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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
がしゃどくろ
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奇跡の時間

 サソリの鋏が断ち割られた。

「なっ……!」

 塀に囲まれた中庭の狭い空を鋏が飛ぶ。それを見上げながら、神野は驚きの声を上げた。

「……あ、あ、あ? か、刀なんか、で?」

 パシパエも宙を舞うソレの一部を見上げながら、驚愕を顔に張り付かせる。腕を斬られたサソリも、神野と戦闘に及んでいたサソリでさえ、西棟から様子を見ていた安田と姫ですら、そちらに目を向けていた。

 信じられない。

 誰も彼もが、ソレの鋏が地面に落下するまで目を逸らせない。


 ――ひゅっ。


「――――!」

 ただ一人、立花を除いて。

 もう一本、鋏が飛んだ。続いて、尾。風切り音が響き、ソレの体を切り裂いていく。音が鳴る度、サソリの部位が分かれていく。あっという間にサソリは動きを止められた。

「私のっ、私のっ!」

 パシパエは叫び続ける。自分の可愛いペットが刻まれ、変わり果てていく姿を彼女は離れたところで見ているしかない。

 立花は無言でソレの殻に飛び乗り、刃を突き立てた。先刻とは違い、今度は弾かれる事なく、問題なく貫いていく。その一点、刀の切っ先が入ったところから放射線状に殻の外皮にひびが入った。

「……ボクは死ねないんだ、もう一度はじめ君に会うまでは」

 立花は力を込め、刀を更に奥深く押し込む。外皮は砕け散り、切っ先は脆い内部に突き刺さった。確実な手応えが伝わり、刀を引き戻す。ソレの体液が噴出する前に彼女はその場を離れ、刀身についた汚れを振った。

「お、おおおおお前ええええええ!」

 パシパエは走り出し、倒れているソレの傍に駆け付ける。噴水の様に溢れ出る体液を厭う事もせずに、彼女はそれを一身に浴びた。

「お前お前お前お前お前お前お前! 一体なんだ! お前はなんなんだ! 私はっ、私は魔女なの! 『館』のパシパエなのよ! お前なんかに私の子がっ、私の魔法がっ、私が負ける筈がない!」

「そっか、この虫は魔法だったんだね」

「きっ、勤務外! どこまで私たちを虚仮にすれば気が済むの! 私の魔法に掛かったら、お前なんか、お前なんかお前なんかぁ!」

「ふーん、どういう魔法なの?」

 あどけない声。

 パシパエはその声に気圧されながらも、自身を指差し語り出す。いかに魔女が優れているのか、いかに人間が劣っているのか。教えなければならないと、彼女はそう思った。

「ふ、ふふっ、良いわっ、見なさい勤務外! 魔女、『館』の魔女なのっ、その私の体には虫が棲み付いてるの、爪の先から血管一本髪の毛一本細胞一つだって余す事無く虫の卵が植え付けられてるのよ。私の意志によって自由自在に虫を出し入れ出来、自由自在に虫の大きさを変えられるっ、私の意志で虫は動き、虫は襲い、虫は殺すぅ、お前らを! ふっ、ふふっ、うふふふふふ。どう、驚いたかしら?」

 そんな物に、意味は無かったと言うのに。

「何だ、魔法って言ってもそんなものなんだ」

 立花は事も無げに言い切り、安心して剣を振るう。

「あっ――」

 パシパエの首に線が走った。

「――あなた、な、何者?」

 その線が赤く滲んでいく。

「九州退治屋立花、その六代目立花真(たちばな まこと)

 僅か一瞬の出来事。

「……そう、良い名前ね」

 亀裂が走り、歪みが生じる。するりと、パシパエの首がずれていく。

 立花は刀を血振りし、鞘に納めた。



 一は思った。彼女に囚われのヒロインは似合わないと。

「ほら、どうしたの答えてよ」

『館』の一人、キルケに捕まったままの三森。赤く、勇ましい彼女は火の手を下げ、諦めたような視線を一たちに向けていた。

「……マナ、ナンガルだったっけか」

「あなた、マナを知ってるのね?」

「ああ、良く知ってる。アレだ、コウモリに姿を変える魔女、だろ?」

 とにかく時間を稼ぐしかない。ダラダラと喋って、尚且つ目の前の魔女が興味を示す話題を提示し続けなければならない。

「そうよ、知ってるのね。知ってるって事は、あなた見たのね?」

 後ろのナコトは黙ったまま必死に頭を働かせる。一も同じく、下手を打たないように頭を働かせていた。

「……ああ、見たよ。だけど、マナナンガルを殺したのは俺じゃないんだ。それだけは信じてくれ」

「あなたの言葉を信じても良いけど、結局はあなたも殺すわ」

「絶対に、か?」

「ええ、絶対よ」

「……あんたの仲間を殺した勤務外の正体を教えるって言っても?」

 悪戯に語尾を伸ばしたり、言葉を必要以上には区切れない。人間の姿をしていても相手は魔女だ。思考が全く読めない異種の生物と一は考えている。キルケの機嫌を迂闊に損ねては三森の身が危ない。

「正体なんて関係ないわ。来た勤務外を全て殺せば良いもの」

「そこの、豚みたいにか?」

 一は顎をしゃくり、女生徒の無残な死体を示した。キルケは少しばかり楽しげに口元を歪める。

「ええ、そうね。豚みたいに鳴かせて喚かせて、豚にして殺してあげるわ」

「……俺は、死にたくない」

 悲痛に訴える。

 ナコトは一の必死な声に、思わず顔を上げた。演技だと彼女は知っていたが、それでも真に迫るモノを感じたからだ。

「俺はまだ死にたくない……」

「あは、あははっ」

 キルケも一に感じるモノがあったらしい。見定めるような視線を一に向けだした。

「笑わせないで。マナだってきっとそう思ったわ。思ったに決まってるっ」

「アレは、ひどかった。あいつはやり過ぎだった。人間のやる事じゃねえよ」

 一は目を瞑り、声を振り絞る。

「……あなた、その場にいたの?」

「言ったろ。でも、見ているだけだった。俺には同僚を止められなかったんだ」

「その通りよ。立派な共犯じゃない、死に値するわ」

 キルケの放つ剥き出しの憎悪に一は震える。

「雲行き、怪しいですよ」

 一にしか聞こえない小声でナコトが注意を促した。

「……俺は勤務外だ。ソレを殺しても罪に問われない。でも、そりゃあくまで人間側での勝手な話だ」

 三森は黙ったまま、訝しげに一を見据えている。

「あんたたちソレにとっちゃ、勤務外に殺される理由は無いもんな。アフリカの肉食動物と同じだ。弱い奴を餌にして悪い筈がねえ」

「……そうよ。私たちに罪はないわ。でも、獣なんかと一緒にしないで」

「悪かった。俺にはまだ、人間だった(・・・・・)時の考えが抜け切れてないらしい」

 一は頭を下げる。

「人間、だった?」

 意識を逸らせ。話を広げろ。舌を乾かすな。興味を示す話題を選べ。

「急な話で悪いんだけどさ、俺をあんたたちの仲間にしてくれないか?」

 場が凍るのは予想済み。そこからどう流れるのかは、魔女次第。

「仲間、ですって?」

 ――食い付いた!

 一はにやけてしまいそうになるのを堪え、言葉を選びにかかった。

「ああ、頼むよ。実は俺、もう人間じゃないんだ」

「嘘おっしゃい。いい加減な事言って時間でも稼ごうって魂胆かしら?」

「違う。正確に言えば、半分が、いや、四分の一以下がソレなんだ。俺には、少しだけどソレの血が流れてる」

 嘘では、ない。

「証拠は?」

「悪いけど見せられない。見せるほどの力は備わってないんだ」

「……なら、必要ないわ。『館』に半端者はいらないもの」

「力なら、ある」

 キルケは面倒臭そうに顔を上げた。

「あんた、俺たちの能力についてどれくらい知ってるんだ?」

「知らないわ。だけど知る必要もないわ。所詮、人間じゃない、力なんて推して知れるわ」

「……こんな状況に追いやられた俺が言えた事じゃないけど、油断は禁物だぜ?」

「本気になった私たちを脅かす力を持つ者がいるとは思えないわ」

 キルケは笑った。一は、アイギスを掲げた。

「そっちが魔女ならこっちは女神だ」

「……なんですって?」

「ギリシャ神話の女神アテナ。そいつの持つ最高の盾アイギス。俺が今持ってる力だ」

「馬鹿言わないで。神具なんて、そんなの信じる訳無いでしょ」

 その最高の盾を、一は放り投げる。放物線を描きながら、一とキルケの丁度真ん中にアイギスが落ちた。

「何のつもりかしら」

「信じるかどうかはあんた次第だ。どうせ俺は死ぬんだからな、絶対に」

「……あなた、何がしたいの? 何をしようとしてるのか知らないけど、あなたたちは今日、ここで死ぬのよ?」

「仲間にしてもらうのも無理。生き延びるのも無理。だったら、せめて仇でも取って欲しくてね」

 一は皮肉っぽく笑う。

「へえ、誰の仇?」

「マナナンガルとやらの、だよ。俺はどうも、勤務外なんかにゃ愛想が尽きてね」

「……言われなくても、仇は取るわ。あなたたちを殺して、ね」

 キルケは左手の爪で三森の頬を引っ掻く。

「情報は欲しくないか? あんたらの仇、その勤務外のさ」

「……てめェ、おいてめェこら、さっきから黙って聞いてりゃふざけた事抜かしやがって! 仲間売るつもりなのかよ!」

「黙りなさい」

 堪忍袋の尾が切れた三森の髪の毛を、キルケが鷲掴みにして黙らせる。

「……はっ、そうだよ。あんたはそこで黙ってりゃ良いんだ」

「この野郎、殺してやる!」

 罵声が恐い。

「あの人、演技に気付いてませんよ……」

 恐い。あとが恐い。

「はあ、もう良いわ。面倒だもの。全員殺せばそれで良し。マナだってきっと喜ぶわ」

 キルケは輝く右手を三森に近付けていく。

「待った! 待て、その人が誰だかわかってるのか!?」

 ぴたりと、キルケの動きが止まった。

 もうなりふり構っていられない。

「マッ、マナナンガルを殺したのは姿を隠せる奴なんだ!」

「……見苦しいわね」

「だああっ、もう一回聞くぞ! あんたが今捕まえてる人の能力を知らないのか!」

「しつこいわね。この子の力は見切ってるわ。パイロキネシスって奴でしょ。手から火を出すだけの単純な能力じゃないの」

 ――その、言葉が。

「そっ、そうだ! そいつは手から火を出すだけの使えない馬鹿女だ! 場所を取る分ライターよりも使えない! だけどな、おい、後ろだ! 後ろから来てるぞ!」

 キルケは要らないものを聞き過ぎた。話を聞いてしまった。一の話を彼女は一割程度しか信じていない。アイギスも、一がソレだと言う事も、仲間になりたいと言う事も、勤務外の正体も、殆ど何も信じていない。

 だが、揺らいだ。

 少しでも迷ってしまった。あの女神の盾、アイギスがもし真実なら。一がもしソレなら、仲間になりたいなら。

 姿を消せる勤務外がいるなら。

 様々な要素が絡み合い、キルケの思考をがんじがらめに鈍くさせていた。キルケは迷う事無く、三森を殺すべきだった。一の話を聞いてはいけなかった。全ては、魔女が人間よりも優れていると思っていた慢心が引き起こしてしまった。


 だから、キルケは振り向いた。


 犯してはいけないミス。

 それでも、キルケはまだ三森を解放はしていない。彼女の首元に手を掛けたまま振り向いたのだ。これもミス。彼女は喋りすぎた。一なんかと会話をし過ぎた。

「あ……」

 ――体が、熱い。

 キルケは三森の力を見誤っている。発火能力の認識を間違っている。一が信じるヒーローを、馬鹿にし過ぎていた。

 要は一瞬、刹那。三森から意識を逸らしたキルケが瞬きでもして、玉響を稼げれば良かった。それだけで、後はもうお好きなままに。

 ――あつい。

「よお、誰が豚になるンだっけか?」

 一瞬にして臨海を突破。火柱と憤怒が立ち昇り、三森の周りを小規模な熱波と殺意が包む。触れたモノを焼き尽くし、燃やし尽くし、焦がし尽くし、灰になるまで躍らせる極上の灼熱。

「あ、ああああ……」

 キルケは紅の塊に手を伸ばす。無駄だった。伸ばそうとした手は、肩から先に渡り焼失している。直で三森に触れようとしていたのだ、当然とも言えた。

「そっ、そんな」

 口を開くたび、むせ返る熱気と乾いていく空気に唇が干乾びていく。体から水分が失われていく。

「……教えてやるよ」

 三森はキルケの襟元を掴んで持ち上げた。不思議な事に、魔女のローブには引火すらしていない。服の下の素肌だけがちりちりと燃えている。

「私のはパイロキネシスなンかじゃねェ。でもな、火なンて私の体のどっからでも出せるんだよ。それこそ、髪の毛からだってな」

「き、勤務外ぃぃぃぃぃぃ!」

「好き放題やってくれたじゃねェか、なあ、魔女」

 キルケを掴んだ手に意識を集中させていく。背中から、熱が伝わる感触。それを感じながら、三森は魔女に獰猛な笑みを向けた。

「泣き喚けよ、豚みたいにな」

「き――」

 弾けて消えた。

 


 一陣の風が吹く。風は一たちを通り過ぎ、三森の金髪を揺らし、魔女だったモノの成れの果て、灰を吹き飛ばしてグラウンドまで運んでいった。

 一の体から力が抜ける。

「どうにかなりましたね」

 ナコトが微笑みかけてきたので、一は作り笑顔で返した。

「……一時はどうなる事かと思ったよ」

「そうですね。でも、さっきのあなたのは中々に面白い話でしたよ。あの魔女だって食い付いてきましたしね」

「ん、まあ、ね」

 一は言葉を濁し、ナコトから視線を逸らす。前方に目を向けると、三森と目が合った。笑っている。三森は手を上げて笑っている。凄まじく嫌な予感。

「なあ、黄衣」

「あたしは知らないですよ」

「ちょっ、ちょっとたすけ――」

「――あたし何も見てない何も知らない何も聞いてない」

 ナコトは背を向け、耳を塞いだ。

「よう、立てるか?」

 ぽんと、軽やかに一の肩が叩かれる。

「……三森さん、聞いて下さい」

 ぎぎぎ、と。一は油を差してなかった機械みたいにぎこちなく首を動かしていった。

「いや、気にすンな。お前の言いたい事は分かってるから」

「え?」

「あーやってあいつの気を逸らしてたンだろ?」

 後光が差している。一は目を輝かせ、何度も頷いた。

「そっ、そうです! 全部嘘っぱちです! でなきゃ俺があんな事言う筈が無いんです!」

「だよなー」

 三森は頭を掻いて、座り込んでいた一に手を差し伸べる。

「み、三森さん」

 一はその手を掴んだ。次の瞬間、皮膚が焼けるような痛みを覚える。

「あちい!」

 ――さっきの余熱だ!

 叫び、一は手を振り解こうとするが、自分よりも遥かにえげつない力で掴まれていて、とてもじゃないが脱出出来そうに無い。おまけに容赦なく握られていて痛い。

「いたいいたいたいたいたいたい!」

「よーく分かってンだよ。でもな、やっぱムカつく」

「ごめんなさいごめんなさいごめんごめんごめんごめん! 痛い! 痛いってばバカ! あーギブ! ギブ!」



 声を掛ける事は躊躇われた。

 壊れ切った中庭の噴水、そこに掛かる小さな虹を背にして立花は魔女の死体と、動かなくなった虫共に目を向けている。

 虫共は、一切合切全ての虫は、パシパエが活動を終えたと同時に、その命に幕を下ろした。今はもう、動くモノはこの中庭に存在しない。唯一、神野と立花だけが生き残っている。

「……行こう、けん君」

「あ、ああ……」

 立花は神野を促し、西棟に続くドアをノックして安田に鍵を開けてもらった。

「――っ」

 氷肌玉骨。

 その言葉が立花には似合っている。安田は思わず息を呑み、立花を見上げた。

「? どうしたの?」

「あ、い、いや、何でもない」

「?」

 立花は蹲って震えている姫に目を遣ると、体育館への道程を歩き始める。神野は姫を抱きかかえるように立ち上がらせ、自分の肩を貸してやった。

「お、おい、神野……」

「どうした?」

 安田は声を潜め、前方の立花に聞こえないように神野へ囁く。

「た、立花って、何者なんだ?」

「何者って言われてもな……」

 勤務外だとは、言えない。

「すげえ強いじゃんかよ、太刀筋とか、全然見えなかったぞ? なんだろ、剣道やってたのかな、もしかして全国区の選手だったりして」

「……かもな。俺も、いまいち分からないんだけど。まあ、俺たちを助けてくれたんだからそれで良いだろ」

「あー、まー、そーなんだけど」

「とりあえず体育館に戻って、皆で逃げようぜ」

 とりあえず、今は。



 校長室と書かれたプレートを見上げ、魔女は息を吐きながら扉を開けた。

「やられちまったね」

 黒い三角帽と黒いマント。いかにもな出で立ちをした彼女はソファに深く腰掛ける。その対面、黒いローブに身を包んだ女――カリュプソ――はテーブルに広げられた学校の見取り図に指を這わせたまま、俯いて動かない。

「……キルケと、パシパエ、死んだわ」

「ああ、分かってる。こっちでも確認してきたよ」

「勤務外が、四人。フリーランスが一人、よ」

「旗色は悪いねえ、どうする、白旗でも揚げるかい?」

「ランダ……」

 ランダと呼ばれた魔女は目を瞑り、白い指をこめかみに当てた。

「わーかってるって。どうにかしてやりたいよ、仇討ちに来たってのに、仇増やしちまってるからね」

 だが、カリュプソはふるふると首を振る。

「……もう、良いの。知ってたわ、私。ランダに最初っからやる気が無かったってこと……」

 ランダは答えず、用意されたティーポットからカップに紅茶を注いだ。

「ホントは、マナがいけなかったの、よ。『館』の決まりを破って、勝手に人間を食べてしまったから……」

「でも、仲間だろ。仇を取ってやりたくなかったのかい?」

「分からない、の。もう、今となっては。だけど……」

 カリュプソは拳を握り、テーブルに緩く叩きつける。

「何が望みだい?」

「……私、魔女として、『館』として、死にたい」

「それで?」

「生き残ったあなたにお願いをするのは厚かましいと思ってる。だけど、お願い出来る人なんて、もう、あなたしかいないの。陣は、まだ三つ残ってる、わ。充分に召喚は出来ない、だけど……」

 ランダはテーブル上の見取り図、印が付いた部分に目を遣った。

「確かに、召喚術なんて一番面倒だね。手間が掛かる事この上ないし、その上、あんたの言う通りあたしゃ今日やる気が無くてね。馬鹿弟子の面倒まで見させられる始末だ」

「……ランダ」

「そんな目で見ないどくれよ」

 カリュプソは立ち上がり、まだ中身の入っているティーカップをテーブルに叩きつける。カップは琥珀色の液体を撒き散らせながら、高い音を立てて砕け散った。

「確か召喚には、生贄が要るのよね?」

「……そう、だったかねえ」

「生贄の数が多ければ多いほど、格の高い、力の強いモノを呼び出せる。今日、ここにはたくさんある、わ。生贄が。骨も数十体、人間だってたくさん……」

 ランダは溜め息を吐き、見取り図を指で示す。

「駄目だよ。生き残った人間は勤務外がもう殆ど脱出させちまった。校舎の中には何人か取り残されてるけど、足りないよ。骨もまだ残ってる。死体なら山ほど残ってる。だけど、生贄にするには力が足りなさ過ぎる。魔女みたいに力のあるモノの死体ならともかく、死んだモノを使っても、下級の悪魔一匹呼べやしない」

「それでも良い、わ。生き残った人間と骨を道連れに、出来る、なら」

「あんた、何言ってんだい?」

 

 ――ざくり。


 カップの破片が血に染まる。滲み、噴出す。頚動脈を掻き切って、それでも尚足りないのか、カリュプソは右手首にも傷を付け、気丈に笑った。

「私を生贄に使って」

「……正気じゃないよ、あんた」

「ほら、は、早くしないと、私、死んじゃう」

 ランダは舌打ちし、見取り図を広げる。印の付いた場所を睨みつつ、

「くだらない事で命を粗末にすんじゃないよ!」

 声を荒げ、カリュプソに怒鳴った。

「い、良いの。私たちは本物じゃないから、だから、お願い」

 テーブルの上に散らばったカップの破片を引っ掴み、ランダは自身の人差し指をそれで裂く。血が滲んでいくのを確認して、怪我をしているその指で地図をなぞり始めた。印の付いた場所、印から印へ。計三つの印を血でなぞり、赤く、薄汚れた図形を描く。図形の中心には北高のグラウンド。

「お願い、ランダ。私、たちを、本物に変えて……」

「……あたしゃ、あんたたちが嫌いだったよ」

「そう、ね」

 カリュプソが膝を突き、ゆっくりと床に寝そべった。彼女からは血溜りが広がっていき、彼女からは血の気が失せていく。

「さよならさ、カリュプソ」

「ええ……」

 しばらくの間、沈黙と血の香が部屋を満たした。

「本物、ねえ」

 ランダは既に息絶えたカリュプソを見下ろし、息を吐く。

「それを言うなら、充分あんたたちの方が本物だったよ」

 疲れ切った表情で見取り図を見下ろし、召喚陣を完成すべく最後の点を書き足した。その点が記された場所は北高、グラウンド。



 一たちは神野らと合流し、生存者の大半を校外に脱出させる事に成功した。神野曰く、正門は近かったが、見えていなかったらしい。逃げようとは思っていても、どうやって逃げるかは意識から消えていた、と。

 魔法の威力を思い知りながらも、彼らは体育館に残っていた剣道部員数十名、一階校舎の教室に隠れていた数名を逃がし、正門前で集まっている。

 一、ナコト、三森、神野、立花の勤務外たちに加え、姫と安田は最後までその場に留まっていた。

「……安心は出来ませんね、二人仕留めたと言っても、まだ『館』には何人か残っている筈ですから」

「でもさ、もう骨は動かないし、追撃だって来ないじゃん」

「まあ、確かにそうですけど」

 ナコトは気を揉んでいたが、一の気持ちは軽い。

「とにかく、一旦勤務外以外の子は外に出しちゃおう。俺たちで生存者を確認して、残りの魔女もどうにかすりゃ良いんだ」

 一は神野を手招きし、安田と姫を逃がすよう告げる。

「分かりました、一さん。あの、もう、大丈夫ですよね?」

「何とも言えないけど、今のところは大丈夫だよ」

 神野は頷き、姫を説得してから外へと連れ出してやっていた。

「立花さーん」

「んー、なにー、はじめ君?」

 立花は嬉しそうに一の傍まで駆け寄る。

「あー、いや、何と言うか、今日はお疲れ様、だったね」

「え、う、うん」

「怪我とかしてないかな?」

「う、うん! 大丈夫だよ!」

 良かった。一安心。神野にも怪我といえる怪我は無かったし。一は胸を撫で下ろした。

「じゃあ、どうしようか黄衣?」

「……あなたが決めたらどうですか?」

「えー、俺が? 嫌だな、面倒だ。あと、自信無い」

 ナコトは露骨な舌打ちを一に向けた後、

「では、誰かに正門前の守備をお願いしましょう。それ以外の方は固まって生存者の方の探索という事で……」

 

 ――最初に襲ってきたのは胸を締め付けられるような息苦しさ。空気を求め、口を開けて喘ぐと、次に全身に痺れが走る。体を流れる電流の如き熱さに寝返りを繰り返した。火を点けられたと錯覚しそうな熱さに身悶えしていると、最後の、最悪の痛みが頭部に襲い掛かる。何かが頭の中を叩き続けていて、視界がぶれ、涙と嗚咽が零れた。鳴り止む事の無い不快な音と、永劫に続きそうな、脳内を這い回る鈍痛。

 しばらくの間、頭を押さえて呻きながら、布団の上で転がり続けていると、直に痺れが治まってくる。か細い呼吸を繰り返す内、胸への圧迫感が消えていった。そして、体から熱が引いていく。徐々にではあるが、楽になっていった。

 しかし、消えない。

 頭痛だけがいつまでも消えてくれない。頭の外側からも、内側からも何かで殴り続けられているような、激しい痛みが残り続ける。


「「ああああああああああ!」」

 二人分の悲鳴が木霊して、響く。

「おっ、おい! お前らどうしたってンだ!?」

「はじめ君、はじめ君?」

 蹲る一とナコトに、三森たちが走り寄った。異様な気配。異常な事態。

「おい、しっかりしろ!」

 全員の視線が一たちに向き、その間に事態は悪化する。


「――かん、の」


「……やすだ?」

 消えそうな声に呼ばれて、振り返った神野が見たのは、全身に骨が突き刺さった安田だった。

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