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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ジャックランタン
122/328

ハロー、ウインド

 早朝、オンリーワン北駒台店バックルーム。

「本当ですって! 女の人に追い掛けられたんですよ!」

「うるせェな! 分かったって言ってンだろうがよ!」

「痛いっ! 三森さん蹴らないで!」

「うるせェ!」



 正午、駒台大学内研究棟一、九十九(つくも)ゼミ教室。

「あれ、早田(はやた)だけじゃん。楯列(たてなみ)いないの?」

「奴は旅行に行っているらしい」

「へー、どこに行ってんだろ」

「やっぱり地獄じゃないのか?」

「やっぱりってのが気になるけど、ああ、そういや家族と東北まで行くって聞いていたような。うーん、あいつがいないと困るなあ」

「何故だ? 私と先輩の二人きりではないか」

「それが嫌なんだよ」

「それが良いのではないか!」

「耳元ででかい声出すんじゃねえ」

「ふむ、では先輩、何かエキセントリックな話をしてくれ」

「昨日女に追い掛けられた」

「あれ? 私は昨日先輩を追い掛けていないぞ。そんな馬鹿な事がある筈ない」

「馬鹿はお前だよ。全然知らない女の人だった。スタイル良かったけど、雰囲気は子供っぽかったな。悪く言えば、ちょっと頭が良くない感じの人だった」

「ふーん。それより先輩、折角奴がいないのだ、式を挙げよう」

「ああ、独りで勝手に挙げといてくれ」

「はあ、はあ、放置プレイ……良いぞ、先輩その調子だ……」

「一つも良い事ねえよ! ホントもう、お前はいつでも絶好調だな」

「いや、そんな事はない。今日はメンスでな」

「……そうか」

「メンスなだけに、先輩にあっちのメンテナンスをしてもらおうかと思っているぐらいだ、はっはっはっ」

「笑えねえよ」



 夕刻、オンリーワン北駒台店フロア。

「あら、一さんではないですか」

「げえっ、黄衣(きごろも)! 何でお前が(うち)にいるんだよ……」

「今日は午前でオフなので、駒台の本屋を回っていたんです」

「ああ、それで紙袋とか抱えてんのか。へー、いっぱい買ったじゃねえか。金持ちー、何かおごってくれよ」

「嫌です。小銭を拾おうとしたらバランスを崩して地面に頭をぶつけて死んでください。第一、これは全て中古で購入したものですから」

「ふーん? ま、そんだけ買ってりゃ新品も中古も変わらない気がするけどな」

「それより、今日はアルバイトなのですか?」

「違うけど」

「ふっ、そうですか。いやいや、時間が余っているようで実に羨ましい限りです。出来るならあたしにも分けて欲しいものですね」

「へっ、残念でした。俺は今から(タルタロスに)デートへ行くんだよ」

「独りでですか?」

「違うわ! 聞いて驚け、お前とは比べものにならない美人とだよ」

「へえ、確かに妄想もここまで来れば凄いですね。被害妄想とは言いますが、あなたの場合その逆です。妄想が被害を産んでるんですよ。主にあたしに対して」

「別に良いよ信じなくても。だけどな黄衣、俺はモテるんだなあ、これが」

「……ありえませんね」

「本当だって。現に、昨日の夜は女の人に追っ掛けられたんだし」

「くっ、あっはっはっ! くっくっくっ、はっはっはっ、あーはっはっはっ!」

「笑い過ぎだろ」

「はっはっはっ、笑わずにいられますか。女性に追い掛けられた? ふっ、ちゃんちゃらおかしいですね!」

「なあ、ちゃんちゃらって何?」

「良いですか、妄想と現実を混同するのは危険です。止めてください。大体、あなたを追い掛けたのは本当に女の人でしたか? いえ、人でしたか? と、言いますか本当に追い掛けられたんですか?」

「だから信じなくて良いって言ってるじゃん。そんなに俺を貶めたいか」

「もっちろん!」

「うひゃー、良い顔してんなー」

「まあ、あなたが多数の女性に好かれようが好かれまいがあたしには関係ありません。それより手が塞がっていて買い物が出来ません。籠代わりになってください」

「ああ、別に良いよ」

「ふふ、ではお願いしますね」

「はいはい、かしこまりました」

「では手始めに、二リットルのお茶を十本ほど」

「帰れ!」



 午後五時、タルタロス内、最下層に位置する部屋。

「そんなこんなで災難続きでしたよ」

「ハジメはその子たちに好かれているのね。羨ましいわ」

 エレンは窓を向きながら、感慨深げに溜め息を漏らした。

「そうですかねえ。良いように遊ばれてるだけだと思いますけど」

「あら、本当にそうかしら? ……それより、さっきの話を詳しく聞かせてちょうだい」

 一はエレンへの土産に持ってきた女性誌を適当に眺めながら考える。

「えーと、俺が女の人に追っ掛けられた話ですか?」

「興味はあるけど、そっちじゃないわ。オニビの方よ」

「ああ、火の玉の。でも、詳しくは知りませんよ。確か車が事故を起こしたって事は言いましたよね?」

 エレンはゆっくりと頷いた。

「それで、事故現場には火の玉が出たって証言がかなりあったそうで。うちの店長が言うには、ソレが何かしたんじゃないかって」

「火の玉……。ハジメ、その事故で何人死んだのかしら?」

「車の運転手と、道路の真ん中を歩いていた人の二人です」

「死んだ男たちに不審な様子はなかったのかしら?」

 一は「そういえば」と切り出し、轢かれた側の男がまるで酔っ払いみたいだった事を伝えた。エレンは何も言わず、考えを巡らせている様子である。

「あの、どうしたんです? 何か心当たりでも……」

「ええ、そうね。私の勘が正しければ、あなたたちには謝らないといけないのかも」

 エレンはしかし、申し訳なさそうな素振りはこれっぽっちも見せていない。

「……どういう事でしょうか?」

「その火の玉とやら、タルタロスから抜け出したかもしれないのよ」

「ええっ? だ、脱獄って事ですか?」

 脱獄。自らが言ったのだが、一はつい糸原を思い浮べてしまう。

 エレンは机の上に肘を突き、物憂げに息を漏らした。

「私の管轄ではないのだけどね。話を聞いていると、ここに置いていた子みたい」

「じゃあ、そいつがここを抜け出して事故を起こしたって訳ですね」

「ええ、時期的にもある程度一致しているから、間違いないでしょうね。さ、どうしたら良いのかしら」

 一は答えに困窮する。頭を掻きながら、エレンの様子を窺った。

「悪さをしたってんなら、倒すしかないでしょう」

「……ハジメは、殺すとは言わないのね」

「え?」

「何でもないわ」

「えーと、じゃあその火の玉ってのはどんな奴なんですか?」

 例えば、能力。しかし一は何よりもソレの名前が知りたかった。

「そうね、狡猾な奴よ」

 エレンはまた分かりにくい事を楽しげに言う。

 狡猾な火の玉なんて情報、どうやって活かせば良いのか一には想像も付かなかった。

「あの、せめてそいつの名前を……」

「あら、若いのに楽をしては駄目よ」

 エレンはくすくすと笑い、答えをはぐらかしている。

 ――困ったなあ。

 これじゃノーヒントと変わらない。

「ふふ、そんな悲しそうな顔はしないで。もう、ハジメが可愛いからよ? 仕方ないから、一つだけ教えてあげる」

 エレンは一度言葉を区切った。

「ウィルオウィスプ」

「へ?」

「あとは自分でどうにかしなさい」

「は、はあ……」

 一は曖昧に頷く。

 ――ウィルオウィスプ。

 それはもう答えを言っているのと同じではないのだろうか。

「ウィルオウィスプ、か。ありがとうございます」

「あら、もう帰ってしまうの?」

 椅子から立ち上がる一を見て、エレンは儚げな声で、縋るように口を開いた。

「もう遅いですし、エレンさんに教えてもらった事を誰かに伝えないと」

「私、ハジメにとって都合の良い女なのね。……それと、さん付けは面白くなくてよ。エレンと、そう呼びなさいな」

「努力します。それじゃあまた、えーと……」

 エレンは、扉の前に立ち尽くす一を見遣り、

「解決したらまたいらっしゃいな」

 優しく提案する。

 あくまでも、優しく。



 タルタロスを出たら、もう辺りは暗くなっていた。

 時刻は午後の七時を回ったところで、道々に設置されている街灯が頼りなく一を照らしている。

 自身の影が伸び縮みするのを眺めながら歩いていると、一陣の風が吹いた。

 冷たくはない。寒くはない。むしろ暖かく、心地良く。なんとも優しい風である。

「お前、またタルタロスに行ってたのか?」

 調子の軽い声に振り向くと、昨晩も出会った女性がそこにいた。

「……またあんたか」

 一は溜め息を吐き、女性と向かい合う。

「またって何だよ?」

「どうして付いてくるんだよ。つーか、昨日から気付いてたんだけどお前、人間じゃないな。俺をどうするつもりだ」

「ふん? 別に何もしないよ。それよりほら、この格好見ろよっ、ほらどう思う?」

 女性はその場をくるくると回り、無邪気に笑った。

「どう……たってな……」

 一はぼんやりと女性を眺める。

 彼女からは敵意を感じない。ただ、くるくると回っているだけだ。身に纏う雰囲気は軽く、どこか浮き世離れしている。笑い、怒り、自分勝手、気の向くまま風の向くままに行動していた。まるで子供のように、まるで、風そのもののように。

「何度も言うけど、俺はあんたみたいに良い体してる奴とは昨日初めて会ったんだ」

 女性はぴたりと動きを止めて一を見つめる。

「じゃ、この体は悪くないって事だな」

「は? ま、まあそうなんじゃねえの?」

 何を言っているんだろうと女性を見るが、彼女は気分が良さそうに調子外れの鼻歌を口ずさむだけである。

「それじゃ、俺は行くから……」

 一はこそこそとその場を立ち去った。日は暮れ、空には雲がそこかしこに散りばめられている。幾ら辺りが暗いとはいえ、まだ七時。こんな女と一緒にいるところを誰かに見られては堪ったものではない。

 付けられても平気なよう、路地を適当に曲がった。右へ左へ再び右へ。

 一は大通りから回り道をしてアパートに帰ろうと思い、車の通りが多い道を選んでいく。

 やがて、一は騒がしい空気を感じ始めた。随分と遠回りになり、おまけに道にも迷ってしまったが、どうにか辿り着けたようである。

 息を一つ入れ、視線を前方に向けて歩き出した。

 目的は車道の真ん中だ。

 一はふらふらとした、覚束ない足取りで歩き出す。と言うより、歩かされていた。

「…………あ」

 ――行かなきゃ。

 一の視線は定まっておらず、中空を虚ろに映し続けている。

 まるで酩酊しているかのような、危なげな様子だった。

 彼の足は一歩、また一歩と通りに近付いていく。路地を抜けると、車道はすぐそこだ。ガードレールも柵もない。車の排気音も周囲の話し声も今の一には聞こえていなかった。

 やがて、一台の大型車両が通りの角を曲がる。

 一は歩き続ける。

 車と一、距離は縮まりつつあった。どちらかが進むのを止めない限り、衝突は免れない。一が路地を抜けて少し歩けば、車とぶつかってしまう。

 一は車に、そもそも何にも気付いていない。目に入っていない。耳に入っていない。

 車からも一は見えていない。彼が路地を曲がってから初めて、運転手はその存在に気が付くのだろう。

 だから、一は歩き続け、車は走り続けた。



 ――タルタロス。

 ソレに関係する犯罪者を罪の大小に、罪の代償に関係なく隔離する施設。

 施設の中では簡易的な裁判が執り行われ、送られてきた者の処罰がその場で決まる。

 タルタロス、その建物自体は大きくない。近隣に位置するオンリーワン近畿支部と大差がない。特筆すべきは、地下である。広大な空間がタルタロスの地下にあるのだ。それは囚人を置いておく場所でもあったし、話によればソレを置いておく場所でもあるらしい。

 らしい。

 タルタロスについてはオンリーワンも殆ど知っていない。知らされていない。あくまで、噂だ。オンリーワンとタルタロスは協力関係にあるが、勤務外や一般のアルバイト、末端に近い人間には何も情報が入ってこない。何をどう協力しているのか、誰が誰と協力しているのか、何も分からない。

 例えば、名前。オンリーワンの人間はタルタロスの人間の名前を知らないのである。

 例えば、姿だ。オンリーワンの人間はタルタロスに所属する者の姿を見た事がない。

 例えば、場所。大半のオンリーワンに所属する人間はタルタロスに入った事がない。

 徹底した秘密主義。

 噂や風評でしか知らない提携相手。

 それでも、どこからか噂は流れる。出所も真偽のほども定かではないのだが、皆知っているのだから仕方ない。

 曰く、タルタロスに集う者たちは犯罪者、もしくは大人物であると。だから名前を名乗らない、姿を見せないのだと。

 曰く、タルタロスの地下は荒れ果てた平野がどこまでも広がっているのだ、終わらない世界なのだ、と。

 しかし、噂のどれもが要領を得ない憶測ばかりだった。タルタロスに入った事のある人間が少ない、殆どいないのだから仕方ない。そも、噂とは概してその程度のものだ。

 だが、不確定ながらタルタロスに投獄され、そのすぐ後に脱獄した者がいる。現オンリーワン北駒台店勤務外店員。通称『天気屋』、その片割れであった元フリーランス。

 ――糸原四乃。

 彼女だけが唯一、タルタロスについて確度の高い噂を取捨選択出来るのだと目されている。

 糸原四乃曰く、タルタロスは地獄であったらしい。

 地獄の『ような』、ではない。紛れもない地獄だったそうだ。

 曰く付きの経歴である事から、彼女はタルタロスからの指名手配が解かれた現在でも、情報部にマークされている。

 そして、一一も一部の人間からマークをされていた。理由は多々あるが、まずはアイギスの所持者だと言う事。アイギスの能力が厄介なのも原因なのだが、問題なのは一がその力をアテナから受け取った、その一点にある。

 ただの一勤務外が、ギリシャはオリンポス十二神の一柱から勇者の証を授けられたのだ。問題にならない筈がない。

 次に、一一の交友関係の雑多さ。

 これは彼自身の性格、性質に問題があるのだとする意見もあった。即ち、一が適当である事に問題がある、と。

 主に大学周辺の一般人、同僚の勤務外、元フリーランス、現役のフリーランス、社員、ソレ、ハーフ。

 一は立場も何も気にしないで、自分の思うままに人間関係を組み立てていたのだ。そして一が構成する関係者の中に、タルタロスに所属する者がいるのが恐ろしい。

「――っ」

 オンリーワン近畿支部情報部二課実働所属、(さざなみ)は、一が恐ろしい。

 情報部ですら知り得ないものを知っている一が恐くて堪らないのである。

「……いっそ」

 漣は今、駒台のとあるビルの屋上にいた。一を監視する為にである。眼下には大きな通りへ向かい、夢遊病患者の如くふらふらと歩く者がいた。

 一一の対処に関しては、意見が大きく二つに分かれている。

 殺すか、利用するかだ。

 命令違反、社員への造反、情報漏洩。一勤務外の領分を越えるであろう一の振る舞いを危険だと判断して、早急に手を打つべきだとする意見。

 もう一つは、一を限界まで利用する意見。確かに彼の力、振る舞いはオンリーワンにとってマイナスになるかもしれない。しかし、プラスにもなっている。彼が勤務外となってから関わったソレの数には目を見張るものがあった。僅かな期間で神話級の化け物と出会い、生きて帰っているのは評価出来る。キワモノ揃いの北駒台店でも、一の経歴は特に目立っていた。

 だから、死ぬなら勝手に死んでもらおう。それまでは好き勝手にしてくれ、という意見の二つ。

 漣は前者の人間である。出来るならば、一には致命的な問題を起こすより早く死んで欲しかった。

 しかし、彼の力は認めている。頼りない風な男ではあるものの、勤務外を伊達には名乗っていない。

 ……だが、漣は以前より一がいなければ、と。そう思っていた。事件の報告書を見る度に感じていた。一一が事態をややこしく引っ繰り返しているのではないか、と。

「ここで奴が死ねば……」

 今はまだ大丈夫。しかし、いずれはオンリーワンへの脅威となる。一一が死ねば……。

 ――春風さん、だって。

「ちっ」

 今は任務中だ。余計な私情を挟む余地はない。

 漣は目を瞑り、己の頬を張った。弛んでいた気持ちが引き締まる。

 眼下の一に再び視線を送ると、得体の知れない女が彼を後ろから羽交い絞めにしていた。どうやら、彼にはまだ運が残っていたらしい。



「おいっ!」

 体を揺さぶられる感覚が気持ち良かったので、一はしばし身を任せた。しかし、長時間も成すがままにされていると、胃の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。

「あ、ちょ、ちょっと」

「バカ! やっと気が付いたのかよ!」

「……いきなり、馬鹿呼ばわりかよ」

 出会ったばかりの女性に羽交い絞めされている理由が分からなくて、一は泣きたくなっていた。辺りを見回すと、見覚えのない景色。こんなところまでいつの間に入り込んでいたのだろうか。

「おい、しっかりしろよ」

「……してるよ。で、ここはどこだ?」

「知らない。けどお前はもう少しで死んでた」

「死んでた?」

 女性は呆れたように頷く。

「クルマにぶつかってたのさ、覚えてないの?」

 全く記憶になかったので、一は驚いた。

「俺、何してたんだ?」

「歩いてたんだよ、ふらふらーっと。見てるこっちがハラハラしてた」

「……そうだったのか」

 状況に一の頭が追い付いてきた。つまり、自分でも気付かない内に、車道までふらふらと飛び出そうとしていたらしい。

 ――まるで……。

「危なかった……」

「ホントにね! 感謝して欲しいもんだよ」

 一は女性に向き直り頭を下げる。

「いや、本当にありがとう。見ず知らずの俺を助けてくれるなんて」

「はあ? お前頭でも打ったのか?」

「打ってないけど」

「だったらなんで分かんないのさ!」

 何を分かれと言うのだろう。一は改めて女性を観察する。やはり、彼女はスタイルこそ素晴らしいのだが身に纏う雰囲気からはどうにも子供っぽさが拭えない。軽いと言うか、無邪気と言うか。

 そう、一はこのアンバランスな人物とどこかで会った事がある。

 ――まるで。

 まるで、風みたいなこの人物と出会った事がある。

 ――風、そのものだ。

 その時、一の体に電撃めいた予感が走る。いや、風が奔ったと言うべきか。どうしてもっと早く気付けなかったのだろう。

「お前、まさか……」

 女性は偉そうに胸を張り、

「やっと分かったか」

 ふわりと宙に浮いた。

「シルフ……君?」

「違うね。今はニンゲンのガキの姿をしてないからな。うん、ニンゲン、これからはシルフ様の事をシルフさんと呼ぶんだ」

 シルフは楽しげに微笑む。悔しい事にその笑顔は、一にとってとても魅力的に映った。



 シルフの話を要約するならば、彼、いや、彼女は先日一と別れたあと、すぐに姿を変えたらしい。

「なんで?」

 一がそう尋ねても、シルフは答えなかった。

 何となくではあるが、一には察しが付いている。シルフは子供だと馬鹿にされたので、大人に、しかも女性に姿を変えてまで自分を驚かせたかった。と、こんなところだろうか。

「中身はあんまり変わってねえのな」

「うるさいなっ。それより、お前はアレに操られてたんじゃないのか?」

「アレ?」

 シルフの視線が向かっている先を見れば、そこには――、

「……なんだ、アレ?」

 ――かぼちゃが浮いていた。

 オレンジ色の外皮には三角に切り抜かれた三つの穴と、ギザギザの穴が空いている。その穴は見るものに目と鼻と口を思わせる。穴からは煌々とした光が漏れ、自らを闇の中に浮かび上がらせていた。

 知っている。

 一はコレを知っている。

 ――ジャックランタン。

 ハロウィンでもないのに、そこにいるジャックランタン。

 ぞくりと、一の背筋に怖気が走る。

 ジャックランタン、そのユーモアな風体が不気味さを一層押し上げていた。

「まさか、こいつが……」

 一の脳裏に、店長から聞かされていた事故の話が過ぎる。野次馬が目撃していた火の玉。嫌でも連想してしまう。事故を起こしたのは、人を殺したのは、今まさに自分をどうにかしようとしていたのは、こいつじゃないのかと。

「なあ、どうしたのさ?」

 どうする。考えるも、一は今武器を持っていない。そも、彼は常からアイギスを持ち歩かないのだが。

「今からどうするかを考えるんだよ。くそっ、何も用意なんてしてねえっつーのに」

 アイギスも、心の準備ですら、一には出来ていない。

「ふーん? じゃ、あいつ倒しちゃおうよ」

 一が焦るのも無理はない。だと言うのにシルフはのんびりとお気楽な事を言った。

「……どうやってだよ?」

「ただのかぼちゃじゃん」

 シルフはそう言うが、アレはただのかぼちゃではない。人を死に至らしめるソレなのだ。

「じゃあ、お前がやってくれるってのか?」

「良いよ。シルフ様は今ゴキゲンなのさ、あんな野菜ぐらいなんだってんだ」

 その言葉が本当なら嬉しいのだが、一はシルフをあまり信用していない。

「ごちゃごちゃうるさいな。早くしないとあいつ逃げちゃうぞ」

「うーん」

 一はもう逃げられたなら逃げられたで構わないような気がしている。店に戻って報告すれば良いのではないだろうかと、少々無責任ではあるのだが。

「あっ、おい逃げてくぞ」

 かぼちゃのソレは一たちから背――ではなく顔を向けて空中をゆっくり移動していた。

 迷っている時間はなさそうである。一は頷き、シルフを見上げた。

「帰ろう」

「なんでさっ!?」

「恐いじゃん。お前は頼りにならなさそうだし」

 シルフの額に青筋が浮き出る。

「行くぞっ!」

「行かないって」

 一人で風に乗り、空へと浮き上がるシルフを無視して一は背を向けた。

「ニンゲンっ!」

「そうだよっ、俺は人間様だっ! 精霊とは違うんだよ、姿も年も変えられない。水を被ったって女にもなれなけりゃ、空も飛べやしないんだ! だから、俺は戻る」

「戻るんじゃない! お前は逃げてんだ! 勤務外なんだろっ、ソレを倒すのが仕事じゃないのか! それに、あいつはお前を殺そうとしてたっ」

 一は深く息を吸い込む。

「殺され掛けたんだぞ、俺は。武器も味方もいないのに化け物へ挑むなんて馬鹿げてる」

「武器ならある、味方ならシルフ様がいるっ!」

「見下して言う台詞じゃねえよ!」

「〜〜っ、だったらぁ!」

「なっ……うわ、うわああっ!?」

 突如、シルフから凄まじい風圧が迸る。吹き飛ばされそうになるのを堪えながら、一は目を瞑った。

 ――殺される!?

 次の瞬間、一の立っていた地面が消える。

「――ひっ」

 落ちる、落ちる、落ちるっ、落ちて死ぬ。

 パニックに陥る一だが、そうではなかった。地面が消えたのではない。あえて言うならば、一が地面から消えたのだ。

 舞い上がる風、舞い散る砂埃。小規模の嵐の中、宙に浮くは一人の男。

「なっ、なっ、なんだよこれ!?」

 徐々に体が上がっていき、地面から体が離れていく。ばたばたと手足を動かすが、風の力には抗えない。

 重力が全く感じられない。いまや浮遊感だけが一の全身を包み込んでいた。血が軽く、体が軽く、気持ちまでもが軽くなっている。

「シルフっ!」

 一は何とか顔だけを動かしてシルフを睨んだ。

 しかし、シルフは悪怯れた様子も見せずに、童女の如く無邪気に笑う。

「シルフ様はお前の姿を変える事は出来ない。女にだって変えられない。でも、飛べる」

 シルフは中空に浮き上がった一の傍まで近付き、彼の手を取った。

「お前と一緒に飛べるんだ」

「……飛ぶ……?」

「そう、飛ぼう! 風に乗って、風を切って、風と一緒に、風になるんだ!」

 シルフは高らかに宣言すると、一の手を握ったまま高度をぐんぐんと上げていく。民家が小さくなっていく。街の明かりが小さくなっていく。

「おっ、落ちる! 落ちたら死ぬ!」

「落ちるもんかっ、シルフ様を誰だと思ってるのさ! この街の風も雲も、空にある何もかもが味方なんだぜっ!」

「うわああああああああああっ!」

「ようこそニンゲンっ、これがシルフ様たちの、世界だ!」

 一陣の風が吹くと、その場にはもう何も残されていなかった。ただ、一の悲鳴の残響があるだけで、恐らくはもう誰も、彼らを捉える事は出来ない。

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