである。

「くそっ、俺が客だったらどうするつもりなんだよ……」

 電話ボックスに一の溜め息と呪詛が充満していく。

「これが最後で良いや」

 これで出なければ、店まで戻れば良い。苛立っている自分自身に言い聞かせ、一はオンリーワン北駒台店の番号をプッシュした。



 一がオンリーワン北駒台店に連絡を入れていた頃、楯列と槐が宛がわれた病室でゆっくりしていた頃、一台のワゴン車が彼らのいる病院の真ん前に停まった。

「聖姉さん、跡はここで終わっています」

「上出来よ光、始めるわ。灯、持ってるわね?」

「は、はいっ」

 車の中から現れたのは三人の、修道服を身に纏った女性たち。三人ともが同じ背丈と同じ顔をしており、彼女らと初対面の人間では見分けは容易に付かないだろう。

 彼女たちは『教会』と呼ばれるフリーランス。座敷童子にもたたりもっけにも成り切れていない槐を連れ去るべく殺すべくやってきたフリーランスが、一たちに追い付いたのだ。

「目的は座敷童子。それ以外には目もくれないで」

「聖姉さん、邪魔者は?」

「排除よ。ただし、考えなしに殺しちゃ駄目。主が嘆くわ」

「ひ、聖お姉様、あの足の速い人はどうします?」

「主も言っておられるわ。私にやれと。私が手を下すから、あなたたちはあの子を見かけたら教えてちょうだい」

 聖を先頭に、光と灯が続く。『教会』が、戦いの火蓋を切りにやって来る。



 ――出たくない。

 オンリーワン北駒台店のバックルームに設置された電話は、さっきから引っ切り無しにリンリンと鳴いていた。

 もう何度も無視をしているのに、そろそろ相手も諦めれば良いのに、電話は鳴り続けている。

「あの、店長、出ないんですか?」

「なら神野(かんの)、お前が出てくれ」

 オンリーワン北駒台店、ここの勤務外店員である神野剣(かんの けん)は既に私服として使っている、学校指定の制服である学ランに着替えていた。彼の通う学校は、生徒、教師を含めて、『魔女』に襲撃されたという後遺症から立ち直っておらず、校舎にも事件を思い出させる痕がこびり付いている事もあってか、未だ復興の目処は立っていない。当初学校側が予定していた再開の期日も過ぎ、今ではもう再開自体が白紙になっていた。その為、神野が学校の制服を着用する必要は大してなかったのだが、彼自身が学生である事を忘れたくなかったと言うので、店長は好きにさせていた。そもそも、店員の私服に口出しする義理もつもりも店長にはなかったのだが。

「電話って苦手なんですよね……」

「ほう、一みたいな事を言うんだな」

「え、一さんと同じ? あ、ちょっと嬉しいかもしれません」

 はにかむ神野。

「うん、恥ずべき事だぞ」

「へ?」

「何でもない。……お前が電話に出んのなら、誰も出られんな。ゴーウェストもレジで客の相手をしているところだし、な」

 神野は決まりが悪そうにして受話器を取った。店長はしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべ、美味そうに煙草を吸う。彼はしばらくの間電話口の誰かと会話をしていたのだが、

「あの、一さんからです」

 遠慮がちに受話器を差し出した。

 店長は煙草を銜えたまま受話器を受け取り、不機嫌そうに口を開ける。

「私だ」

『……どうして、電話に出てくれなかったんですか?』

 恨めしい声が聞こえてきたので、店長の気分は沈んだ。

『こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際だって言うのに……』

「一、お前また厄介事に巻き込まれたんじゃ……いや、首を突っ込んだんじゃないだろうな?」

『そんな事ないですよ』

 声が裏返っている。どうしてこいつはばればれの嘘を吐くのだろうかと呆れ果て、店長は髪の毛をくしゃくしゃと掻き毟る。

「もう良い。で、お前は無事なんだろうな?」

『喉が渇きました』

「唾でも飲んでろ」

『飲みました。あの、お願いがあるんですけど』

 ――来た。

「言ってみろ」

『今、病院にいるんですけど、そこへアイギスを持ってきて欲しいんです』

 店長は眉を顰めて眼光を鋭くさせる。神野は天井へと目を反らした。

「アイギスはお前の私物じゃない。あくまで勤務外の道具だ。理由もなしに使う事は禁止している。忘れたのか?」

『理由ならあります』

「ほう、言ってみろ」

 間が空き、

『フリーランスに追われています』

 間の抜けた声。

 店長の銜えていた煙草が一気に短くなる。彼女は眉間に皺を寄せながら、灰を吹き飛ばし、吸殻を吐き捨てた。

「よくもまあポンポンと災難を引き当てるものだな」

『こっちには座敷童子が付いてる筈なんですけどねえ』

 呑気な一の声に、店長の気は更に重くなる。心配しているのが馬鹿みたいだと思ってしまう。

「……相手の名前は分かるか?」

『俺はまだ見てないんですけど、見た奴は教会って言ってました。シスターが三人いたそうです』

「『教会』か。確かに実在するな。お前の虚言ではないらしい」

『じゃあ持ってきてくれますか?』

 店長は迷った。勤務外とはいえ、一はまだ成り立てである。神野とは違って戦闘に関しての能力に秀でたものもない。偶然にも女神に愛され、偶然にも生き残っているだけ、持っている武器が良いだけだ。彼の相手がもし本当にフリーランスだとすれば、援軍援助は必要だろう。だが、本当かどうかは半信半疑。それでも、勤務外として向いていないだけで、一には一般としての力がある。二十四時間三百六十五日回す為、彼はこの店に必要なのだ。死なせる訳には行かない。死んだら自分が仕事をしなければならない。

「面倒だから私は嫌だ」

『うあおあああああああああああああ! 絶対呪いますからね!』

「耳元で怒鳴るな。私は、私が行くのは嫌だと言ったんだ」

 荒い息遣いが聴こえてくる。一が息を整えているのだろうが、気持ちが悪くて店長は受話器から耳を離した。

『……店長、店長ー?』

「あ、ああ。何だ?」

『店長が嫌だって事は、誰か他の人を遣してくれるって事なんですか?』

「そういう事になる。誰を送って欲しい?」

 喉の奥で店長は笑みを噛み殺す。

『えーと、堀さん』

「堀は支部でデスクワークだ」

『ナナはいますか?』

「ナナなら技術部でメンテナンスを受けている」

『糸原さん……は非番だったから、ああ、確か、今の時間ならジェーンはいるでしょう?』

 店長は監視カメラの映像を一瞥。

「ゴーウェストはレジを打っている。ちなみに立花は犬の散歩らしいな」

『レジ? どうせ客なんか少ないんだから、呼び戻してくださいよっ』

「絶対嫌だ。さあどうする? 三森か、神野か、奇跡を信じて私に頭を下げるか?」

『助けて神野君!』

 一の声が聞こえていたのか、神野は苦笑した。

「良いだろう。神野は今仕事が終わったところだが頼んでみる。今、仕事が終わったところだがな。あー、持っていくものはアイギスだけで良いんだな?」

『はいはいはい、すいませんでしたー。あ、でも、相手は三人なので出来れば他の人にも声を……』

「自分でやれ。顔が見えないからって調子に乗るな。……あの病院だな? 病院のどの辺りで待ってるんだ?」

『……正面玄関で待ってます』

 それだけ聞くと、店長は一方的に通話を切る。受話器を叩き付ける様にして置くと、椅子を回転させ、神野の方へ向けた。

「一さん、何て言ってたんですか?」

「神野」

「……なんですか?」

「お前、童貞か?」

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