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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
プロローグ
10/328

風と共に去れ

「一、良く来たな。コーヒーでも飲むか」

 店長が蓋の開いた缶を持ちながら言った。

「結構です。しかも飲み掛けじゃないですか」

 その缶を素通りして、オンリーワンの制服に着替えながら一が言う。

 店長は缶を机に置くと、溜息を吐いた。

 目は充血し、隈も出来ている。

 明らかに疲労が溜まっている様子だ。

「堀が来れなくなってな。久しぶりにレジ打ったぞ」

 机の上に突っ伏しながら店長が呟く。

「へえ、店長が? 何日振りだったんですか?」

 興味津々と言った様子で一が尋ねる。

 店長が人差し指を立て、溜息と一緒に「一年」と短く返した。

「ああ、それは、何かもう災難でしたね。それにしても、堀さんがシフトに来れないなんて珍しい、っていうか初めてですね」

「支部に呼ばれたらしい。どうせタルタロス絡みだろ」

 タルタロス。

 その言葉に一の心拍数が上がる。

 喉を通り越して、口から心臓が飛び出るかと一は思った。

 こたつに入り、みかんを頬張りながらテレビや求人誌を眺めている居候。

 糸原四乃。

「ああ、なるほど」

 一はなるべくその同居人を思い出さないようにして、平静を装いつつ相槌を打った。

「それはもう良い。今日は三森も居ないし、私一人で仕事してたから疲れた。後は任せたぞ、一」

 ハイハイ、と適当に返事をして一は店内へ出た。

 冷たい汗が背中を伝い落ちる。

 足取りもどこか重い。

 ダスターを握り締めていた一の手はじっとりと汗ばんでいた。

 ――とんでもない事をしたんじゃないのか、俺。



 駒台の公園にある木製のベンチ。

 真昼間から、そのベンチで気持ち良さそうに、スーツ姿の女性が寝そべっている。

 今日は天気も良く、昼下がりの雲はゆっくりと、静かに流れていた。

 ベンチの上の長い黒髪が大きく揺れる。

 今まさに寝起きです、と言った様子で、女がだらしなく髪の毛を掻き分けていく。

 傍に置いてあったコンビニの袋から、コーヒー牛乳を取り出し、蓋を開ける。

 女はその蓋を指で弾いて、離れた地面に落とした。

 ふう、と一息ついてから、女が立ち上がって伸びをする。

「朝はやっぱコレよね」

 タルタロスから脱獄した指名手配犯、糸原四乃の一日はコーヒー牛乳から始まった。

 空き瓶を袋に詰め、公園内のゴミ箱へと狙いを付ける。

 片目を瞑って距離を測ると、手を高く上げて重りの入った袋を投げ捨てた。

 袋は中空に美しい弧を描くと、ゴミ箱の縁に当たってガラスの割れる様な音を響かせる。

 糸原の姿を、子供を連れて遊びに来ていた近所の主婦たちが遠まきにして見ていた。

 反対側のベンチに座りながら、井戸端会議に耽っていた主婦たちの話題は、最近値上がりした野菜の事から近所に出没する不審者に摩り替わっている様子。

 子供たちをなるべく不審者から遠ざける為、砂場から離れる様に母親たちが声を上げると、えー、と言う不満な声が砂場から漏れ出す。

 糸原は自分が「不審者」として見られている事にはとっくに気付いていたが、警察を呼ばれない程度にちょっかいでも掛けてやろうと、子供たちの様子を距離を取って眺めていた。

「もっと遊ぼうよー」

 子供特有の、舌足らずで甲高い声が公園に響く。

「でもお母さんがー」と、一人の男児が喚いている子供に返した。

 母親たちが次々と、糸原が居る方とは逆の出口から公園を立ち去っていく。

 ――つまんないの。

 帰っていく人々の姿を見送って、糸原も踵を返そうとした。

「遊んでくれないとヤダよ!」

 先程から喚いていた子供が、更に声量を上げて駄々をこねる。

 糸原は砂場で一人騒いでいる子供を観察した。

 緑色の、ワンポイントで羽の付いた小さな帽子。

 小さな子供の所には大きな親が迎えに来る気配は一向に無い。

 やがてその子供は小さな足を目一杯使って砂を蹴り上げる。

 舞い上がった砂の多くは、風も無いのに宙に浮き続けていた。

 現代の物理、科学法則をこれでもかと無視し続ける物体。

 糸原が自分の目を疑い、何度も瞬きをした時、一陣の風が公園中を吹き抜けた。

「つまんないよ! バカァ!」

 帽子を被った子供がそう叫ぶと、立ち去っていこうとする数組の親子らに、砂を伴った強風が襲い掛かる。

 風の勢いにより、軟らかい砂が、固い石の様に重たそうに飛来する。

 母親と子供、親子の悲鳴が辺りに耳障りな程広がっていく。

 子供を庇う様に、母親が覆いかぶさって地面に伏せる。

 突然自身を襲った恐怖から、母親の手から離れて走り去る子供。

 何も出来ずに立ち尽くして、ただただ泣き尽くす子供。

 ――どうする?

 ポケットの中の「得物」の感触を確かめながら、糸原が子連れのグループを確認する。

 砂が宙に舞い続け、飛礫となって人々に襲い掛かる。

 人知を超えた異常な出来事。

 間違いなく、ソレの仕業だ。

 そして、そのソレは帽子を被ったあの子供。

 糸原はそう確信するも、目立ちすぎる行動を控えるべき人物である。

 指名手配犯、この肩書きが糸原の足を止めた。

 せめて誰かに連絡だけでもと、公衆電話を探すがそんな物は何処にも見当たらない。

 糸原は焦燥感に追われてしまっている。

 そんな糸原を尻目に、公園には緑の帽子を被った子供――おそらくソレ――が、相変わらずの金切り声で叫んでいた。



 駒台の住宅街を目的も無く、勤務外店員、三森は歩いていた。

 三森にとっては久しぶりに貰った休みだ。

 職業柄、遊びや生活する為の金には不自由していなかったが、常に遊ぶ為の時間には不自由している。

 突然与えられた休暇をどう消化しようかと、ずっと部屋で思案していた三森だったが、考えている内に一日が終わってしまいそうだったので、仕方なく外へ足を伸ばしたと言う次第だった。

 昼下がりの平和な通りに、真っ赤な服装と、金色の髪が調和しているとはどうにも思えないだろう。

 毒々しい取り合わせをした色の女が煙草を吹かせながら、公園へと続く通りを闊歩する。

 朝から何も口にしていなかった事に気付いた三森は、目に留まった自動販売機でホットの缶コーヒーを購入した。

 喉を潤すと、やっと落ち着いてきた気がする。

 三森が欠伸を一つして、太陽を見上げた。

 ――今日はまだ暖けェな。

 ぼんやりとしていた三森の耳に、少し先の方から声が聞こえた。

 気のせいかとも思ったが、その声が余りに切羽詰っていて、おまけに竜巻らしき物も視線に入ってしまったのだから信じるよりしょうがない。

 三森が駒台の地理を少しずつ思い出していくと、公園がその場所に当て嵌まる。

 今日は休みだったンだけどな、と心の中でぼやくと三森は公園へと走り出した。



 公園の敷地を縦横無尽に子供が飛び回っている(・・・・・・・)

 風を引き連れ、空を当たり前の様に飛び回る子供。

 さっきまでの癇癪も収まってきたのだろうか、親子連れに襲い掛かる飛来物は目に見えて少なくなっていた。

 それでも原因であるソレは、未だに射程距離を維持して飛び続けている。

 何事かを喚き散らしているが、公園内に残っている糸原は甲高い声を聞かない様に耳を塞ぎ続けていた。

 指名手配犯である為、力を振るう事も出来ず、かと言って被害者を見捨てる訳にも行かず、ただそこに立っているだけの糸原。

 ――さっきからうるさいのよ。

 だが、それも我慢の限界に達し様としていた。

 後先考えず、得物を振るう事を糸原は決意すると、糸原はスーツの内ポケットから、黒く塗り潰された、キーパーグローブの様な物を取り出し、装着した。

「そこのアンタ! 降りて来なさいよ!」

 準備の整った糸原は、空を飛んでいるソレに向かって叫んだ。

 ソレは瞬きを繰り返してじっと糸原を見つめている。

「なんでさ?」

 やがてソレが、至極当たり前の事を尋ねた。

「ムカつくからよ。ほら、ボコボコにして上げるからとっとと私の前に跪きなさい」

「降りるわけないだろー!」

 ソレが糸原に気を取られている間に、蹲っていた人々が逃げ出していく。

 公園の出口に悲鳴が折り重なる。

「あー! 逃げちゃったじゃんかよ、どうしてくれんのー?」

 ソレが足をバタバタさせながら、不満を口にする。

「うっさいわね、早く降りて来なさいって言ってんでしょ」

 糸原が砂場を踏み荒らしながら言った。

「もーいいや、そんならあんたに遊んでもらうから」

 そう言うと、ソレは糸原の立っていた足場から砂を巻き上げ始める。

 風の影響でバランスの悪くなった砂場から糸原が飛び退く。

 巻き上げられた砂はソレの周りを回転し始めた。

 バラバラに回転していた砂が一つに纏まる。

「まずは鬼ごっこだよ!」

 手を翳すと、糸原を狙って砂の弾丸が唸りを上げた。

「クソガキッ」

 悪態を吐きながら、糸原がサイドステップを大きめに踏んでそれを避ける。

 ソレの手の動きに合わせて、弾丸と化した砂が地面に痕を残した。

 糸原が自身に投げられた砂を避けつつ、身を隠せそうな物を探す。

 が、公園には砂場とベンチ、ブランコや滑り台と言った比較的ポピュラーな物しか設置されていなかった。

 遮蔽物となりそうな物は見つからない。

 楽しそうに笑いながら、ソレは糸原を少しずつ公園の端へ追い詰めていく。

 ――ここから逃げても良いんだけど。

 ガキ一匹相手に、この私が?

 有り得ない――

 糸原のプライドが逃走を許さなかった。

 追い詰められながらも、一発として被弾はしていない。

 雨の様に浴びせられる飛礫を掻い潜る。

 糸原は少しずつ、本当に少しずつではあったが、再びソレとの距離を縮めだした。

「もうっ、しつっこいなー!」

 雨よ槍よと振っていた攻撃が止む。

 好機と見て、糸原が距離を一気に詰めるべく脚に力を溜めた。

 降りて来ないなら落とすまで、糸原は武器を取り出すべく、ズボンのポケットに手を突っ込む。

「あっれえ?」

 思わず糸原自身でも疑ってしまう様な声が飛び出した。

 ポケットに何も入っていない。いや、正しく言えばコーヒー牛乳を買ったときのレシートしか入っていない。

 おっかしいなあ、などとぼやきつつしゃがみ込んで辺りを手探り始める。

 糸原が立ち止まっている間に、ソレは先程まで小さかった砂を大きく纏めていた。

 攻撃力を上げれば、敵を一発で倒せる。

 子供の外見をしたソレの子供じみた考え。命中率を上げる為の小さな砂でさえ糸原には一発の被弾すらしなかったのだ。

 その武器を大きくした所で、いくら殺傷力は上がっても、先刻より楽に避けられてしまうのは誰の目にも明らか、だった筈。

 だが、武器が無い事に対して焦っている糸原に。

 注意力散漫で上を見ようともせず、ソレの取って置きの存在にすら気付いていない糸原に。

 一撃必殺の砲弾が当たる可能性はどれ位のものなのだろうか。

「当たれえ!」

 何が、と聞き返す間も無く、砲弾は不可視の大砲から発射された。

 ソレの言葉に顔を上げた糸原の視界が、巨大な土の塊で覆われる。

 人間の子供程の大きさをした塊だったが、風の力でスピードが乗っている分破壊力は計り知れない。

 ソレの視界からは糸原の姿が大きな砂の塊の影で完全に消える。

「ストライクー」

 どこで覚えたのか、野球の審判の様に手を上げ、楽しくて堪らない事をアピールしながらソレが言う。

「惜しいわ、ボールね」

 え、とソレから驚きの声が発せられた。

 糸原が右足一本で砲弾を、衝撃を受け止めている。

「うっそぉ!?」

 そのまま糸原は右足に力を込めると、衝撃を殺し切り斜め後ろへ弾丸を蹴りやった。

 砂の弾丸は地面に激突すると、若干の形を残しながら周りの土に同化していく。

 糸原は右足を摩りつつ、砂の混じった唾を吐き、ソレを睨みつける。

「次は私が鬼?」

 ソレよりもソレらしい、冷え切った視線が子供に突き刺さった。

「うっさい! 砂はまだまだあるんだからな!」

 ソレが今居る位置よりも、更に高く上昇していく。被った帽子がゆっくりと地面に落ちていくと、帽子とは反対に、大量の砂が風によって巻き上げられ出した。

 先程とは比べ物にならないぐらいの、大きな大きな塊が形を整えられていく。

 一つ、二つ、三つ。

 合計三つの砂の塊が宙に浮くと、ソレの瞳がターゲットである糸原を捉える。

「今度は当たれえ!」

 そう叫んで、ソレは手を下に振った。

 その合図を皮切りに、三つの砲弾が風と共に空を走る。

 ――早い……!

 今度は避ける事も、止める事も出来ない。

 立ち尽くす糸原だが、視線だけはしっかりと空中のソレを捉えていた。

 砲弾が空を走ってから、糸原へたどり着くまで五秒は要らないだろう。

 一つ目の砲弾が糸原を襲う。

 糸原が腕を交差させ、防御を固めると衝撃音が辺りに走り、塊によって徐々に砂地に何かが這った様な痕を付けつつ下がっていく。

 一つ目の塊は勢いを失いつつあったが、その代償は大きかった。

 糸原の腕がダラリと垂れ下がっている。

 服の上からでは分からないが恐らくは大きく腫れているだろう。

「いったあ!」

 声を上げ、気を紛らわし痛みを反らすも、それも一瞬の気休め。

 続いて二発目が糸原へと向かう。

「伏せろ!」

 突然糸原でも、ソレでも無い声が公園に響く。

 言われなくても、立ってられないわよ。頭の中で声の主に毒づき糸原が倒れこむ。

 塊が目標を捕らえようとした瞬間、真っ赤な炎に包まれて一瞬で灰にまで成って果てた。

 炎を操った人物が、倒れている糸原の前に割って入り、三発目の塊をその視線で捕らえる。

 声を上げ、右手を塊に向けて突き出す。

 掌からは眩いほどの赤い光。

 その光に照らされ、包まれ、最後の魔弾も塵となる。

「オマエ! オマエ何なんだ!?」

 高度を下げ、ソレがそれ(・・)に問いかけた。

 真っ赤なジャージに、金髪の女が煙草に火を点ける。

「今日は休みだってのに……」

 オンリーワン北駒台店、勤務外店員三森がソレを睨みつつ自嘲気味にそう呟いた。  

「もーいい! 次はオマエに遊んでもらうよ」

「あ、次は何だ? 飯事でもやンのか?」

 お互いを見据え、お互いが距離を取る。

 両者とも動かず、乾いた風だけが静寂をよしとする公園内に騒ぎ続けた。



「あれ、三森さん。珍しいですね、休みの日に公園で散歩? 意外っすね」

 この場に相応しくない、暢気な声を上げて一が現れた。

 突然の乱入者に、ソレと三森が目を丸くする。

「何してンだ、退けっ」と三森が一を叱り付ける。

 その言葉を右の耳から左の耳へ受け流す様に、一が三森より一歩前へ出た。

「次はオマエが遊んでくれるの?」

「そうだよ」と答え、更に一がソレへと近づく。

 あはは、と高く笑い、ソレが腹部を手で押さえる。

「何して遊ぶ? 弱そうなお兄ちゃん」

「お飯事でもしよっか。ほら、これ上げるから降りといで」

 そう言って、一が何かを掴んだままその手を掲げる。

「その手には乗らないよニンゲン。セーレーはそこまでバカじゃないのさ」

「言っておくけど、俺はホントに弱いから戦う気なんて無いよ。と言うか、戦いたくないし。君を助けに来ただけだから」

 ほらほら、と手を振って一が言った。

「何だと?」「何ですって?」

 一の耳に、後方から二つの声が同時に届く。

 振り返れば、怒った顔の三森と糸原。

「糸原さん? 何やってんですか、こんなとこで」

 やっと倒れていた糸原の存在に一が気付く。

 同時に、しまった。とも一は思った。

 糸原が顔を隠す様に地面に伏せる。

「……本当に何だってンだ。説明しろ」

 三森が怒りを通り越して呆れた、と言う様な表情を浮べる。

「あー、その……。えーと」と、一が言葉に詰った。

「……そこの女。あの(・・)女に似てるよな。名前まで同じってェのはただの偶然か?」

 答えを急かす様に、三森が一を問い詰める。

「同一人物、です」

「ちょっとぉ!」

 一は三森の視線に耐えられず、白状した。

「良し一個終わった。もう一つは」

「無視すんなよ!」とソレが割り込む。

「ソレは?」と三森が火を点けていた煙草の煙を吸い込んで言った。

 一が掌の中の物を広げて見せる。

「すぐに分かります」

 そう言って、一が飴玉を握りなおしてソレに向かった。

「ほら、飴食べよう。何もしないからさ」

「うそつけ、ニンゲンはうそつきだ。さっきの子供もそうだったぞ、遊んでくれるって言ったのに途中で帰ろうとした!」

 ソレが喚いて、小さな腕を振り回し、空中で暴れる。

「へえ、そうなんだ。ま、子供だからね。俺は嘘は付かないよ。ほら、甘い飴だぞー」

 年下の子供に言う様に、一が優しい声を掛ける。

 そして手の中の包み紙を開いて、透き通った水色の飴玉を口に放り込んだ。

 一はコロコロと、舌の上で飴玉を転がす。

 ――飴なんて食ったの久しぶりだな。

 舌の上に広がる甘みを感じて、一は懐かしく思った。

「甘いの? おいしいの?」

 お菓子に興味を惹かれ、ソレが警戒しながらだが、ゆっくりと降りてくる。

「甘いし美味しいよ」

 一がポケットの中から適当に飴の入った小さな袋を掴む。

 広げた手からは零れんばかりの色とりどりの飴玉。

 その中から一つ摘み上げ、ソレに差し出す。

 ソレは一と緑色の飴を何度も見比べ、素早く一の手から包み紙を引っ手繰った。

 引っ手繰った包み紙をそのまま口に入れようとする。

「違うって」と、慌てて一がソレの手を止めた。

 包みを開け、一が改めてソレに飴を差し出す。

 今度はしっかりと受け取る様に、小さな手が飴を手に取った。

「ほんとだ」

 飴玉を頬張りながら嬉しそうにソレが言う。

 あれほど吹いていた風はいつの間にか止んでいた。



「……シルフ、ですか?」

「ああ、風の精霊って奴らしい」

 店長が電話を置いて、一の問いに答える。

「ソレとは違うんですかね?」

「いや、要は同じだろ。ただ対処し辛いのは確かだな」

 店長が煙草を吸いつつ、目線を上に向けた。

「ガキらしい」

 はあ、と一が訳が分からないと言った表情を顔に出す。

「だから、シルフってのはガキらしい」

「意味が分からないんですが」

 一が店長の顔を見る。

 店長の顔は真面目そのものだった。

「勤務外が動く程の被害は出ていないんだよ」

 一が疑問を口にする。

「一応、シルフって種類のソレが出てきたのは確かなんですよね? で。何で勤務外が動いてくれないんですか? 人間が襲われたりしたら遅いと思うんですけど」

 そうだな、と店長が答えた後。

「シルフは今ガキと遊んでるらしいな」

 ああ、と一が納得する。

「そんなタイプのソレもいるんですね」

「ああ。いるらしいな。それで私らに仕事が来た」

「え? だって勤務外が動くまでも無いって」

 いやいや、と店長が楽しそうに否定する。

 そして回転式の椅子をクルリと一の方に向けて。

「だから一般(おまえ)の仕事だよ、一」

 これまた楽しそうに笑った。

「俺が? ソレ相手に何をしろって言うんですか?」

「簡単だ。帰れっつって人間の世界からお引取り願うだけで良い」

 どうやって、と一が呆れ顔で尋ねる。

「知るか」と答えが返ってくるまで時間は大して掛からなかった。

「相手はガキだ。気分でも良くして帰ってもらえ」

「だからどうやって! 嫌ですよ怖いですよ!」

 一が見っとも無く喚く。

「うるさい! どうせ害も悪意も無い子供が相手だ、菓子でもくれてご機嫌伺ってれば良いだろ。それと嫌でも怖くても仕事だから行って来い、私は嫌だし面倒だから行かないぞ」

「……いつか辞めてやりますよ」

 一が店長をジト目で見る。

「駄目だ。それと、失敗したら時給下げるからな」



 既に四つ目の飴に手を伸ばしているソレ――シルフ――を見ながら一はつい三十分前の事を思い出していた。

 一は三森と糸原を横目で見ながら、この先どうしようかと頭を捻る。

「気に入ったぞオマエ、良いニンゲンだな」

 シルフが飴を両手に持ちながら言った。

 そして手の中の飴玉を嬉しそうに眺める。

 一が「それはどうも」と、見た目は子供、中身も子供のシルフに会釈。

「あのさ、飴のお礼に俺からも一つお願いを聞いてもらっていいかな?」

 と、一が恐る恐ると言った具合に口を開ける。

 シルフは返事をせずに、「なんでさ?」とでも言うかのように首を傾げた。

「とりあえず、人間の近くに出てくるのを止めてくれないかな?」

 一が目を泳がせながら何とかそれだけ口にした。

 ――ド真ん中過ぎ。

 そのやり取りを見ていた糸原は片手で顔を覆う。

「だから、なんでさ?」

 シルフの顔色が明らかに変わる。

 手に持っていた飴玉を遊ばせながら、不機嫌そうに一に返した。

「うーん。俺は君に飴を上げた。だから君も俺に何かして下さい。ギブアンドテイクって知ってるかな? 大人(・・)の常識。君は頭が良いし、非常に紳士的だから知ってるとは思うけどね」

 大人の部分を強調するように一が言う。

「ぎぶ……。ま、まあね、もちろん知ってるさ。何たってシルフ様はオマエとおんなじで大人だかんね」

 一から目を逸らせてシルフが言った。

「いやいや、俺はまだまだガキだよ。大人ってのは君みたいな人の事を言うんだよ」

「そうかな、そうだね、そうだよね!」と、シルフの視線が徐々に一へ向いていく。

 シルフの顔は喜びに満ち溢れていた。

「なら俺のお願い聞いてくれるかな?」 

 腕を組み、目を瞑ってシルフがうーん、と唸った。

 ――後一押し……!

 一は拳を固く握った。

「さっきのだけじゃ割りに合わないなー、やっぱやだなー」

 シルフが空中で回りながら呟く。

 聞こえない様に一が小さく舌を打つ。

「言う事聞いてくれるんなら、今度俺と会った時にはさっきの飴に、チョコレートとキャラメルも付けるよ。知ってるかなー、すっげえ甘いんだよチョコは。飴より断然美味いね」

 ピタリとシルフの動きが止まる。

「ちょこれーと? きゃらめる?」

「うん」

「飴よりおいしいの?」

「飴よりおいしいよ」

「甘いの?」

「甘いよ」

 目を輝かせてシルフが一に尋ねる。

 一があくまでにこやかに答えた。

 やがて沈黙が公園に訪れる。

 誰も声を発さないまま、雲が流れ、穏やかな風が吹く。

「……シルフは大人なんだぞ」

 下を向いてシルフが言う。

「そうですね」と一が相槌を打った。

 その相槌は酷く適当な物だったが、打たれた本人は気付いていない。

「特別だぞ、今日は特別だかんな!」

 そう言いながら、シルフが柔らかな風を起こした。

 その風を使って浮き上がって行く。

「ニンゲン、絶対だかんな。また来るからな」

「うん、またね」

 一がそう返すと、シルフは高度を上げていく。

 地上に居る人間からは、段々とその姿が小さくなる。

 砂埃が上がる程の強い風が吹き、一は思わず目を瞑ってしまう。

 しばらくして一が目を開けると、風の精霊は完全に見えなくなった。

「やるじゃない。どっか行ったわよソレ」

 糸原が、服に付いた砂を払いつつ一に近づく。

「所詮はガキですね」

 勝ち誇る様に一が言った。

「っていうかアンタ意外と度胸あんのね」

 瞳を少し大きくして、糸原が一を眺める。

「度胸も何も、相手は子供ですよ。危険なんて無いって聞いてましたし」

「は? あのガキのした事見てないっての?」

 一が目を丸くした。

 ――どういう意味だ?

 考え込む一に三森がゆっくりと近づいて来る。

 全てを悟った様な、いつもよりはほんの少しだけ優しい表情を浮べた三森が一の肩に手を置いて、「騙されたンだよ」と同情するように言った。

「え? あの、誰にですか? 何をですか?」

「とりあえず店に帰ンぞ、テメェもだよ犯罪者」

 まだ悩んだ様子の一と、反対側から逃げようとしていた糸原に三森が声を掛ける。



 冷たい風が公園内を吹き抜けていく。

 木枯らしだろう。

 本格的な冬が駒台に迫っていた。

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