07
夏休みに入った。
大した感慨もなく教室を後にした僕は、自宅と外出を繰り返す日々へ移行した。
日差しは高く、気温も高い。温暖化によって地球は滅亡すると聞いていたのだが2050年あたりで気温上昇は頭打ちとなり、今では下がったり上がったりを繰り返しているらしい。北極や南極も当たり前のように存在していた。
夏休みの課題をこなしながらボチボチと依頼に着手し始めたが、すぐに引き受けた仕事の面倒くささに気が付いた。
ゴーストデブリの出現する場所が確実に特定できないのだ。
考えてみれば短中距離走者など一か所に集まっているわけではないし、学校だって少ないとはいえ県内には多数ある。
ゴーストデブリは特定の範囲内を移動する傾向はあるが、それは時として数十キロ単位の場合もある。地縛霊のようなものだが、縛られる範囲は限定されない。
どうしたものかと考えた末に、分からないならば絞り込んでしまえと、自分の通う高等学校に張り込むことにした。
建物内も外も見知っているし、ばれたとしても関係者だからお咎めはない。轟さんの仕事であるならば市内で多発しているのだろうし、一回ぐらいはお目にかかれるだろう。
うさん臭いぐらい友達の多い佐島に協力をしてもらい、陸上部の情報を集めてもらった。どうやら我が学び舎はリアル系の運動部が強いらしく、夏休みであろうとも練習をしているらしい。
それも朝から晩までだ。たしかに強い陸上部でなければそこまでの稼働はしないだろう。僕は運が良い。
高校には校舎の表と裏にグラウンドがある。野球部が存在しているためか第一グラウンドは地面が圡で、第二グラウンドはゴム――タータンと呼ばれるものが敷かれていた。陸上部は第二グラウンドを使用しているという。
学校内に入るにはカード型の生徒手帳が必要だ。それを使用し登校していない生徒や下校しない生徒を管理している。
指導方法も生徒手帳から、何パターンかのメッセージが聞こえる仕組みだ。教育ですら顔なんて見なくても良い時代なのである。
三年生が受験時期ということで校舎の一部が無条件で解放されていた。それも8時まで開放されているのでしばらくは気にしないでよい。本当であれば在籍許可を生徒手帳にもらわなければならないのだ。やはり僕は運が良い。
自分の教室から第二グラウンドは見えないので、見える位置の空き教室に移動した。手すりに肘を載せてぼんやりと外を見る。十数名の生徒が汗を流しながら駆けていた。
どこか懐かしい気持ちになる。僕の通っていた学校は小学生から中学生までの全員が同じクラスという小さい村ならではの構成だったが、学校という聖域は人を一定の郷愁へいざなうようだった。
毎日家にいるはずのシロは、最近ぼんやりとしていることが多い。人工知能搭載の機械人形に感情も感傷もないはずだけれど、8畳一間に押し込めておくのもかわいそうな気がした。つまらなそうに外に顔を向けて、外部の情報を取り込んでいる日々だけというのも酷だろう。
ガイノイドは電力で動くけれど、家庭用電源では充電ができず、専用のポッドが必要だ。斎藤さんのような業者に持ち込むか、企業が経営している充電スポットが各所にあるので、金をチャージしたカードを持たせて一人で充電してもらっている。
電気自動車と同じだが、過去に比べ蓄電池の技術は格段に進化し、充電は3日に1回程度でかまわない。
シロの外出といえば、3日に一度の充電と毎日の買い物ぐらいだろう。
もしも今後、彼女が「外出したい」と言い出したら自由時間ぐらいは作ってあげようと思う。
そんなことを人工知能が提案するのかは知らないけれど。
*
不毛な時間が2日間続いた。5万という報酬は魅力的だったけれども、日数をかければかけるほど時給が下がってしまう。安易に金額につられてはいけないという訓告なのかもしれない。
先日調べた結果だが、おそらく目標のゴーストは社会人選手として活躍していたアスリートかと思われる。ここ数か月で死んだ『走ることに固執するほどの人間』が一名しかヒットしなかった。ゴーストは大抵、生前の無念さや夢などが発生の根源にあることが多い。
大会前に死んでしまうというのは、まるで漫画や映画のようであるが人生でもそういったことは多々あるようだった。彼も24才の誕生日を迎えた後に、大事な試合だけは迎えることができずに亡くなった。新聞の片隅にも載っていたので、多少は有名な人間だったのだろう。
とはいえ、あくまで可能性だ。情報があるものしか検索には引っかからないのだ。
しかし仮に的中していた場合、そんなすごい相手の駆除などどうやって行おうか。走ることだけでいえば僕はとても苦手だ。雪さんは能力で、スケート選手のように地面やら壁やらを滑ることができるけれど、残念だが僕にはできない。
ゴーストおよびゴーストデブリを駆除すること自体に免許はいらない。ゴーストに至っては偶然の駆除もありうる。
ゴーストもデブリも力でねじ伏せる駆除と、魂の呼応と呼ばれる『霊が満足をして成仏しました』というような駆除がある。後者は対話でも可能だ。
免許が必要であるのは、法律でさだめられている項目の『未認可の能力者がその力を行使する場合は以下に限定する』に漏れる行為により駆除をする場合だ。
その一つが『未認可の能力者は、国の指定した状況及び場合にのみ力を行使できるものとする。それらを除き、不必要に能力を行使してはならない』というものである。襲われた場合には使用ができるが、実害の出ていないゴーストを積極的に駆除することは出来ない。
だが轟さんは、その文の『不必要』という曖昧さに付け込んで、僕に『法律内の許す限りの援助を求め、必要な範囲内での依頼をしている』と曲解している。
*
3日目が終了したとき、僕はやり方を変えることにした。
轟さんに問い合わせてみると、辺りが暗くなった場合に確認されることが多いと指摘された。最初から聞けばよかったと後悔するが、そんなことを言っていた気もする。僕は外部ストレージを持たないただの人間なので、脳みそ内の記憶だけが頼りだ。
7月下旬になると、7時頃にならないと日が落ちず、有効時間が1時間ほどしかない。よって校内に忍びこむことにした。能力を使えば潜入など容易だ。そしてこれは不必要ではないと刑事から言われているのだから、僕は胸を張ろうと曲解した。
さて、あっちが立つとこっちが立たないという言葉があるが、まさしくそれは今の僕だった。
8時以降に潜入したは良いが、今度は陸上部員が存在しなかった。駆けてくれる短中距離選手がいなければ、いくら待っていてもしょうがない。
ならば他の学校に忍び込むしかないのだろうか。それか陸上部に依頼して走ってもらおうか。散々考えたが、いずれも様々なリスクを抱えていた。
考えることにつかれた僕は、結局諦めることにした。
轟さんに放棄の旨を伝えると「気にしないで! ありがとう!」と言われたが、代わりにバスケットボールで1on1を申し込んでくるゴーストの依頼を回された。現れるスポットも分かっているせいか報酬は3万だった。やはり大人は汚かった。
「じゃあそのバスケばあちゃんを倒してきます」と宣言したが、
「え、なにそれ」と返された。
ジェネレーションギャップだ。
*
校内に潜入すると足音は僕のものだけだった。
時刻は深夜3時。草木も眠る丑三つ時。とはいえ、今の時代は繁華街に行けばホログラム映像がばんばん流れている時間でもある。
「さてと」
いつしか癖になってしまった独り言と共に体育館へ向かう。
申し訳ないが、南京錠を力任せに開錠させていただく。刑事の依頼なのだから僕は悪くないのだ。その刑事は事件が解決すれば平和につながるから多少は無理をしてもいいと豪語していた。彼は税金でご飯を食べている。
体育館の明かりは消えていたが、窓から月明かりがこれでもかというほど入り込んでいた。今日は満月一日前ということだった。
今回の依頼は、ゴーストもしくはゴーストデブリで、攻撃性は皆無であろうとの見解である。が、大抵その見解は外れていることが多い。今日も外れていそうだし、この前だって外れていた。
バスケットボールが必要だが、体育倉庫の鍵を壊さなくても済みそうだった。
構造は変わってはいるが、やはり今の時代の天井にもバスケットボールがはまっていた。僕は星のように浮かぶボールの真下に立った。顔をあげたまましゃがみ地面に手をつく。
能力者の区分は七つおよび一つに分類される。基本が『発火・発電・治癒・感応・強化・予知・念力』である。残りの一つは特殊と分類される。
さらにそこから攻撃性がランク付けされる。これは犯罪者になった場合にも役立つスケールだ。
そして発動部位と発動方法の区分がある。
僕の場合、発動部位は上半身型。発動方法は接触型となる。
発火タイプの人間に比較的多いものは発動部位が目(視覚)型。発動方法は非接触型だ。ようは相手を睨むだけで燃やせるというものだ。とてもかっこいい。
だからといって攻撃性が高いかというと、ランクは低いことが多い。相手をやけどさせるぐらいが関の山の能力者が大多数を占めるからだ。しかしやりようによっては誰にもばれずに放火ができる。ゆえに放火犯が出た場合は発火系能力者は面倒なことになるとクラスメートから聞いた。
僕は地面に両手をつけると、目標を見据えて能力を行使した。具現化するイメージをひっぱりだす記号を口にする。それは魔法使いでいえば詠唱にあたるのだろう。イメージを具現化するための鍵だ。
「竜氷」
僕の両手を中心に、天へと伸びるつららが形成されていく。ただの氷ならば数メートル延びた時点で自重により折れてしまうが、能力により強化されている為、難なく伸びていく。
天井に近づいたところで先の部分をかぎづめのような形へと変え、はまっているバスケットボールを外した。能力を使い始めた当初に比べればだいぶマシになったものだ。クラスメートは小さいころから付き合っている能力であるから呼吸をするように使っているが、僕の場合は訳が違う。
地面に落ちたバスケットボールは、運よく僕の頭に落ちることなく、バウンドを繰り返し、直にころころと地面を転がって止まった。
その先にソイツがいた。
停止したはずのバスケットボールがふわりと宙に浮くと再びバウンドを始める。見えない天井にぶつかっては地面へ向かうことを繰り返す。
ゴーストデブリであれば力任せに倒すほかない。それは魂の残滓の、さらに残滓であるから対話など望めない。特定のルールに則って動くだけだ。
しかしゴーストであれば話は変わる。対話によって満足させることができれば自然に霧散していく。
できるならば僕は対話をしたい。一方的に消滅させられるなんて僕だったら嫌だ。もしも雪さんがそのような解決方法を主としていたら、僕は今存在していない。
「こんばんは」
僕はバウンドし続けるボールに向かって話しかけた。
「調子はどうですか?」
『まだ試合は出来る』
月夜を引き裂くようにして、うっすらとした霊体が現れた。遠目に見ても身長はたかく体つきもがっしりとしている。直立不動のゴリラのようだ。
調べて分かったが、近隣の高校のバスケットボール選手が地区予選の半ばに自転車で事故を起こし死んでいた。顔写真を調べてきたが相似していた。魂の体感時間がどういうものかは知らないが、すぐにゴーストになるとは限らない。今回は比較的発生時間は遅い。
「自分がもう死んでいるということを知っていますか」
『そのようだが、こうして話しているだろ? その質問に意味はあるのか? 俺はバスケができりゃいい。死んでようが生きてようが、それでいい』
「できれば成仏という段階に進んでいただきたいのがこちらの意志です」
『俺の意志はこうして』
彼はゴールネットを見ずにボールを投げた。パサッと音がして、球体が円を通り抜ける。
『バスケをするだけだ。誰にも迷惑はかけていない』
「でも、時折、人に勝負を挑むようにボールを取り上げますよね」
『そりゃ、スポーツマンはよりよい記録を出すために努力するんだ。バスケでいえば、試合以外で何がある? バスケは相手のボールを奪わなきゃ点が取れない』
「たしかに」
説得力がある。僕よりある。
「でもそうすると、人の目についてしまうんですよ。部活動も停止になってしまうかもしれないし。もう勝負だけはやめてもらえませんか。挑発するような行為とか」
ゴーストデブリは一つの行動パターンの繰り返しだ。自動車をこわす、鏡を割る、声をあげつづける。そういった一つの固執した行動が発露する。
そしてゴーストにもそういった思いがある。今回でいえば、スポーツマンとしてバスケットの試合をすることだろう。
魂の呼応というものは、2015年の日本では一般的な概念であった、仏教でいうところの『成仏』だ。それは相手に満足を得させることが重要だと教科書には書いてある。
しかし僕の経験上、何かを諦めさせることによっても同等の結果を取れることを知った。その道では当たり前の知識なのかもしれないけれど、存在意義のようなものが消失することにより魂の呼応が発生するようだ。
『俺はバスケをするだけだ』
「意志は固いというわけですか」
『バスケをしなければならないだけだ』
「……? あなたはバスケをする為に生まれてきたのですか?」
『俺はバスケだ。当たり前だろう』
「……あなたは生前バスケをしていましたか?」
『俺はその為に存在している。バスケは俺だ』
話がかみ合わない。
目の前のゴーストは魂を消費しすぎているのかもしれない。反応がどこか機械的で一方的だ。
我々の能力は『生命力』という力を原動力にしている。それはかつて魔力と呼ばれたり霊力と呼ばれたりもしたようだ。
人間の体は不思議なもので、そういった生命力を内から作り出すのと同時に、外からも吸収しているらしい。いわば地球の生命力を人間が吸い取っているようなものだという。
だが魂になると、それが出来ないと教科書には書いてある。呼吸の出来ない人間と同じであり、体内の力を使い切ったら終わり。たかが数分呼吸をしなければ死んでしまうのと同様に、魂もすぐに霧散する。ゴーストにも結晶にもならない魂は霧散した後、今度は地球の生命力として還元されるという。
それを繋ぎとめて現存しているのがゴーストだ。ゴーストは魂のように完全に消費するだけの存在ではないが取り込む効率が悪い。
生命力を使用しすぎた場合2通りの道がある。一つは霧散。結晶は残る場合と残らない場合があるため、人間が感知しないうちに発生し、消滅していることもあるのだろう。
もう一つがゴーストデブリになってしまうという道。
ゴーストの強すぎる意志が残存する場合は『残存性デブリ』と呼ばれる。ゴーストとは別にデブリが生まれるため、デブリを駆除しても本体は消えない。
最初からデブリの場合は『原発性デブリ』と呼ばれる。
そして意志が強すぎるゴーストが体内の生命力を消費させた結果デブリへと変化したものは『暴走性デブリ』といい、今回はそれにあたるかもしれない。
記憶を忘れていく人間のように、反応が単一化していき、最後には暴走する。目の前の存在も放置し続けていれば、人に危害を与える可能性がある。
やはり轟さんの予測は外れたようだ。いつも外れている。
「じゃあ試合をしましょう。意志のあるうちに」
『お前にバスケができるのか?』
「授業でやったことはあります。ただ一つ条件をつけさせてください」
『なんだ』
「全力で戦いましょう。あなたが満足するように。だからあなたは何をしても結構だし、僕も自由に動きます。もちろんバスケット上のルールに則って」
『そうか。全力でいいのか。そりゃ最高だ』
「最後まで意志を維持していてくださいよ。満足するまで消えないようにお願いします」
『バスケができりゃ、俺は俺だ』
ルールブックに、氷を使ってはならないと記載がないことを願う。
*
結果からいえば、ゴーストは消えた。
試合の途中結果からいえば0対17だった。
どっちが0かなど、聞かなくても分かるだろう。
命を削り合ったはずの勝負は、途中で終わりを迎えた。
ゴール手前10メートルの位置から9度目のダンクシュートを決めたゴーストが、ボールを残して霧散したのだ。満足したから消えたとも考えられるが、おそらくは魂を消費しきったのだろう。彼の意志はどこにも残らなかった。もしくは試合中に豪快なダンクを決めて死ねるというのはスポーツマンにとっては本望なのだろうか。
月夜を頼りに結晶を探してみたけれど、どこにも落ちていなかった。やはり彼は消滅したのだ。それは本望より先に、限界がきてしまったということになる。
彼は僕なんかとの試合で少しでも満足できたのだろうか。なんだかムシャクシャして、深夜にも関わらず轟さんに報告をしようかとも思ったが通信手段がない。
家に着いたころには空は白んでいた。ドアをあけると部屋は暗い。隅にシロが正座をして待機していた。僕の帰宅を感知したらしく目を開ける。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「ただいま」
部屋に昨晩のカレーの匂いが漂っている。それは僕の日常の一部となっていた。
シロは時計を見た。
「朝食にいたしますか?」
「悪くないけど、匂いで満足しておくよ」
「かしこまりました」
時間ができたらシロと散歩にでもいくのもいいかもしれない。そんなことを考えていたらいつの間にか寝ていた。




