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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
セイレーン
110/328

君もそこにいたのか

 オンリーワン近畿支部の戦闘部である田中次史が指定した時刻は午後十時。指定した場所は駒台中央公園の西側の入り口。

 現在の時刻は午後八時。一は、今日ここに集うであろう勤務外の誰よりも早くに公園へ足を踏み入れていた。彼の手にはビニール傘が握られている。今日は雨が降らない、曇りでもない、なのに、だ。

 その理由を知る者は、今この公園内には一以外誰もいない。彼の持っているビニール傘が、古くからギリシャの地にあった城塞都市において守護女神と称され、崇拝された女神アテナの最高であり、最硬の楯、アイギスだと気付く者は誰もいない。いる筈がない。

 ぐっと、アイギスを握り締める。

 血が騒いでいた。狼と人との雑多な血潮が全身を駆け巡り、警告している。

 ――ここで、何かが起こる。

 そう、分かっていた。自分は頭があまり良くない。が、救い難いほどの馬鹿でもない。一には全てが、理解出来つつあった。

 田中次史。『最低の棺』。仲間殺しをやってのけ、今もまた駒台で何かをやらかそうとしているオンリーワンの社員。

 店長や三森、オンリーワンの社員、『棺』を知る者は全て例外なく『棺』を毛嫌いしている。確かに、人を殺しておいてのうのうと生きていられるだなんて最低だろう。だが、一にはまだ納得が出来なかった。人を見掛けで判断してはいけない。何度も、それで痛い目を見て来た。それでもまだ、田中次史が『最低の棺』だとは思えない。

 情報が足りない。欲しい。

 自分の与り知らぬ所で事態が進んでいる。しかも、恐らくは悪い方向に、だ。流されるままに流されていてはいけない。

「ふう……」

 

 一一は、今日、ある一つの決意を胸に秘めていた。


「……ああ、ヒルデさん。やっぱり来てくれましたか」

 一はふと、顔を上げる。予想していた通りだ。ヒルデの到着に目を細めて、ベンチから立ち上がる。

 赤み掛かった茶髪と、眠そうな目。一が昨日見た彼女の格好と殆ど変わらない。彼女の持つ埒外な大きさの鎌が、今日はやけに映えている。日常を象徴している様な昼間の公園では異常だが、今は人が全くいない夜の公園だ。良く似合っていると思って、笑った。

「…………昨日は、ごめんね」

 やって来た人物は悲しそうに微笑む。

「気にしないで下さい。……他の人たちが来るまであと二時間、と言ったところでしょうか」

「……北からは、誰が来るの?」

「昨日と同じで、三森さんと、ナナって子です。南も同じ面子ですか?」

「…………ん。私と、昨日の、野獣(ウールヴヘジン)が二人」

 北から三人、南から三人、計六人の勤務外を引き連れて、『棺』は何を始めようと言うのだろうか。

 否、何でも始められるのだ。

「公園を探索するって言ってましたけどね」

 一はぐるりと公園内を見渡す。

「裏と言ったって、いったい何を探すんでしょうか?」

「ソレ、じゃないのかな」

「今日出るのなら、もう六日連続です、か。でも、それにしたってやり過ぎな気はしますよ」

 ヒルデはゆっくりと頷いた。彼女もまた、一と同じ様な違和感を感じているのかもしれない。

「ヒルデさんは『棺』について何か知りませんか?」

「…………ん、私はずっと寝ていたから」

「寝てた……? あ、いや、説明は良いです。また今度で。えーと、それじゃあ、他に何か話を聞いていませんか?」

 意味が分からないが、ヒルデが『棺』について殆ど何も知らない事に変わりは無さそうだ。今、深く追求するのはやめておく。

「私は、何も。行けって言われたから……」

「俺もです。でも、ヒルデさんだっておかしいとは思ってますよね? 何か、嫌な予感がしてるんですよね?」

「…………ん、そうだね。そして、キミはその正体に気付いてる」

 一は少しだけ驚いた。

「ヒルデさんって、うちの店長みたいですね」

「?」

「普段は何考えてるか分からないんですけど、時々勘が鋭くなるって言うか」

「…………失礼だよ」

 ヒルデは拗ねた様に唇を尖らせる。

「ああ、すみません。店長なんかと比べたらヒルデさんに失礼ですよね」

「そうじゃないよっ」

「……そうなんですか?」

 一がとぼけるので、ヒルデは諦めた。話の本題に戻る様に促して、一つ溜め息。

「じゃ、時間も無いので。ヒルデさんには伝えておく事が幾つかあります。まず、あのストリートミュージシャンの正体について、なんですけど」

「…………え、キミ、会えたの?」

「ええ、出会えたのは偶然ですが。歌代チアキって女の子です。どっからどう見ても普通の……喋ったらちょっと変わってるって程度の、普通の子でした」

 ヒルデは黙って頷いて相槌を打ってくれる。余計な茶々を入れたりしないので、実に心地良く、話し易かった。

「その、チアキなんですけど、どうやらソレの血が混ざっているらしいです」

「………………本当に?」

「真実味はありましたよ」

 少なくとも、一にとっては。

「セイレーンってソレの血が混ざっているそうで、それでそいつ、歌が上手くなったって言ってましたから」

 一は必要以上に真実は語らず、必要ならば嘘も混ぜて話を展開していく。

「セイレーン……」

「ヒルデさん、知ってますか?」

「ん。私は、水の精霊って聞いたよ。えーと、ローレライ伝説って知ってる?」

 一は小首を傾げる。

「…………その、えーと。んと、水の中に、ひ、引き摺り込むの」

「ああ、歌で、ですか?」

 ヒルデは満足げに頷いた。

「うーん。まあ、合ってると言えば合ってるのかなあ」

 水中にではないが、彼女の歌に引き摺り込まれたと言えば、そうなるのかもしれない。

「あの、ヒルデさん。俺の話信じてもらえますか?」

「…………ん」

 ヒルデは緩々と首を振る。一は安心した。突然、ソレの血がどうとか言ってしまって、引かれないだろうかと。

 とにかく、第一関門はクリアした。

「良かった。信じてくれなきゃ、これ以上話の続きが出来ませんでしたからね」

「キミの言う事だもん、信じるよ」

 ちょっと照れる。

「あの、ヒルデさんってソレについてどう思いますか?」

「んん?」

「その、憎んでるだとか、殺したいだとか……」

「……命令があれば戦うのは仕方ないけど、私はあんまり、好きじゃないかな。憎むとか、そんなの」

「命令がなければ、ソレと戦いませんか? 嫌いになりませんか?」

 ヒルデは顔を上げる。一が何を言いたいのか分からないのと、彼の声が震えていたからだ。

「…………理由もないのに誰かを嫌いにならないよ。相手が、ソレだったとしても。ふふ、歌の上手い子だったら、尚更」

 優しい人だと感謝する。同時に一は強い自己嫌悪を覚えた。今から自分はヒルデを試す。その事を内心謝りながら、声を振り絞った。

「ヒルデさん、俺、実はソレなんです」

 ヒルデは目を見開いてこっちを見ている。

 ああ、声が震えていたのか。笑顔が作り物過ぎたろうか。

 一は涙を堪えた。

「…………嘘」

 嘘じゃない。一は頭を振った。

「俺も、俺にもソレの血が流れているんです。歌代チアキにはセイレーンが、俺には狼が混ざっています」

 ヒルデは黙ったまま、一の真意を探ろうとしていた。

 しかし、無駄だ。一は嘘を吐いていない。

「突然ですよね、ごめんなさい」

 白々しい。一はヒルデを試した。ヒルデで、試した。自分にソレの血が混じっていると告げてどうなるのか知りたかったのだ。だが、三森や糸原、比較的近しい者に話すのは躊躇われる。

 だから、ヒルデを利用した。

 事前に探りを入れて、保険を掛けて。彼女ならば大丈夫だと判断して。最悪、嫌われても良いとさえ思っている。

「……気に入らないなら、ここで俺を殺してください。文句は言いません。いや、言えません、かな?」

 殺されても良いと思う。

 一方で、ヒルデならばそんな事はしないという打算もあった。つくづく終わっていると、自分が嫌いになる。

「…………その事、誰かに話したの?」

「いえ。上手くいっていれば(・・・・・・・・・)、この事を知ってるのは一人と一匹、です」

「なんで、私に?」

「ヒルデさんなら、良いかなって。話しても、嫌われても、殺されたとしても」

 半分以上は嘘に近い。

「…………どうして、今言ったの?」

 ヒルデは少なからず困惑していた。一は頭を掻いて、そりゃそうだろうな、と、どこか遠くを見ながら思う。

「今から言うのは、俺の当てずっぽうな推測なんですけど。『棺』。田中さんは多分、歌代と繋がりがあるんだと思います」

「……?」

「確証はないですけど、田中さんは歌代を利用してソレを呼んでいるんだと思います。事実、その目論見が成功しているじゃないですか」

「チアキって子が、本当に勤務外やソレと関係あるの?」

「恐らくは」

 勤務外と聞いた時のチアキの目が、全てを物語っている気がしていた。

 何かは分からない。それでも、何かが確実にある。

「ある程度事情を知っている者が、少しでも調べりゃ歌代が怪しいって事には気付くんです」

 ソレが連日公園に現れて、ソレと関わりのあるチアキが近くにいる。ソレの力を持った者がいる。

「何かが、ここにあるんです。勤務外を大量に使うだけの理由が、必ず。田中さんがそんな事をする理由も目的も分かりません。けれど、その何かを、田中さんは持っている」

「……ねえ、キミ、まさか」

「ヒルデさんは優しい。本当に、笑っちゃうくらいに優しいです。でも、他の人はソレには優しくないと思うんです。俺たち(・・・)には絶対に優しくしてくれない」

 多分、ヒルデには自分が何をしようとしているのか分かっている筈だ。

 一はそれでも、決意を口にしようと思う。

「……俺、皆を敵に回すと思います」

 ソレを殺す勤務外。だが、一は勤務外に殺されるソレでもあった。

 今は何ともない。せいぜい常人より爪が伸びるのが早い程度だ。

 しかし、今後どうなるのか自分にすら分からない。あの時のジェーンの様に、誰かを襲うのかもしれない。来年か、次の満月か、もしかしたら明日にだって。自分が自分でなくなるのが恐い。たまらなく恐ろしい。

「歌代に聞いてみようと思うんです」

「…………何を?」

「さっきヒルデさんにも聞かれたけど、どうしてそんな事を言ったのか。どうして言えたのか、です。自分が普通じゃないなんて、もう人間じゃないなんて、普通(・・)言えますか?」

 一には訳が分からなかった。出来る事なら墓の下まで持っていきたい様な秘密をどうして出会ったばかりの他人に笑顔で口に出来る? 初対面だからか? 同じ境遇だと、似ていると思ったからか?

 一には、歌代チアキが理解出来ない。

 だが、理解出来ないまま終わらせたくはない。少なくとも、自分に関係のある事実なのだから。はっきりさせておきたい。すっきりさせておきたい。

 歌代チアキを、分かりたい。

「同病相哀れむ訳じゃないですけど、放っておけないんです。……そいつが、皆が言っている『最低の棺』に狙われるかもしれないのなら、尚更放っておけません」

「…………皆を敵に回して、でも?」

「けじめは付けます。俺はそのつもりであなたに告げたんだから。これから先、皆とは違う事をしても良いのかどうか。俺には分かりません」

 一は笑った。何とも小ずるい笑みである。

「ヒルデさん、判断してください。自信がないんです」

「…………はん、だん?」

「俺は今から、自分の為に動くつもりです。勤務外なのに勤務外を裏切るような真似をして、勤務外なのにソレを助けるような真似をする、かも、しれないんですよ?」

 ヒルデの腕に力が篭った。鎌の刃先が月明かりを受けて僅かに揺らめく。一はその動きを見逃さない。

「殺すか、殺さないか。今選んでくれませんか?」

「…………キミは」

 目の前で風が唸る。

 一が目を瞑った次の瞬間、喉元に鎌が突き付けられていた。

 ヒルデに対して情に訴え保険を掛けたが、一の目論みは上手く行かなかったらしい。

「……ま、予想はしてましたけど」

 死ぬ前に出来るだけ格好を付けたかったが、一の声は面白いくらいに上擦っていた。

「キミは、誰を敵に回すつもりなの?」

「……皆、です」

「皆って、誰?」

「み、皆って言ったら皆です。俺みたいな半端者に味方してくれる奴いません」

「…………私も、キミの敵なの?」

 ヒルデの声は嫌に冷たく、一の耳に入っていく。

「ソレだからって殺さなきゃいけないの? 人間だからって守らなきゃいけない? 勤務外だから、戦わなきゃダメなの?」

「……っ」

 似た事を、誰かに言われた。

 灰色の毛並みをした、生意気で皮肉屋な犬が一の脳裏を掠める。

「…………どうしても区別しなきゃいけないの? 私は、嫌だよ」

「そんなの、知りませんっ」

「私は、好きなら好きで。嫌いなら嫌い。それだけで良いよ。それだけが、良い」

 勝手な物言い。

 押し付けがましい、考え。

 今の一には、そうとしか捉えられない。

「勝手な……くそっ。くそ、くそ! おっ、俺はもう完璧な人間じゃないんだ。……完璧なソレでもないっ、どうしようもない最低な馬鹿なんだよ!」

 一は鎌を突き付けられている事すら忘れて、激情を吐き出した。

「俺が悪いってのは分かってるんだ! コヨーテにだって言われたっ、でもどうしろってんだよ! どうやったら正解なんだよ!? 俺にはソレとか人間とか分からねえんだっ!」

「――分からなくて良いよ」

「は!?」

「…………ん。だって、キミはキミだよ。ソレだとか人間だとかの前に、キミは一一君じゃない、ね?」

 一は我が耳を疑う。

「私には決められない。キミが正しいのか、間違ってるのか、何をしたいのか(・・・・・・・)、決めるのはキミだよ」

 ヒルデは鎌を引いて、一を見つめる。

 慈愛に満ちた女神の如き瞳に射抜かれた一は、自分がとても気持ち悪いモノだと認識させられた。

「…………好きにしたら良いんだよ。カトブレパスの時だって、そうしてたじゃない」

「俺は……」

 何を今更。そうも言われた気がした。

「キミがソレでも、私はキミが好きだよ?」

「でも、皆が」

「ふふ、だから皆って誰なのかな? ……キミは急ぎ過ぎなんだよ」

 そうかもしれない。恐らく、一はチアキの言動に中てられたのだ。彼女が、自分はソレだと告げてから、訳が分からなくなっていた。

 違う価値観に魅せられて、自分を見失っていた。

「…………キミの味方になってくれる人は、いるよ。だから、ね?」

 途端、一は途徹もなく気恥ずかしくなる。耳が熱く、赤くなり、顔からは火が出そうだった。

「ごめん、なさい。俺、訳が分からなくて、恐くて……」

「…………ん。気にしないで」

 ヒルデは鷹揚に頷き、笑む。

「ん、まだ、『棺』さんが何をするのか分からないよ。大丈夫。落ち着いて考えよ、ね?」

「あー、俺格好悪い」

 一人で勝手に悪い方向へ進んで、先走って、空回って。

 穴があったら自分が入ったあとに埋めて欲しい。

 何もかもチアキのせいだと責任転嫁してから、一はふらふらとした足取りでベンチに座った。

「…………良し」

 頭を無理矢理切り替えて、さっきまでの失態は自分じゃないと思い込む。

 考えろ、考えろ。

 考えるのは人の特権であると同時に、人の義務であり証明なのだと自身を鼓舞する。

「あの、ヒルデさん。セイレーンにソレを誘き寄せる力があると思えますか?」

 ヒルデは気力を取り戻した一を見遣り、優しく微笑した。

「…………そう、だね。ん、私は、出来ると思うよ」

「そう、ですか」

「でも、チアキちゃんって子が、そんな力を使ったとは思えないな」

「どうして、そう思うんですか?」

「…………だって、あんなに良い声をしてたよ?」

 一は苦笑いを噛み殺す。

「良い声をしてるからって良い奴だとは限りませんよ?」

「そうかな?」

「そうですよ」

 しかし、一は何故か、それ以上ヒルデに言い返せなかった。

「……えーと、それじゃあ……」

 次は何を問おう。何を考えよう。

「ねえ」

「はい?」

 ヒルデの呼び掛けに思考が中断される。

「…………キミは、何を考えてるの?」

「どういう、意味ですか?」

 考える事は幾らでもある。

 歌代チアキ、田中次史。一度ヒルデに諭されたとは言え、人間とソレの立場についてもだ。

 どちらが正しくて、どちらかが間違っていて。

 どちらの味方になって、どちらの敵になるのか。

「ヒルデさん、考える事は――」

「本当に考えなきゃ、いけない事?」

 ――まただ。

 ヒルデに見つめられ、微笑まれると、自分が矮小な存在なのだと理解してしまう。

「…………キミは、チアキちゃんに力があって、田中さんがチアキちゃんを利用しているのなら、どうするの?」

 一は答えない。

「もし、もしもだよ。チアキちゃんが悪い事(・・・)をしていて、田中さんが正しい事(・・・・)をしていたら、キミはどうするの?」

 一は答えられない。

「……ん。言ったでしょ、そんなの関係ない。下らない(・・・・)よ。大事なのは、キミの気持ち。好きな事を、好きにすれば良いの」

「ヒルデさん、俺は……」

 それ以上、一は言えなかった。

 それ以上は必要ないと、ヒルデは笑む。

「…………ん。私、いっぱい喋ったから、ちょっと疲れちゃった。えへへ……」

 ヒルデは鎌を地面に置いた。一の横をすり抜けて、ベンチに腰を落ち着かせる。

「キミも座りなよ。ほら、疲れたでしょ?」

「…………はい」

 一はヒルデに見られない様に涙を袖で拭ってから、ゆっくりと振り返った。



 駒台中央公園、西側入り口。

 時刻は、午後十時を少し回ったところだ。

 昨夜の光景そのまま、入り口付近に立っている五本のポール。真ん中のボールは北と南のボーダーライン。

 左側には北駒台店の一一、三森冬、ナナの三名。

 右側には南駒台店のヒルデ、円堂慶、結城晃一の三名。

 彼ら六名の勤務外の真正面に立つのは、オンリーワン近畿支部、戦闘部に属する田中次史。彼自身がどう思っているのかは定かではないが、『最低の棺』の通り名を冠する男である。

 場には悪意と敵意が渦巻いていた。その中で、三森はやけに静かだった。彼女はジッと、何かを抑える様にして『棺』を見ている。

 三森の瞳に映るは、研ぎ澄まされた極上の殺意だ。気付く者は彼女以外を以って、誰一人としていない。

「昨日よりは集合が遅れましたが、まずは、今日も集まってくれた皆様に感謝を」

 立ち込める険悪な雰囲気を無視するかの様に、田中はマイペースに口上を始める。

「そして、今日こそはソレの正体を見極めましょうか。捜索範囲は昨日と同じで構いません」

 一は田中に視線を遣った。

 成る程、こうして見ると実に胡散臭い(・・・・・・)

 開いているのか閉じているのか分からない目。

 笑っているのか、それとも何も思っていないのか分からない表情。

 人を見掛けで判断してはいけないと思いつつ、一は田中を信用してはならないと、きつく自らに言い聞かせた。

「……では、行動を開始しましょうか」

 田中が告げると、南駒台の勤務外は返事もしないで各々散っていく。

「一さん、三森さん、行きましょうか」

 ナナが二人を促し、北駒台店の面々も動き出した。

 一は去り際に、そこから動かない田中へ振り返る。外灯に照らされている彼の存在感は薄く、瞬きをした間に消えてしまいそうな印象を受けた。



 ナナを先頭にして、一たちは公園内を当て所なく歩き続けていた。

 そんな折、ナナは立ち止まって、嬉しそうに一たちに振り返る。

「一さん一さん、三森さん三森さん、見てください」

「うーん?」

 一と三森はナナが掲げている物に注目した。

「……何だ、そりゃ?」

「良くぞ聞いて下さいました三森さん。これはレーダーなのです」

「レーダー?」

「ええ。昨日言っていたでしょう? 残念ながら索敵用のレーダーは持ち出せませんでしたが、代わりに技術部の方たちにお願いして作ってもらったのです」

 一は目を凝らす。どう見たって、ナナが掲げているのはただの懐中時計でしかない。しかも、昨日見たのと同じタイプのものだ。

「一さん、これをただの懐中時計とお思いでしょうけど。これは一味違うんです」

 ナナは一の疑惑に満ちた目を寛容に受け流す。

「見ていてください。ここを押すと、レーダーの代わりになるんですから」

「へー、じゃあ押してみろよ。どんなもんか見てみてェな」 

 三森は興味深げに時計を見つめていた。

「お任せください。てやー」

 気の抜ける掛け声と共に、ナナは懐中時計の裏側を押し込む。

 刹那、時計の裏側がスライドしていき内部が露出した。次に中のバネが飛び出してくる。

「おー」「すげー」

 これには一も驚いた。なんて無駄な仕掛けなんだ。

 そして時計のスライドしていた部分が閉まる。何も起こらない。元通りになってから数分。ナナは訝しげに時計を注視した。

「おかしいですね。バネが出てきただけです」

「……技術部の人たちに遊ばれてたんじゃないのか?」

 一は何となく、落ちていたバネを拾い上げる。良く見ると、バネには紙が括り付けられていた。

「お、なンだよそれ?」

「さっき時計から出てきたものですよ」

 紙を広げてみると、小さい文字で『ごめん』と書かれている。一気に気が抜けた。と言うか、ナナの様なオートマータを作ってしまうオンリーワンの技術部でも、一日やそこらでレーダーなんて作るのは流石に無理らしい。

「一さん、何か書かれていましたか?」

「ごめんってさ。……俺、ちょっとトイレに行ってきます」

「あー? あンだよ、勝手な事すんじゃねーよ」

 三森は煙草に火を点けながら一を睨む。

「……じゃあ、ここでしても良いんですか?」

「…………くだんねー事言うな。おらっ、とっとと行って戻って来い」

 一は顔を真っ赤にした三森から背を向け、ここからは少し離れている公衆便所に向かった。



「ふー」

 用を済ませた一は手を洗って便所から出た。

 何となく、月を見上げてしまう。静かだ。自分たち以外、ここには誰もいない。

 上を向きながら歩いていると、思い切り尻を蹴られた。振り返ると、チアキがそこにいる。

「……何してんだ、お前?」

 チアキは恨みがましい目付きで一を睨んでいた。

「あんた、ここで何してんねん」

「俺の台詞だそりゃ。お前こそ何やってんだよ?」

「うちはあんたを付けてきたんや。あんたらが何をすんのか見る為にな」

「……お前って、本当馬鹿だな」

 一は頭を抱える。どうして自ら火事場に入ってくるのか理解出来ない。よりによって、チアキは渦中の人物かも知れないというのに。

「うっ、うちは馬鹿ちゃうわ!」

「分かった分かった、それは良いからもう帰れ。ここにはお前の嫌いな勤務外がたくさんいるからな」

「……知っとるわ。昨日も来たからな」

「あのさ、お前一応狙われてるんじゃないのか?」

 チアキは鼻を鳴らして一を見据える。

「知らんわっ、うちはなあ、あんたらが悪させんか見張りに来てやってんねん」

「しないから帰れって、マジで。こんな所見られたら誤解されるだろうがよ」

「……はあ?」

「馬鹿かお前? 今俺たちはここで、ソレに関係しそうなモノを探してるんだよ。こんな所にいたら真っ先に疑われて、相手によっちゃ問答無用で殺されてたかもしれないんだぞ?」

「うちは何もしてへんで」

 一の頭に血が上った。

「んな証拠ねえだろ! お前みたいな奴はここにいるだけで疑われるんだよ! ちょっとは頭使って動けエセ関西人が!」

「なっ、なっ、なっ……」

「分かったら帰れ馬鹿!」


「――帰す訳にはいきませんね」


 高くもなく、低くもない声が響く。

 影が、物陰からその姿を現し始める。

「何を、しているんですか?」

 背は高くない。低くもない。何の特徴もない。

 何の前触れもなく、気配すらさせず、足音すら立てず。

「……あ、た、……」

 影と共に、影を引きつれ、影を侵して。

 一たちの前に、『棺』がその姿を見せ付けた。

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