生くる甲斐も無しと
オンリーワン近畿支部の戦闘部である田中次史が指定した時刻は午後十時。指定した場所は駒台中央公園の西側の入り口。
現在時刻、午後九時三十分過ぎ。
「申し訳ありません、一さん。私、まだこの辺りの地理には疎くて」
「謝らなくても良いのに」
ナナが公園の場所を知らないと言うので、一が彼女を店から連れて来たという次第である。
現在地、中央公園の東側入り口。時間もまだあったので、一はナナに公園の案内をしていた。
「一さんは、この公園には良く来られるんですか?」
「いや、来るようになったのはつい最近かな。越してきた時に一度だけここに来たんだけど、どうにも肌が合わなくてさ」
「肌に? この公園の空気には有害な物質でも含まれているのですか?」
一は思わず苦笑する。
「空気って言うか、雰囲気かな。この公園さ、今は夜だから人もいないけど、陽のある内は家族連れで賑わってるんだよ」
「それは良い事ですね」
「それが苦手なんだ」
ナナは小首を傾げた。ふわりと、ナナの髪の毛とスカートが揺れる。
「家族が、ですか?」
一はゆっくりと頷いた。
「アットホームな雰囲気が苦手。つまり、一さんには家族がいないのですか?」
「そんな事ないよ。俺だって人間だからね」
「はい、私の目には一さんが人間に見えていますよ。では、既に家族の方が亡くなられているのですか?」
随分と不躾な質問だが、一は気にしない。オートマータとして活動したばかりのナナに、人間の中でもとりわけ神経質な日本人の機微を理解しろと言う方が悪い。
「いや、仲が悪いだけだよ。それこそ、実家にはお盆や正月に帰らなくても良いくらいにね」
「そうでしたか。ですが、産みの親には敬意を払って然るべきかと。私の様な人形に言われても快くないでしょうが、一さんには家族の方と仲直りする事をお奨めします」
「うん、そうだね。じゃあ、年始には顔を見せに行こうかな」
「ありがとうございます」
ナナは丁寧に、機械的な動作でお辞儀をする。
「なんでナナが頭下げるの? お礼を言うのはこっちだよ」
「そうなのですか? お礼を申し上げたのは、一さんが私の意を汲んで下さったので」
「……ナナには、家族がいるの?」
「私に、ですか?」
ナナは俯いた。何と言えば良いのか分からない。そんな風に戸惑った様子で、オロオロとしている。
一は挙動不審なナナを見て、オートマータとはアドリブに弱いのかと思った。にやにやしながら。
「こういう場合ですと、私を創って下さった技術部の方たちが、産みの親となるのでしょうか」
「あー、なるほど。じゃあさ、兄妹とかいないの?」
「あ、それは……」
ずり下がっていた眼鏡の位置を押し上げて、ナナは一から視線を反らす。
「申し訳ございません。私の姉妹機に関しては技術部の機密事項となっておりますから、一さんには伝えられないのです」
「へー、姉妹がいるんだ? お姉さん? 妹?」
「……迂闊でした」
ナナは消え入りそうな声で呟く。
「うっかり口が滑るだなんて、ナナでも人間みたいなミスをするんだな」
「私のコンセプトが、人間より人間らしく、ですから。しかし痛いミスでした。一さん、どうか先程の事は忘れて下さい」
「嫌だって言ったら?」
一はヘラヘラと笑った。ナナの失敗が楽しくてしょうがないのだ。
ナナもにっこりと笑い、わざわざ一に見える様な位置に、広げた状態の掌を掲げる。それをゆっくりと、小指から親指に掛けて順番に閉じていき拳を作った。
「一さんの記憶に障害が残る程度の力で殴ります」
それだけでは済むとは思えない。
「あー、冗談。絶対。俺、口堅い。さっきの事、誰にも言わない」
「片言なのは頂けませんが、良いでしょう。それと一さん、口約束ですが、私があなたに約束を破られたと判断した場合、怒りますから」
「……分かりました」
笑顔で凄まれるのは、中々に心臓に負担の掛かるものだった。
「しかし、家族ですか」
ナナは感慨深げに言葉を紡いだ。どこか遠い目をして、深く息を吐く。
「家族がどうかした?」
「家族とは、実に人間らしいものだと思いまして。私には、家族と呼べる方すら咄嗟に出てきませんでした。あの、姉妹の話だって、人様に大っぴらに出来ないです、し……」
一は驚いた。
俯いて息を吐くナナの姿が、やけに悲しそうに見えたからだ。
ナナは自動人形である自分には心が無いと言っていた。心が無いから、悲しくもならないし、怒りもしないのだと。彼女が悲しくしていても、怒っていても、あくまで見せ掛けにしかなっていない。所詮は、オンリーワンの技術部とやらがプログラミングした仮初の感情なのだと。
一はずっとそう思っていた。なのに、今の彼女からはそれが感じ取れない。植え付けられた偽物の感情ではない。彼女の、ナナの生み出した本物の感情としか思えなかった。
「……あのさ、家族の事が話せないからって人間じゃないとは、そうは思わないよ」
「それは、一さんが人間だから言えるんです」
「あー、気付いてないのかな?」
「何がです?」
それだよ、と。拗ねた様に言うナナを見て、一は指を差して言ってやりたくなる。人間より人間らしく? 馬鹿らしいと思った。充分、人間だ。少しずつではあるが、彼女には確かな感情と自我が芽生えている気がする。
「や、気付いてないなら良いんだ。大した事じゃないし」
だけど、一はその事をあえて口にしなかった。
「今日の一さんは意地悪ですね。私、ちょっと嫌です」
「俺はいつもこんな感じだよ。それよか、今何時か分かる?」
「話を反らそうと必死ですね」
言いつつ、ナナは袖を捲る。瞬間、金属が何か固い物とぶつかり、滑る様な音が響いた。音の後、彼女の袖から鋭い刃物が姿を覗かせる。刃渡りは十五センチ程度だろうか。鞘などない。剥き出しになった刀身が月光を受けて、妖しくも揺らめく。
そんな事にまで考えが回ったかは知らないが、一は突然現れた凶器に思い切り後ずさった。
「なっ、何だよそれ!?」
「あ、こっちは仕込刀でした」
ナナは平然とした顔で刀を眺めてから、腕を振るう。
「しかし、手入れは完璧でした。あの曇りの無い輝きならば、相応のソレとの戦闘にも耐えうるでしょう」
刀身は再び袖の中に消えた。ナナがもう一度腕を振るうと、先刻刃が現れたところから、今度はオープンフェイスの懐中時計が出てくる。
「……えーと、九時五十分ですね。そろそろ、集合場所に向かいましょうか」
一は頷くしか出来なかった。
「どうしました、一さん?」
「いや、便利だなって」
「ようやく私の有能性に気付いて下さいましたか。ええ、ナイフ、時計の他にも、缶切り栓抜き。やすり、鋏、虫眼鏡、ペンチ、万年筆、シャープペンシルに四色ボールペン、方位磁石や懐中電灯、耳掻き、爪切り……」
「十徳ナイフかお前は」
ナナはムッとした顔で一を見据える。
「失礼な、十徳では足りません。せめて百徳と言って欲しいところですね」
「そりゃ悪かったな」
一は目的地である公園西側の入り口へ、さっさと歩き出した。
一、二、三、四、五。
一とナナが西側入り口へと辿り着くと、既にそこには四名の勤務外店員と、田中がいた。
集まっていた彼らは誰一人として口を利かない。場には険悪な雰囲気が立ち込めていた。気後れしながらも、ナナに背中を押されて一歩踏み出せば、鈍感な一にも分かるレベルの、分かり易い敵意で以って迎えられる。
一は目を凝らした。入り口には車が進入出来ない様に五本のポールが立っており、真ん中のポールを境目にして右側から、強く敵意を感じる。
左端のポール近くには赤いジャージを着た女が一人。
右端のポール近くには鎌を持った女が一人と、二人の男。
田中は少し離れたところで佇んでいる。
――全員が、勤務外。全員が、異能者。
一はこの場からは背中を向けて逃げ出したかったが、
「遅ェぞ」
眉をつり上がらせた三森に手をこまねかれ、仕方なくそちらへ向かった。
「何やってやがった?」
「す、すいません」
「申し訳ありません、三森さん。私が公園の場所を知らなかったから、一さんに案内をお願いしたんです」
三森は煙草を銜えながらナナを見遣る。
「ですから、責めないで下さい」
「……どっちをだよ?」
「私です」
「おい」
意外に利己的である。このメイドには一生奉仕されないんだと一は気付き、内心で嘆いた。
「時間ですね、全員揃ったところですし、始めましょうか」
田中が口を開き、一たちの傍まで歩み寄ってくる。
一斉に、四人分の視線が田中に注がれた。そのどれもが、彼の実力と正体を値踏みする様な、ねちっこい、嫌な視線。唯一、三森だけが嫌そうに顔を背けている。
遅れて、一も注意深く田中に目を向ける。歩いてはいるが足音はなく、闇に紛れた彼の存在感はどこまでも希薄だった。
「まずは集まって頂いた事に感謝を」
そう言って田中は頭を下げる。
「白々しいぜ、あんた。俺たちは支部からの命令にゃ逆らえないんだからよ」
シニカルな発言をしたのは、一が今日初めて見る男だった。まだ若い。年は一と大差ないだろう。しかし、身長は一よりも随分と高かった。百八十の後半、といったところか。服装はショートのダッフルコートに、チェックのシャツ。ブルーウォッシュのジーンズ。黒縁の眼鏡をくるくると指で遊ばせている。恐らくは度が入っていない、装身用の伊達眼鏡だろう。
全身から気だるい雰囲気を纏わせている彼は、ポールに腰を預けながらわざとらしくあくびをしている。更に特徴を上げるなら、彼は長い髪を茶に染めており、耳と鼻にはピアスを開けていた。
多分、友達にはなれないタイプの人間だと一は悟る。
「なあ、今日って何すんのよ? 俺っちさあ、遊び行く筈だったんだよねえ、本当ならさ」
もう一人。背の高い男の発言に乗る形で、その隣にいた男が口を開いた。
一はそちらにも視線を向ける。
その男も一と年齢は変わらない様に見えた。背も、髪の長さも一と変わらない。だが、身に付けているモノが異質だった。彼は獣の毛皮を羽織っている。
毛皮の下には何も着ておらず、肌を覗かせていた。彼が履いているジーンズとのアンバランスさが異質さを引き上げている。
この男とも友達になれない。と言うか、関わり合いになりたくないタイプの人間だった。
一は男二人を見遣った後、彼らの後ろに立っているヒルデへ視線を送る。
ヒルデは一の視線に気付いた後、少し困った風に目を泳がせた。
北と南。少なくとも、今この場では、一とヒルデは商売敵同士の立場である。
一は今更ながらにその事実を再確認した。
「突然の申し出で、僕としては本当に申し訳とは思っているのですが、事態が事態でして」
田中は表情を変える事無く、文句を言った二人に頭を下げる。
「皆さんご存じだとは思いますが、この公園には連日ソレが出ています。オンリーワンとしては見過ごせないのですよ」
「勝手にやってれば良いじゃん」
毛皮を羽織った男が茶化すも、田中は顔色一つ変えなかった。
「……敵の正体が分かりませんから、僕一人では不安でして。万全を期す為、皆さんには集まってもらいました」
「はあ? 敵って、雑魚なんだろ? 北がそう言ってたんじゃねえか」
背の高い男の発言を受け、田中はゆっくりと首を振る。
「あくまで今のところはです。こうも続いてソレが出ていますから、僕としては人為的、作為めいたモノを感じざるを得ないんですよ」
「何か、裏があると仰りたいのですか?」
手を挙げる必要もないのに、ナナはわざわざ手を挙げて発言した。
糸原率いる愉快な仲間たちに毒されている。一はナナに同情した。
「はい、その通りです。近頃は勤務外に仇名す存在も出てきたらしいですからね。何かあると、僕はそう思います」
――即ち、円卓。
連想してしまい、一の喉が渇きを訴える。鼓動が高鳴る。唾を飲み込み、無理矢理、気持ちに蓋をした。
「皆さん北と南に別れてはいますが、ソレを倒す勤務外には違いありません。まだオープンしていませんが、南駒台の皆さんにはこの先の為の予行演習として。北駒台の皆さんには今一度研鑽を積んで頂く為、どうかよろしくお願いします」
「えー? 北なんて必要ないって。俺っちたちだけで充分充分、ね、ヒルデちゃん?」
突然話を振られたヒルデは困惑していたが、曖昧に頷いた。
「……くっ」
「一さん、どうかしましたか?」
何故か、嫉妬してしまう。見たくないものを見てしまい、一の意欲は減退した。
「……はっ、私だって素人とは組みたくねェよ。勘違いすンなよ、新参が出しゃばりやがって」
一方で、三森の意欲は増進していた。何か、良くない方向に。
「おいおいおい、あんたらがどうしようもないから、俺たちが助けに来てやってんだぜ?」
三森の挑発を受け、背の高い男が安っぽい笑みを浮かべる。
「てめェらに助けてもらった覚えはねーな。助けてもらおうなンてつもりもねェよ」
「女のくせに口だけは達者じゃねえかよ。良いか、はねっかえり。調子こいてるとなあ、今後俺たちは何もしてやらねえぞ?」
「男のくせに口だけは達者らしいな、木偶の坊。良いぜ、私が口だけかどうか見せてやンよ」
「ああん? 何を見せてくれるんだ? そのちいせえケツ振りながらストリップでもしてくれんのかよ? ぎゃはっ、良いぜ、全部脱いだら拍手喝采で、お捻りをあそこに突っ込んでやるよ」
三森はポケットに手を突っ込んで、空恐ろしい笑みを浮かべた。瞳は獲物を前にした肉食獣の如くぎらつき、彼女の周囲の気温が上がっていく。
「……三流映画の悪党でも言わねェような台詞ありがとよ。詫びだ、ゲスなてめェのお望みどおり、骨までストリップさせてやるぜ」
「やってみろよ、ヤニ女が」
三森の威圧感に押されながらではあったが、男もポケットに手を突っ込む。おそらく、その中に彼の得物が入っているのだろう。
「って……」
まずい。一は頭を抱えた。三森とあの男、相性が悪いのを通り過ぎて、良過ぎる。お互いが相手の火に油を注ぐのが上手過ぎる。
このままいけば、事態は間違いなく殺し合いにまで発展するだろう。止めなければ。だが、一にはあんな恐ろしい目をした三森を止めるどころか、近付く事すら不可能に近い。
「なっ、ナナ! 二人を止めなきゃ!」
「何故ですか?」
一はまず隣にいたナナに助けを求める。が、当の本人はきょとんとしていた。
「あのままじゃやばいだろ!」
「……ですが、三森さんは卑猥な言葉を言われて怒っているのでしょう? あの方と争って三森さんの気が済むのなら、後に何らかの形でしこりを残すよりはよっぽど効率的だと判断します」
「何の跡形も残らないくらいに暴れられたらどうすんだよ!?」
「……一さん。私が見たところ、三森さんの周囲の気温が上昇しているのです」
「怒ってるからだよ!」
「このまま上昇が続けば、三森さんは私の体でも融かしてしまう程の熱を生み出すでしょう」
焦り、惑う一とは対照的に、ナナは冷静な態度で話を続ける。
「と、言いますか。今の私の装甲では既に危険です」
「……お前、行きたくないんだな」
「一さん、昔の偉い人は言ったそうですよ。君子、危うきに近寄らず、と」
「誰が君子だっ!」
ナナの助力は諦めて、一は反対側の南駒台店の勤務外たちに視線を送った。
「そんな女いろんな意味でやっちまえー! お前が負けたら次は俺っちが行くかんな!」
毛皮を羽織った男は楽しそうに笑っている。めちゃめちゃ煽っている。
予想してはいた。一は最後の希望、ヒルデに救援を求めた。
「………………ん」
ヒルデは緩々とした動作で首を縦に振り、
「………………………………」
そこから動かなかった。
「ヒルデさん!?」
この状況下でヒルデは舟を漕いでいる。もう終わりだ。一が諦めて、今日はとりあえず帰って寝ようと天を仰いだ正にその時、影が動く。
睨み合い、仕掛けるタイミングを計っていた三森が動いた。ポケットに突っ込んでいた右手を振りかぶる。
背の高い男が呼応して左手をポケットから抜いた。
二つの拳が凄まじい速度で空気の壁を切り裂いて突き進む。
互いが互いの顔面を狙っていた。もはや激突は必死かと一が目を瞑る。
しかし、いつまで経っても二人の攻撃がぶつかる衝撃音はしなかった。
代わりに二人分の舌打ちと、
「ここまでです」
朗々と響く田中の声。
田中は二人の間に割って入り、その拳を表情一つ変えずに受け止めていた。
それぞれ指一本で、だ。
「二人とも、些か盛り上がり過ぎですよ」
一は驚くのを忘れて、もはや呆れていた。これが『棺』。三森の拳を右手の人差し指、背の高い男の拳を左手の人差し指で制止させている田中は、事も無げに笑む。
「……仲良き事は美しきかな。良い言葉ではないですか。どうです、ここらで自己紹介でも?」
必要以上に、異常にギスギスした空気の中、田中は我関せずと言った具合に自己紹介を始めた。
誰も、逆らわなかった。
誰も、逆らえなかった。
逆らう気すら起こらなかった。
全員が全員、無理矢理言わされている感漂う自己紹介の場で一が把握したもの。
まず、南駒台店に所属している勤務外の名前である。先程三森と争っていた背の高い男は円堂慶。その争いを面白おかしく(そう思っていたのは本人だけだろうが)煽っていた、毛皮を羽織っている男の名は結城晃一。
結城曰く、『こういちっつっても、俺っち高校に行った事ないんだけどねー』だ、そうだ。誰も笑っていなかった。
ヒルデは自分の名前だけを言う。彼女に続いて一と三森は自分の苗字だけを短く告げ、最後にナナが生涯二度目の自己紹介を楽しそうに話して、終わった。
一にとって、南の勤務外の名を得られたのは大きな収穫ではある。だが、それ以上に『棺』の恐ろしさを知ってしまった。
一の知る限り、世界で一番強いと信じていた三森と、その三森に喧嘩を吹っ掛けた円堂。
円堂の実力は知らないが、勤務外である彼がそこそこには有名な三森を知らない筈がない。よしんば知らないにしても、激怒した三森に真っ向から挑んだのは確かである。彼にも真っ向から立ち向かう自信と、それに見合う腕があり、三森に対して勝算もあったのかもしれない。伊達で勤務外は名乗れない。なれないのだから。
しかし、『棺』はその二人を止めたのだ。己の指を二本使っただけである。涼しい顔で、一種飄々とした風情で、少しばかり強い風を受け流すが如く、彼は争いを止めたのだ。
一には、田中の実力が推して知れない。せいぜいが、恐いぐらい強いと思える程度である。だが、自身の拳を受け止められた二人は違う。二人とも田中の存在を忘れていたにしても、真っ向からの一撃を指一本で止められたのだ。
三森が元から『棺』を知っていたとしても、直にその恐ろしさ、強さを目の当たりにした円堂の衝撃は計り知れないものがある。事実彼は沈痛な面持ちで、自己紹介の間も、今も、俯き続けていた。
結城もヒルデも、この場にいる『棺』以外の人間は何も言えない。
三森は終始不機嫌そうに眉を潜めていた。
――まるで、ピエロだ。
一は二人を見て、申し訳ないと思いつつも、そう感じる。
まるで、『棺』の力をアピールする為に踊っていただけだ。
案外、田中が二人が争うのをぎりぎりまで止めなかったのはこの為ではないか。いがみ合う勤務外たちに力を誇示し、黙らせる為のデモンストレーションではないのか、と。
「……くそ」
一は三森に声を掛けられなかった。
田中が言うには、今日もソレは出る。しかし、勤務外である六名にはソレを見つけて倒すだけでなく、その裏を探って欲しい。むしろ、優先すべきはそちらだと、そう言った。
「ナナ、何かいたか?」
「いえ。こんな事なら、索敵用のレーダーを持ってくれば良かったですね」
現在、勤務外六人は北と南の三人ずつに分かれて公園内を探索している。
一、三森、ナナは西側から北に掛けて足を伸ばしていたのだが、
「……あー、ちくしょう」
三森の機嫌は一向に良くならず、一たちに付いてきて文句を言うだけで、ソレの捜索には力を貸す気がない様子だった。
「あら?」
マイペースに周囲を捜索していたナナが声を上げる。
一は三森が気になりながらも、ナナの傍まで近付いた。
「何か見つけたの?」
「いえ、今、人影が見えたような……。確か、この公園は陽が落ちると人間がいなくなると、そう聞いていたのですけれど」
「うん。理由は分からないけどさ。何か悪いモノでもいるんじゃないかって、皆言ってる」
「……では、誰だったのでしょうか。南駒台の人たちは反対側ですし。田中さんでもないようでしたから」
「だったらよォ」
三森がナナの肩に手を乗せ、楽しそうに笑う。
「あ、聞いてました?」
「聞いてちゃ悪ィかよ? なあ、考えてても仕方ねーだろ、行ってみようぜ」
「三森さん」
「あン?」
「すげえ楽しそうですね……」
一は不安を覚えた。ソレを見つけたら、間違いなく三森はストレスを戦闘力に転化して暴れ回る、と。
「あーん? ひゃはははは、楽しくねェよー、おらっ早く来い」
巻き込まれたくない一心で抵抗していたが、焼け石に水と言うか、もう無駄だった。コートの裾を引っ張られ、市場に売られていく子牛よろしく一は三森に引き摺られていった。
この夜も、ソレは現れた。
探索開始から一時間経って、西側の入り口に勤務外六人が戻って来た時、ソレが姿を見せたのだ。送り犬と呼ばれるソレである。
ちなみに一はその時のソレが送り犬だと、後になってナナから聞いた。
その時に現れたソレは、何が何だか分からなかった。血塗れになって、五体を刻まれ、正視し難い姿に成り、果てていたからだ。
「いたから、殺しておきました」
田中は、そう言った。
一はただひたすらに吐き気を堪えるしか出来なかった。
ついさっきまで生きていた証明。ソレの体は痙攣を繰り返し、はみ出た臓物は跳ね、体液と血液を流し続けていた。
一は『棺』を思い知る。
今日も、そして明日も。
一は思い知った。
植え付けられた。
ソレとは殺すモノで、殺されるモノなのだと。
それ以外は、全て正しくないのだと。
ソレは、間違っているモノで、正しくないモノだと。
ならば、一一は何なのだろう。
ならば、ジェーンは何なのだろう。
ならば、歌代チアキは何なのだろう。
ソレが混ざった彼らは死ぬべき存在なのだろうか。
誰が味方で、誰が敵で、誰が死に値する存在なのか。
一にはもう、分からなかった。