ぐらぽん1 たぬきの川下り
ノミネリア大陸を横断するネンドロ大河。その分流である。ネンプチ河。
流れが緩やかで、小魚が豊富に棲むこの河は、釣り人達の格好の釣り場となっている。
――その河を、巨大な桃がどんぶらこっこ、どんぶらこっこと流れていた。
お久しぶり諸君。我である。
我というのはこの桃である。
自らに桃の知り合いなどいないと抗議する方もあるだろうから、きちんと自己紹介をしよう。
我が名はポン太郎・ザ・ドラゴン。
故あって桃に化けているが、実際はたぬきとドラゴンの……いや、たぬきと何らかの生物のハーフである。
さて、まずはなぜ我がこんな姿でこんな場所をどんぶらこっこしているか説明せねばなるまい。
そもそもの始まりは、我が家に届いた一通の手紙である。
姫様とも心温まる文通を続けている我であったが、そちらではない。
差出人はグランデ・ザ・ドラゴン。
ドラゴンと巨人族のハーフ、グランデ姉君からのものであった。
その内容は、我が血の繋がった弟ではないと知ったこと。
だが、それで態度を変えるつもりはないこと。
むしろそれを知った我が心配だということ。
そして、近々帰省したかったが、それが少々先延ばしになりそうなことであった。
小さくまるこい字で書かれたそれは、我を温かい気持ちにさせ、彼女の温もりを思い出させる。
姉君は、我を奪還――もとい説得しにきた姉上達によって、我の出生について聞いていた。
姉君にも大分会っていない。近頃様々な事が起こったため、余計にそう思う。
そうして、何とかならないものかと我が地図を広げてみると、我は一つの事実に気づいたのだ。
一本の河が、我らが住んでいる山から姉君の街まで通じている。
しかもその流れは、こちらが上流である。
あれ、いけんじゃね? 我は思った。
そんな訳で、思い立ったら即実行。
我はちょっとしたバカンスに、川下りを行うことにしたのだ。
して、何故桃かという話であるが、これにも理由がある。
我とて身一つで河を下ろうとするほど無謀ではない。
最初、我はいかだに乗っていた。丸太をまとめて蔓でゆわいた自信作だ。
そしてその上には、ある程度の食料も積んであり、川下りの準備は万端だったはずなのである。
しかしネンプチ河は魔の河域であった。
まず二日目の初めにハゲタカの大群が我を襲い、食料が全てついばまれた。
そして次の日に河クジラがいきなり浮上してきていかだがひっくり返された。
さらにその日の夜になると渓谷に住まう死霊が集い、我に乗り移ろうとする。
桃には魔を祓う効果がある。
そんな逸話をミュッケ姉様に聞いていなければ、ここまでどんぶらことやってこられなかったであろう。
さて、前置きが長くなった。
ともかくそのような訳で、我こと桃が河を下っていると、前方に人影が見えた。
彼女は洗濯中であるらしく手には洗い物を持ち、それを洗濯板でゴシゴシとやっている。
服装はメイド服。どうやらこの付近に勤める女中のようだ。
洗濯板は若干小さめのようで、彼女は洗い物に難儀していた。
いや、洗濯板が小さいのではない。徐々に近づくにつれ、我はそれを感じ取る。
なぜならば、その人物の縮尺が想定していたよりふた周りほど大きいのだ。
彼女は我に、桃に気づき、立ち上がる。
その大きさは周囲の木々と同じぐらいであり……。
「わぁ、おっきな桃」
驚きの声を上げて、横を通過しようとした我を拾い上げるその人物。
目が隠れるほど伸びた前髪。それは恥ずかしがり屋さんの証拠である。
小さな口も、それを象徴している。
そしてその身長。
ざっと二メートル(久しぶりに言うが単位はそちら換算である)を大きく越えており、手は若干長い。
人間種族でここまでの身長を持つ方はほとんどおるまい。
というか、去年よりもっと大きくなった感がある。
それを確認し、我はいい加減正体を顕すことにした。
ぱっかり。彼女が抱えた桃が二つに割れる。
「グランデ姉君!」
そんな感じで我は変身を解き、彼女に飛びついた。
「ひゃああああ!」
そして悲鳴を上げた彼女に、そのまま天高く放り投げられたのである。
◇◆◇◆◇
「ご、ごめんねポンくん。まさか桃から弟が生まれるなんて思わなくて……」
我を抱えたグランデ姉君が、しょんぼりと呟く。
姉君は大きな体を持ちながらも、非常に繊細であり、ちょっとした衝撃であのようなことになってしまうことが多かった。
「申し訳ありません。我も最近変化ではなく、変化の解除法に拘るようになってしまったので」
だから我は、仕方がないことだと彼女を慰めた。
そもそも弟が桃になっているなどという事態を想定している姉は、世の中そうはおるまい。
空へと放り投げられ、そこから自分が住んでいた山をみとめた我だったが、柔らかい毛皮と姉君のナイスキャッチのおかげで怪我はなかった。
「でも、いきなりだったね。お姉ちゃん達には言ってきたの?」
我を見下ろしながら、姉君が尋ねる。
前髪がさらりと揺れるが、その瞳は現れることがない。
幼少のみぎり彼女に抱っこされた際、我が怖いと泣いた為、彼女の我ホールド位置は若干下げめである。
長めの手も相まって、我の背中に彼女の腹が当たってぽわぽわとする。
ユマ姉上の平たいが温かい体と背中に伝わる鼓動も素敵だが、これはこれで代え難い感触である。
フウ姉さんのトラポンライダーのおかげで高高度にもすっかり慣れた我だが、そう言う事情もあって敢えてこのポジションに甘んじている。
「書き置きは残してまいりました」
そんな彼女の感触に若干うとうとしながらも、我はグランデ姉君にそう答えた。
流石に何も言わずに家を出たら、ミュッケ姉様達は何をするか分からない。
「書き置きで大丈夫かなぁ」
しかし、それでもグランデ姉君は心配そうである。
確かにそれだけでは若干不安だが、我にも致し方のない事情があるのだ。
その辺りは後で説明をする。
「姉君の住んでいる城は近いのですか?」
その前に、我は姉君に訪ねた。そろそろだというのなら、我も変化して準備せねばならない。
「うん、すぐだよ……ねぇ、ポンくん」
そんな我の問いに、姉君が答える。そして、頭上にすっと影が差した。
「なんでしょう」
我が見上げると、姉君は背を曲げ、口にはまんまる笑顔を浮かべ、我の顔をのぞき込んでいた。
前髪が動き、今度こそその顔が露わになるが、口に比べて逆光の加減でよく見えない。
姉君がこういう表情をするときは、我は何をして欲しいのか大体察することができる。
「やっぱり、ねぇねぇって呼んで欲しいなぁ」
「却下です。我も大人ですゆえ」
なので我は、姉君のお願いを即座に却下することができた。
「ぶぅ」
姉君は姿勢を戻して膨れるが、膨れたってダメなものはダメである。
姉上たちには非常に甘い我であるが、全て唯々諾々というわけではない。
心はドラゴン男子たる我である。何時までも姉をそんな風に呼んではいられないのだ。
そもそもアグノになんと言われるか分からない。
「そう言えば姉君」
「ねぇねぇって……」
「呼びません。先ほど河で洗濯をしていたようですが、それはもう良いのですか?」
グランデ姉君の再度要求をはねのけつつ我は尋ねる。
確か姉君は、我を拾う前洗濯をしていたはずだ。
で、その洗濯物だが、我を抱えているためもちろん持ってきてはいない。
我の問いかけに、姉君はぴたりと足を止める。
そして――。
「きゃ――ー! 忘れてた――ー!」
と、叫んで、またもやポーンと我を天高く舞い上げた。
やれやれ。姉君の慌て癖も以前のままだ。
大陸の真ん中から地平線を眺めつつ、我は嘆息したのだった。
◇◆◇◆◇
改めての改めてである。
人間に変化した我は、再びグランデ姉君と並んで歩いていた。
落下の衝撃は布団に変化して和らげたので無傷である。
さて、この人間の体。姉君に合わせるため足を多少長く変化したが、普段使っている姿とあまりにも変えると動きがぎこちなくなる。
なので、姉君より頭一つ低い程度の大きさだ。
知らない男が弟と名乗ったことで、洗濯籠を持って戻ってきた姉君はまたしても我をぶん投げそうになった。
が、その辺りは彼女の名誉のためにも割愛する。
そして、ぶん投げるといけないからと姉君から洗濯籠をもぎ取った我が、申し訳なさそうにしている姉君と街へ歩いていると、前方から何者かが走ってきた。
「うぉーぃ、グランデー」
「あ、シャリアちゃん」
相手は姉君と同じメイド服を着ているが、背丈はユマ姉上より少し大きいぐらいだ。
少しでも身長を高く見せるためか、頭の頂点で長い髪をくくっている。
そしてグランデ姉君が呼んだその名前に、我は聞き覚えもとい見覚えがあった。
「あぁ、姉君の友人の」
「そう、親友のシャリアちゃん」
それを聞いて、我は姉君の一歩前に出た。
「あ、あれ、ポンくん?」
「……姉君が間違って投げないように」
「そ、そんなに頻繁には投げないよぉ」
冗談のつもりだったが、投げたこと自体はあるらしい。
我は静かに嘆息してから、我の存在に目を丸くしている少女に営業用の笑顔を向けた。
姉君が恥をかかないように、普段より若干顔を整えているのは内緒だ。
「遅いと思ったら、男と話し込んでるなんて……あ……その、誰よこのお方?」
グランデ姉君を恨みがましい視線で見た彼女だが、我に目を向けた途端、その顔が赤くなる。
人間という生き物は出会って数瞬で相手への印象を七割がた決めてしまうそうだ。
なので我は、彼女に対して全力を持って挨拶をした。
「初めまして。私グランデ姉君の弟で、ホン太郎・ザ・ドラゴンと申します。以後お見知り置きを」
魔王領での執事達を観察し身につけた、紳士の挨拶で恭しく礼。
それから顔を上げ、歯を光らせる。
ビカッ! 森に白い閃光が瞬いた。
どうだ。これで堕ちぬ人間女性はおるまい! 人間語で言うところのメロメロキューである。
だが、そんな自信満々の我に対して、姉君の友人、シャリア殿は顔をしかめている。
しまった。歯を光らせすぎたかと思ったが、彼女はそのしかめっ面のまま、上体を曲げている我の顔を包むように両手を伸ばした。
「あー、アンタが例の弟ね」
そしてそう呟くと、シャリア殿は我の両耳を思いっきり引っ張る。
「あだだだだ!」
突然の行動に、悲鳴を上げつつ変身を解く我。
するとそのまま宙ぶらりんの体勢になり、さらなる苦痛を味わうことになった。
「久しぶりに胸高鳴っちゃったわ。思わせぶりなことしてからに」
「ち、違うのです! 我はあくまで姉君の評判を高める為に!」
そのまま我を吊り上げる視線を合わせるシャリア殿に、我は必死で弁明した。
確かに若干たぬきの本能であるいたずら心が、ぴょっこり首をもたげたことは認めざるを得ないが。
「ぽ、ポンくん!」
遅まきながらグランデ姉君が我を抱え、シャリア殿から引きはがす。
「あひっ!」
その際両耳がまたしても強く引っ張られ、我は悲鳴を上げた。
「だ、大丈夫ポンくん?」
そんな我をシャリア殿が手を出せないように自らの胸に抱えながら、姉君は我の耳を優しく撫でてくれる。
どうやら一応耳はくっついているようだ。耳の取れたたぬきなど、青く塗っても国民的アイドルにはなり得ない。
その様をあきれた様子で見上げていたシャリア殿だったが、腰に手を当て呆れた様子で呟いた。
「しっかし、ハーフだって聞いてたのにまんまたぬきなのね」
「あの、それは……」
「ええ、しかし心はドラゴンです」
その言葉に、姉君が何やら反論しようとするが、その前に我はシャリア殿にそう答えた。
我が半身の素材が未だに気になる我であるが、その部分だけは誰になんと言われようが確定しているのだ。
ゆずるつもりはない。
「ポンくん……」
「その体勢で言われてもねぇ……」
姉君に抱かれている我にシャリア殿は呆れた目をして呟くが、変わらないものは変わらないのだ。
「ま、いいわ。それよりアンタ、街に入るならあの格好はやめときなさいよ」
「何故ですか? やはり我の魅力でメロメロぎゅぉぉ!」
言いかけた我のしっぽを、シャリア殿がぎゅっとつかむ。
「そうじゃなくて、うちの街はグランデにメロメロキューになってる男が多いの。弟だっつっても嫉妬されるわよ」
「メロメロって、アレはそうじゃなくて……」
彼女はすぐに尻尾を離したが、我を守るために姉君はこの体を両手で頭上に掲げる。
「良いではありませんか。我も弟として鼻が高いです」
昔であればずいぶん怖がった高度であるが、先ほど二回も天高く投げられたので、もはや恐怖を感じない。
姉君を見下ろしながら、我は鼻をすんすんと動かして見せた。
「ち、違うのに」
姉君はご謙遜なさるが、そういう事情なら我も協力せねばなるまい。
姉君に抱え上げられたまま、我はえいやっと変化してみせた。
「おぉっ」
その姿に、シャリア殿が驚きの声を上げる。
「この姿ならどうですか?」
我が尋ねると、意図を察したのか姉君は我の体を反転させ、地上へと降ろしてくれた。
身長はシャリア殿と同じほど。
服装は姉君達のものを参考にしたメイド服である。
顔の作りは姉君の血族に相応しいが、若干垂れた目の美少女。髪は耳のあった位置を二方髪でくくったまさしく妹スタイルであった。
「べ、別に姉君の為に変身した訳じゃないのじゃからなっ!」
ポーズとともに我が決め台詞を放つと、二人はなんだかひどく微妙な表情をした。
「……何そのキャラ」
「妹というのはこんな感じではないのですか?」
シャリア殿が理解不能な生物を見るような目つきをするので、我は髪の毛の結び目を確かめながら二人に問いかける。
「あ、アグちゃんは特殊な例だから」
我が知るもっとも身近な妹を参考にしてみたのだが、グランデ姉君は口に力のない笑みを浮かべながらそうおっしゃる。
汎用例としては不適格だったようだ。
まぁ確かにあんな妹が世に溢れていたら、世界中の兄の身が持つまい。
「ではキャラ付けに関しては、その場の流れと言うことで」
我がそう言うと、シャリア殿は「適当な……」とこぼしたが、我の演技力を信用したのかもはや面倒くさくなったのか、それ以上は追求しなかった。
そもそも彼女は、姉君が遅いのを心配してここまでやってきたらしい。
そう言う事情があって、とりあえず、我らは街へと再び歩き出した。
「そう言えば、シャリア殿は我らの正体を知っておられるのですね」
行きすがら、我はシャリア殿に尋ねた。
その間に手を後ろに組み、前傾姿勢で彼女に対して上目遣いをしてみたりしながらである。
久々に化ける、人間の少女としての演技練習も兼ねていた。
「えぇ、でも知ってるのは私だけよ。他の人間にバレないように」
そんな我の仕草を鬱陶しそうに見ながら、シャリア殿はそう答える。
「姉君の正体もですか? しかし姉君はこの街でも元のお姿に戻っていると聞きましたが」
手紙に書いてあったことだ。それを思い出し二人に尋ねる我。
「うん。魔王城からおっきな魔物さんが来たときなんかは、みんなの前で変身するね。でもそれは、シャリアちゃんのおかげって事にしてるの」
我の疑問に、再び洗濯籠を抱えた姉君が答えてくださる。
だが、彼女の回答で、我は余計に首をひねる羽目になった。
「シャリア殿の、おかげ?」
「シャリアちゃんは錬金術師なんだよ。そのお薬で巨大化してるって事にしてるんだ」
あぁなるほど。錬金術師か。我も詳しくは知らないが、要するに怪しげな物を作り出す人間の総称である。
不思議なことがあったら魔法か錬金術師の仕業にしておけと、人間魔物共通の格言にあるほど不可思議な存在だ。
「錬金術師じゃなくて科学者。毎回言ってるでしょ」
「カガク?」
だが、シャリア殿はその錬金術師ではなく、もっと聞きなじみのない存在として自らを定義し直した。
「そうよ。魔法の力じゃなくて誰でも使える科学の技術で世界を発展させるの。今はまだ半分以上魔法に頼ってるけど」
「魔法に依らない技術と言うと、大工の親方がやる、どんな柱も均一にカンナがけできるというアレですか?」
我なりに解釈したカガクというものについての所見を述べると、シャリア殿は随分とむつかしい顔になった。
「それは職人芸……かな?」
上からグランデ姉君が、首を傾げつつ言う。
それを聞いて、シャリア殿がぽんと手を打った。
「そういうのを誰にでもできるようにするのが、科学なのよ」
そうして、片目をつぶってびしりと我を指さし撃つ真似をした。
「なるほどっ!」
なかなか使えそうなポーズだと判断して、その仕草を真似つつ返事をする我。
「って真似すんな! 恥ずかしくなるでしょ!」
すると彼女は素に戻ったのか、急に顔を赤らめて我をポカポカと殴ってくる。
「と、と、それならば我にも働き口ができますな」
それをいなしながら、我はつぶやく。
グランデ姉君は「アレ?」という顔をしたが、聞き間違いかと思ったのか追求はしてこなかった。
――そんな話をしていると、やがて低い塀に囲まれたそこそこ大きな町が我らの目の前に現れた。
そして正面に門と門番。
こちらは裏門なのか、存外小さな門構えであり、門番もどこかなよっとしている。
「あ、グランデすわぁん!」
そうして彼は、我の第一印象を裏切らぬ声で姉君に手を振った。
人間という生き物は、出会って数瞬で相手への印象を7割がた決めてしまうそうだ。
だが、我の場合は寛容なドラゴンハートの持ち主なので、6割がたなよっとした男、程度の印象に留めておいてやる。
「お、お洗濯終わりましたので、入っても良いですか?」
「はい、ご苦労様です! と、そちらの方は?」
姉君が洗濯籠を掲げて見せると、門番は敬礼をしてそれを労った。
それからようやく我に気づいたようで、こちらに視線を向ける。
「わ、私の弟……妹です」
姉君が危うげな感じで我を紹介する。
そう言えば女でポン太郎と名乗るわけにはいかない。
遅まきながらに気づいた我は、急造でキャラ付けをして自己紹介をすることにした。
「初めまして! えーと、ポン子と申しますぴょこん!」
頭の上で手を動かし、ぴょこんを再現する我。
シャリア殿はそれを見て「ないわー」といった表情をするが、男というのはこういうあざといぐらいのアピールに弱いのだ。
いや、我もやっぱりぴょこんは無いと思う。
「へぇー……それより荷物お持ちしましょうか?」
が、我の奇妙な挨拶にも、男は興味がなさげな様子である。
彼は我をちらりと一瞥で片づけ、姉君の洗濯物へ手を伸ばす。
「アンタは門番の仕事があるでしょ。突っ立ってなさい」
「あ、はい……」
しかしそんな門番をシャリア殿が一蹴。
若干気の毒だが、彼はすごすごと引き下がり、我らは門をくぐる。
とりあえずぴょこんはやめよう。我は堅く心に誓ったのだった。
◇◆◇◆◇
トゥーリアの街は魔王領に近いことがあり、警備の人数は多い。
ただあの節穴門番のように、決して厳重ではない。
何故なら現在の魔王、つまりはフィア殿の母上が人間との交戦に積極的ではなく、人間の街には時たまちょっかいを出す程度だからである。
ただ彼女は別に親人間派というわけではなく、あまり苛めると彼らの中から勇者が出てくるのでそれを避けているらしい。
人間たちも、今のところはこの境遇に満足しているようだ。
全世界が魔王の力で作られた森で覆われていることを考えると、人類は既に支配されていると言っても良いかもしれない。
このあたりの事情は、フィア殿の手紙によって知ったことだ。
家に帰った時にはまた彼女からの手紙が届いているだろうか。
話が逸れた。
というわけで、トゥーリアの街は対魔王最前線だがピリピリともしておらず、むしろ遺跡目当ての冒険者の集う我が街ガザブランより和やかですらあった。
だが、我がそう感じるのは、隣に彼女がいるからかもしれない。
「グランデさんこんにちわ!」
「グランデさん、今日もうるわしゅう」
「おぉ、グランデさんじゃ……ありがたや……」
グランデ姉君が街を歩く度、周囲の人間が声をかける。
姉君はそれにはにかみながら答えつつも、恥ずかしいのか早足で歩く。
先ほどまでは我らに歩調を合わせてくれていた彼女がそうやって歩くと、歩幅の関係で我らがついて行くには相当難儀した。
「いい加減、慣れなさいよ、グランデ……!」
我と同様にほとんど駆け足になりながら、シャリア殿がグランデ姉君を窘める。
「だって、やっはり恥ずかしいし……」
それに気づくと、姉君は歩調を緩めてぽつりとそう答えた。
「すごい人気ですね。いつも、こうなのですか?」
慣れぬメイド服での駆け足にいつコケるかハラハラしていた我も、姉君がペースを落としてくれたことにほっと胸をなで下ろす。
そうして、まだ息が整わぬ様子のシャリア殿に尋ねた。
「えぇ。最近、特に、だけどね」
「ほほぅ……」
グランデ姉君は確かにお美しい。
顔の半分から上は滅多に見せないが、形の良い鼻と可憐な唇に顎のラインだけで彼女を美女だと言い切らせるには十分である。
ただ、昔カザブランに降りたときなどは、その身長故周囲に奇異の目で見られることが多かった。
この人気ぶりは、姉君が街を守っているという例の功績も兼ねてなのだろうか。
我がそんな風に考察している間にも、周囲の人々は姉君にコールを送り続ける。
「グランデさん!」「グランデさん!」
声を上げるのは主に男性。こちらに近寄っては来ないが、シャリア殿によるとそれはグランデ姉君ファン倶楽部の戒律で制限されているそうだ。
しかし、こうなって来ると我にも少々複雑な感情が生まれてくる。
姉君が人気なのは鼻が高いことではあるが、彼らは我という見慣れぬ人間――実際には人間ではないが、ともかくいるのに、まるでこちらを気にしないのだ。
身に引っ張られて心も若干乙女になっている我としては、ちょっとジェラシーである。
「あ、後でみんなに紹介しようね」
我がむくれていると、姉君はそう言って頭を撫でてくださった。
見上げると姉君の乳があり、顔は逆光になっていてよく見えない。
だがそれは、恐ろしさではなく我に幼い頃の郷愁を想起させる。
全ては姉君の人徳のおかげだろう。
「ねぇね……姉君……」
それに釣られて、我が思わず昔の呼び名で彼女を呼びかけたときである。
横手にある酒場から、わっと声が沸いた。
「お、おや、なんでしょう」
「今ポンくんねぇねぇって……」
追求を誤魔化すために、我は酒場へと向かい、その中を覗いた。
するとそこには――。
「げっ」
内部の光景を見て、我は思わず乙女にあるまじき声をあげてしまった。
そこでは中央のテーブルがひっくり返り、それを足蹴にしている男が大声をあげていた。
「誰がオシャレさんだこのヤロー!」
意味不明な叫び声をあげているのは、髪を真ん中分けにし、その毛先に内巻きのちりちりパーマをかけた面妖な男である。
それで済ませられれば良かったのだが、残念なことに我はその顔に見覚えがあった。
「こちとら竜に焼かれかけて、命からがらこの街に流れ着いたんだよ! ホラなんかじゃねぇ!」
あれは昔、我を逆さ吊りにしたりバイト先の武器屋で串刺しになりかけたり洞窟でアグノに剣を向けた男である。
「流れ着く途中でも鳥につつかれたり河クジラに食われかけたり悪霊に取り付かれたり散々だったっていうのに! ひゃっく」
どこかで聞いたような、というか味わったような話を赤ら顔で話し出す男。
どうやらこの男。アグノに焼かれかけ河を流されてから、我と同じルートでこの街に流れ着いたらしい。
本当に数奇な縁である。
ものすごく断ち切りたい。
放置するか、それとも間接的には我が蒔いた種ゆえ片づけるか。
我が迷っていると、後ろからグランデ姉上がひょっこり顔を出した。
彼女の場合ひょっこりとは、そのまま店に入ろうとすると頭をぶつけてしまうので腰を屈めて顔を出す形のひょっこりである。
「ど、どうしたの、ポンくん」
グランデ姉君が我に問いかけると、それほど大きな声ではなかったにも関わらず店内の視線が一斉にこちらに集まる。
そして先ほどのように「グランデさん」「グランデさんだ」と男たちがうっとりした眼差しで姉君を見た。
それに押され、仕方なく我らは店内に入る。
姉君は窮屈そうだったが、この酒場は二階建てのため姉君も天井に頭をぶつけずに済んだようだ。
そうして、改めて対峙する我らと酔っぱらい。
酔っぱらいの男は姉君を見かけると、同じくぼぅっとした顔をするが慌てて首を振る。
「クソッ、酔いが回って来やがった。うすらでかい妖怪が見える」
そして男は、そんなことをのたまいおった。
その言葉に傷ついた姉君が、よろっと一歩下がってひさしに頭をぶつける。
姉君は繊細なお方であり、自分の身長に関して悪口を言われるとひどく傷つくのだ。
酒場に流れたほんわかとした空気が一瞬で凍り、男に殺気が向けられる。
だが彼らが行動を起こすより、我が男の元へとスカートをつまみ上げ、ズカズカと歩み寄る方が早かった。
「あ、なんだこのチビ」
「うちのねぇ……姉君を侮辱するな」
「はぁ? あのバカでかいのが姉ってお前……!」
男がそれ以上口を開く前に、我は奴の前でぐるっと体を翻してみせた。
同時に体の一部の変身を解除。
ぶおん! と店内に風が吹き抜け、同時に男が吹っ飛ぶ。そして彼は、そのまま壁へと激突した。
その間に素早く再変化。体を一回転させた我は、舞い上がったスカートを押さえて淑女の体に戻った。
一瞬、静寂に包まれる店内。
だが直後、店の中が歓声でわっと沸いた。
それに対し、我はスカートを摘んで礼をし応える。
そして、頭を下げながらも姉君の様子を伺った。
ぶつけた後ろ頭を押さえているが、とりあえず大丈夫なようだ。
同じ判断をしたのか。姉君の隣にいたシャリア殿が小走りで駆け寄ってくる。
「い、今、何か、スカートの中から茶色い毛球が……」
「尻尾です」
「そ、そう、尻尾……尻尾ね」
我が短く回答すると、彼女は自らを納得させようとしているかのように、ぶつぶつと呟く。
彼女の事は置いておくとして、とりあえず先にするべきことをしよう。
そう考えた我は、酒場のマスターへと歩み寄った。
「お騒がせして済みませぬ」
「いや、あの男が急に暴れ出したんでね。むしろ助かったよ」
我がぺっこりんと頭を下げると、彼はいやいやと首を振る。
しかしまぁ、あの男の狼藉には我にも責任があるのだ。
このまま放置というわけにもいくまい。
そう判断し、我は次に壁際でノビている男の様子を窺いに行った。
うむ、後ろの壁は破損していない。
たぬきのアレは弾力もあるがしっとりとしていて、まるで達人の拳のように衝撃を対象だけに余すことなく伝えることができるのだ。
さてと、次はこの男である。
うーむ。このままもっと下流に流してしまおうか。
今度こそ魚の餌になるかもしれない。
それともここから近い魔王領に捨ててしまうか。
などと我が思案していると、驚くべきことに男がぱっちりと目を開けたではないか。
酒場の壁への手心が効き過ぎたか。もう一度気絶させようと、我が前足もとい拳を突き出すと。
「惚れた」
その、我の手を取り、男が呟いた。
音量のせいというよりは、精神的防壁が作用し、我はその意味をよく理解できない。
むしろ、理解したくない。
「その愛らしい表情。強さ。柔らかい足の感触」
男はさわさわと我の前足を揉みながら、そんな事を滔々と呟く。
自らを打ちのめしたのは、我の足だと思っているようだが、この部分の感触を、しかも男に誉められても嬉しくない。
まるで自らの命を甘握りされているような錯覚に陥り、我は総毛立った。
そんな我に対し、男は片膝をつくと、視線を合わせる。
「俺と結婚してくれ」
そして、再度理解不能な言葉を吐いた。
限界だった。
返事の代わりに我がげんこつで叩くと、男は再び気絶した。
おそらく錯乱しただけだ。そうに違いない。
この男をどこか遠くへ捨てなければ。
それも、二度と会うことが無い遠くまで。
「そいつの事だったら、俺らに任せてくれ」
我が決意をしていると、後ろから酒場の客がそう言ってきた。
「グランデさんをあんな風に言われて、俺たちも腹が立ってるんだ。任せろ」
男たちの目には、静かな怒りがある。
我が男に向かっていったときと、同じ輝きであろう。
「……分かりました。ですが姉君は流血沙汰は苦手ゆえ」
その義憤を読みとって、我は男の沙汰を彼らに任せることにした。
ただし、一応やりすぎないように釘を刺しておく。
「分かっているさ。流血は避ける。流血はな」
すると先頭の男がにやりと笑い、気絶した男をズルズルと引きずっていく。
……うむ、まぁ命に関わることは多分あるまい。
ちょっと不安な自分を納得させて、我は姉君の元に戻ることにした。
「大丈夫ですか姉君」
「あ、うん。ありがとう、ポンくん……」
「良いのです。半分は自らが蒔いた種ですから。後今はポン子とお呼びください」
「ポン子ちゃん……」
「お姉さま……」
「はいはい、アホやってないでさっさと帰るわよ。ただでさえアンタが遅いって団長がカンカンなんだから」
そうやって二人の世界に入りかけていた我の頭と姉君の……臀部をシャリア殿が叩く。
「のっ」
「ひゃん!」
正気に返った我らは慌てて手を解き、マスターにもう一度礼をしてからひとまずの目的地に向かうことにした。
「あれがグランデさんの妹か」
「俺、あの子もファンになろうかな……」
「お前、グランデさんファンクラブを裏切るつもりか!?」
「グランデさんと同じところから生まれたなら彼女もグランデさんの一部のはずだ!」
後ろで阿呆極まりない議論が展開されたが、我は全力で聞こえないフリをして、店を出た。
という訳でお騒がせしたお詫びという訳ではありませんが、どらぽん番外編を書かせて頂きました。
とはいえいまだ途中。予想以上の長さになってしまいました。
他の連載との合間を縫っての作業ですのでなんですが、11月中に完結させたいと思いますのでよろしければ気長にお待ちくださいください。




