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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
セイレーン
112/328

胸の奥に

 計画的に動こうと思って計画予定その他諸々を考えていても、予想外のアクシデントに見舞われると計画、と言うのは非常に脆いものだ。

 では何も考えずに心の向くまま思うままに行動していれば良いのかと聞かれれば、そうではない。

「……どうします、ヒルデさん?」

 少なくとも、今この時は答えられそうにない。

 正に今、一は衝動的に動いてしまった己が愚を悔いても悔やみ切れない状況に陥っていた。

 何も考えずに。否、そもそも考える暇なんてなかった。自らを渦巻く状況を把握出来ず、殺されるかもしれない自身の立場すら呑み込もうとせずに『棺』から背を向けて、この有様。しかも、いざ事を起こして一たちの命を救ったのはヒルデという始末である。

 一は、何もしていない。結局は流されるままに、抵抗すらせず身を任せて流されているだけだ。

「…………ん、キミはどうしたい?」

 何も思い付かない。一は考える振りをして俯く。ヒルデから、目を逸らす。

「とりあえず、歌代を逃がしましょう。公園から出るのが最善だと思うんですけど」

 一は周囲に目を配りながら、ヒルデの耳元で囁いた。

 現在、一たちは公園内の、様々な趣向を凝らした遊具がひしめくアスレチックエリアに身を潜めている。距離を稼いだのと、チアキが疲労を訴えたのを鑑みて、今後の指針を話し合っている、筈だった。

「でも、逃げ切れないと思う……」

「でしょうね。俺たちは何の準備もしてませんし、どこに逃げりゃ良いのか見当も付きません」

「なあなあ、こっからはよ出ようやあ」

 チアキは不満を隠そうともせずに唇を尖らせている。

 一は、どこか危機感の足りていないチアキに苛立ちを覚えていた。

「あのな、お前のせいでこんな事になってんだから、もっと申し訳なさそうな顔しとけよ」

「はああ? うちのせいちゃうわ、うちは何もしてへん。ちゅーか、首突っ込んできたんはそっちやろ」

「お前がアホ面下げてノコノコオンリーワンまで面接行ったからだ」

「アホがアホって言うなアホ!」

「声と威勢だけはでかい奴だな。ちょっと黙れ、誰かにばれちまう」

 チアキは顔を真っ赤にして一に詰め寄る。が、片手で押し返されて涙目になっていた。

「なんやねん、どさくさに紛れてうちの胸揉みまくった男が調子乗んなや」

「揉んでねえし、抱き付いてきたのはお前じゃん。……つーか揉む程無いだろうが」

「しばくぞオラァ!」

「やってみろよまな板人間」

 一の挑発に引っ掛かったチアキは頭からタックルを仕掛けた。

 ――温いっ!

 一は易々と彼女の頭を掴み、頭と顎を両手で挟み込んで上を向かせる。そのまま足を払って体勢を崩し、頭を支点にしてチアキを仰向けにさせた。

「えい」

 手加減はしたが躊躇せず、一は倒れたチアキの腹の上に乗っかる。

「げふっ! なっ、何すんねんっ」

「マウントポジション、知らないの?」

「知っとるわ!」

「あっそ。さて、これから俺はお前の顔をボコボコにする訳ですが」

「さっ、最低! 信じられへんぞこいつ……」

「げひゃひゃひゃひゃひゃ」

 楽しそうに笑う一の図(女の子に馬乗りになっている状態で)。

「いたっ」

 馬鹿を付けても間違いないくらい笑っていた一の頭が揺れる。

 その隙を見逃さず、チアキが膝を一の腹に入れた。すぐさま、悶絶している彼と体勢を入れ替える。

「…………キミ、やり過ぎ」

「う……」

 頭上からヒルデに冷たい視線を送られ、一は深く反省した。

「覚悟出来てんのかコラ、吐いた唾飲まんとけよ、おお?」

「飲まねえよ! ヒルデさーん、違うんです違うんですよー。こいつが悪いのに全然悪怯れてないからお仕置きしてやろうと、つい」

「ダメ」

「ひゃっ」

 ヒルデはチアキの髪を愛しげに撫で始めた。

「…………チアキちゃん、優しいから。明るく振舞ってくれてたんだよ?」

「ちゃ、ちゃうわっ。助けてもらった事は、その、ありがとう。……せやけど、気安く触らんといて」

「ふふー、キミたちは素直じゃないなあ」

 チアキはそっぽを向く。

「うっさい」

「つーか歌代、退けよ」

「うぎゃああああっ!」

 一は何となくチアキの尻の肉を掴んだ。

 叫ばれて、蹴られて、殴られて、ヒルデからは白い目で見られた気がして。

 遊んでいる場合ではないのだが。



「馬鹿としか言い様がねえよ、ありゃ」

 一たちを捜索していた円堂と結城、南駒台店の勤務外二人はアスレチックエリアに辿り着いていた。半ば『棺』に脅される形で飛び出したはいいものの、彼らにやる気はない。見つからなかったら見つからなかったらでそれで良いかと考えている。

「どーすんの? 俺っち正直言ってめんどいんだけどさー」

 ここで、一たちの馬鹿騒ぎを耳にするまでは。

 見つけてしまった時の事を二人は何も考えていなかったのだ。円堂と結城は顔を見合わせる。

「ヒルデが相手となると、面倒だよな」

 適当に時間を潰して、申し訳なさそうな顔を作って『棺』のところに戻ろうと思っていた。しかし、見つけてしまったからにはそうも行きそうにない。それに、もし『棺』に監視されているならばあとで何を言われるかたまったものでもない。

「えー? ヒルデちゃんとやり合うの?」

「そこにいんだから仕方ねえよ。それによ、別にヒルデと戦う必要はないんだぜ? 俺ら、つーか、あの田中って野郎の目的は北の勤務外とガキだけだろ」

 円堂は髪をかき上げながら、至極面倒そうに口を開いた。

「ふーん? ま、俺っちはどっちでも良いけどね。じゃ、ヒルデちゃんは説得して連れ帰って、残りは……とりあえず、殺さなきゃ良いんじゃん? 社員からの許可は下りてるようなもんだし、何してもオッケーっしょ」

 結城は歯を見せて笑う。嗜虐的な、獣性を帯びた笑みだった。

「説得? ぎゃはは、おめーがか?」

「笑ってんなよなー、ちゃんと人間らしく話し合えば良いんだろー? それに俺っちヒルデちゃん殺すなんて考えらんないよ。だってさ、勿体無いじゃん。まだ何もやってないっつーのに」

「同感。んじゃま、ヒルデには黙っといてもらって、残りを動けねーぐらいボコって連れてくか」

 カラカラと笑う結城につられて、円堂も僅かに口元を歪める。

「晃一、あいつらどこにいるか分かるか?」

「おー、ちょい待って」

 結城は素肌の上に羽織っていた毛皮を撫で、ズボンのポケットから瓶を取り出した。瓶の中は白い錠剤で満たされている。彼は蓋を開け、瓶を逆さにした。零れ落ちる錠剤を掌で幾つか受け止め、口の中に放り込む。それをがりがりと音を立てて噛み砕き、水もなしに飲み下していった。

「もったいねー、零れてんぞ」

「うるさいなー。……っ、ぐ、きた……」

 直後、結城が呻きながら目を押さえる。

 円堂は結城の変貌に驚いた素振りを見せず、ただずっとアスレチックエリアに目を凝らしていた。

 しばらくして、結城が目から手を離し、深く息を吐く。彼の目は、真っ赤に染まっていた。カラーコンタクトを付けた訳でもなく、錠剤を口にしただけで、である。

「ちかれたー、やるたんびにこれだもんなー」

「毎度思うんだけどよ、これってどーなってんだろな?」

「……さあ? 俺っちが作った訳じゃないし、つーか興味ねーし」

 結城は本当に興味がないのか、ぞんざいな口調で言い放った。一たちがいるであろうアスレチックエリアに目を向けて、瞬きを何度も繰り返す。

「お、あのトンネルかな」

「オッケ、んじゃ分かれて入り口塞ぐぞ」

 円堂は拳の骨を鳴らし、トンネルの遊具を見据えた。



 野獣(ウールヴヘジン)

 狂戦士(バーサーカー)と並び、時に同一視され、北欧神話にその名を残すヴァルハラの勇壮な戦士。戦場では狼の毛皮を被り、彼らは人から獣に変わる。死を思わず、感じず、忘れて、恐れを捨て去るのだ。深い傷を負おうが決して退かない。逃げない。背を向けずに敵へと真っすぐに突き進む。戦死こそが戦士である彼らの誇りであり、希望なのかもしれない。

 しかし、南駒台店の野獣は違う。

 ソレが溢れる世とはいえ、人は人。簡単には人を捨てられない。獣に成り切る事など出来ない。人である以上、死は絶対だ。死への恐怖は体中に刷り込まれている。人であろうとするならば、死を恐れなければならない。

 今の世に、本物の野獣はいない。

 それでも円堂、結城の両名が野獣の名を冠しているのは、彼らが名に相応しい能力を有しているからであった。

 それ即ち、身体強化。

 彼らはオンリーワンから支給された錠剤を服用する事により、常人を遥かに超えた、獣じみた力を手にする。

 結城は気にしていなかったが、錠剤は南駒台店店長の強い要請により、オンリーワン近畿支部の技術部と医療部が共同で開発した、ソレに対抗する為、人体の強化を旨とした技術の結晶であった。一粒一粒が無駄に出来ないほどに、高価である。

 だが、その薬を飲めば誰でも力を得られる訳ではない。まだあくまで試作品。近畿支部が請われて、仕方なく作った為、不確定要素が多い。服用する側の持って生まれた資質、性質が不可欠だった。人によっては強い拒絶反応と、とんでもない(・・・・・・)副作用が起こる。

 そして、何よりも当たり外れが大きかった。

 薬を飲んで拒絶反応が出なくても、副作用が起こらなくても、何の力も得られないケースもある。得られたとしても勤務外としては使えない部位だったり、力である場合もあった。

 そんな中、結城は見出される。

 結城は南駒台店に勤務外として招聘され、野獣としての力を得る為数々のテストを潜り抜けた、言わばエリートであった。彼が薬によって得られたのは、視力の強化。静止視力、動体視力、深視力、中心視力、視力と名の付くもの全てが、錠剤を服用する前と比べ、格段に跳ね上がる。

 視力が良い。

 一口に言っても、視力にも様々な意味がある。まず、遠くの物を見られるか。広く見られるか、暗い場所でも見られるか。多くの色を見られるか。

 その中でも、遠くの物を見られる事に地球上で最も長けているのは一般的に猛禽類、鷲や鷹だと言われている。猛禽類の視力は人間の七、八倍はあるとされ、そのお陰で空中からでも地上を這う小動物の姿を捉える事が出来るのだ、そうだ。

 今、結城の視力――望遠に関しての視力――は猛禽類と同等か、それ以上である。

 その力を以って、結城と円堂が一たちに忍び寄っていた。



「……店、ですか?」

「…………ん」

 思ってもみなかったヒルデの提案に、一は目を丸くさせる。

 ヒルデが言うには、今の状況、チアキの力の真偽、『棺』の真意を誰かに伝えよう、との事であった。

 緩々と頷くヒルデと、落ち着かなさそうに視線をさ迷わせているチアキへ交互に視線を遣った後、一は目を瞑る。成る程、妙案かもしれない。

 しかし、気になる。

「どうして、北駒台店なんですか?」

 何故、助けを求める相手があの人たち(・・・・・)なのか。一は疑問をぶつけてみた。ヒルデはゆっくりと首を横に振り、申し訳なさそうに口を開く。

「…………南は、信用出来ないから」

「信用って、ヒルデさんとこの店でしょうに。それを言うならうちだって信じられないですよ」

「ん。私たちと同じ立場の勤務外に言ってもダメだと思うの」

「まあ、社員に丸め込まれちゃうでしょうね」

 それじゃあ意味がない。敵を増やすだけである。一は頷き、続きを促す。

「…………だから、北駒台担当の社員さんを味方にすればどうかなって」

「社員、ですか。うーん、心当たりは、あるにはあるんですけど……」

 候補として、まず、ジェーンと堀が浮かび上がった。自分たちに似た境遇のチアキが絡んでいるとなれば、ジェーンが力になってくれる可能性は高い。堀だって、自分たちを無下に追い返したり、話を聞かずに問答無用で襲い掛かっては来ないだろう。上手く話を持っていけば、店長を引き込める可能性もある。

 だからこそ、自分たちを助けてくれるかもしれないからこそ、一は彼らに話そうとは思えなかった。

 一たちの味方になるという事は『棺』を敵に回すという事だ。オンリーワンに反逆の意志を見せた、という事になってしまう。

「ヒルデさん、四の五の言ってる場合じゃないんですけど。やっぱり、これ以上知り合いを巻き込むってのは……」

「……………………」

「あ、その……」

 思い切り睨まれていた。

 ヒルデは表情を険しくさせて、一に対して強い敵意を剥き出しにしている。

「ヒルデさんの提案を蹴っちゃうような真似をしたのは謝ります、ごめんなさい。でも、そ、そんな怒る事は――」

「――静かに」

 有無を言わさぬヒルデの口調に、一の背筋が凍った。喋っていなかったチアキですら、口を真一文字に引き締め、体を硬直させている。

 一は泣きそうになるのを堪えて俯いた。怒られたり、憎まれるのは構わないが、その相手がヒルデとなれば話は別である。彼女にだけは、何故か敵意を向けて欲しくなかった。

 ヒルデは依然として一を見据えている。彼女の怜悧とも言える美貌に見惚れて、思わず息を呑んだ。

 瞬間、髪の毛が逆立つ様な感触に一は震える。

「――っ、これって」

「…………追い付かれた」

 ヒルデの呟きに対して、何にだの誰にだのと聞き返す気は起こらない。敵だ。彼女は一ではなく、その向こう側を睨んでいたのだ。

 一はアイギスを握り締め、耳を澄ませる。

「ど、どないしたん?」

「ヒルデさん、出ましょう。挟み撃ちに遭うかもしれません」

 ヒルデはゆっくりと首肯すると、大鎌の柄を手繰り寄せた。

「私が最初に出るから、キミたちは真っすぐ走って」

「ヒルデさんは?」

「…………相手によるけど、少し引き付けて、私もあとを追い掛けるよ」

「分かりました。信じます。……とりあえず、あそこに見えてるトイレまで逃げ込みますから」

 チアキは不安そうに一の服の裾を掴んだ。

「歌代、もっ回走るからな。俺から離れんなよ」

「……指図すんなや」

 ヒルデは一たちのやり取りに目を細めて、

「…………行くよ」

 開幕を告げた。



 トンネルの左側にいた円堂は足音を立てないよう細心の注意を払っていた。しかし、この行為は無駄になるのだと諦めている。相手は同じ南駒台店勤務外。それも戦乙女のリーダーときていた。肩書きは同じだが、力量が違う。確実に向こうが上だ。野獣としての、自身の力が決して低くないとは思っているが、それでも届かない、とも、心のどこかで理解している。

 自信は必要だが、慢心は不要だ。円堂は向こう側に待機している結城を見て頭を振る。ヒルデの力を幾度か見て出した結論は、自分では彼女に勝てない、と言う事だ。

 ……一対一ならば。

 こちらは勤務外二人だ。

 向こうの人数は三人。

 比べれば一人多いが、問題はない。それどころか、諸手を上げて歓迎する。幾らヒルデが強くとも、ひ弱そうな北駒台の男と戦力外の子供を連れていれば話は全くの別物だ。彼らを庇いつつ戦闘を行なうのは無謀でしかない。それどころか、こちらの勝利条件は端から緩いのだ。向こうは追っ手を相手取りつつも全員で脱出するしかないだろうが、こっちは最低でもあの子供を捕らえれば良いだけである。

 ヒルデが防戦に撤するならば手こずるだろうが、野獣二人の攻撃を長くは耐えきれない。自信がある。五分掛からずに崩せると。

 更に、長引けば長引くほどヒルデたちは不利になる。期待も望みもしていないが、客観的に考えてこちらには援軍の来る可能性もあるのだ。万事抜かりない。

 それに。

 上手く行けば、最高も狙える。ヒルデをこちら側に引き戻させれば。

 円堂は舌なめずりして、一時の間、愚劣な想像を楽しんだ。

「…………」

 やがて、結城から無言の合図が届く。視線を交錯させ、同時にトンネル内に踏み込む事を確認し合ってから、円堂は足を踏み出した。


 ――ぎゃりぎゃりぎゃり!


 金属が何かに擦れる音が鈍く響く。思わず足を止め、結城へ目を遣った。

「……ありゃ?」

 彼は不様に倒れている。何が起こったのか分からない様子で目を丸くさせていた。



 火花が散っていた。

 予想だにしていなかったトンネル内からの閃光に、結城は一瞬視力を奪われる。目の良過ぎる彼にとっては致命的なミスであった。

 次いで、死神の一撃にも等しい、こちらの命を確実に狙った鎌の一振りが結城を襲う。聴覚を頼りに、勘と本能に任せて咄嗟に尻餅を付く。下がった頭のすぐ上を疾風が通り抜けた。何とか避けられた様だ。が、こちらの出方がばれていた事に酷くイラつく。

「ってえっ!」

 その上、地面を転がっていたところを遠慮なく踏み付けられる。顔を上げれば、あの北駒台のチビだと、自分の身長を棚に上げておいてそう気付いた。舐めるな、お前は殺しても構わないんだぞ。殺気を込めて、自分を踏んで逃げ去ろうとする一を睨み付けて立ち上が――

「うおっ?」

 ――れなかった。

 上げた頭をチアキが踏み付けて、一のあとを追っていく。

 もう良い、知るか。あいつも殺してやる。結城は怒気と殺気を孕んだ双眸でチアキを睨んだ。

 が、それもミス。

「あ……」

 喉元に冷たく、鋭い感触。

 結城が最優先にすべきだったのは鎌を振るったヒルデであった。隙を衝かれ、片膝で立っていたところに鎌を突き付けられている。

「…………動かないで」

「ヒルデちゃん」

 見下され、哀れみの視線を向けられ、結城の心がささくれ立った。

「大丈夫、このままじっとしていれば……」

 上から目線の発言が鼻に付く。おかしな事もあるものだ。大人しくするのはそっちだと言うのに。

「すげームカつく」

 結城が呟いた瞬間、トンネルの陰に隠れていた円堂が飛び出す。

 ――ざまあみろ!

 一人になったのが仇になりやがった。結城はほくそ笑み、ヒルデが一たちを逃がした事に内心で拍手喝采を送ってやった。これで紛れもない二対一。優しくしてやるのは取り止めだ。一方的にいたぶって、徹底的に弄んで、暴力的なまでに刻んでやる。

「左腕」

 ヒルデが何事か呟いたのを、結城は聞き逃した。



 飛び掛かってくる円堂を視界の端に捉えながらヒルデは思った。

 この世にいる人間を敵味方にして分けるつもりはない。自分にはそんな大それた事が出来ない。する権利も価値も資格もない。他人には精々、好きか嫌いかで接すれば良いと思っている。

 だが、今だけは別だ。

 彼らは敵だ(・・・・・)敵で構わない(・・・・・・)。南駒台店の同僚である野獣たちだが、その目には煮えたぎった殺意と、自分に向けられる下卑た情欲がある。怖気がした。

 自分だけに危害が及ぶなら我慢も出来る。適当に、降り掛かる火の粉を払うだけで良いのだから。

 しかし、野獣は一たちにも殺意を向けていた。許せない。やらせない。決して、手は出させない。

 火の粉が一たちにまで降り掛かろうとするならば、払うだけでは済ませない。

「…………キミは確か、握力、だったよね」

「ぎいいいいっ……!」

 円堂の左腕が宙を舞った。体から離れていく腕を追い掛けるかの様に、傷口から血煙が上がる。彼は苦痛に顔を歪め、不自然な体勢で地に落ち、地べたを転がった。

 ――徹底的に、消す。

 ヒルデの決意を切っ先に受け、大鎌は彼女の代わりに唸りを上げた。風切り音が幾度も鳴き声を上げる。

「て、てめぇ……! 何やったか分かってんのか?」

 結城は驚愕に目を見開いていた。何が起こったのか、愚かにもまだ理解していない様子である。

「味方だぞ!? 俺っちたちは同じ店の、同じ勤務外じゃねーか! ちくしょう、てめえもオンリーワンを裏切るっての!?」

 ヒルデは答えず、鎌の先端を結城に向ける。

「へ、何、何だよ? 俺っちもやろうっての? ……良いよ、やれるもんならやってみろ! その代わり、もうてめえは普通の生活なんか送れねえ!」

 同じじゃない。同じ店、同じ勤務外だとしても、同じじゃない(・・・・・・)

 野獣二人に目を遣ってからヒルデは目を瞑る。

 敵じゃない、味方でもない。この人たちは、嫌いだ。前から気付いてはいたが、そ知らぬ振りをしていた。この二人が自分を見る時の目はやけにぎらぎらしていて、恐ろしく汚らわしい事に。

 構わなかった。その目が自分にだけ向くのなら問題などない。しかし、駄目だ。彼らは、その目で誰を見ていた? 何をしようとしていた? 自身に問い掛けながら、ヒルデは深く息を吐く。

「…………大人しくしてくれるなら、私は何もしないよ」

「舐めてんのか……? 慶の腕切っといてそりゃないでしょヒルデちゃん。俺っち、キレてんだよ。なあ、そうだよなあ、お前もだよなあ慶!?」

 結城が叫んだ。刹那、ヒルデの背後から、倒れていた筈の円堂が再び飛び掛かる。彼は残った右腕を伸ばした。顔は激痛と激情により歪んでいて、口からは意味を成さない怨嗟の叫びをひり出して。

「そう……」

 ヒルデは悲しそうに呟く。分かっていた。死角から来るだけの些末な奇襲だ。一度目も通じなかったと言うのに、二度目を仕掛ける円堂が可哀想に思えてならない。結城も同じだ。何を笑っているのか、勝ち誇っているのか。解せない。

戦乙女(ワルキューレェェェ)!」

 ――そうだ。それが私。

 ヒルデは向かってくる円堂に振り向かないまま、片手で鎌を後ろに振るった。短い叫び。刃物が肉に食い込む感触が、鎌の柄を通して伝わってくる。

 ――慈悲など、くれてやるものか。


 ワルキューレ。

 北欧神話において、戦死者の魂を集める乙女。時には戦場を駆け、主命により戦況を変える戦女神。

 彼女らが集めた魂はヴァルハラにて永劫の戦士と成り果てる。来たるべき時までは死なない、死ねない。戦死から掛け離れた、永久に戦い続ける戦士に生まれ変わる。

 野獣と狂戦士に成り、果てる。


 ヒルデは円堂の腹部に刺さっていた鎌を一息に引き抜いた。返り血を浴びない様に身を翻すと、鎌に付いた血を振る。円堂が地面に崩れ落ちる音を聞き、結城に三度鎌を向けた。

「やりやがったな、糞アマ……」

「…………やってないよ。今から病院に行けば間に合う。だから、もう来ないで」

 慈悲など――。

 今宵、ヒルデは一に味方すると誓った。彼の為に勝利を捧げる、と。彼の命と命令を守りたいと思った。

 しかし、一は殺人など好まない優しい人だとヒルデは知っている。分かっている。ならば、()の望まない事はすべきでない。

 主に捧げるのは勝利だ。味方殺しの汚名は必要ない。自分だって、彼の元へ戻る時に要らぬ命は背負いたくない。

「はっ、あはっ」

 結城は乾いた声で笑った。ヒルデは喉元に切っ先を当て、黙らせる。

「ヒルデちゃんってさ、おっぱい大きいよね」

 鎌には構わず結城は喋り出した。

「…………?」

「前からさー、俺っちずっと触りたいなーって思ってたんだよねー。柔らかいんだろーなって。あははっ、ねえ、何なの? そんなにさっきのチビが良い訳? 超ムカつくんだよね、そーゆーの」

 ヒルデには眼前の男が何を言っているのかが良く分からない。気でも触れたのだろうか、そう思って彼の顔を覗き込もうとした瞬間、

「揉み殺してやる」

 結城が立ち上がった。

 喉に刃先が食い込むのを厭わず、まっすぐに向かって、腕を伸ばしてくる。

「…………っ!」

 殺す気はない。これ以上結城が進んでくれば致命傷になると判断して、ヒルデは結城から鎌を引いてしまった。

「あははははっ、やったああ!」

 腕が上がり、無防備になったところを狙われ、ヒルデは胸を触られる。屈辱と羞恥に頬を染め、唇を強く噛んだ。すぐさま体勢を整えて鎌を振るうが、結城は笑いながらそれを避ける。

「ヒルデちゃん何カップ? 思ってたよりあったなー、あはははは!」

 結城はヒルデから距離を取り、哄笑した。

「許さない」

「こっちの台詞だっての!」

 ヒルデは大きく足を踏み出して鎌を薙ぐ。しかし、冷静さを欠いていては思う様に振れなかった。大振りの攻撃をあっさりと回避され、懐まで潜り込まれる。

「うらあっ!」

 腹部への打撃。目の奥で火花が散るも、覚悟していたので何とか耐え切れた。みっともなく声を上げる事もない。追撃を阻止すべく、鎌を結城の鼻先に向けて突き出す。

 思っていたよりも厄介な相手だと、ヒルデは思った。一たちとはまだ合流出来そうにない。

 ヒルデ。結城。神話でも、現実でも味方同士である筈のワルキューレとウールヴヘジン。しかし、今宵だけは敵でしかない。

「…………退いてもらうから」

 騎行はまだ、終わりそうにない。

 鎌を握る手に力を入れ直し、ヒルデは眼前の男を強く見据えた。

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