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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
がしゃどくろ
101/328

Dead Set

 友人が見えた。母が見えた。家族が見えた。自分が見えた。

 自分のアルバムの写真を無造作に選び抜いた、早送りのスライドショーを見ていた。

 遡り、巻き戻り、怒涛の如く押し寄せる情報の波。

 その中で、一つだけ輝く。

「かん、の……」

 今までで一番楽しかった記憶。一番悲しくて、一番嬉しくて、一番悔しくて。

 生涯を捧げたと言っても良い。剣道は自分の全てだと言えた。だから、一番は全てそこにある。仲間と一緒に竹刀を振り、仲間と一緒なら厳しい事だって乗り越えられた。

 剣道。

 神野剣。

 最初に彼を見たのは中学の時の大会だった。同中で自身に敵う者がいなかった。そんな中現れたその男。こっ酷くやられた。恥ずかしいぐらいに面を食らった。次元が、違う。その時はそう思った。でも、高校入学時、彼の名前を見つけた時は飛び上がるほどに喜んだ。これで一緒に剣を振れる。剣を交えられる。恋の様に、熱に浮かされ焦がれていた。

 追いつきたい。その一心で毎日を過ごした。だけど、彼は強くて、自分はとてもじゃないが追いつけなくて。それでも、満足で。



「安田っ!」

 振り返った神野が見たのは、崩れ落ちる安田の体。彼の体を通り抜けたのは、骨だった。形容しがたい速度と軌道で、何本もの骨はどこかへと飛び去っていく。

 鋭い骨に穿たれて、安田の全身は穴だらけで、血も噴出していた。そんな事には構わず神野は崩れそうになる友人を支え、抱きとめる。

「おいっしっかりしろ!」

 必死に呼び掛けるも、安田の目には生気がない。焦点の合わない視線を虚ろにさ迷わせ、縋る様に手を伸ばしている。神野はその手をしっかりと握り、何度も名前を呼んだ。

「すぐに病院連れてってやるからな!」

 安田の体からは血が流れ、肌の色も徐々に変わっていく。体温も下がり、呼吸も苦しそうだった。

「か、かんの……」

「心配すんな、お前は死なないから!」

「おれ……」

 背後で、三森たちの息を呑む音が聞こえる。

「みっ、三森さん、医者だ、医者を!」

 だが、三森は答えない。いや、「もう駄目だ」と言った。だから、神野は聞かない事にした。

 その間にも、安田は冷たくなっていく。心臓の鼓動が弱り、握り返す力すらまともには残っていない。彼の口から吐かれる息は小さく、細く、まるで、そこから命が流れているのだと、神野は思わされてしまった。

「し、しにたく、ない……」

「しなねえよ!」

 誰も当てにならない。頼りになるのはいつだって自分だけだ。神野は安田を抱え、正門を出ようとする。

「しにたくな――」

 安田の声が途切れたのを不審に思い、首を傾けた。何の事はない。体の中に骨がまだ残っていたのだろう。遅ればせながらの形で、彼の中からその骨が飛び出ただけだ。

「安田!」

 結果的に、それがとどめとなった。多量の骨が体を貫き、ショックで死んだのかもしれない。血を流し過ぎ、力尽きたのかもしれない。だが、死因を述べるにしろ、原因を探るにしろ、彼はもう、この世にはいない。

 神野が後生大事に抱えているのは、安田だった、友達だった、その抜け殻でしかなかった。



 声が渦巻く。たくさんの声。

 それは恨みだ。

 それは妬みだ。

 それは僻みだ。

 それは憎しみだ。

 憎悪で満ち溢れ、怨念がとぐろを巻き、敵意を以って仇視する。

『助けてくれ』

『生かしてくれ』

『誰か来てくれ』

 声が渦巻く。助けを求める声。

 だが、誰も声を聞いてはくれない。自分たちを見てはくれない。次第に、声は怨嗟の色を帯びてくる。

『殺してやる』

『憎んでやる』

『どうして自分だけ』

 黒い、黒い、黒くて堪らない。憎い、憎い、憎くて憎くて堪らない。殺したい、殺したい、殺したい、殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて堪らない。

 やがて全ての声は皆、同じ事を唱えていた。

 どす黒い感情は、皆、生きている者にぶつけられていた。

 自分は殺された。

 呆気なく野垂れ死んだ。

 学校で、日常の中で殺された。

 許せない。

 だから、皆も死のう。



 神野の怒号。それに合わせる様に、一とナコトが苦痛に呻く。

「……どうなってやがる」

 骨が空を飛んでいた。屋内に転がっていた骸骨は校舎の窓を割り、無理矢理に外へ飛び出す。骸骨がばらばらになって飛んでいく。ばらばらになった骸骨が、この世の理を無視してどこかに引かれていく。空は明るく、雲は少なく、良い天気だ。その空を、ソレが飛んでいる。

 異常事態。それが分かっていながらも、三森は動けなかった。弛緩、し切っていた。魔女の一人を片付け、もう一人も神野らが片付け、生き残った生徒を脱出させ、仕事が済んだと勘違いしてしまっていたのだ。詰めが甘い。お笑い種だ。目の前で人間一人死なせてしまった。

「グラウンドに、向かってる」

 隣で立ち尽くしていた立花が、誰に言うでもなく呟く。

「……あー」

 三森は一たちから離れて骨たちを見送った。

「あそこに、渦巻いてる」

「何が?」

「みんな。みんながボクらを殺す為に集まってるんだ」

「……なるほどね」

 グラウンドに目を遣れば、骨たちが砕け、見えない何かに巻き上げられ、形を作っていた。それは一つの、巨大な骨。

「お仕事はまだ終わっちゃいねェってか」



 安田の死体を下ろし、神野はしゃがんだままグラウンドに視線を向けた。三メートルか、四メートル。巨大な骸骨が、そこにいる。生まれている。

 まだ、何も終わっていない。

「これ、借りてくな」

 傍らに置かれていた安田の竹刀を拾い上げ、神野は立ち上がる。

「……おい、前から思ってたんだけどな。そンなの持ってソレと戦うのは止めとけ」

「三森さん……」

 三森はナコトを抱え、正門前に歩き出した。

「竹刀なンてよ、言っちゃアレだが、ガキのおもちゃだ。確かにお前はこーこーせーにしちゃ出来る奴だと思う。けどな、私らは勤務外だ。勤務外ならもっとヤれる得物持ってろ」

「でも、俺は……」

 唇を噛み締め、握った竹刀に力を込め、神野は俯く。

「今まではどうだったか知らねェ。これからの事考えろ。こっから、マジでやばくなる。ンなの振って勤務外だなんて満足するな」

「ふゆちゃん、厳しい」

「ちゃん付けすンな! あンな、迷惑するのは私らなんだぞ? こいつがしくじってみろ、死ぬのはこいつだけじゃねェ。私らも巻き添え食うんだかんな」

「でも、けん君だって……」

「るっせえ!」

 呻くナコトを正門から校外に投げ出し、三森は落ちていた石を蹴っ飛ばした。

「学ラン、てめェはもう下がってろ。妹と一緒にいてやれ、邪魔だ」

「なっ、俺は……!」

「ここがお前の学校だってのも、お前の知り合いが死にまくってたのも知ってるよ。むちゃくちゃにされたンだから、むちゃくちゃにしてやりたいよな。けどダメだ。私は、お前と肩並べらンねェ」

「俺は、俺だって勤務外だ!」

「あめェってンだよ。腕は立ってもそれ以外が立ってねー。中途半端に勤務外名乗ンな」

 ――悔しい。

 悔しかった。そんなの、自分が一番良く分かっているのに。

「俺は、俺は……」

 力が欲しい。

 誰にも負けない力が。誰かを守れる力が。

「それでも、勤務外だ」

 揺るがない決意が欲しい。

「今はまだ、新人だけど……」

 ソレを許せない。

「この街を守りたい。俺の生まれた街だ。それを守りたくて、何が悪いんだ」

 駒台を、家族を、友人を守りたい。

「あんたなんかに、俺を否定させない」

 その為に、部活を辞めた。

 その為に、覚悟を決めた。

 その為に、竹刀を握った。

 ソレを倒して、街を守って、皆を救って。

 未来が、明日が欲しい。その為に出来る事が自分にはある。

「……だったら」

 神野の熱意に負けたのか、三森は苦虫を噛み潰した様な、してやられた表情を作る。

「いーよもう。じゃあ見せてみろ、そン代わり後で泣き言言ってもしらねーからな」

 三森は未だ辛そうに呻く一を背負い、

先にやってろ(・・・・・・)、すぐに行く」

 神野を見ずに、正門まで再び歩き出した。

「言われなくたって」

 神野もまた、三森を見ないまま答えて、歩き出す。

「ボクも行くよ。はじめ君たちの分まで、やらなくちゃね」

「……立花」

「なーに?」

「頼む」

「うんっ、任せてよ!」

 三森より一足先に、剣士が二人、新たな戦場に躍り出る。相手は骸骨。握るは刀。その背に担うは街の明日。



 北高正門前には、事情が飲み込めていない生存者が集まっていた。怪我人は春風が待機させていたオンリーワン医療部に運ばせ、残った生徒には情報部がどさくさに紛れる形で話を聞き出している。

 既に、学校に仕掛けられたカリュプソの魔法は解け掛かっており、何名かは曖昧になっていた校内にいた頃の記憶を取り戻しつつあった。

「小さな地獄だな」

 甦った記憶。ソレに対する恐怖に泣き喚き、ソレに対する怒りに任せて暴れ回る学生たちを眺めながら春風は呟く。

 そこに、正門から現れる新たな人影。

「重いンだよちきしょう!」

 一を背負った三森だった。

 三森は一を乱暴に地面へ投げ捨てる。

「黄衣ナコトは医療部の車に運んでおいた」

「ん、おうご苦労」

「……三森冬、貴様に労ってもらう道理は無い。それより、一一も魔法の影響を受けたのか?」

 魔力による頭痛と、コンクリートに激突した際の痛打に呻く一を見下し、春風は涼しげに問い掛けた。

「知るか」

「だろうな」

「しっかしひでェ有様だな。おい、情報操作とかどーすンだよ?」

「余計な世話だ。……中で何が起こっている? 『館』はどうした?」

 先程春風は、体調の収まったナコトから、既に二人の魔女を仕留めたと聞いている。

「さあな。ま、最後の悪あがきって奴じゃねェの?」

「そうか。神野剣と立花真が向かったのだな。相手は雑魚か?」

「いや、私も行く。相手はでっけェ骨だ。ケリはすぐ付く」

 三森はポケットから煙草を取出し、火を点けた。

「ふん、つまらんな」

「……おい、それよりこいつ大丈夫なンだろうな?」

「一一か? 黄衣ナコトの話では問題ないらしい。直に痛みも収まるという事だ。尤も、一一の方が魔の影響を受けやすいので、苦しむ時間が延びる、と」

「へっ、そうかよ。おらっ、迷惑掛けンじゃねェぞ」

 三森は蹲る一の尻を軽く蹴り上げる。

「せーぜー、こいつの面倒見といてやってくれ。私はあっちのガキのお守りに行ってくる」

「そうだな、精々、動けない一一を使って色々試してやるとしよう」

 春風は一に肩を貸し、悠々と立ち去っていく。

「……一言多い奴だなホント」

 彼女らを見送り、三森も学校に、戦場に戻った。



 がしゃ、がしゃ。

 音を立ててどくろが歩く。形を持たない怨念が、形を持ってこの世に生まれた。

 がしゃ、がしゃ。

 音を立ててどくろが歩く。野垂れ死んだ人々の呪いが、殺された人々が、その恨みを生者に当て付ける為に。

 怨嗟の集合体。贄に捧げられたモノたちが自ら呼び寄せ、溶け合い、変わり果てたその姿。巨大な、骸骨だった。

「こいつが……」

 骸骨のソレを間近にして、神野の背筋が嫌でも凍る。あまりにも分かりやすい殺意と怨念が、生きている自分たちに降り注がれていた。

「やろう、ボクたちの意味だよ」

 立花が剣を抜く。

「……でかいな。どう攻める?」

「やり方は変わらないよ。大きくても、骨は骨だからね。ボクは正面から行く」

「賛成」

 風を裂き、神野らを薙ぐべくソレが攻撃を仕掛けてくる。

 グラウンドの砂が風圧で舞い上がり、砂煙が視界を覆う。立花は目を瞑り、砂塵を無理矢理抜けて刀を振り下ろした。だが、固い。刃は骨を断ち切れない。

「けん君っ、薄い場所を狙うんだ!」

「分かった!」

 神野は正面、脛に当たる部分に竹刀を薙ぐ。骨に弾かれる感触、瞬間、彼の頭に声が届いた。

「……うあっ?」


 ――殺してやる。


 優しさなんて一片もない。他人を顧みず、自身の望みをどこまでも真っすぐに届ける暗い音。

「なんだってんだよ!」

 神野は声を荒げ、その音を掻き消す。


 ――お前も死ねば良い。


 竹刀を振る度に、ソレに打撃を加える度に声は神野を苛み続けた。

 その声は神野の心の底に溜まっていき、彼の腕を鈍らせる。どうして、重い。悪いのはそっちだ。自分は皆を守る為に戦っている。自身を正当化しながら必死に竹刀を握った。振るった。なのに、どうして?

「けん君っ」

「うわあっ!」

 雑念が神野を鈍らせた。手を払うだけの、ソレの鈍重な攻撃が彼に直撃する。竹刀で防ぐ事も出来ないまま塵の様に吹き飛んだ。舞い、落ちる。砂埃の舞うグラウンドを転がり、地面に突っ伏す。

「……あ、あ……」

 体が痛い。胸を強かに打ち付けてしまい、呼吸がし辛かった。空気を吸い込もうと口を開ければ、容赦なく、ざらりとした砂が口内に流れ込む。その上、

「けん君、逃げて!」

 追撃だ。大きな影が神野を覆い隠すが如く這いより、がしゃがしゃと音を立ててどくろが歩く。

 逃げなければと脳は訴えるが、体が付いてこなかった。背中が痛む。足が震えて声もろくに出せやしない。

 空気を切り裂く鈍い音。待ったなし。ソレが骨の拳を振り上げ、下ろす。まともに食らえばただではすまない。もう一つ、足音。軽快な中にも焦りの浮かぶ立花の音。援護に回ろうとしているが、もう遅い。そこからでは間に合わない。

 覚悟を決めて、神野は目を瞑った。

 ――ぐしゃり。

 ソレの拳が大の字に倒れた神野に向けて振り下ろされる。微塵に砕ける。砕けて、ばらばらになる。

「諦めてンじゃねェぞ!」

 降り注ぐがさつな声に目を開ければ骨の雨が降っていた。

「……あ」

 神野の前に立ち、

「見せろっつったろーが、潔く寝てンなボケ」

 彼を詰る赤い影。

 砕けたのが自分ではなくソレの拳の方だと気付くには少し時間が掛かった。

 短い金髪、赤いジャージ。勤務外、三森。

「――――!」

 ソレは新たにやってきた勤務外を警戒し、乾いた音をたれ流しながら距離を取る。

「三森さん、あの……」

「立てよ、そーいう話は帰ってからだ。まずはあいつを片付ける」

「ふゆちゃんっ」

 三森の背中に立花が飛び込んできた。

「あああ、うぜェ! 離れろ!」

「助けに来てくれたんだね、ありがとうっ」

「やり方が温いンだよ、お前らは」

 救援に安堵し、安堵した事が少しだけ情けなくて、神野は立ち上がる。

「……あいつに触れたら、その、声が聞こえてきました」

「あー、殺すだとか言ってやがったな。舐めやがって。お前ら騙されンなよ、手も抜くな」

「でも、あの声は……」

「聞き覚えでもあったか?」


 ――殺す。殺す。


「無いです。でも、やりづらいです」

「知るか、やるぞ。私の指示に従え」

 三森はソレを睨み付けた。敵意と殺意が籠もった、ぎらつく瞳。その眼に気圧され、ソレは勤務外三人を見返した。

「おら、死にたがりの間抜けが真っすぐ来るぞ」

 がしゃ、がしゃ、がしゃ。耳障りな音を立て、どくろが拳を上げて走りだす。

 三森の左右に神野と立花が並んだ。

「どうするんすか!?」

「馬鹿正直に相手しようと突っ込むな、三人いるんだ、死角に回って足狙え!」

「うん、分かった!」

 頷き、神野は右から、立花は左からソレに回りこむ。そして三森は馬鹿正直に真っ正面から突っ込んだ。



「ん……」

 目を開ければ、知らない場所で寝かされていた。首を巡らし、状況を確認してみる。どうやら自分は車の中、後部座席を占領しているらしかった。広さからして、ワゴンだろうか。そんな事を考えていると、

「目が覚めたか、一一」

 前方から無感情な声。

「……春風、ここ、どこ?」

 分かってはいたが、他人からの答えが欲しくて問い掛ける。

「情報部の車の中だ。貴様が失神してしまうのでな、私が身柄を預かっている」

「黄衣は?」

「私の隣で眠っている」

 耳を澄ませば、静かな寝息が聞こえてきた。とりあえず安心してみる。運転席には春風、助手席にはナコト。一は体を動かし、座る姿勢。頭をカバーに預けると、やけに痛んだ。

「あ、三森さんたちは?」

「ソレと戦闘中だ。直戻ってくるだろう」

「そっか、もう、終わるんだな」

「さあな」

「何だそりゃ」

 一は再び寝転がる。

「む。終わったようだぞ、一一」

「あ? 何で分かるんだよ?」

「魔法とやらの効果が消えかかっているらしい。今、大きな音が聞こえた。何か、巨大なモノが倒れるような音だったぞ。聞こえなかったのか?」

 全然聞こえなかった。一は今更ながら耳を澄ましてみるが、聞こえてくるのはナコトの安らかな寝息だけ。

「まあ、終わったんならそれで良いや。それで? お前は家まで俺たちを運んでくれるのかよ?」

「いや、無理だ。私は免許を持ってないからな」

「……つかえねー」

 寝返りを打つ。

「人の事は言えないだろう。一一、貴様こそ、資格も免許も持っていない筈だ」

「馬鹿にすんなよ、漢字検定くらいは持ってら」

「準二級だろう。履歴書に書けるのか?」

「バイトの面接なら。って言うかさ、漢字馬鹿にすんなよ。あと、どうして俺が準二級って知ってんだ」

「さあな」

 春風は意味も無いのにクラクションを鳴らした。その音が頭に響いて、一は顔を顰める。

「……対向車?」

「いや、押してみたくなっただけだ」

 迷惑な奴だ。そう思い、一は目を瞑った。



 がしゃ、がしゃ、と。

 音を立てて、どくろが倒れた。下肢の骨が砕かれ、立っていられなくなったのだろう。実に呆気なく、戦闘は終わりを迎えている。

「あンだよ、パンチ一発で終わっちまった」

「美味しい所、三森さんに持ってかれちゃったな」

「? 骨って食べれるの?」

「なんでもない」

 小首を傾げる立花を無視して、神野は倒れたソレに向かって歩いていく。

「……これが」

 半ば、忘我。神野は完全に機能を停止させたソレを改めて眺め、呟いた。

 守りたかった。その一心でこいつを倒した。


 ――死ね。お前も。


 今もまだ、頭の中にあの声が響いている。

 聞き覚えのある、誰かの声。この学校に生きていた、誰かの音。

 守れなかった。

 守りたかったのに。

「けん君、どうしたの?」

「なんでもない」

 立花は声の正体に気付いていたのだろうか。幾分かぶっきら棒に返事をすると、神野は竹刀をソレに向かって放り投げた。

「あ? いらねェのか、それ」

「俺のじゃありませんから」

「ふーん?」

「三森さん、一つだけお願い聞いてもらって良いっすか?」

 神野はどくろと竹刀を見つめながら、声を振り絞る。自分で思っていたよりも、声は震えていて頼りなかった。

「……なんだよ?」

「こいつら、燃やしてくれませんか?」

「こいつらって、ソレと……」

「竹刀です。返さなきゃ、いけないんで」

 訝しげにする三森に、神野はぎこちなく笑って誤魔化そうとする。

「……ダメ、っすか?」

「天まで昇れって奴か? 良いぜ、嫌いじゃないからなそーいうの」

 三森は薄く笑い、指の腹と腹を擦り合わせ火を灯した。

「けん君、良いの? だってその竹刀、安田君のじゃ……」

「良いんだ。俺の勝手だけど、そうするのが一番だと思う」

 本当に自分勝手で、都合の良い話だ。守れなくて、それでもこうしてやれば。

「剣道が好きだったから。俺も、あいつも。こうすりゃ、向こうでも竹刀が振れるだろ」

「……けん君」

 神野は、立花の目を見れなかった。同情か、憐憫か、それとも哀れみか。彼女の瞳に宿った感情を直視するのが怖かったから。

「おい、火ィ点けンぞ」

 三森が促すので、神野はゆっくりと首肯する。

「……ま、こんなんで浮かばれるかは知らねェけど」

 火が、点いていく。赤く、激しい炎がソレの体に行き渡り、やがて炎は竹刀にも。その光景を焼き付けようと、神野は目をしっかりと開いた。

「皆、ごめん」

 竹刀はすぐに燃え、紅蓮の中に消えていく。黒煙がグラウンドから、魔女の夜宴から逃れるように空へと上っていく。後を追うように、ソレの体も少しずつ融け、燃えていく。

 呪いの声は、神野の頭から徐々に消えていった。許してもらったとは思わない。ただ、魔法が切れただけだと、自分自身に言い聞かせる。

「ごめん……」

 謝罪の声は、ごうごうと唸る火の音で聞こえなかった。誰の耳にも届かず、誰の心にも響かない。それでも、神野は火が収まるまでの間謝り続けた。



 鎮魂。死者の為の、手向けの炎。

「派手にやられちまったねえ」

 その炎を眺めながら、魔女は呟いた。

 黒い三角帽と、黒いマントを身に付けた女。彼女は『館』のカリュプソからランダと、そう呼ばれていた女だった。

「『館』もそろそろ潮時かね」

 ランダの声には悲壮感など皆無で、むしろ楽しそうとも言える。彼女はしばらくの間炎を眺め、マントを翻してその場から去った。



 こうして、北駒台高校を襲った悲劇は幕を閉じた。

 一フリーランスである『館』。総勢五名の魔女が引き起こした小さなサバトは勤務外四名、元フリーランス一名、学内にいた教師生徒合わせて百余人を巻き込んだ事になる。駒台では先日のアラクネ事件に続く大きな事件だった。犠牲者の数だけを見るなら、アラクネ事件よりも上を行っている。

 ちなみに、今回の事件に当たった勤務外四名に目立った負傷は無い。巻き込まれた一般の死者、負傷者、生存者の正確な人数は把握出来ておらず、しかし、学内の殆どの人間は惨たらしく殺されていた。一方で、『館』五名の内三名の死亡が確認されており、その内キルケと呼称されていた魔女は勤務外店員三森冬が欠片も残さず灰にしたという報告があった。残った二名、ランダと呼ばれていた魔女はオンリーワン近畿支部情報部が目下捜索中。残りの名無しの魔女の行方は、ランダ共々依然として知れない。

 禍根の根を残したままではあるが、事件は一端の終局を迎え、被害にあった北高は数日間の間、休校という形を取るらしい。生徒たちの受けた精神的苦痛は甚大であり、中には重傷を負い、数ヶ月の入院を必要とする生徒もいる。それでもまだ、救いはあった。『館』の情報不足である。即ち、今回の事件において、北高が創立記念日だった事である。犠牲者の数が大方の予想よりも少なくて済んだのはこの為だろう。不幸中の幸いと言うにはおこがましいが。

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