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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
セイレーン
106/328

恐れず来たれ、聖徒

 ソレは敵だ。

 ソレは味方じゃない。

 ソレは殺すべき存在だ。

 ソレは死んで当然だ。

 ソレは、必ず殺す。



「またかよ!」

 バックルームに入ろうとした一の体が竦んだ。まだ、何も怒鳴られるような事はしていない筈なのに。

「おはようございます……?」

 中にいたのは店長と三森だった。三森は顔を真っ赤にして店長を睨み付けている。

「おう。なんで疑問形なンだよ?」

 一と三森の目が合った。

「……えーと」

「三森が恐いんだよ」

 店長が喉の奥でくつくつと笑い、煙草の灰を空き缶に落とす。

「あ? そーなンか?」

「いや、扉開けるなりいきなり怒鳴られたんで」

「あー、悪ぃ。お前じゃねェよ。この人の人使いが荒いから、ついな」

 人使いが荒いのは今に始まった事でもないだろう。一は心の中で溜め息を吐く。

「何かあったんですか?」

「ソレが出た。だから勤務外は働かなければならなくなった。という訳だ、一。良かったな、あと少しソレが出るのが遅れていたら、深夜勤務のお前の出番だった、という訳だ」

 すごく良かったです。一は安堵の息を吐く。だが、今からソレと命のやり取りをしに行くであろう三森を前にして、命知らずな発言は出来なかった。

「あー、その、三森さん?」

「うるせェ。言われなくても行くっつーの。てめェなンかにゃ任せておけねーからな」

 三森はぶっきら棒に言い放ち、顔を背ける。

「素直に一が心配だと言えば良いだろう、三森。だからいつまで経っても怖がられるんだ」

 バッと振り向く三森。顔は真赤だった。

「しっ、しん!? 馬鹿野郎、心配なンかしてねーよっ! 私はただ、こいつが行くより私が行った方が問題なくヤれるって言ってンだ!」

「分かった分かった。ほら、ソレはまた公園に出たそうだぞ」

 店長は三森を軽くあしらい、早く行けと言わんばかりに手を振る。

 三森はそれ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、舌打ちしてバックルームから出て行った。

「……あの、店長」

「なんだ? ん、顔色が少し悪いな、一」

「ソレが出たって公園、もしかして中央の公園ですか?」

 知らずの内、一は拳を強く握り締めている。

「知っていたのか? ああ、そうだ。一昨日からな、その公園にソレが出続けているようだ。まあ、心配要らん。昨日もゴーウェストが行ったが、取るに足らない雑魚だったらしい。三森なら五分も掛からず終わらせてくれるさ」

「そう、ですか」

「おい、一。お前、もしかして何か絡んでいるんじゃないだろうな?」

 ――相変わらず、妙に鋭い人だ。

 一は店長の視線から逃れるようにロッカーへと目を向ける。

「何でもかんでも俺のせいにしないで下さいよ。それより、仕事しなくて良いんですかね? もう時間なんですけど」

「……とっくに勤怠は登録してやったぞ。おら、とっとと行け」

 店長からの追求は無い。後が怖かったが、一はいつもより短い時間で制服に袖を通し、背中に突き刺さる視線を受け止めながらフロアへと出た。



 ソレが出たという公園に出向いて、ソレを見つけて、火を灯して、点けて、燃やして終わり。

 事前に店長から聞いてはいたが、簡単過ぎる。

 ソレの燃えカスと、立ち上る煙を見つめながら、三森は肩透かしを食らった気分に陥っていた。

「ちっ」

 ジャージのポケットから煙草を取り出し、火を点ける。口に銜えて燻らせるも、何だか、いつもより味気ない。一仕事終えた。そんな感慨は驚くほど、全く湧いてこなかった。

 遭遇したソレは一体だけ。もう三日続けて、この公園にはソレが現れているらしい。もしかしたら他にも何かが潜んでいるかもしれない。そう考えて、散歩を兼ねて念の為に公園全体を見て回った。が、ソレの気配はおろか、自分以外の生物の気配すら感じ取れない。

 これ以上の探索捜索詮索、その他一切の行為は無意味だと諦め、手近なベンチに腰を下ろして夜空を見上げる。月は雲に隠れていて、星だってまともに見えなかった。だが、三森は何も思わない。どうでも良いのだ。もし、月がくっきりと空に浮かんでいて、星だってまともに見えたとしても、彼女は何も思わない。どうだって良いのだから。



 夜を越え、日を跨いて次の日。

 太陽が駒台の空の真上に位置した頃、一は中央公園に足を運んでいた。彼が目指すは、二日前にヒルデと出会った、公園内のベンチである。

 ヒルデが随分と気に入っているストリートミュージシャンの歌声を、二人で一緒に聞く約束を確実に果す為、一は二日前よりも早くにその場所までやって来た。まるで、デート。と言うか、それ以外の何物でもない。しかし、彼の気分は決して晴れやかなものではなかった。

 ストリートミュージシャン。

 聞く者の自由と魂を奪う、素晴らしい(・・・・・)歌声。

 だったのだが、一は知ってしまっている。声の正体は不機嫌な顔を常に張り付かせ、他人を寄せ付けない大物ぶった威圧感と大量のアクセサリーを身に纏い、それでいて嫌に人懐こく、初対面の人間にエセ関西弁で話し掛けてくる少女だと言う事を。

 あまつさえ、彼女は自らをセイレーンと呼ばれるソレの血が混ざった、半端者(ハーフ)だと、そう名乗っていた。

 ヒルデにはとても見せられない。知られたくない。彼女の純真な幻想を打ち砕きたくはなかった。彼女は、下手をすればコウノトリやキャベツ畑を信じている。近頃の小学生でも信じない様な馬鹿げた話でも、彼女ならば「…………そうなの?」 と、信じてしまう。一はかねてよりヒルデから、そんな危うさを感じ取っていた。

 だからこそ知って欲しくない。素晴らしい歌声の持ち主が、実は男女が仲良くしているのを毛嫌いしていて、あまつさえ自分の歌で邪魔してやろうという気概の持ち主だと言う事を。

「…………ん」

 俯いて考え込んでいた一の頭上を影が覆った。顔を上げれば、眠そうに瞼を擦る待ち人がいる。

「あ、おはようございます」

「…………寝てたの?」

 ヒルデは一の隣に腰を下ろし、心配そうに見つめてきた。

「いえ、ちょっと考え事をしていて。あ、それより……」

 一はヒルデの着ている、真っ白な、ウールチェックのトッパーコートに指を差す。

「コート、着てるんですね」

「キミが言ったんじゃない……」

 拗ねたようにヒルデが言うので、一は少しばかり焦った。

「ああ、すみません、そうでした。……その、良くお似合いですよ?」

 本心から出た言葉である。

 今日のヒルデは、何だかいつもとは違っていた。少なくとも、昨日一が見たパジャマ姿とは雲泥の差である。赤み掛かった茶色の髪、透き通る様な白い肌と白いコート。首元には温かそうなオレンジ色のマフラーをしており、彼女は時折目を細めてそれに頬ずりしている。視線を足元にずらせば、これもまた温かそうな、トグルボタンの付いたファーブーツ。

「……そう、かな?」

「ええ、本当に。どうしたんですか、それ?」

「…………えへへ、あの、ね。今日の事を戦乙女のみんなに言ったら、買い物に付き合ってくれたの」

 一の脳裏に、ニット帽を被った女、顔を包帯で隠した女、目が虚ろだった女の三人が浮かんできた。

「へえ、良かったですね。あの、でも……」

 ヒルデは小首を傾げて一を見つめる。

 指摘するのが心苦しかったが、一は心を鬼にした。

「なんで、下にパジャマ着てるんですか?」

 それでもヒルデは、首を傾げたまま一を見つめていた。



 五分ばかりの、夢の様なコンサートは終わった。

 ヒルデは満足げに息を吐き、先ほど一が買ってきた缶の緑茶に頬を当てている。

「…………良かったね」

「ええ、そうですね」

 こうして、誰が歌っているかも分からない、遠くから風に乗ってくる歌声だけ聞いていれば何の問題も無い。一はチアキの顔を頭の中から追い出して、耳に残っている声だけに集中していた。

 別段、一はチアキの事が嫌いなのではなかったが、どうにも苦手なタイプではある。不機嫌な顔が似合うくせに、人懐こい笑顔も似合う。男女が仲良くしてるのを嫌いだと言うのに、男である自分に話し掛けてくる。矛盾を孕んだ、どこか不安定な印象を彼女から受けていた。

「本当、良い歌です。聞いた事は無い歌ですけど」

「……恐れず来たれ、聖徒」

「え?」

「そういう、題名だったと思う」

 ヒルデは目を瞑りながら、愛しげにその名を呼ぶ。

 ――恐れず来たれ、聖徒。

「有名な歌、なんですか?」

「賛美歌。聞いた事、ないの?」

「生憎と」

 怪物や幻獣が跳梁し、神や仏が跋扈するこのご時世(・・・・・)だが、一は無神論者で無宗教だった。神に縋っても、どうにもならない事を彼は知っている。いつだって、世界を動かすのは人間なのだ。人間を動かすのは、人間だけだ、人間以外の意志が介在してはならない。

 一はそう、思っていた。

「神様は、信じたくないんです」

「…………信じない、じゃなくて?」

 一は静かに頷いた。

「だって、嫌じゃないですか。ソレなんてモノが好き放題やってるのに、人間を助けてくれない神様なんて。俺は、嫌です。認めたくない」

 いる。神はいる。だけど信じたくない。それでももし、本当に()と呼ばれるものがいるのなら、憎みはすれど崇めはしない。讃えはしない、敬いもしない。この世界を放っておいた責任を問うて、呪い、恨み、出来る事なら、殺してやりたい。

「そう、なのかな」

 ヒルデは悲しそうに俯く。

「ヒルデさん?」

 ヒルデが悲しむ理由が分からなくて、一は彼女に向かって手を伸ばした。が、その手は虚しく空を切る。

「…………私は、信じるよ」

 ベンチから立ち上がったヒルデは一を見下ろしていた。彼女の瞳には、薄く憐憫の色がある。

「神様を、ですか?」

 哀れみの視線を向けられ、一の語気は僅かなりとも荒くなっていた。

「うん。キミは、本当に信じないの?」

「信じたくないんです」

「…………でも」

「多分、ヒルデさんが何を言っても、俺の考えは変わりません。もし、神様が俺の目の前に現れたとしても信じません。信じないまま殴ります、そいつを」

 一は少し、むきになっていたのかもしれない。

「ん。殴っちゃ、ダメだよ?」

「人に優しくない神様なんて、嫌いです」

「……えっと、神様にも色々いるから……」

「死神とか疫病神。この世界にはそんなのしかいないんですね」

「…………で、でも」

「優しい神様なんていないんだ。いたなら、俺たちがこんな酷い目に遭わなくて済んだのに」

 ソレと戦わなくても、死なされなくても、殺されなくても良かった。ソレになんてならなくて済んだ。

「ねえ、そうじゃないですか?」

 同意を求めてヒルデを見れば、彼女は瞳いっぱいに涙を溜めている。

「う、ええっ? なんで泣いてるんですかっ?」

「……だって」

「ヒルデさんが泣く事ないでしょう……」

 ヒルデはぽろぽろと涙を零し、頬に伝うそれを気にもしないで言葉を紡いだ。

「…………きょ、今日のキミ、な、なんだか違うよ。こ、恐い。恐いよ」

 やっと、一の頭が冷えてくる。

「あ、ご、ごめんなさい。俺、ヒルデさんを恐がらせるつもりは……」

 しどろもどろになって弁解するも、もう遅い。ヒルデは涙を流し続けて一を睨み付けている。

 でも全然恐くなかった。むしろ可愛らしい。一は頬が弛んでいくのを我慢しながら、それでもヒルデが怒っているのだと理解する。

「…………な、なんで笑ってるの?」

「笑ってませんってば。それより、ほら、使ってください」

 一はポケットからハンカチを取り出した。ちなみに、ハンカチは彼の持ち物ではない。ジェーンに常日頃持たされているのだ。ジェーン=ゴーウェスト曰く、ハンカチの一つも持っていない男は紳士失格、らしい。

「い、いらない……」

 ヒルデは一瞬手を伸ばしかけて、引っ込める。

「そのままじゃ美人さんが台無しですよ」

 泣いている顔も中々、こう、来る(・・)ものがあったが。

「……私、美人じゃないもん」

「充分綺麗ですってば。そんな事言って、全世界の女性を敵に回さないでくださいよ」

 一の歯の浮くような薄ら寒い台詞に、ヒルデは肩をぴくりと震わせた。

「ほ、本当に?」

「ええ。だから、ほら」

「……………………ん」

 長い逡巡のあと、ヒルデはハンカチを受け取る。

「…………でも、まだ許さない」

「う」

 恨みがましく見つめられ、一の心に罪悪感という名の刺が突き刺さった。

「どうしたら許してくれますか?」

「…………ん。それは、んん…………」

「?」

「…………………………すう」

「話の途中で寝ないでくださいよっ」

 しかも立ったまま。

「…………ん。つい」

「そんなに眠いんですか?」

 ヒルデはゆるゆるとした動作で頷き、そのまま安らかな寝息を立て出した。

「ウェイクアップ!」

 びくりとヒルデの体が跳ねる。

「…………なんだか、泣いたら疲れちゃった」

「虚弱過ぎますよ」

「キミが泣かしたのに……」

「だーかーら、俺はいったいどうしたらヒルデさんに許されるんですか?」

 悪いのは百パーセント自分だとは分かっているのだが、一はそろそろ面倒臭くなってくる。

「……そんなの、キミが考えてよ」

「うーん。じゃあヒルデさんの好きなものを教えてください」

「…………ん。好きなもの?」

「食べ物とか」

「……えーと」

 ヒルデは顔を綻ばせ、目を瞑った。

「えーとね、私は……」

「はいはい」

 しかし、ヒルデは何かに気付いたみたくハッとして、一を見据える。

「…………キミ、物で釣ろうとしてない?」

 一は小さく舌を打った。

「わっ、私好きなものなんてないよ……」

「うっ。なんか今日は手強いな」

「好きなものなんて……」

 そこで再度、ヒルデはハッとする。何か思い付いたのだろうか、悪戯っぽい笑みを浮かべ、ふふんと可愛らしく鼻で笑った。

「……私、歌が好き」

 一の表情が強ばる。

「歌、ですか」

 こくんと首を振り、ヒルデは愉しそうに微笑んだ。

「…………うたって」

「やっぱり……」

 それなりの予想は付いていたのだが、一はげんなりする。

「まあ、罰ゲームだと思えば。ちなみに、どんな歌をご希望ですか?」

「ん…………」

「あと、勝手ながら今、ここで、って言うのはちょっと」

 流石に衆人環視の中では恥ずかしい。

「じゃあ、今度家でうたって?」

「ああ、それなら――」

「子守歌が良いな」

「――や、ちょっと……」

 恥ずかし過ぎる。適当に短い曲でお茶を濁そうとしていたのに。

「…………ちゃんと枕元で」

 何がちゃんとなのだろうか。

「あの、勘弁してください。子守歌とかは……。他のジャンルなら何でも良いです。ええ、この際演歌でもロックでもポップスでも。何だったらヘヴィメタルだってお聞かせ出来ますよ」

 だが、一の必死な哀願を受けて尚ヒルデは笑った。

「…………ねーんねん、ころーりーよー」

「嫌だあ!」

「私がレム睡眠に入るまでお願い、ね?」

「そんなの判断出来ないじゃないですか! ゆっ、許してくださいっ、土下座します。土下座しますから! ほらっ見てください、すごく綺麗に地面に頭擦り付けますから!」

 日頃糸原に虐げられている成果を役立てる時が来た! 一はここぞとばかりに自分の土下座スキルがいかに高いかを説明する。屋外でだって固い床の上でだって、その気になれば焼けた鉄板の上でだって。どんなに過酷な状況、条件であっても自分には最高の土下座を披露出来る力量があるのだと熱く語った! びっくりするくらい情けない。

「…………私は歌が良い」

「はあ、はあ……。こ、こんなにしゃべったのに……」

 ヒルデは肩で息をする一に愛想を尽かしたのか、背を向けて歩き出す。

「ちょ、ヒルデさん!?」

「…………ごめんね。今日は疲れちゃった」

 振り返らず、そのまま歩き去っていく。追い掛ければすぐに手が届くのに、一は何故か足を踏み出せなかった。ただ、ヒルデの背中を立ち尽くして見送るだけ。



 一はすっかり意気消沈してベンチに座り込んでいた。近付き難い雰囲気を作り出して他人を寄せ付けない。道行く人も、なるべく彼の姿を視界に収めないようにしている。

 自己嫌悪に苛まれ、一は暗く淀んだ、死んだ魚もどうかと思わせる目で溜め息を吐いた。

「みんな死ねば良いのに」

「ドンマイ!」

 物騒な事を口走った一の丸まった背中を誰かが叩く。

「……ってえな」

「くふふふ、いやあ、ええもん見せてもらったわあ」

 振り向けば、心底から楽しそうに笑う少女がいた。一は彼女を見て嫌そうに顔を歪める。

「……お前か」

 少女は歌代チアキであった。昨日付けていた物とは違う形のピアスを弄び、からからと笑っている。

「おっす。師匠、今日はご機嫌うるわしゅー?」

「ねえよ。帰れ帰れ、今はお前と遊んでる余裕はないんだ」

「そんなん言わんといてやー、うちと遊ぼうやー」

 チアキは一の隣へ図々しく座り、彼の肩を何度も叩いた。

「ええい、欝陶しい」

「なんや、女に振られたぐらいやん。気にせんでええって、女なんて星の数ほどぎょうさんおんねんから!」

「お、お前見てたのか……?」

「そりゃもうバッチリと。きれーな人やったなー、なんやボケっとしてはったけど。にしても、くふふ、師匠の顔! いやあ、明日世界が終わるって聞かされても、あんな酷い顔にはならんのとちゃうか?」

 一は肩を落として深く息を吐く。見られていたのか。よりによって、あの場面を。

「……覗き見とは、中々趣味が良いじゃんよ」

「だーかーらー、気にしたらあかんって。そもそもやで、男女の間に友情なんて成立せえへんねんから。師匠だって下心あってんやろ?」

「無いね。俺とヒルデさんは友達だ」

 全く無いとは言い切れなかったのだが。

「……嘘や」

 チアキは笑顔から一転、不機嫌な表情になる。一を睨み付けて、

「ありえへん」

 冷淡に言い放った。

「……だったら、こうして喋ってる俺とお前はどうなんだよ? あ、俺にはないからな、下心」

「うちらは師弟関係やからええの。師弟の絆は友達や家族よりも厚いんや」

「都合の良い奴だな」

 一は呆れるより、チアキの柔軟さに感心してしまった。

「おう。うちは都合の良い女やで、どやどや、今ならお買い得ー」

 また、チアキは笑う。怒ったり笑ったり、コロコロと変わる表情が少し面白くて、一は思わず、彼女につられて笑ってしまった。

「今持ち合わせがないんだよ。また今度な」

「そん時には売り切れてるかも。うち、人気者やからなあ」

「まあ、その時はその時だな。すっぱりばっさり、潔くお前の事は忘れて諦めるよ」

 一は立ち上がって体を伸ばす。凝っていた筋肉が解れていくのが気持ち良い。

「あ、なあ師匠。今日もうちの歌聞いた?」

「ん? ああ、聞いたよ」

「ホンマ? なあ、なあなあどうやった?」

「うーん、良かったんじゃないかなあ、とは思うよ」

 素直に「良い」と言うのが悔しいくらいに。

「くふふー、せやろー?」

 一の遠回りな感想でもチアキは嬉しいらしい。無邪気に笑い、ベンチからぶら下がっている足を犬の尻尾みたくパタパタと振っている。

「……そうだ。お前さ、前からここでうたってるのか?」

「ううん、ちょっと前からやで。せやなー、一ヵ月くらい前、やったかな?」

「ふうん? お前引っ越してきたのか?」

「……んー、そんな感じかなあ」

 快活な彼女にしては、歯切れの悪い言い方だった。

「なあ、ししょー、なんでそんなん聞くん?」

「あー、いや、この辺さ、夜になると危ないから」

「なんか出んの?」

「ソレが出るらしい。確か、三日か四日ぐらい前からだったかな、連続して出現してるんだって」

「……師匠、なんでそんなん知ってるん?」

 チアキに尋ねられ、一は自分が勤務外だと告白しようか迷って、止めた。

「勤務外の知り合いがいてね。危ないから気を付けなって言われたんだ」

「……ふーん」

 一は見逃さなかった。『勤務外』だと言った直後のチアキの目を。彼女の瞳には確かに敵意だとか、殺意だとか、良くないモノが映り込んでいたのだ。

 一は正直に言わなくて正解だったと、直感で理解する。

「まあ、そういう事だから気を付けろよ」

「うちは平気やけどなー」

「弟子一号、師匠の忠告は聞いとくもんだぜ」

「……うーん、まあ、師匠がそんなに言うんやったら気ぃぐらい付けたろうかなあ」

 チアキは神妙な顔で曖昧に頷いた。それも束の間、パッと瞳を輝かせて一に笑い掛ける。

「あー、師匠、うちに惚れたんか? あかんあかん、うちは弟子で師匠は師匠やからな。恋愛感情は現金持ってこられても厳禁やでー」

「……残念でした。俺のストライクゾーンは限りなく狭いんだよ。お前はキャッチャーミットにすら納まらない大暴投だっつーの」

「なんか、それはそれで腹立つなあ……」

 結局、一はそのままチアキと話し続けた。関西人について、嘘を五割混ぜて教えてからかったり、ヒルデの事を聞かれてからかわれたり。

 チアキとの、日が暮れるまでの時間。楽しくなかったと言えば嘘になるが、どうしても、彼女の瞳に一瞬だけ宿った感情が、一の胸に暗い影を差す。

 敵意とも殺意とも取れる色を滲ませた、刃物の様な鋭い視線。

 チアキは明らかに、勤務外に対して反応していた。一は会話の端々にそれらしい単語を混ぜ、どんなに小さな彼女のリアクションでも見逃さない様にしていたが、この日はもう、何の反応も見せてくれなかった。

 いったい何だったのだろう。勘違いだったのだろうか。

 分からない。一は考えるのを止めて、この日の会話を打ち切る。また明日と口約束をしてからチアキと別れて、家に帰り、糸原に遊ばれる。ヒルデやチアキの事が気になるが、明日は大学に行こう。そう思って、布団の中で目を瞑った。



 その日の夜、駒台の中央公園にソレが出た。

 オンリーワン北駒台店からは勤務外店員として、ジェーンとナナが当たった。

 彼女らの話によると、相手は大して力を持たない、日本古来の妖怪だったらしい。

 が、これで四日連続である。ソレが件の公園に出てから、もう四日だ。

 オンリーワン近畿支部も、何かあるとしてこの事態を異例と見たのか、問題解決の為に一人の社員を送り出す事になる。

 その人物、オンリーワン近畿支部、戦闘部一課実働に所属する『(ひつぎ)』と呼ばれる男。

 ……彼を知る人間は、彼について尋ねられると口を閉ざし、それでも尚開くならば、彼の事を『最低』と呼ぶ。

『最低の棺』だ、と。

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