28じゃなくて3日後
「先輩、私は最近有名になりたいと、とみに思うのだ」
学校にはあまり来たくなかった。それでも、生命の危機より、単位が足りないと留年してしまうと言う危機感から、一は大学に来ている。既に、『館』が北高を襲撃してから三日経っていた。
「有名ねえ。もう充分フットサル界じゃ有名じゃないのか?」
「違う。もっとこう、大衆に愛される様な存在になりたい」
「ふーん、アレか、お前芸能界とかに興味あんの?」
今日受けるべき分の講義は終わっている。楯列はとっくに帰っていたが、一は部活に行くと言う早田に付き合い、門までは遠回りをしてグラウンドまで向かっていた。
「どうだろう。確かに興味はあるのだが、自分からはその道に進みたいとは思っていない」
「……だったらスカウトとか?」
隣を歩く早田早紀は、黙ってさえいれば、そもそも、この尊大な喋り方さえ矯正すれば、背が低く、肌が健康的に焼けていて、そこそこに可愛い部類に入るのではないかと、一はそう思う。
「スカウト?」
「良く聞くじゃん。街で歩いてたら芸能のスカウトに声掛けられてはい芸能界デビューっての。まあ、この辺じゃ駄目だろうけど」
「そうか、だから私に声が掛からなかったのか。もっと都会っぽいところを歩くべきだった。いかんいかん、私とした事が、これは猛省すべきだな」
「試してたのかよ。やっぱ興味あるじゃん」
先ほど学内のコンビニで購入したコロッケパンをビニール袋から取り出し、袋を開けた。
「私も女だからな。信じられないのなら、どうだ先輩、試してみるか?」
「何でこう、いつもいつも下ネタに持っていこうとするんだよ。そんなだから彼氏の一人も出来ないんだお前は」
「愚問だな、私は先輩以外の男など必要ない。世界から全て消え去ってくれても良いとさえ思っている」
「お前が消えた方が世界にとって有益だな」
コロッケパンに被り付く。まずくはなかったが、やっぱり、温めて貰えば良かったと今更ながらに思う。
「先輩先輩」
「何だ後輩」
くいくいと、早田に袖を引っ張られた。
「一口分けてくれ」
「……やだよ。お前の口すげえでかいじゃん」
一は前に、ハンバーガーを一口で半分持っていかれたことを思い出す。
「なっ、乙女の口が大きいなどと。先輩は本当に下種だな。まあ、そんなところも好きなのだが」
「おだてても何も出ないぞ。今から買って来れば良いじゃん。まだ部活始まるには時間あるだろ」
「私は今猛烈に先輩のコロッケパンが欲しいのだ。自分で買ってきても仕方あるまい。それとも何か、先輩は私が部活中に栄養失調で倒れても構わないと言うのだな?」
「コンビニのパン一口で栄養なんて補給出来るかよ」
縋る早田を無視して、一は半分程度コロッケパンを飲み込んだ。
「甘いな先輩。私が補給するのはパンではない。先輩の愛だ。私にパンを分けてくれるという先輩の行為と好意がどこまでも私を強くする。具体的には戦闘力五十三万くらい強くなる」
「わー、具体的だー」
「とにかくパンをよこせ先輩。私は小腹が空いたのだ」
「お前が本当に俺の事好きなのかどうか、最近分からなくなる」
仕方ないので、一は袋ごとコロッケパンを渡す。
「流石先輩だ。私の様なしがない雌豚にさえ気に掛けてくれるとは。この恩は私のつまらない一生を掛けても返しきれる物ではないな。という訳で先輩、私を嫁にしてくれないか?」
「食べないならパン返せ」
早田は黙って、素直にパンに口を付けた。口が大きいと言われたのを気にしているのか、もそもそと、小動物みたいな仕草でパンを食べ始める。
「……ホント、黙ってりゃ可愛いのに」
「ふぁふぃふぁふぃっふぁふぁ?」
「飲み込んでから口を開けなさい。あー、ほら、パン屑が零れてる……」
「ん。んん。先輩にみっともないところを見せてしまったな。しかし、これで先輩の私への愛が確保出来た。部活にも安心して精を出せるというものだ。本当に先輩に対しては感謝の念が堪えない。ところで先輩、喉が渇いてしまったのだが」
「唾でも飲んでろ」
「先輩の吐いた唾ならむしろ望むところと言えるだろう、さあっ」
一は頭を掻き、鞄からペットボトルのお茶を取り出した。
「おお、先輩は準備万端用意周到だな。真の紳士だ。男の草分け的存在な先輩、ありがたく頂こう」
「取って付けたような誉め言葉ありがとう」
早田はペットボトルの蓋を開け、飲み口に何度も何度も舌を這わせる。真顔で。何だかとってもエロかった。
「……あのさ、何してんの?」
人目があるので一は自分よりも小さい早田を物陰に隠しながら聞いてみた。
「うむ、やったあ先輩と間接ディープキスだー。と思って」
「君には恥じらいって物がないんだね。お兄さんがっかりだよ」
「あー、そうか。先輩はそっちの方がお好みだったか。早紀失敗☆」
「舌出すなボケ。引っこ抜くぞ」
早田からペットボトルを取り上げて一はゴミ箱に視線を遣る。少し迷ってから、捨てた。
「あああああああああ! 折角私の唾液をまぶしておいたのに!」
「大声で馬鹿な事喚くんじゃねえよ!」
大学は楽しい。一は内心、そんな事を思った。
早田と別れ、一は帰路に就く。その途中、大学内の喫煙所に良く知った顔を見かけた。声を掛けようかどうか迷って、結局声を掛けることにする。
「お前、煙草なんて吸うんだな」
喫煙所のベンチに座る春風。珍しい光景だった。ちょっとテンションが上がったが、それが悔しくて、一は彼女に背を向ける形でベンチに腰掛ける。
「やはり声を掛けてきたか、一一」
春風は三日前と相変わらず、無感情な声で、恐らく無表情に口を開いた。
「なんでお前が俺の大学にいるんだよ?」
「ふん、私を誰だと思っている。オンリーワン近畿支部情報部二課実働所属春風麗だ。好きなようにやらせてもらうさ」
「……それで、なんでここにいるんだよ?」
「先日の『館』についてだがな」
その言葉に、一は思わず口を噤む。
「調べる内、色々と面白い事が分かったのでな。伝えてやろうとわざわざここに来てやった」
「大学にか?」
「場所はこの際関係無いだろう。それよりも、聞きたいのか? 聞きたくないのか?」
どうせ、聞きたくないと言っても無理矢理聞かせるんだろう。一は苦笑し、続きを促した。
オンリーワン北駒台店、バックルーム。
「お疲れ様でした」
「ああ、ご苦労」
バックルームを出て行く神野の後姿を眺めながら、店長は煙草に火を点ける。
「……ボス、ケムいんだケド」
「ならフロアに行けば良いだろう」
わざとらしい手振りで紫煙を扇ぐジェーンに一瞥をくれ、店長は椅子に深く腰掛けた。
「ゴーウェスト、神野たちの様子はどうだった?」
「ンー、いつも通りヨ。あんなことがあったのに、最近の学生ってストロングなのネ」
「お前の方が年下だろうに」
「そーだったカシラ」
ジェーンは店長の隣のデスクで書類とにらめっこしている。伝票整理やレジの点検表と言った雑務。本来なら、店長がやるべき仕事であった。
「こっちはてっきり、あいつらには心が弱ったので休みを下さいとでも言われると思っていたんだがな」
「お仕事が増えなくて良かったじゃナイ」
「その言い方では、私がまるで仕事が嫌いだと言っている様なものだな」
店長は喉の奥でくつくつと笑う。
「あれから三日ネ。本当、お兄ちゃんが無事で良かった」
「アラクネ以来だったな。中々でかい事件だった気がする」
「アラクネ? あー、アタシがいなかったころのヤツね」
ジェーンは少しだけ書類から目を上げ、またすぐに作業に取り掛かった。
「あの頃に比べれば、随分と人数は増えたがな」
「フフン、アタシたちのお陰で楽になったでshow?」
「……ああ、まあな」
人が増えた分、面倒事も増えてしまったが。店長は煙と一緒にそんな言葉も吐き出す。
「……そーいえば、タチバナたちはいつまでスクールが休みなの?」
「今日までと聞いたが、あんな事があったんだ。昨日の今日で事件現場に行きたくないだろうさ。学校なんて当分はまともに機能しないだろうな」
「ラッキーじゃナイ、休みがもらえて」
「ああ、これで神野たちを働かせやすくなるな。一の作ったシフト表には悪いが、やりたい放題回すとしよう」
怪しい会話を交わしながら店長と社員は笑うのであった。
「火祭愛美、馬越泰江、嵐山明衣」
春風はぽつりと、三人分の名前を挙げた。
「あー、誰それ?」
「魔女の名だ」
「……魔女? 魔女って『館』の?」
「それ以外に誰がいる」
春風がさも当たり前に言うので、一は納得せざるを得ない。が。
「え、いやおかしいだろ。何でソレが人間の名前持ってんだよ」
「別におかしくはないだろう」
「……ん、ああそうか。コードネームとか、そんな感じか」
「いや、魔女の本名だ」
「本名?」
益々意味が分からない。
「一一、貴様は人間だろう。人間から人間が生まれ、生まれた人間に名前を付ける事の何がおかしい」
「……なあ。まさか魔女って、人間なのか?」
「少なくとも、『館』の三人はな」
春風の持っている煙草の煙が、風に揺れる。
「もっと詳しく説明してくれよ……」
「キルケ、パシパエ、カリュプソ。この三人が『館』内で死亡が確認されている」
「キルケってのは人間を豚にしちまう奴だよな」
思い出したくもない。
「ああ、そうだ。火祭愛美だ」
「……つまり、キルケって魔女は火祭愛美って人間って事なのか?」
「……貴様は魔女について大きな誤解をしているようだな」
無感情な声。それが一の感情を逆撫でる。
「してねえよ。要は魔法が使える女のソレだろ」
「違う。魔女とはソレではない。人間だ」
「……はあ?」
「ヨーロッパで、十五世紀から十七世紀に掛けて多くの人々が魔女の嫌疑を掛けられ、宗教裁判などで処断されたのを知っているだろう」
「知ってるよ。魔女狩りだろ、中学で習った。本当は魔法なんて使えないマイノリティの人たちが犠牲になったんだってな」
馬鹿にされたくなくて、一は頑張って記憶からそれだけを引っ張り出した。
「ふっ、そうでもない。多くは貧民階級の、更に言えば高齢の女性が告発される傾向にあったようだな。他にも同性愛者や姦通者、果ては隣人の恨みを買った人間などなど。魔女のバーゲンセールだな、くだらん」
「……あと、アレだろ。助産師みたいな人たちが槍玉に挙げられてたんだろ。中途半端に賢くてモノ知ってたから」
「いや、良く聞く話だが、実際の裁判記録ではそうでもない。産婆や助産師、占い師、いかにもな職業の人間はそこまで告発の対象にはなっていなかったそうだ。聞きかじりで知った風に話すのはどうかと思うぞ、一一」
「失礼しました……」
結局馬鹿にされてしまう。どうも、ナコトや春風とは相性が悪い気がした。
「つまりだな、魔女なんて殆ど実在しないと言う事だ。考えてもみろ、彼女らが本物なら裁判に大人しく掛けられる物か」
「……でも、『館』は」
「偽者だ。キルケは人間を豚に変え、パシパエは体から虫を湧かせ、カリュプソはモノを隠す力を持っている。だから彼女らが人間ではない、魔女だと言うのか?」
春風は煙草には口を付けないまま、無感情に話を続ける。
「ならば、体から火を出す女も魔女か? 狼の血が流れている女も魔女と呼べるのか? 違うだろう。彼女らも立派な人間だ。決して魔女と呼ばれるような器ではない」
「言い包めようとしても無駄だぞ。本物の魔女でもなけりゃ、あんな事出来るもんか。あの日、何人死んだと思ってんだ」
「……火祭愛美は幼少のみぎり、家族を強盗に殺されたそうだ」
「なんだよいきなり」
一を無視して、春風は口を開いた。
「馬越泰江は家族に捨てられ、嵐山明衣は十代の頃に異性から酷い暴行を受けたと聞いている」
「……だから、なんだってんだよ? まさかお前、同情でもしろって言うつもりか?」
「いや、ただ、ただの人間が力を得て魔女になる。一体どんな状況に追い遣られればそんな事を思い付くのだろうと思ってな」
殺されたから殺す。捨てられたから捨てる。やられたらやり返す。
「お前も何か、自分がやられたら他人にやり返しても良いと思ってるのかよ」
「馬鹿な、有り得ん。私たちは人間だぞ。いかなる理由があったとして、殺人は決して許される行為ではない。法で定められているからな、ルールには従うさ。この世界で真っ当に生きていく為のシンプルなルールだ。それが守れない奴は人間ではない」
「そうかよ。で、結局何が言いたかったんだ? 俺らが殺した三人の魔女は、実は昔酷い目に遭っていた人間でしたーってか」
「概ねそんな所だ。一一、貴様の説明は実に分かりやすい」
一は舌打ちして、小さな抵抗を示した。
「生存者から話を聞いた限りでは他にもまだあるがな。貴様も今回の事件について疑問を抱えている筈だ。まず、『館』が北高の創立記念日に来襲した理由」
「……偶然だろ。フリーランスがそんな都合良く動いてくれるのかよ」
「そして、骸骨型のソレの不可解な動きだ」
「骸骨の?」
「ああ。私は動いているところを見た訳ではないが、数少ない生存者の話によると、どうにも、奴らは扉を開けられない様子だったらしい」
春風は淡々と喋る。そうしている間にも煙草は短くなり、彼女はそれを捨てて、新しい物に火を点けた。
「……扉を開けられないって、そんな事ないだろ。幾ら自分の骨が脆くても、剣なんて持ってた訳だから無理矢理こじ開けられるし、窓だって割れるじゃないか」
「それがそうでもないらしい。現に、生存者の九割が室内にいた者だけだったからな。教室、体育館、トイレ。ドアのあるところに隠れていた者だけが助かっている。外にいた者は大抵死んでいた。一一、貴様も見ただろう?」
グラウンドでの、あの地獄を見た。一は頭を振り、陰惨な光景を脳内から振り落とす。
「それも偶然だろ。確かに、骨は『館』が操ってたっぽいけどさ、そんな事する理由ないじゃねえか」
「陣もそうだが、恐らくは学校の事情に詳しい者の手引きがあっただろうな」
「内部、犯?」
「さあな。だが、『館』の魔法陣が発動したのは午前三時頃。学校への出入りが禁じられたのが午前九時。部活の始まる時間帯だったそうだ。『館』が何時から侵入していたのかは知らんが、黄衣ナコトの話からすると、今回のは大掛かりな陣だったらしい。少なくとも前日には何者かが陣を仕掛けていたと思われる」
楽しそうに喋る奴だと思いながら、一はポケットから飴玉を取り出し、包み紙を開いた。
「警備員からはろくな情報が聞き出せなかったがな、少なくとも午前三時までに不審者や部外者を見てはいないらしい」
「内部犯ねえ。まあ、確かに。ふらふらと動いてるように見えて『館』は自分たちから姿を見せてたしな。学校の地理なんかは把握してたのかもしんないな」
「……確証は無いがな、もしかすると生存者の中に『館』が紛れているかもしれん」
飴玉を舌で転がしながら、一は春風の顔を盗み見る。無表情だった。
「そりゃ無いだろ。だって自分だって骨に殺されちゃうかもしれないし、バレるかもしれないじゃん」
「少なくとも、魔女は骨を操れるらしいがな。しかしこう考えてみてはどうだ。骨は魔女には危害を加えない。だが、魔女でないモノには危害を加える、と。内通者が一般人ならば、骨共には区別が付くまい」
「そんな事言われてもなあ」
「だから、魔女は骨に扉を開けるなと命令していたのではないか? 一般の内通者の命を守る為に」
「魔女が? 一般を守る為に? だったら最初から学校なんて襲う筈ないだろ」
馬鹿馬鹿しい。一は飴玉を少しずつ溶かしていく。
「ならばこう考えてみろ。その一般は魔女の弟子だったとな。ならば納得がいくのではないか? 一般は一般でも、『館』の一員なら魔女だって守らざるを得まい」
「……でも、結局は推論だろ? 納得出来るっちゃ出来るよ、それが本当ならな。辻褄も合うし」
「創立記念日に事を仕掛けたのは、学内の人間の犠牲を少しでも減らす為、か?」
「結局犠牲者は出てるんだ。都合の良い解釈だよ。本当は何も考えてなかったのかもな」
「かもしれんな。だが、そうかもしれない。『館』にも少しは良心が残っていたのかもな」
そんな事はない。あんなに楽しそうに人を弄んで殺せるんだ。一は奥歯を噛み締め、豚の様に死んでいった女子生徒を思い出す。
「お前が何を言いたいのか知らないけどさ。やっぱり、『館』は本物の魔女だよ。同情なんて出来ない。あいつらは人を殺したんだぞ」
「……一一、貴様にはそれを分かってほしかった」
「あ?」
「復讐だろうがなんであろうが、人間として生きる以上人間の法を破ってはならんとな。殺人など、その最たるものだ。人を殺してのうのうと生きるモノを私は許せん」
「……お前さ、確か家族をその……」
言い辛そうにする一を見て、春風は鼻で笑った。彼女にしては分かりやすい感情の変化。
「殺された。三森冬にな。だが安心しろ、復讐する気はない。嫌悪は目一杯しているがな」
「その話、本当なのか?」
「信じたくなければ信じるな。信じたければ勝手にしろ」
「いや、その割には三森さんと普通に喋るだろ。本当に嫌いなのかなって」
「仕事だからな」
春風は短く言い切り、二本目の煙草を乱暴に投げ捨てた。もしかして機嫌が悪いのだろうか。一は話題の選択ミスを少しだけ後悔する。
「えっとその、ごめん。やっぱり触れられたくない事だったよな」
「………………気にしていない」
「気にしてんじゃんよ。あー、それよりさ煙草吸わないのか? さっきから火を点けて持ってるだけじゃん」
我ながら無理矢理な話題転換だと、一は気恥ずかしくて顔をそらす。
「私は吸わない。情報部の仕事柄、臭いが付くと不便なのでな。居所がバレる」
「でもさ、煙草吸ってる忍者を漫画で見た事あるぞ俺」
「アレは忍者ではない。ファンタジーな世界だからな。問題ない。問題ないってばよ」
妙な語尾が気になったが、一は黙殺した。
「じゃあなんで煙草持ってんだ?」
「……この銘柄の煙草は弟が吸っていた」
「え?」
「家で良く吸っていた。どうにも、忘れられなくてな」
春風は三本目に火を点け、煙草の先から上る煙に息を吹き掛ける。
「ブラコンじゃん」
「否定はしない」
「……おい、まさか、お前の弟が俺と同じ大学に通ってたとか無しだぞ」
「否定はしない」
「しろよ」
「私の弟と、一一、貴様の顔は良く似ている」
吐き気がする。一は気持ち悪くなってベンチから腰を上げた。
「ふっ、冗談だ。弟は貴様とは似ても似つかぬ良い男だった。私には過ぎた弟だったよ」
「……これみよがしに煙草なんて持ちやがって。お前本当は身内自慢に来たんじゃないだろうな」
「さあな。だが、この時期になると感傷的になってしまうのは確かだ」
「……命日でも近いのか?」
「そんなところだ」
ゆらゆらと揺れる煙を眺めながら、春風は無感情に呟いた。
「しかし勿体ないな。吸えば良いのに」
「一一、貴様が来る前に試したのだが駄目だ、むせた。私の繊細な喉では耐えられない。勿体ないというのなら、どうだ、貴様が吸うか?」
目の前の、鉄仮面でも被っている様な無表情女がむせるところを想像してみると、一の溜飲は少しだけ下がる。
「自白剤とか仕込んでそうで嫌だな」
「面白そうだな。次の機会に試すとしよう」
「お前といい黄衣といい、俺の周りにゃ口の減らない奴ばっかだな」
言いながらも、一は春風から煙草を受け取った。
「でも俺禁煙してんだよな」
「知っている」
「嫌がらせかよ。まあ良いや一本くらい」
言い聞かせつつ、一は煙草に口を付ける。久方ぶりの喫煙はやけにきつかった。頭がくらくらして、気分が悪くなる。
「……うー、止めときゃ良かった」
「一一、煙草とは美味いのか?」
「あー、今はあんまり。知り合いに言わせりゃ百害あって一利無しだと」
「そうか」
そこからしばらくの間、二人が会話を交わす事は無かった。一は煙草を燻らせ、帰路に就く学生の流れを眺める。向かい合わせに座っている春風が何を考え、何を思っているのかは分からない。
家族を殺されても復讐なんて馬鹿らしい。どんな理由があろうと殺人は駄目だと、春風はそう言った。一はその通りだと思う。ナコトにも『館』にも悪いが、復讐なんて何も生み出さない。増えるのは死者と新しい憎悪だけで、なんとも馬鹿らしく非生産的な行動だとも。
「なあ、もし法なんて無かったらの話だけどさ。そしたらお前、復讐してたか?」
「さあな。全く分からん。一一、貴様こそどうなんだ?」
「……俺は家族を殺されてないからな、分かんないよ」
「ふっ、そうか。家族が健在ならそれに勝るものは無い。精々孝行にでも励め」
春風は立ち上がり、煙草の箱をスーツの内ポケットから取り出した。
「お前にしちゃ、随分とまともな事を言うんだな」
「そうか? いや、そうかもしれんな。……一一、貴様の故郷は駒台か?」
「……いや、違うけど。なんだよ、俺の事は調べてるんじゃないのか?」
「情報部の私にだって分からない事はあるさ。まあ良い、話は粗方終わった。ではな」
一は振り返らず手を上げる。彼女との別れに際しては、これが正解だと思っていたからだ。
「ふう……」
短くなった煙草の灰を落とし、吸殻を灰皿で揉み消し捨てる。振り返ると、やはり春風の姿はどこにもなかった。遠ざかっていく気配も、足音の一つもさせないで。
自分ももう帰ろうと思いベンチから立ち上がると、春風の座っていたところに彼女の持っていた煙草の箱とガスライターが置かれていた。一は小時迷い、それらをズボンのポケットにしまい込む。今度会った時には文句の一つでも言って突き返してやろうと思い、頭を掻いた。
今度。
その機会が与えられる事を疑わないで、一は歩き出す。
陽は沈みかけ、もうすぐ夜になる。とりあえずは、この街の未来を守ってくれた人たちに感謝をしながら、一はポケットから煙草を取り出し、火を点けた。口を付け、紫煙を吸い込む。
「……まずい」
勿体無かったが、煙草はすぐに捨てた。禁煙がいつまで続くは分からないが、少なくとも春風の弟が吸っていたらしい銘柄を吸う事はやめておこうと、そう思う。
今回、サブタイトルにはゾンビ映画などのタイトルを元ネタに使わせてもらいました。
でも、その手の映画を見た事はあまりありません。だって怖いじゃないですか。僕は人が無暗に死んだり無残に殺されたりするのが苦手なのです。血とか臓物出まくりとか。想像しただけで恐ろしい。よくもまあそんな残酷な話を思いついて、あまつさえ作品に出来るものです。