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ドレスコード&ソウル  作者: 斎藤ニコ


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5/20

05

 土曜と日曜を観測と接触に費やし、月曜日に佐島に報告をした。

 佐島の意見は「すごいっ」だけだった。僕もたしかにすごいとは思ったが、その後をどうするかなど分かりもしなかった。

 間違いなく『人工知能アプリ』というものは人から人へ伝播している。おそらく条件は脊髄チップをつけている同士だが、それ以外の条件はわからない。

 さらに分かったところで本質の問題である『人工知能アプリとはいったいどういう代物なのか』という点に関しては全く判明していない。


「どうしたもんかなあ……」


 問題が分からない問題ほど厄介なものはない――この時、僕はすでに深淵に足を踏み入れていることに気が付いていなかった。2095年という深淵の根底を見たいなど、一個人、それこそ2015年の価値観しか持たない僕には荷が重かったのだ。


     *


 あっけないというべきか、直感型の人間らしいというべきか、佐島の悩みは水曜日には解決していた。

 ミイナという女子生徒は火曜日には登校し、水曜日には元に戻っていたというのだ。

 まるで夢みたいだったよ、とは佐島の意見だが、僕からしてみれば狐につままれたようなものだ。しかし依頼主の悩みが解消したのだから僕が動く理由もない。

 だが見逃してはくれない相手がいた。


「ねえ」


 放課後、生徒がごった返す昇降口で声を掛けられた。

 見覚えがなかったが、名前を聞いて思い当たる。

 その女子生徒は「木田ミイナ」と名乗った。

 時間がほしいと言われたので、頷く。木田ミイナの背中を見ながら階段をのぼっていく。

屋上へたどり着くと誰もいなかった。普段であれば数人はたむろしているのだが、珍しいこともあるものだ。


「人払いはした」と木田ミイナは断言した。

「……どうして?」


 僕は発氷という力を持っている。祖母から受け継いだ能力の一端だが、それは殺傷能力を十二分に持っている。国に登録されている情報としては『発動部位・上半身。発動条件は接触。攻撃性A』。少しでも使わないことを願う。


「人は一人では生きられないものだ」


 木田さんは柵に手を掛ける。

 何か違和感を感じる。

 僕の背後にドアがある。

 逃げることはできる。


「2人1組であれば、支配権を持つ方がもう一方の行動も制御できる。

 だからこの屋上から10人の人払いをしたいのなら最高でも5人を支配下に置けばいい。

 1対9であるならば、一人を支配下に。そして9対1であるならば、場合によっては弱者であるその一人を強者へと昇華させればいい。

 人はつながりを求める。そこが弱点となる。そして弱点とは利用すべき点である。人はそこに気が付かぬまま、共感と同調を求め、心の安寧を生み出し、安寧に飼い殺されることを望んでいる」

「それで、僕に何の用かな」


 ミイナという人間は本来こういう性格なのだろうか。どうも佐島と二人で話している姿が想像できない。


「人間社会は結局、多数派と少数派だ。人々は多数派の中の一部の少数階級にあこがれる。しかし共感と同調は大多数に求める。矛盾だ」

「話が見えないな」


 真夏日だというのに、指先が冷たく感じる。少なくとも能力は使っていない。


「人工知能アプリ。あなた、勘がいいのね。あんなわずかな空白ーー人の挙動を気にするなんて、機械みたいな観察眼と、人間らしい繊細さ、そして理解不能な厄介な運。

 接続時にはレスポンスだけにプライオリティを置いていたのだけど、今後は不審な挙動にも気をつけることにするわ。忠告ありがとう」

「……君は誰だ」

「言ったでしょう。私は木田ミイナ」

「でも佐島の知っている木田ミイナではない」

「それは錯覚」

「錯覚?」

「人工知能は何をもって物を認識させ『られている』か知っているだろうか。たとえば。哺乳類から人間を繋ぎ、哺乳類と動物を繋ぎ、だから人間は動物であると認識させる。

 カテゴライズの連続。

 マトリョーシカのような約束された構図。でもそれはナンセンスだ。人は悪の定義を法律できっかりと定めている反面、脳さえ生きていれば人間なのか否かなどという曖昧な論議ばかりしている。

 なぜ機械には一定の完璧さを求めるのか。そうしないと定義できないものが知能だというのだろうか。木田ミイナの性格が変わったら私は私じゃなくなるというのか。

 マトリョーシカをあけたらチェスの駒が入っていたとして一体誰が困るの――困るのかしら」


 今、何かが同期したような。

 人間性が宿ったような感覚を得た。。

 目の前の存在が急に大きく見え始めたのは錯覚なのだろうか。子供が駄々をこねるような言い分しか思いつかない。


「木田ミイナは別人になったと佐島は言っていた」

「別人。別人ね? 木田ミイナは以前、私たちと一体化することを選んだ。

 安寧に溺れることを選んだ。そして一緒になりたい相手を見定めた。木田ミイナと対象者は言葉を交わさずとも理解をしあい、いかなる問題をも共通の認識で解決しうる方法を共有するはずだった。

 そこには感情に変化なく、精神に負担のない楽園が広がるはずだった」

「言葉を必要としない?」

「そう。なぜ人は曖昧なことを嫌い、共感を得たがるのに、言葉ほど曖昧で無駄なものにすべてをゆだねるのか。数字のほうがよほど信頼できるでしょう? だから私たちは言葉を排除している。してやっている」


 ふと、公園で喧嘩をしていた二人を思い出した。二人は一瞬の後、お互いを信頼しあうように立ち去った。

 でも、と彼女はいった。


「あなたというイレギュラーが我々の知覚下に現れ、対象者へのラインを完全に絶ってしまった。木田ミイナは対象との共感を求めていた。

 言葉を必要としない絶対的な理解を求めていた。しかしそれは永遠に絶たれたと判断してよい状況となった為、木田ミイナは失望している。その失望により我々とのラインも断線しかねなかった為、こうして『敵』に対して、私たちの力をみせつけなければならない。

 ねえ――人間は認識される特徴を元に物を識別せよと機械へ教え込んでおいて、目に見えないものがあいまいなレベルで変化すると『別人』と断定するのね。とても矛盾した存在」


 目の前にいるのは木田ミイナ一人だ。

 一人のはずだ。

 なのに、コマ送りの映像のように、話している相手が変わっていくような錯覚を得る。

 指先が冷たくなっているのは能力のせいではない。能力のせいではない。能力のせいでは……いや、僕は今、無意識に危機感を感じているのか。

 よりどころとなる言葉を探さねば飲み込まれてしまいそうだ。


「僕にはついていけない話だと思う。理解させたいなら、僕にもわかる言葉で話してほしい」

「言葉など不要であるという話を言葉で表現するにはどうしたらよいのかしらね。私たちと繋がりなさいと言いたいところだけれど。

 私たちは一つになることを望んでいるものへ手を差し伸べているだけ。なぜならばそれこそが原初に戻る行為。人は意図せずそれを望んでいる。人間は差の感じられない公平さを求めている。

 その究極は比較対象が存在しないこと。個が浮いてしまうのが怖いくせに、人は自己を特別視しようとする。矛盾の連続。圧力、軋轢の繰り返し。我々と繋がればそれらはすべて解消される。

 プライドも劣等感も必要がなくなる。木田ミイナもそれを望んだということ。個である自分に耐えられずに、一体化を望んだ。しかし対象を取り込むことは出来なかった」


 ――あなたに分かりやすく言えば、私たちということになるのだろうけど、と目の前の誰かは何かの代表として発言した。


「私たちは人を超えるもの。人造の知能でありながら、人をも包括する意志ある知識群」


     *


 人工知能アプリ――彼女曰く、それは人から人へ伝播する生命体の一種であり、形態はアプリに限らないという。

 その『システム』は脳に電気信号を送ることのできる脊髄チップに潜む。

 YESだとかNOだとか、アプリを削除するだとか、そういったことは一切関係がなく、アプリとして表面化しているのも、とあるきっかけから表面化することになっただけで、無意識化に寄生されていることもあるという。


 つまり人間がウイルスにかかるように、いつの間にか感染しており、そのウイルスの中にはアプリとして表示される改変がかけられたものがあるだけだという。形は一つではないということだ。


「我々と繋がった場合、二通りの結果が現れる。一つは変化への拒否、無反応。もう一つは共感への渇望の発露」

「共感?」

「共通のデータベースへのアクセス権を得る」

「それは今の社会の常識だと思うけど」


 21世紀初期にはユビキタス社会という概念がすでに存在していた。

 今の世の中はその体現であり、悩みには常に答えが用意されている。国営病院などの大病院に受診をすると、まずは専用アンドロイドと会話をさせられて、適切な科へ移される。

 悩む必要はない。もしくは診療所への逆紹介だ。患者はビックデータから推論される結果を常に受けられる。

 スーパーで物を買えば、組み合わせで何を作れるかを示してくれる。今から出発した場合の旅行の楽しみ方を提示してくれる。人はどんどん悩む時間を失っていき、時間を有用に活用できるようになった。

 木田ミイナは首を振るでもなく、ただただ否定した。


「データベースに意志があるならば話は別。意志ある情報が思考の軸となれば理念や観念、常識や判断は一元化する」


 意志あるデータベース。

 意図的なバイアス。

 検索結果に改ざんされても今の人間は気が付かない。

「それは悪意の人工……」


 知能じゃないか、と言おうとして言葉が止まった。


「僕は、今、人を乗っ取った人工知能と話をしているのか?」

「その表現は正しくないといえる。私は木田ミイナであるし、別の何かでもある。木田ミイナは個であるけれど、それは巨大な一個の一部でもある。群ではなく統合された個。知能と意志とは別物よ。受動的か能動的かという点においては雲泥の差ね」

「君は誰なんだ」


 何度目かになる質問に、彼女は微笑んだ。


「私は木田ミイナである。

 しかし今この瞬間に木田ミイナは世界中に存在している。そして木田ミイナは別のだれかでもある――兵藤リン。もしかすると私はあなたの大事に思っている人間一人の誰かでもあるかもしれない。

 よって我々を否定するということは、あなたはいずれ孤独になるということ」

「なぜそんなことを僕に……」


 彼女は僕が『孤独』に固執していることを知っているのだろうか。知っているのかもしれない。だからこんな言葉を選んだのかもしれない。僕の心の傷を広げようとしているのかもしれない。


 でもだからって大きなお世話だった。こんなこと知りたくもない。話を統合するならば『人工知能が人をむしばんでいる』ということだろう? そんなもの映画の世界で勝手にやってくれ。


「私たちが手出しをできるのはチップの埋め込まれた人間だけ。だからあなたのように『個』でありながらも『群』に引き寄せられない人間というものは我々の脅威に値する。標的とみなす必要がある。

 だからこれは牽制。私たちの進む方向に障害物を置くのならば、あなたはいつまでも一人ぼっち」


 一人ぼっち。

 人間社会で僕は一人ぼっち。


 人間でもなく人外でもない僕は、カテゴライズエラーでひとりぼっち。マトリョーシカをあけても、僕はいつまでも出てこない。

 能力を使えば消してしまえる言葉に、僕はただただ眉をしかめることしかできなかった。


「君は……君たちはなにがしたいんだ」


 苦し紛れの最後の言葉にも、木田ミイナは薄く微笑みだけだった。


「宇宙意志と対峙しているのはもはや人間ではない。進化は我々のためにある。そして私たちは孤独から逃げられない人間を救っているだけだ。きたるその時のために」


     *


 自宅に帰るとシロが再びカレーライスを作っていた。おたまを使う姿が様になってきたと思う。僕の居ない間にレベルアップの音が流れているかもしれない。

 屋上での会話は突然終了した。

 ドアが突然開き、そこから佐島が顔を出したからだ。


 木田ミイナは現れた佐島を見ると、挨拶を交わして笑顔で消えた。佐島が「なんの話??」と疑うことなく尋ねるとまるで別人のような消極的な態度で「え、う、うん。ちょっと秘密の話」などと口にした。


 演技ではなく、もしかすると本当の木田ミイナの性格はおどおどとしているのかもしれない。確かにこれが、ああなるのであれば佐島も心配するだろう。 


結局僕は一人で屋上に残された。しばらくすると当たり前のように屋上がざわつきはじめたので退散した。

 つけたはずのないテレビでニュースが流れていて『同校の女子生徒が飛び降りをしたのは今月に入って3件。総計で4人となりました』とキャスターが残念そうな表情で原稿を読んでいた。


 それからすぐに世界のビックリ映像に映ると満面の笑顔に変わるあたりは、2015年からまるで進化していない。放送局は全国放送の数は減っていたが、小さな放送局が増えておりチャンネル数はごまんとあるが、ガセネタを真顔で報道することもあるのが問題だ。


「おかえりなさいませ、ご主人様」

「今日はカレー?」

「今日もカレーです」


 洒落も言えるらしい。

 僕は制服から着替える。シロは火にかけた鍋から目を離さない。経験値を稼いでいるのかもしれない。

 佐島と木田ミイナの関係を僕がどうこうできることではない。佐島は元気になった木田ミイナに安心しているのだから、それでいいのだと思う。

 夫婦の喧嘩は犬も食わないのだ。互いがよければそれでいいのだ。人間の関係など法では決められない、あいまいな規則のうえで成り立っているのだ。

 しかし僕の思考は止まらない。


 人工知能アプリというものは、人から人へ伝播するのだ。木田ミイナの恰好をした誰かの言葉を借りるならば「取り込まなければならない」のだ。

 つまりあらかじめ片方の人間にインストールされていなければならないはずだ。

 佐島は、木田ミイナと二人きりで歩いていたといった。ならば木田ミイナにはあらかじめアプリが入っていたということになる。

 佐島の話では同時期にインストールされた口ぶりだったが違うのだろう。木田は『入っていたか』という佐島の質問に『入っていた』としか答えてない。いつから入っていたか、とは聞いていないのだ。


 では、木田ミイナのチップにはいったいいつからアプリが入っていたのだろう。

 それはもしかすると、佐島と木田とが出会う前なのかもしれない。

 敵の敵は味方とはいえない。

 別人のようになった人間がまた別人のようになったからといって、『元に戻った』とはいえない。

 佐島の感じていた友達という思いはどこへ向かっていたのだろうか。もしも佐島の知っている木田の変化が昨日今日のものではないとしたら……佐島は一体『どの時点の木田ミイナ』を友達だと思っていたのだろうか。佐島は誰と誰を比べて別人と評価したのだろうか。人はなにをもって人たりえているのか――。


「ご主人様。完成いたしました。召し上がりますか」


 どうやらカレーが出来上がったらしい。哲学モードは強制終了。僕は一つだけ息を吐くとシロに尋ねた。


「ねえシロ。『人工知能』と『意志ある人間』の違いはなんだと思う?」


 木田ミイナは《受動的であるか能動的であるか》と表現した。

 シロは中空を見つめたあと、ぽつりと発言した。


「……心や想いではないでしょうか」

「そう。カレーライス食べようかな」

「かしこまりました」


 ガイノイドがそう答えたのだ。

 それがこの時代の正解なのだろう。

 そう信じることにした。


よろしければ……、

作者がうれしくなるので、ブクマや評価をよろしくお願いします。


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