その一
某有名な作家の小説の名言で、「この世に不思議なものなど、何もないのだよ」というセリフがある。
もしそれを、俺に言われたら、俺は即座に否定する。
なぜなら、その【不思議】が存在するからだ。
皆様は猫又というのをご存知だろうか。
古くは兼好法師の随筆【徒然草】に「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなると人の言ひけるに……」と記されている。
江戸中期の有職家・伊勢貞丈による『安斎随筆』には「数歳のネコは尾が二股になり、猫またという妖怪となる」という記述が見られる。また江戸中期の学者である新井白石も「老いたネコは『猫股』となって人を惑わす」と述べており、老いたネコが猫又となることは常識的に考えられていた。
何故こんなことをズラズラと俺は述べるのか。
いるのだ。うちに。
猫又が。
東京・谷中。
猫の街として、此処最近、有名となっている。その裏通りに小さな骨董屋がある。
【井筒屋】
そして、店の前にこのような紙が貼り付けてある。
【いわくのあるもの、買い取ります】
俺・宮野歳三は骨董屋を生業としており、この店のその店主を務めている。
「ただいま」
「おう、お帰り」
ドスの聞いた声が聞こえた。
コレがうちの猫又である。
名前は「鴨」。
御年36歳。俺と同い年だ。
白猫・雄。
すでにしっぽは二つに別れ、正真正銘、紛れもない猫又である。
猫なのに鳥の名前をつけるんじゃねぇ、ついでに子供の名前に新選組副長・土方歳三と同じ名前をつけるんじゃねぇと親に文句の一つも言いたくなったが、出来なかった。
幼い頃に俺の両親は病死。俺はこの骨董屋を営んでいた祖父に引き取られた。
「今月どうるよ。赤字だぜ」
出納帳を見ながら、電卓を叩く鴨の姿に俺は溜息をついてしまった。
爺様愛用の老眼鏡をかけ、二本足でひょいひょい歩き、電卓で計算しながら帳簿づけ。
どこからどう見てもコイツは立派な妖怪だ。どうしてこうなった?
まあ、見慣れたくないが見慣れてしまった。
「ここはひとつ、鴨様の神通力でどうにかならねぇのかよ」
「ならねぇよ。たわけ」
眉間にシワを寄せた鴨が言い返した。
俺は鴨の前に焼酎瓶を置いた。
「つまみ!つまみ!」
おちょこでちょこちょことビールを飲む鴨のために、俺はオイルサーディンの缶を開けた。
「おおお。いいねぇ。コレでチーズがアレば最高だねぇ」
「また太るぞ。猫医者に説教されるぜ。」
猫医者=獣医師。
コイツが猫又に変容していることは俺と猫医者しか知らない。
何だかんだ言いながらも、俺は鯖缶を開けた。
「ああ、そうそう。」
「?」
「今度、金山寺の和尚が巻物の鑑定を頼みたいんだと。あそこの美人の白猫にも是非にと頼まれた。」
「ふうん。分かった。何時?」
「明日行くと言っておいた」
鴨は俺の仕事予定なども確認している。まあ、料理以外はコイツは全てできるからなぁ。
それに基づいての判断なんだろう。
おそらく今回の仕事は、急を要する。
「俺の予定も確認しやがれ」
俺は鴨のために、豆腐を切ってやった。