表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ジャックランタン
120/328

風のいたずら

 男は悪い事をしました。

 男は悪人でした。

 だから殺されました。

「お前には地獄へ行ってもらう」

 男は霊界で男に言われました。

「いや、俺にはやりたい事がある」

 男は男を言葉巧みに丸め込みました。

「良いだろう。お前に二度目の生を与えよう。だが、もう悪い事はするでないぞ」

 男は喜び、二度目の生を得ました。

「ははっ、やったぞ」

 男はまた悪い事をしました。

「私との約束を破ったな、許さんぞ」

 男はまた霊界で男に言われました。

「お前には天国も地獄も相応しくない。生きる事も死ぬ事も許されない」

 男は男に告げました。

 生きる事も死ぬ事も出来ず、天国にも地獄にも行けず。

 悪さをした男の居場所はこの世のどこにでもなくて、どこにでもありました。

 それ即ち、煉獄。

 しかし、男を哀れに思った悪魔は彼に、地獄の劫火から燃える石炭を一つ渡しました。

「これを使え」

 男はそれを持ち、煉獄をさ迷い、彷徨い、彷徨って。



 今日のオンリーワン北駒台店はやけにうるさかった。

 お菓子の棚に群がる男の子。遠巻きに眺める女の子。男の子の中心に鎮座する、男。

「なー、どれが当たりなんだよマスター」

「早く教えてくれよー」

 男は落ち着けとばかりに肩を竦めてみせる。

「弟子二から六号。今回のパックには罠が施されているんだ、良く見ろ」

「えー、どこだよー?」

「ここだ、この星の部分。こっちは星の、この部分が山に隠れているが、こっちは隠れていない」

「あー、マジだー!」

「すげー、さっすがマスター! でもさ、どっちがレア入りなんだよー」

 男は力なく首を振った。

「残念だが、どちらかは分からん。この地区の誰かが、裏切りである買い占め行為に走ったんだろう。パック数が少な過ぎて、統計が取れんのだ」

「じゃあだめじゃん!」

「案ずるな弟子四号、何の為に俺がいると思う? ふっ、どちらか分からないのなら両方買えば良い。その上でどちらがレアかを判断すれば万事解決」

 感嘆の声が男の子たちから零れる。

「何言ってるかわかんねーけどマスターすげー!」

「ふっ、そう誉めるな」

 男は立ち上がり、トレーディングカードを二袋と、お菓子の山を籠に入れてレジに持っていく。

「三森さん、お願いします」

「馬鹿だろ、お前」



 店の外で子供たちに囲まれている一を眺めながら、三森は退屈そうに頬杖をついていた。

「お兄ちゃん、また遊んでる」

「……また?」

 ジェーンはレジ前で行っていた納品作業の手を止めて目を細める。

「最近あの子たち良く見るのヨ。お兄ちゃん、コドモみたい」

「はっ、くだンねー。ガキと遊んで何が面白ェんだかね」

「そうカシラ? アタシは好きだケド」

「……どうせ、てめーはあいつが何やってても良いンだろーがよ」

 三森は溜め息を吐き、煙草に火を点ける。

「ミツモリ、店の外でスモーキング。OK?」

「オッケーじゃねーよ。私の勝手だろうが、意見すンのはいっちょ前に背が伸びてからにしやがれ」

「良いもん、ミツモリのおきゅーりょー下げちゃうから」

「なああっ!?」

 ジェーンは鼻歌を口ずさみながらバックルームに入っていった。



 最近、やけに小さい子に懐かれている気がする。

 一はふ菓子を齧りながら、ぼんやりとそう思った。

「おいニンゲン、早くシルフ様にもそれをよこせ!」

「……お前のせいだな」

「シルフ様がなんだって?」

 何でもない。一は投げやりな手付きでふ菓子を放る。

「う、わ、と、とっと……バカ、何すんのさ!」

「お前がお菓子とかおもちゃねだるから、しかもその注文が細かいもんだから、俺の方が日に日にガキの遊びに詳しくなっていくんじゃねえか。どうすんだよ、近所の子供にマスターって呼ばれてんだぞ俺」

「そなの? でもマスターってかっこいいじゃん!」

「ん、んな訳ねえだろ!」

 実は満更でもなかったりする。

「それよりさー、今日はいっぱい袋持ってるよな。何が入ってんの? あ、新しく出たカード?」

「そりゃ五号に取られた。レアだったんだけどなー」

「えー!? バカバカバカっ、シルフ様のも取っとけよー!」

「だってお前金払ってくれないじゃんよ。俺だって慈善事業やりたい訳じゃないんだ」

「ジゼンジギョーってなんだよー!」

 一はシルフの口にスナック菓子を突っ込んで黙らせた。

「これはお土産の本、とかだよ。俺は今からタルタロスに行って、とある人に渡すんだ」

 シルフは大人しく菓子を齧りながらも、小首を傾げて一に問う。

「タルタロスってあの暗いトコじゃんか。ニンゲンなのに、平気なの?」

「……? そこには人間もいっぱいいるぞ。あ、そうだ、お前も来るか?」

「えええっ!?」

 シルフは嫌そうな顔をして、面倒そうに声を上げた。

「嫌なら来なくて良いよ」

「んー、いや、シルフ様も行くぞ。ニンゲン、お前だけだと危ないからな」

「別に危なくないよ。今までにだって結構行ってるし」

「行くったら行く! 危ないったら危ないの! シルフ様の言う事聞けよバカ!」

 一はシルフに頭を叩かれながら、久しぶりに会う、未だ名も知らない彼女(・・)の事だけを考えていた。



 タルタロスには存外すんなりと入れてしまった。

 得体の知れない子供を連れていたので、一は警備員に止められるものだと思っていたのだが、

「あなたの知り合いでしたら、構いませんよ」

 シルフが無害だと判断されるのは早いものであった。



「ニンゲンっ! もっと早く飛べよっ」

「飛べるかよ。つーか袋持ってくれたら助かるんだけど」

 シルフは真っ暗な階段を滑るように下っていく。

 今日の彼は、緑色の羽帽子を被り、星のマークがそこらにプリントされた半袖のTシャツの上にチェックのジャケットを羽織っており、半ズボンを履いていた。

「なあ、寒くないのか?」

「別にー。それより、暗いなここ。まるでさー」

「まるで、何だよ?」

「……何でもー」

 一はシルフの煮え切らない態度に疑問を感じたが、どうせ追求してもはぐらかされるだろうと思い、黙っておく事にする。

 かび臭く、先の見えない長い階段を二人は進んでいた。

 十分ほど下ったところで、階下から頼りない明かりが見えてくる。

 一は袋を持ち直し、くるくると中空を回っているシルフに声を掛けた。

「……なあ、失礼な事はするなよ」

「誰に口を利いてんのさ。ニンゲンに言われなくてもシルフ様は何もしないぞ。……大体、失礼なのはこの世界の方だと思うし」

「世界?」

 シルフは頬を膨らませ、バーカと一に毒づく。

「気付いてないのかよ、ホントお前ってダメなんだな。そんなんでよくも生きてこられたもんだよ」

「もうお菓子あげないからな」

「……ま、まあ、その為にシルフ様がいるんだから気にしちゃダメさ。うー、あー! ごめん、謝るからお菓子ください」

 階段を下り切ると、老朽化した廊下に降り立つ。

 廊下の天井には申し訳程度の照明が取り付けられてはいるのだが、一にとってはないも同然、酷く心許なかった。

 一はゆっくりと歩く。靴音がそこら中に反響して落ち着かない気分だった。

「ん、ニンゲン、あのドアか?」

「そうだ。あんまり騒ぐんじゃないぞ」

「分かってるって! ……おおっ」

 一たちが突き当たり、行き当たりの赤錆びた扉の前まで来ると、扉は自動的に開く。シルフは魔法だ、なんて楽しそうに叫んでいた。

 ここに来るたびに起こるいつもの事だったので、一は驚かなかったが。

「あのう、今日は俺だけじゃなくてもう一人……一匹来てるんですけど、大丈夫、ですか?」

 一は半分だけ開いた扉の向こうにいるであろう人物に話し掛ける。

 が、返事はない。尤も、彼女(・・)が拒むつもりならば最初から扉が開く筈はない、入って来いと言っているのだろうと判断し、一は扉を押し開けて部屋に足を踏み入れる。

 まず最初に、相変わらず何もない部屋だと一は思った。

 椅子と机しかない殺風景な部屋に気後れしながらも、

「お久しぶりです」

 一は口火を切る。

「ふふ、そうね。お久しぶり、ハジメ」

「座っても?」

「嫌だって言ったら?」

「困るなあ」

 一は女性に笑い掛けた。

 その女性は部屋の中だと言うのにフードを深く被っていた。どんな事を考えているのか、表情も、顔ですら分からない。フードからは、鮮やかな赤で彩られた唇だけが薄っすらとそれを覗かせている。

 黒いローブ。白い肌。細い指。硝子の様に脆く美しい声。

 ――ミステリアス。

 その表現が一番彼女に近い。そう思いながら、一は椅子に座り、女性と向かい合った。

「頼まれてた漫画の新刊、持ってきましたよ」

「あら、本当? 嬉しいわ、続きが気になっていたのよね。まさか主人公の父親も死神だったとは、って場面で終わっていたから」

「苦労しましたよ。ウチの店は漫画の仕入れを少なくしているみたいで」

「ふふ、感謝しているわ」

 女性はそう言いつつも、窓から見える、荒れ果てた景色を眺めているシルフに注意深く目を向けている。

「……今日はボディガードを連れてきているのね」

「あいつが? 違いますよ。アレは……」

「ハジメの息子にしては落ち着きがないように見えるわね」

「違います。ああ、兄弟でもありませんから」

 一は苦笑した。

「そうなの? ふふ、良いわ。それよりいつものように話を聞かせてちょうだい」



 一は思い付くままに口を開いた。

 最近になって煙草を止めた事、学校に魔女が現れた事、公園にセイレーンが現れた事、色々な事を話した。

 女性は一が話している間、時折相槌を打ったり、疑問に思った事を尋ねるだけで、基本的には黙っているだけである。

 話しやすい、と言えば話しやすいのだが、女性はどんなにくだらない話題にも面白そうに聞いていてくれるので、一は話が途切れるのを少しだけ恐れていた。

 一時間近くは喋り続けていただろうか。それでも、いつかは話題も尽きる。疲れも見えてくる。

「ハジメは自分の力を積極的に使わないのね」

 一が次に話す事を考えあぐねていると、女性はおもむろに口を開いた。

「……そう、ですね。何だか、力を使うと、自分が変わってしまうような気がして」

「賢明ね。話を聞く限り、あなたの所持する能力は特殊なモノみたいだから」

「そうなんですか?」

 聞き返しつつ、一は納得していた。時間を止め、動きを止めるなんて能力は他に聞いた事がない。特殊と言われれば、まさにその通りなのだろう。

「ええ。それと、気を付けなさいね、ハジメ。あなたの蛇姫に。先天的に授かったものならともかく、アイギスと呼ばれている道具に備わった力なのでしょう? 強過ぎる力には何らかの制約があって当然。力を使うのは構わないけど、くれぐれも使われないようにね」

「……分かってます」

 だからこそ、頼りたくはなかった。アイギスの防御力ならともかく、メドゥーサの力には不安定で、不確定で、不明瞭な部分が多い。一が女神(アテナ)からこの力を得て大分経つが、全面的には未だ信頼出来ていない。

「変わってしまうと言ったけど、その感覚は間違いじゃないと思うわ」

 女性は机の上に肘を突いた。食事中ならば決して褒められない所作なのだが、彼女ならば、そんな仕草ですら一の目には上品に映る。

「ハジメ、力を使い過ぎると世界が変わるのよ。いいえ、あなたの世界が作り替えられてしまうと言った方が正しいかしら」

「……世界が?」

「ええ。あなた、最近変わったと思う事はないかしら。例えば、嗜好の変化ね。好きな食べ物が変わったとか、嫌いな食べ物が増えた、とか」

「うーん。食事に関しては前と変わってないと思いますけど。あ、でも考え方は変わったかも」

「ふふ、分かるわ。今のハジメには確固としたモノが根付いているから。成長したのね。ふふ、今のあなた、素敵よ」

 ストレートに褒められて、一は照れてしまった。耳が赤くなり、動悸も早まる。

「ふふ、いじめてしまったかしら。なら、話を変えましょう……魔女と歌姫の事なのだけれどね」

「は、はい」

「どうして、効率良く力を使わなかったのかしら?」

 一は口ごもってしまった。女性の口調は責めるようなものではない。嗜めるような、どこか優しい口調である。

「力に使わなければ良いだけで、使うなとは誰も言っていないし、ハジメだってそう思うでしょう?」

「……けど、俺はなるべく力を使いたくなかったんです。相手は、人間だった。だから……」

 一は俯き、机の上に置かれた単行本に視線を定めた。表紙に描かれた人物は能天気に笑っていて、彼の心をいらつかせる。

「あら、またいじめてしまったわね。良いわ、顔を上げなさいハジメ。あなたには笑顔が似合っているの。……だから、お詫びにイイ事を教えてあげるわ」

「良い事、ですか」

 言われた通りに顔を上げ、一は女性の口元に目を遣った。

「それとも、イイ事をしてあげる方が良いかしら?」

「……良い事は教えてもらうのが一番です」

「ふふ、賢明ね」

 女性は妖しげに笑うと、単行本を指でなぞる。

 ――なんか、エロい。

「二つ、教えてあげる。ハジメ、あなたはこれから、名前に気を付けなさい」

「名前、ですか? えと、人の名前とか?」

「ええ、そうよ。ヒトの名前に気を付けなさい」

 そう言われても、どうにも要領を得ない話ではあった。

「あの、もう少し詳しくお願いします……」

「そうね。あなたにとって、いえ、あなたの力にとって、名前とは強い意味を持つのではなくて?」

「えーと……」

「ふふ、隠さなくても良いのよ。私には分かってるんだから。……だから、名前には細心の注意を払いなさい。もし、あなたに名を教えたがらない者がいたら疑いなさい。その人物はあなたの敵になる可能性が高いから」

「俺の、敵に?」

 女性は鷹揚に頷く。

「もっと具体的に言うのなら、フルネームね。あなたの知り合いの中に、苗字と名前、両方を知らない人はいるかしら?」

 問われ、一は思い浮べてみた。

「……います。でも、その人が敵だとは……」

「そう? なら良いのよ。でも、今後出会う人物には気を付けなさい。その中に、ハジメを脅かす存在がいるのだから」

 ――断定、か。

 一は目の前の女性について考えを巡らせる。この人は確実に、アイギスがどんなものなのかも、メドゥーサの力の、恐らくは全てを理解しているのだと、そう、思った。

 そして。

「俺が名前を知らない人は敵、ですか」

「ええ、そうよ」

 一は深く息を吸い込む。同時、女性のものであろう甘い香りが鼻孔を貫いた。

「だったら、あなたは敵、なんですか?」

「……ハジメ、私はあなたの事が好きよ?」

「は、はぐらさないでくださいよっ」

「がっつかないの。もっと余裕を持たなくちゃ、ね?」

 女性は自身の人差し指を、一の唇に押し当てる。

 柔らかな感触と、女性の突然の接近に、一は椅子から飛び退いた。

「あら、初心(うぶ)ねえ」

「卑怯ですよ……」

「二つ目のイイ事」

 女性は指を二本立て、余裕たっぷりに微笑む。

「一度しか言わないから良く聞いてね。エレン。それが、私の名前よ」

「エレン……」

 ――エレン。

 良い名前だとは、一には思えなかった。



「なー、さっきから調子でも悪いのか?」

 タルタロスを出た一とシルフは駅前のベンチに座っていた。

 人通りはあるが、シルフも空を飛び回らずに大人しくしていれば普通の子供にしか見えない。道行く人は、一とシルフを兄弟とでも思っている事だろう。

 一はここに腰を落ち着かせてから、タルタロスでの、女性――エレン――とのやり取りを思い返していた。

 名前。

 名前に気を付けろと、エレンは言った。

 即ち、アイギスの使い手である一に苗字、名前、本名を告げない者は敵であると、そう、言ったのである。

 一は女性に尋ねた。あなたは敵か、と。彼女は違うとも言わなかったが、初めて名前を教えてくれた。……名前、だけを。

 だから、一には分からない。エレンが何を言いたかったのか。敵なのか、味方、なのか。何も分からないままだった。

「はあ……」

 占い師みたいな人だと、そう思っていたのだが、そんなレベルの話ではないと一は思い知っている。

 タルタロスから出た事がないと言うのに、エレンは外の世界の全てを理解しているような響きで話していた。

「なあ、おいニンゲンっ、返事くらいしろよ!」

「あ、ああ、悪い」

 シルフは一の隣に腰掛け、頬を膨らませている。

「むー、シルフ様は喉が渇いた。ジンジャーエール買ってこい」

「またそれか? 歯、溶けちまうぞ」

「え!? と、溶けちゃうの?」

 一は立ち上がり、そうだよと嘯いた。

「なあ、シルフってさ、名前なの?」

「へっ?」

 シルフは目を丸くして一を見上げる。

「だから、シルフってのは種族名じゃないのかって。ほら、俺は人間って種族だけど、一一(にのまえ はじめ)って名前もあるからさ。だから、お前にも名前があるんじゃないか?」

「……ない」

「ない? 本当に?」

 エレンの話を聞いていたせいか、一は疑いの眼差しを向けてしまった。

「あ、お、お前、さっきの話を聞いてたから!」

 意外に鋭い。

「まあ、仕方ねえだろ。で、実際のところどうなんだよ」

 シルフはトマトみたいに顔を真っ赤にしていたかと思うと、寂しそうに俯いた。

「……本当、ないのさ。シルフには名前なんていらないから」

「どうしてだ? あー、名前考えるのが面倒だからか」

「違うもん! シ、シルフ様には名前なんてひつよーないからさ。おまえら人間はたくさんいるから、区別する為に名前がいるんだろ?」

 一は強く否定せず、曖昧に頷いておく事にする。シルフの意見は全面的に同意出来ないものだったが、彼の機嫌を損ねるのがより面倒で、そうした。

「でも、シルフ様は違う。シルフ様はこの世界に一人だからな。名前で区別しなくて良いのさ。シルフってのが、シルフ様の名前。……それで良いんだもん」

 たまに忘れる時もあるのだが、一は目の前の子供が風の、精霊だと思い出す。

「ふーん。ま、お前の考えてる事は分かんないな」

「ふんっ、ニンゲンなんかに分かられてたまるか。でも、お前ならシルフ様の名前を考えても良いぞ」

「……いや、遠慮しとく」

「なんでさっ!?」

 シルフは腕をぶんぶん振り回し不満をアピールしていた。

「あー、俺ネーミングセンスがないんだよ」

「ふ、ふーん?」

「それでも良いなら、ちょっと考えてみるか」

「い、良いのっ?」

 一は腕を組んで肯定する。

「……お前は一応風の精霊らしいからな。じゃあ、又三郎(またさぶろう)ってのはどうだ?」

「やだ。かっこ悪い」

「うーん、ダウンバーストは?」

「やだ」

一久(かずひさ)か、正三(しょうぞう)

「やだっ、またさぶろーと何が違うのさ!」

「注文の多い奴だな。良し、伊勢湾台風百五号! かっちょいーだろ!」

「お前バカにしてるだろ!?」

 シルフはベンチの上に立って叫んだ。

「もっと大人っぽい名前にしろ。シルフ様に子供っぽい名前は似合わないんだからな」

「どう見てもガキじゃねえか、お前。正三とか、充分渋いと思うんだけどなあ」

「そこだよっ、何で男の名前なのさ!」

「――は?」

 一は目を丸くしてシルフを見遣る。

 シルフは腕をぐるぐると回して憤っているらしいが、一には理由が分からない。男に男の名前を付けようとして、何が悪い。

「いや、お前男じゃん」

「ば、ば、ばあああ!? バカだ! バカじゃないのかお前!」

「……お前に馬鹿と言われる筋合いはないぞ」

 肩で息を吐きながら、シルフは自動販売機を指差した。

「ジンジャーエール、買って来い」

「てめえ、金を払うのは誰だと思ってんだ」

「良いから買って来い!」

 周囲がざわつき始める。一はこれ以上注目を集めるのは好ましくないと思い、仕方なくポケットから財布を取り出し、自動販売機に向かった。



 買って来た缶を見せると、シルフは礼も言わずにそれを受け取った。イライラした様子でタブを押し開け、缶の中身を小さな体に勢い良く押し込めていく。

「もっと美味そうに飲めよ」

「……うるさい」

 一も購入した缶コーヒーを開けて、シルフの隣に腰を落ち着けた。

「なあ、なんで怒ってんの?」

「シルフ様をバカにするからだ」

「男に男の名前を付けるのがそんなにおかしいのかよ」

 シルフは目を三角にして一を睨み据える。

「ニンゲン、お前はせーれーの事を何も分かってないんだ」

「悪かったって。だからさ、何を言いたいんだよ? その、なんだ。言ってくれりゃ頭の悪い俺にも分かるんだし」

 どうして自分が子供のご機嫌伺いをしなければならないのか。そう思いつつも、一は隣に座る子供が風の精霊、シルフだという事を忘れた訳ではない。こうして軽口を叩き合ってはいるが、力の差は歴然としている。駒台の風を支配していると豪語するシルフが本気になれば、今、この場この時に超弩級の嵐が巻き起こっても不思議ではないのだ。

「せーれーってのはすごいって前に言ったよな。その中でも特に、シルフ様みたいな四大せーれーってのは自由な存在なのさ」

 自由過ぎて困るくらいである。一は相槌を打ちながら、そんな事を思っていた。

「どれくらい自由かって言うと、姿とか、年齢とか。お前らニンゲンが生きてく上でどーしようもなく縛られてるモノが、シルフ様たちには関係ないのさ」

「へー、そりゃ便利だな」

 適当に相槌を打ってから、一は缶コーヒーを啜る。

「だから、性別とかも自由なの」

 口に含んでいた液体を噴き出しそうになった。

 一は軽くむせながらもシルフの姿を確認する。

 精霊が人間とは違う存在だとは何となく分かっていた。だがその認識は精々、ソレと同じレベルで、である。人間よりも少しだけ上位の存在として、シルフの事はソレと同種だと認識していたのだ。

「は、はあっ? じゃ、じゃあお前女なの?」

「むー、シルフ様は女じゃないし、男でもない。でも、女でもあるし、男でもある」

「……無茶苦茶な」

 姿も年齢も性別も自由。自由に、変えられる。

 俄かには信じられない話だが、目の前の子供は少し前までの自分ならばその存在すら信じられなかったであろう事を思い出し、一の頭は自分でも驚くくらい、自然にその事実を受け止められた。

「ちなみに、今は?」

「男」

「あ? だったら又三郎でも良かったんじゃないか」

「うるさいなっ、シルフ様が嫌だって言ったら嫌なんだよ! もっと良い名前を考えないお前が悪いんだ!」

 一は空になった缶を弄びながら、ベンチに深く腰掛け、背もたれに頭を預ける。

「でもさ、今のお前に付けられる名前なんてそんなもんだぜ。自由だってのは分かったけど、結局ガキのまんまじゃん。太郎君とか次郎君とか、お似合いだと思うけど?」

「バカ! バカバカバカバカ!」

 シルフはベンチから立ち上がり、涙目になって一を怒鳴り付けた。

「うわっ」

 まだ半分程度中身の入ったジンジャーエールの缶を投げ付けられ、一はベンチから飛び退く。直撃は避けたが、缶から飛び散った液体が服に跳ねてしまっていた。

「何すんだクソガキ!」

 捕まえて尻でも蹴り上げてやろうかと思ったが、シルフはとっくのとうに一の手が届かない空の上にいる。

「――――!」

「やべ……」

 駅前は空を飛ぶ子供を見つけた人々の悲鳴やら嬌声やらで満たされていた。

 一はそっと、その場から抜け出す。

「ガキが」

 去り際に見上げたシルフの後姿は実に気持ち良さそうで、空を飛べるのが少しだけ羨ましいと思ってしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ