別れと旅立ち
〜プロローグ〜
死後の世界。通称、天国と呼ばれる世界には蓮の花が水面風に揺れてはためいていた。よくみると蓮の花達は一つ一つ形も色も異なり水面下に彩りを添えている。
天国というのは三途の川を越えた先に存在し女神が創設した陸地の総称の事。
死した魂は毎日天国へと訪れ人界へ転生の時を待つ。もっと具体的に言うならば人界同様、家族形態で生活し心の傷を癒してから転生する。
何故ならば、魂はそれぞれ違った傷を抱き天国へと訪れるのだから……。妻を置いてきてしまった悲しみ、闘病したにも関わらず助からなかった悲しみ、死にたくなかったのに死んでしまった悲しみ等様々で、傷ついた魂を女神が丁寧に全ての記憶を消してくれる。
だが、どんな場合においても一部例外というものが存在した。それは自らの命を自ら奪わざるを得なかった魂。
大概の記憶は女神がきれいに消してくれるが、心の傷はそういかない。傷が癒えない限り、永遠に魂に悪影響を及ぼし続ける。
悪影響が現れると女神に判断された魂は、天国へ訪れると記憶を消される事は当然として施設へと送られる。
通称、学校と呼ばれる場所で毎日勉学に励む事を条件とし転生する資格を会得する。再び自殺という道を歩まぬ為、命の尊さを知るべく死神と呼ばれる特殊任務を担う為に。
ーー
「この度のテストで優秀な成績を収めた者はインターンシップとして人間界に行って貰いたい」
担任の一言で教室中全体がざわめきが広がった。羨ましく思う者、怯える者、様々な感情が渦を巻く。そんな中で私は一人期待に胸を膨らませていた。もう直ぐ夢が実現するかもしれないと。
「テストの結果はもう直ぐ張り出される。皆心して見る様に」
厚い雲に覆われていくようにどんよりとした空気が教室全体包み込む中、私だけは今度こそ夢が実現するかもしれないと胸を弾ませていた。
この中の魂で本心から人界に行きたいと思っている魂はいないだろう。人界そのものを本能的に恐れている。教室にいる魂は私を含め全員が自殺した魂だ。私自身も自殺した経緯持ち。従って恐れがないと言ったら嘘になるが、恐怖よりもドキドキする気持ちが抑えられない。
「今回のテスト。一番はやっぱり苺じゃない?」
私がドキドキして着席している最中、人の事情なんかお構いなしといった顔でレモン色の髪をした少女が目の前へとやってきた。
テストの出来栄えにも自信があるようで眼の前で胸まで張っている。そんな事しなくてもという思いから苦笑いがこぼれた。
「レモンこそ、今回のテスト自信あるんですか?」
「もちのろんだよ。なんたってあんなに勉強したんだから。でも、今度こそ苺が一番になっているかもよ」
「そっそんな事ないのです」
私は慌てて照れ隠しした。私はこの世界において七瀬苺と呼ばれていた。
いわゆるピンクと黒を基調としたロリータファッションに身を包みどちらかといえば目立つ服装をしているが、そもそもこの学校には規定の服装など存在しない。各々が自由な服装で授業を受けている。
実際、私の目の前にいるレモンもヒョウ柄のもふもふワンピースに包み頭にはヒョウ柄の耳のカチューシャをつけ、日々勉学に励んでいる。そんなレモンからも死神のイメージとでは繋がらないだろう。
七瀬苺。私は入学当初よりずっと必死に勉学に励み成績は常に上位と優秀な成績を収めていた。そして今年、ついに時期死神候補生と呼ばれる魂の一員に認定され活動してきた。
死神候補生とは学校に在籍している生徒における優秀な生徒のみで結成されたグループで教師たちからの信頼も厚く、時々ではあるが人界に行くことを許可されたいわばエリート集団。
私は正直エリート集団の仲間入りなど興味はない。だが、人界へ行けるという特権が美味しすぎる。
また、人界には興味が無いものの、死神候補生に憧れる魂は大勢いた。どんな姿になろうとも魂は少しでも優位に立ちたいと本能的に思っているのかもしれない。
レモンも死神候補生に憧れを抱いていた。レモンは入学当初より人界に行くことが夢なんだと話していた気がした。大切な物を置いてきてしまったからと。
レモンは同じ時期に入学した。その為か何かと話すことが多く現在に至っている。私は成績がぐんぐんと伸び死神候補生になることが出来たが、レモンはどちらかというと成績が悪く赤点の常習犯となってしまっていたが、彼女は彼女なりに必死に勉強してる。
「テストの結果が発表されました。生徒の皆様は至急確認してください。テストの結果が……」
校内アナウンスが流れた。生徒達は我先と掲示板の方へと向かう中、私だけはその場にとどまっていた。
「苺。ゴメンちょっといってくるね」
レモンは嬉しそうに掲示板の方へと走っていった。
テストの成績は自ら確認しなくてもレモンが必ず報告しに来る。それがいつものパターンでお約束となっていた。
自分は赤点を取ってしまったといつも逆の意味で騒いでいるというのに……。
レモンは嬉しそうに私の元へ掛けてきた。
「苺‼︎ おめでとう。流石苺だね。一位だったよ。いいなぁ、あたしも人界に行きたい」
「レモンはどうだったですか?」
私は半分イタズラじみて聞いてみた。
「全然ダメ。でも今回は赤点ではなかったよ」
得意気にVサインまでしてみせる。私はレモンがとても可愛らしくついつい笑ってしまった。
レモンも私につられて笑っている。
教室での何気ない風景。でも、レモンも自殺したんだ。私と同じ様に。だから命の大切さを学ぶ為に学校に入学した。レモン自身覚えてないのだから問い詰めるつもりもない。
「ちょっといいか」
私たちの何気ない会話に担任の先生が水を指した。楽しい会話が止まり私は先生を見た。おそらくレモンも先生を見たであろう。私へと向けられた視線がいつの間にかなくなっている。
先生の話の内容は大凡予想がついていた。
恐らく人界へのインターンシップについてだろう。
「レモンゴメンです」
私はレモンと別れ先生の所へと掛けて行く。
「教務室でいいか?」
私はコクンと頷いた。すると先生は元来た方向へと歩き始める。私も先生の後について行った。
私たちのの教室から教務室までは端と端となっている為見えてはいてもそれなりに距離がある。
飛べば済むのだが、私の服装で飛んでしまうと下からパンツが丸見えと恥ずかしい状態となる。
それも考慮し先生は歩いてくれているのだろう。
素っ気ない廊下を歩き教務室へ向かう。時々生徒とすれ違ったが皆が皆強張った顔つきをしていた。
「失礼いたしますです」
教務室では教員と難しそうな教科書が睨み合い授業の為の準備が着々と行われていた。
教務室の雰囲気に飲まれてしまい思わず私は喉を鳴らし唾を飲んだ。
担任の先生は気にせず進んで行き隅の方で来い来いと合図を送る。私はインターンシップについて教務室の隅の方で大凡の説明を受けた。
「七瀬には、約一年後に死去予定の綾瀬流架の担当について貰う。時期はまだ未定となているが引き受けてくれるか?」
「はいです。是非やらせてくださいです」
先生の言葉に私は一つ返事をした。この返事が後々後悔するとこの時点の私には想像する事すら出来なかった。
「ありがとう。早速で悪いのだが今夜にでも出発して貰いたい。だが、この度はインターンシップ。使い魔はいないからな」
「了解です」
使い魔とは本物の死神にのみ託される手のひらサイズの妖精の事。主に人界に行った際はこの世界と交信する為に死神の側にいるのだが、学生である私はパソコンで毎日成果を報告しなければならない。その為使い魔は必要ないのだ。
「それでは支度をしてくるですぅ。失礼するですぅ」
私は先生ペコリとお辞儀をすると、教務室を退室しインターンシップの支度をするべく学生寮のある塔の方へと歩いて行った。
天国は広いといってもそれほど広くもない。
大陸の大半が城の敷地となっていると表現した方が正しいかもしれない。
城の中に学校があり、少し離れた場所が学生寮と呼ばれる学生が住む居住区がある。
私は学生寮へ戻ると嬉しさの余り口元が半笑い状態になっていた。
なんとか綻ぶ顔を叱咤し自分の部屋へと入る。
すると今まで我慢していた嬉しさが溢れ笑いが止まらない。
やっと夢が実現した。
ーー
暗闇で目を開けた私は辺りを見渡した。
何も見えない闇で私が震えているとどこからともなく声が聞こえてくる。
私は声のする方へと耳を傾けた。
「苺。貴方は残念ながら人間界で命を落としました。よって記憶を消去します。死後の世界に着いたらここで生活してくださいね」
幼い私に女神から一枚の紙が渡された。
女神の残した紙一枚を頼りに当てもなく彷徨うと、ようやく女神の指し示す場所に辿り着く事が出来た。
こじんまりとした三角屋根の家。そこには既に若い男女二人が夫婦の様に暮らしていて私を迎え入れてくれた。
私は二人をパパ、ママと呼ぶようになり、二人も私を娘の様に可愛がってくれた。
毎日が充実し私はここに来て本当に良かったと心の底から思い、幸せに暮らしていた。だが、幸せな生活は長くは続かず突然終わりを告げた。
最初はパパがいなくなった。
「はっはっはっは。どこですぅ?」
私は走ってあちこち探すもどうしても見つからない。
悲しくて泣いているとママが私の耳元で優しく教えてくれた。
パパは人界へと帰ってしまったと。
世界のルールで、この世界に永遠といることは許されないのだそうだ。
せいぜい百年だとママは話してくれた。そして自分もいずれ人界に帰る日が来ると。
ママが転生するまで約二十年間。私はママと一緒に生活することができた。
年を取らない私とママ。ママは二十歳位で私は六歳。
亡くなった時、私達の時間はそこでストップする。その為死後の世界で成長することはない。だが、転生する時は異なり、光る赤子に姿を変えてこの世界から旅立つ。
ママが光る赤子に姿を変える所を私は目の前で見た。
突然、体全体が光だしたかと思うと瞬く間に体が縮んでいく。
光が消えた時、赤子に姿を変えたママを神の使いが現れた。
転生の際、誰も道に迷わぬように。
「ママを連れて行かないでくださいですぅ‼︎」
私は咄嗟に神の使いの腕を掴んでいた。
「あら、これは面白い子。この方は転生されるのです。これは彼女の幸せの為なのですよ」
神の使いの言葉の意味をハッキリ理解することは出来なかったもののママの幸せと言われ素直に掴んでいた腕を離した。
「どうすればママにまた逢えるですぅ?」
「それは死神になるしかありません。転生したらママに逢いたいという貴方の気持ちまでもが消えてしまうから……」
「そっそんなですぅ……」
「これを使いなさい。そうすれば貴方は成長し死神の学校に入れるでしょう。でも、忘れないで、転生した彼女の記憶には貴方の記憶なんて存在しない。それでもママに逢いたい?」
「はいですぅ」
私は涙を堪えて神の使いと目を合わせた。すると、神の使いは私の手に一粒飴を差し出す。
「これは何ですぅ?」
「これは貴方の成長に必要なもの。口にしなさい」
神の使いはそれだけ言い残し私の前から姿を消した。
あれから十年。私はなんとか死神になるべく学校へ入学する事ができた。
必死で勉強し、やっと夢が現実になろうとしている。
(ドキドキが止まらないですぅ……)
人界へ行く支度をしている時でさえ嬉しさが溢れ顔が綻ぶ。
覚えていないかもしれない。だが、それでも大好きなママに数年ぶりの再会が出来ることで私の頭の中は一杯になった。
__
トントントン
「そろそろ支度は出来たかね?」
初老の男性が部屋を訪ねた。この人は新人の死神を統一する凄い人。
名前は忘れてしまったが、とにかく何人もの人の魂を刈り取ってきた。
だが、初老の男性はそれに似合わず、孫を可愛がる割腹のいい男性にも見えた。
「それではゲートを開放する。こころしてインターンシップにかかる様に」
「はいですぅ。ありがとうございましたですぅ」
そういって初老の男性は両手を大きく掲げた。すると大きな障子が姿を現す。これがゲートと呼ばれ神の使い達が毎日人界に魂を送り届けていた。しかし、個人で使用する事は禁止されている。万が一迷ったりすると人界とこの世界との魂のバランスが崩れてしまうから。
私は躊躇することなく障子の中へと入っていきかくして私の一年に及ぶインターンシップの幕は開いた。