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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ジャックランタン
123/328

かぜよい

 夢を見ていた。

 落ちる。

 落ちる。

 真っ逆さまに落下する。

 もんどりうって降下していく。

 真っ暗な世界から真っ黒な世界へ堕ちて行く。

「シルフ様の手を離すなよっ」

 浮遊感。漂って漂って、風が体を通り抜けていく。

 雲が近い。街が遠い。天が近い。地が遠い。

 一は唾を飲んだ。

 シルフの手を離せば、落ちてしまう。

 死んでしまう。命を落としてしまう。

 怖くて怖くて、震えが止まらなかった。

 しかし、一方で喜んでいる自分もいる。

 夢見ていた。

 空を飛ぶ事に憧れない者がいるだろうか。

 鳥になる事を夢見ない者がいただろうか。

 自由に空を駆け回りたいと、誰もが一度は思わなかっただろうか。

 重力から引力から、自身を縛る何もかものしがらみから解き放たれ、何も考えずに飛びたいと、そう思う事は、おかしい事なのだろうか。

 違う。

 一は今、少なくともそう思っている。

 おとぎ話を聞かされて、自分だって空を飛びたいと思っていた。

 シルフという媒介を通じてだが、彼の夢は今、正に叶っている。

 目の前にはジャックランタン。

 人を殺すソレを追い掛ける為に飛んでいる。

 だが、それでも一は――。

「シルフっ!」

「なにさっ?」

「何でもねえよ!」



「ハロウィン、ですか」

「ああ。堀、お前なら(・・・・)詳しいと思ってな」

 オンリーワン北駒台店のバックルームでは、店長と堀が向かい合って話をしていた。

 店長は椅子にふんぞり返り、堀はファイルに目を遣りながらでの会話である。

「確かにお祭りは好きですけどね。しかし、詳しくは知りませんよ?」

「構わん。起源だとか、そういうものを知りたい訳じゃない」

 堀は眼鏡の位置を押し上げ、探るように店長を見据えた。

「知りたいのは、火の玉についてだ」

「ああ、なるほど。事故現場に出現したとされるソレ、ですね。しかしまた、この時期にハロウィンを?」

 店長は紫煙を吐きながら頷く。

「現れた火の玉とやら、私はずっと日本古来のモノだとばかり思っていたんだがな。一がハロウィンの事を口にしていて思い付いたんだよ」

「ハロウィンで火の玉、となると、種火のウィルの事でしょうか」

「……聞いた事がないな。かぼちゃのアレの事か?」

「いやあ、知らないのも無理はないですか。多分、店長が仰りたいのはジャックオーランタンでしょう? とあるお話のお陰で、今ではこちらの方が有名になってしまいましたからね」

 堀はファイルを閉じ、小脇に抱えて腕を組んだ。

「昔々、ウィルと言う素行の悪い鍛冶屋の男がおりました」

「何のつもりだ?」

「いやあ、そんな人を殺せそうな目で睨まないでくださいよ。聞きたいと言ったのは店長じゃないですか」

「ガキに聞かせるような話し方をするからだ」

「性分でして」

 店長は鼻で笑うと、顎でしゃくって話の続きを促す。

「では。その男は死後、死者の門と呼ばれる場所に辿り着いたのですが、ウィルは口が巧かったので番人である聖者を騙して生き返ったのです。しかしウィルは生き返った後も反省せず、以前と同じような暮らしぶりを繰り返していました。その死後、再び死者の門に着いたウィルは聖者に言われました。『お前はもう天国にも、地獄にも行く事を許さん』、と」

「自業自得だな」

「その通りです。……ウィルはどこにも行けず、天国でも地獄でも、この世でもあの世でもない煉獄をさ迷い続ける事になりました。ですが、それを哀れに思った悪魔が地獄の劫火から燃える石炭を一つ取り出し、ウィルに明かりとして渡したのです」

 堀は一度店長の様子を窺い、咳払いを一つ。

「ウィルの手にした明かりは、あなた方の世界、即ち現世に度々弱い光を投げ掛けました。それから、夜中に不思議な光が見える時、哀れな彼の話になぞらえて種火のウィル、ウィルオウィスプと呼ばれるようになりました。……いやあ、ご清聴ありがとうございました」

「はっ、こちらこそ。拍手でもした方が良いのか?」

「いやあ、結構ですよ。それより参考になりましたか?」

「まあな。なるほど、ウィルオウィスプ――松明(たいまつ)持ちのウィリアムか。確か、旅人を危険な道に誘う存在、だったか」

 店長は椅子に深く座り直し、煙草の灰を空き缶に落とした。

「ええ、私もそのように覚えています。独りでは寂しいんでしょうね。そうですね、やはり、ジャックランタンとウィルオウィスプは同一の存在と考えて間違いないと思いますよ」

「……それが分からん。ジャックランタンもウィルオウィスプも人を迷わせる存在だ。つまり、人に害を成すソレだろう。何故ハロウィンで持てはやされるんだ?」

「さて、どうでしたかね。確か、スコットランドではジャックランタンをカブやルタバガで作っていたそうですけど」

「ルタバガ?」

 堀は「ああ」と呟き、にこやかに笑みを作る。

「ルタバガとは、そうですね、カブの一種と言ったところでしょうか。厳密には違う種類なのですけど、気にしなくても良いですよ」

「それが何故かぼちゃに変わったんだ?」

「アメリカにハロウィンが伝わった時に変わってしまったのでは? ゴーウェストさんがいれば、答えてくれましたかね」

「まあ良い。話を聞いた感じだが、何となくは分かった」

 短くなった吸殻を空き缶に押し付けると、店長は退屈そうにあくびをした。

「ハロウィンにウィルオウィスプを使うのは大方、目には目をと言ったところだろう。良く分からんものを無理に使う、か。は、大雑把な国には相応しいだろうよ」

「また危ない発言を。この国の人だって、良く分からない方の誕生日にツリーを飾り立てて騒ぐじゃないですか」

「良いんだよ、ここには馬鹿しかいないんだ。踊る阿呆と見る阿呆。堀、お前ならどっちを選ぶ?」

 堀は再びファイルを開き、誤魔化すように笑う。

「さあ、どうでしょうね。店長ならどちらを選ぶんですか?」

「踊らんし、見ない。阿呆とは関わらんのが一番だ」

「そう言うだろうとは思ってましたよ」

 店長は煙草に火を点けて、不味そうに煙を吸った。



 一とシルフはビルの屋上にいた。

「……おい、もう良いだろニンゲン」

 ビルの屋上、その隅で口を手で押さえて蹲っているのは一である。顔色は悪く、血の気も引いていて、今にも嘔吐しそうな様子だった。

「なあ、早くしないとあいつ見失っちゃうぞ」

 シルフが急かすが、一はそれどころではない。迫り来る吐き気と戦いつつ、首を横に振る。

「うううう…………」

「情けないなー」

 残念ながら、一は長時間の飛行に耐え切れず酔ってしまったのだ。最初こそ風が気持ち良いなどとはしゃいでいたのだが、シルフは彼を喜ばせる為か、空中をぐるぐると回ってみたり、地面すれすれまで急降下したりで、一の三半規管をこの上なく揺さぶっていたのである。

「やばい……」

 一は寝転がり、空を見上げた。

「すげー気持ち悪い……」

「お前が騒ぐからだろー」

 お前が滅茶苦茶に飛ぶからだろう。言い返してやりたかったが、下手に口を開けば胃から何か吐き出してしまいそうだった。

「おーい、もう見えなくなっちゃったぞ。どうすんだ、ニンゲン?」

「……分かった。追い掛けよう。だけど、安全運転で頼む」

「そんなのどうすんのさ? スピード落とせとか言うんじゃないだろうな。シルフの世界にはルールなんかないんだぞ」

「必要以上に揺れなきゃ良いよ」

 シルフは面倒臭そうに唇を尖らせる。彼女はビルの屋上、そのフェンスを飛び越えて空中で胡坐をかいた。

「じゃ、飛ぶのは止める」

「本当か?」

「うん、跳ぶから」

「は?」

 刹那、一の体が持ち上げられる。シルフが自身の力を行使したのだ。

 浮き上がった一は不恰好な体勢ながら、フェンスの縁を掴んで息を吐く。シルフは彼の手を握り、悪戯っぽく笑った。

「……何、するんだ?」

「しっかり掴まってろよ。シルフ様の手、死んでも離すな。……離したら死ぬかも」

 ふわり、と。

「うわあっ!」

 どこからか風が吹き、シルフの体に纏わり付く。その風は頭から胸へ、胸から腰へ、腰から足の裏へと集まり始めた。

「跳ぶぞっ」

 ――ぐうううっ!?

 収束した歪な風の塊はシルフの掛け声と同時に爆発する。一を連れた彼女は空気を切り裂き、強烈な加速度を稼ぎ、天まで届けとばかりに跳躍した。

 一は跳躍の際の負荷で、もはや叫ぶ事すら出来ない。ただただ必死に、シルフの手を握り続ける事にだけ全力を注いでいた。

 厚い雲に隠された月は、飛翔するシルフらをその光で以て映し出せない。彼らのシルエットを映し出しているのは眼下の街、駒台の明かりである。

 尤も、誰も一たちの存在に気付かない。街の人間は上空の状態に気付けない。

「降りるぞ」

「……っ!?」

 上昇が終わる。周囲に溜まっていた風が消え、浮遊感が一の感覚神経を苛んだ。それも束の間、髪の毛が逆立ち、風が、ごう、と嘶く。やがて音が消え、喉から悲鳴が迸る。

 ――落ちていく。

 圧倒的な衝撃が一の体を縦に突き抜けていた。視線を下げれば、すぐそこには民家の屋根がある。

「ぶつかっちまうぞ!」

 このままではコンクリートに足から衝突し、下半身が使い物にならなくなってしまう。

 一はシルフを握る手に力を込めて、半泣きで訴えた。

「だいっ――」

 シルフは一を離さないように歯を食い縛って落下の衝撃に耐えている。

「シルフっ」

 先導するシルフの足が接地する寸前、再び風が彼女らを吹き抜けた。

 風はシルフの足元へ四方八方から吹き荒れ、収束していく。足の裏から腰へ、腰から胸へ、胸から――。

 体が浮く感覚で、一の視界が揺れた。

「――じょうぶっ!」

 シルフは風を爪先に集中させて、爪先を支点に体を捻らせる。回転しながら、落下の衝撃を殺していく。

「うおおあっ!?」

 必然的に、シルフと手を繋いでいる一も回っていた。目まぐるしく切り変わる景色。見えるもの全て点になり、点は線と化す。彼女の周りを、一は衛星が如く巡っていた。

 やがて風が収まると、シルフは安堵の溜め息を漏らす。

「シルフ様だけの方が楽ったらないな」

 怪我もなく着地したシルフはやれやれとばかりに呟いた。

「……そりゃ悪かったな」

 シルフからほんの少しだけ遅れて、一も恐る恐るといった具合に降り立つ。

「跳ぶより飛んでった方が楽なのに。おまけにお前みたいな足手纏いがいるから、シルフ様すごく疲れた」

「連れてきたのはてめえじゃねえかよ。出来るならこのまま一人で行ってくれ。俺は帰るから」

 一はシルフから手を振り解いてその場に座り込んだ。

「……もう、しんどい」

「何言ってんのさっ、やっとコツが掴めてきたとこなんだぞ!」

「信用出来るか。あんなの続けられたら俺の骨が折れちまう」

「えー? ここまで来てそりゃないよ。なんだよー、骨の一本や二本や百本くらい良いじゃん」

「百も折れたら死ぬわ!」

 尚も食い下がるシルフから逃れようと、一は屋根から降りんとする。高さはあるが、飛び降りられない程度ではない。それとも、さっきまでの飛翔によって感覚が麻痺しているのかもしれなかった。

「あっ、おい!」

「待たないぞ。おらあっ」

 一は民家の庭に飛び降りようと足を踏み出す。

 が、

「あっ?」

 彼の足は宙に浮いたまま、一向に落下しなかった。試しに体を投げ出そうとしても見えない何かに押し戻されてしまう。

「なっ、てめえクソガキ! また何かしやがったな!」

「へへーん、シルフ様の許可なく飛べたり跳ねたり出来ると思うなよ」

 シルフは一を指差しながらけらけらと笑っていた。

「言ったろ。二人でいる時に必要な風の使い方、コツを掴んだって。ふふん、シルフ様ホント天才っ、褒めても良いぞ、さあニンゲンシルフ様を褒めろっ!」

「……はいはい」

 一は観念して、屋根まで戻る事にする。こうなったら、毒を食らわば皿までだ。もとより、風の精霊であるシルフの気紛れから逃れられるとは思っていない。

「分かった、行こう。……けど、マジで使い方ってのを掴んだんだろうな? 一回跳ぶ度にこんなんなってたら身が持たないぞ」

「うーん、もっと足に風集めてー、高度を上げ過ぎなきゃ大丈夫だと思う」

 シルフは顎に人差し指を遣り、考えるように上へ視線を向けた。

「……頼むぜ、こっちはお前に任せるしかないんだからさ」

「任せろっ」

 シルフはサムズアップし、一の後ろに回り込む。

「な、何だよ?」

「うーん?」

「――ひ」

 感触はないに等しかった。シルフの肢体は細く、何よりも軽かったのである。

 だから、一は最初、シルフが自分に絡み付いているのに気付かなかった。

 背中に柔らかく、妙に温かいものが押し当てられる感触に一は飛び退く。

「な……! 何してんだお前! 馬鹿じゃねえのかっ、もしくはアホか!」

 振り払われたシルフは不満げに、ジト目になって一を睨んだ。

「くっついた方がやりやすいんだよ。手握ってるだけだったら、シルフ様、力の入れ具合がいまいち分かんないのさ」

「そっ、そうか」

「んー? お前さ、なんで顔赤いの? トマトみたいだぞ」

「あっ、赤くねえよ!」

 一はむきになって言い返すが、彼の顔は誰がどう見たって赤いとしか言えないだろう。

「……あ」

「今度は何だよ……?」

「お前さ、もしかして照れてるの?」

 思わず、一は絶句した。口をパクパクと動かすが、肝心の言葉は出てこない。

「へー、そうかそうか、シルフ様がこーんな美人になったもんだから照れてんだなー。子供の方が楽なんだけど、お前が嬉しそうだからこのままの姿でも良いかなー」

 シルフは嬉しそうにして一にくっ付こうとする。

「だああっ、やめろ馬鹿!」

「そんな事言うなよー、ほらほら、おっぱいでかいだろー、どうだっ」

「幾ら姿変えたってな、中身がガキなら嬉しくもなんともねえよ!」

 一はシルフを押し退け、屋根の縁ぎりぎりまで逃げていた。

「面白くない奴だなー、お前、もしかして女嫌いなの?」

 嫌いじゃないが、意地でもイエスとは答えたくない。

「シルフ、お前こないだから変だぞ」

「へ? なんでさ」

「……なんつーの、その、俺の気を引こうとしてないか? いや、してないよな?」

「してるよ?」

 シルフはきょとんとしている。

「だって、シルフ様はお前が好きだからな」

「なああっ!?」

「お菓子くれるし、おもちゃくれるじゃんか。ニンゲンにしては見所があるから、気に入ってるぞ」

 その言葉を聞いて、一は少しほっとした。

「あ、ああ、びっくりした。好きは好きでもそういう意味か……」

 年齢、性別、姿が不定な精霊だとは言っても、つい先日までシルフは子供の、しかも男の子の姿だったのだから、一が焦るのも仕方がないと言える。

「うん、好きだ」

 そうじゃない。子供がスキンシップをねだっているだけ。しかし、分かっていても、面と向かって言われてはどうにも気恥ずかしかった。

「……と、ところでさ。あのかぼちゃを倒すっても、どうするつもりなんだ?」

「アレは火なんだろ? だったら話は早いぞ。シルフ様の風でびゅーんっと吹き飛ばしちゃえば良いのさ」

「上手くいくかなあ」

「いく! いくったらいくの! シルフ様に不可能はないんだからな!」

 一は溜め息を吐き、ジャックランタンが去っていったであろう方角を見つめた。

「他意はないんだろうな」

「タイ? 魚がどうしたのさ?」

「や、何でもない」

「だったら行くぞ。しっかり掴まって――あ、掴んでおくのはシルフ様か」

 シルフはけらけらと笑いながら、一を羽交い絞めする形になって四肢を絡ませる。

「……お前、軽いのな」

 と言うより、シルフからは一切の重みを感じない。

「そう? 良く分かんないや」

 言うと、シルフは前方を見据えた。

 ごう、と風が吹き、ごうごう、と風が嘶く。四方からやってきた風はシルフの足元に集まりつつある。

「跳ぶぞ」

「……おう」

 一が覚悟を決めて頷いた瞬間、世界が変わった。景色が下から上へ流れていく。空気の膜を切り裂き、風の音を聞きながら、シルフらは上昇していた。

「見えたっ!」

 離れたところにジャックランタンの後ろ姿が見えている。

 シルフは前回の跳躍よりも高度を下げたまま、次の足場である民家の屋根に狙いを定めた。

「うっ――あああっ!」

 急降下。髪の毛が上方向に持ち上がる。一は悲鳴を上げながら、必死に目を凝らして着地点を見つける。

 シルフは片足にだけ風を集中させ、屋根の上に降り立った。が、完全には体重を預けない。一をしっかりと抱いたまま、集めた風を爆発させる。

「いくぞっ」

 衝撃音が一の耳を劈いた。シルフに手足を掴まれている為に耳を塞ぐ事は出来ない。歯を食い縛って、上昇の際の衝撃と爆音に耐える。

 シルフは涼しげな顔でジャックランタンを見遣った。彼女は、あと二回の跳躍で追い付けると踏んでいる。俄然、力が入る。

 上昇が終わり、風に乗ったまま距離を稼ぐ内、シルフは二回目の着地場所を見つけた。彼女は再び片足だけに風を纏わせて屋根の上に一瞬だけ降り立ち、すぐさま上空に跳び立つ。

 あと、一回で追い付ける。

「ああああっ!?」

 一が喚くので、シルフは顔をしかめた。

「なんだよっ!」

「馬鹿っ、住宅街を抜けちまったぞ!」

 見下ろせば、確かに先程までの建物はない。通りに出てしまったのだ。一般的な高さの民家は見当たらず、背の高いビルが連なっている。

「どうすんだよっ!」

 シルフは跳躍の際、前回よりも高度を抑えめにしていたのだ。つまり、次の足場がない。彼女は距離を稼ぎながら、緩やかに落下し続けていた。ビルの屋上までは絶対的に高さが足りないのである。

 眼下には車が走り、僅かながら通行人もいた。このまま一たちが地上に降り立てば混乱が起こるのは免れないだろう。

「別に良いじゃんか」

「良くねえよっ、見つかったら俺は晒しもんだぜ。誰に何を言われるか分かったもんじゃない」

「シルフ様はどーでも良いんだけどー?」

「頼むっ、何とかしてくれ!」

「……あとで文句言うなよ」

 一が何をするつもりなのかシルフに尋ねる前、彼女はもうとっくに動いていた。

 突如横殴りの風が吹き、通りの上を跳んでいたシルフらをビルの壁面まで押し戻す。

「っておいっ、ぶつかっちまうぞ!」

 シルフは一を無視したまま、足元に風を集めて体勢を変えた。彼女はビルの壁に爪先を向けて突き進む。

「きっ――つうっ!」

 空中で横になった姿勢で、シルフは壁に足を付けた。斜め上、ジャックランタンを睨み付け、吹き荒れる風を集約させていく。

 抱えられている一は、頭からずり落ちていく感覚に恐怖を覚えた。

「あああっ!」

 シルフが叫ぶ。彼女の声に応じて、高らかに風が鳴いた。

 ――(だん)っ!

 壁を強く蹴り付け、シルフが斜め上に凄まじい勢いで跳び出す。

 今までとは比べものにならない衝撃に、一は声も出せなかった。頭がくらくらして、頭の中身が吹き飛ばされて掻き回されるような感覚に陥る。

「いたあっ!」

 シルフが嬉しそうに声を上げた。それもその筈、彼女の狙い通り、跳びだした先にはジャックランタンが浮遊している。

「ニンゲンっ、アレを捕まえろ!」

「はあああっ!?」

「シルフ様は手が塞がってるだろっ、捕まえてっ、中からめちゃくちゃにしてやる!」

 確実を期する為にはそれしかない。纏まらない頭の中で、一はそう結論づけた。ジャックランタンを中途半端に吹き飛ばしても意味がない。刳り貫かれたかぼちゃの中、逃げる場がないように風を吹き込み、直接ウィルオウィスプを掻き消すしかない。

「分かった、あとは任せるからなっ」

「任せろ!」

 シルフは手を離して一の両手を自由にさせる。

 ジャックランタンはもう目の前だ。跳びだした勢いのまま一は手を伸ばし、

「げふっ――」

 逃げ去ろうとしたソレに身体ごとぶつかり、掻き抱くように胸を当てて両手でがっちりとかぼちゃを掴む。

「食らえっ」

 シルフは、刳り貫かれたかぼちゃの穴に手をかざした。ごう、と、風が吹く。ジャックランタンの火が揺れ光が揺れ、内部で風が鳴動していた。

「動くんじゃねえよっ」

 お化けかぼちゃはガタガタと振動して、必死な抵抗を見せる。

 一は暴れるソレを抱え、シルフはソレに強風を送り続けた。

 やがて、ソレは一際大きな動きを起こすとぴったりとその動きを止める。



「あら?」

 部屋に入ってきた人物を見て、エレンは意外そうな声を上げた。

「今日は誰も招いていないのだけれど?」

「……種火が消えたわ」

 エレンに話し掛けるのは、右腕に包帯を巻いた女性である。彼女は苛立たしげに、ともすれば憎憎しげに口を開いた。

「あなたのお気に入り、やってくれるじゃないの。ふん、どんな入れ知恵をしてあげたの?」

「別に。私と、ウィルの名前を教えてあげただけよ」

「――っ! アイギスの坊やに名前を教えたですって? あなた、裏切るつもり?」

「裏切るつもりはないわ」

 エレンは手元の女性誌に視線を落とし、淡々と告げる。

「分かっているんでしょうね。私たちが陽の光を浴びるには、奴らが邪魔って事を」

「他にも方法はあると思うのだけど?」

「ない。私たちに選択の余地はないのよ。……あの子で遊ぶのは勝手だけど、入れ込み過ぎないようにね」

 それだけ言うと、包帯を巻いた女性は部屋を出て行った。

 残されたエレンは薄く微笑み、

「分かってるわ」

 儚げに呟く。 


 

「……終わったのか?」

 風前の灯火、だったのだ。穴から漏れ出ていた光は完全に消え失せ、火は完全に掻き消えている。いまやかぼちゃはただの空洞に成り果てていた。

「そうみたい。へへっ、やったじゃん」

 シルフは屈託なく笑み、一を抱えたままゆっくりと飛翔していく。

 邪魔になっていたのだが、一は何となくかぼちゃを手放せないでいた。

 誰もいないビルの屋上に降り立つと、シルフは息を吐く。

「耳元に息吹き掛けんな」

 ――誰かさんを思い出しちまう。

「しょうがないだろー、疲れたんだもん」

「はいはい、ご苦労さまでしたよ」

 一はかぼちゃを置くと、息を吐き出しながら身体を伸ばした。

「なあ、なあなあ、それもらっても良い?」

「へ、それって、ソレ?」

 シルフはかぼちゃを指差して力いっぱいに頷く。

「そ、これこれっ」

「……良いんじゃないか?」

 ジャックランタン――ウィルオウィスプはタルタロスにいたそうだが、今となってはただのかぼちゃだ。それをどうこうしようと、それこそ、煮るなり焼くなり、

「あはははははは!」

 シルフが頭からすっぽり被ってはしゃごうが、好きにしても構わないだろう。

「シルフ」

「んー?」

 一はシルフに、ソレを倒してくれたお礼を言おうかどうか迷い、

「楽しかったよ」

 結局、お茶を濁した。彼女に面と向かってお礼を言うのは恥ずかしく、何か違うと思ったからである。

「おうっ、シルフ様も楽しかったぞ」

 シルフはかぼちゃで遊ぶのに夢中になっていた。中身が子供でも、外見はスレンダーな美女なので、酷くアンバランスな、滑稽な光景だと一は思う。

「ニンゲン」

「ん?」

「お前ってさ……あ、やっぱり良い」

「言い掛けて止めんなよ。気になるだろうが」

 それでもシルフは首を振った。

「良い。ニンゲンは、ニンゲンだもん」

「……? ま、良いけどさ」

 一はフェンスに背を預け、ポケットに手を遣る。

「シルフっ」

 ポケットから手を抜き、握ったものをシルフに向けて放った。

 シルフはそれを受け取ると、小首を傾げる。

「何だよ、これ?」

「見て分からないか、飴玉だよ」

「……まさか、お礼のつもり?」

「違うよ。でも、悪戯されるぐらいならお菓子をやろうと思ってさ」

 空を見上げると、夜の中にか細い明かりが見えた。その明かりは一が気付いた瞬間、すぐに消えてしまう。天国か、地獄か、煉獄か。どこに行ったのか、どこかには行けたのだろうか、彼には分からなかった。

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