03
☑case-01
登校は8時40分までに。
これは普通科であろうとも、特殊科であろうとも変わらない。
僕の在籍するクラスは総勢25名。私立の特殊科にしては一般的な生徒数だ。人口の少子化は進み続け、学校の数も年々減り続けている。
特殊科とは、特殊能力者のみが在籍できる特殊学科だ。とはいえ、普通科とほぼ同じ科目を学ぶ。ようは将来犯罪者にならないよう、その力の持ち主の精神をまっすぐにするための科なのだろう。
よって国からの補助金が多額に出るようになっている。能力者はすべからくこの科に在籍しなければならないわけではない。しかしそうすると成人までに『2回/月』の研修を受け続けなければならず、学費も有料になってしまう。
よって無条件で加入できる特殊科を選ばない生徒は、エリート思考の人間だけとなる。2015年では考えられない制度だが今は2095年。時代は変わったのだ。
「りんりん、おはよー」
席につくと、隣の席の女子生徒が声をかけてきた。名は佐島翼。基本七能力に照らし合わせるならば感応系と区分される能力者だ。手のひらで包めるサイズのものに限るらしいが、無機物の周囲で起きた映像を読み取ることができるという。そのせいか、いつも両手に手袋をしていた。七月ともなると暑さのためか指ぬきグローブになっている。
「僕の名前を日本にきたパンダみたいにアレンジしないでくれ」
「パンダ? そんな名前のパンダいるの? ていうか日本にパンダいるの?」
「いや、なんでもない……」
始業までまだ時間があるが、大抵は誰かと話をしていると時間が過ぎていく。今日の相手は佐島のようだった。
たわいもない話のあと、佐島は思い出したように言った。
「そういえば、人工知能アプリって知ってる?」
「なんだか駄菓子並に安っぽいな……」
「ダガシ? よくわからないけど、それをチップにインストールすると、すっごい便利らしいよ」
「でもチップには最初から人工知能が搭載されてるだろ」
「補助知能っていう簡易なものはね。アンドロイドとかガイノイドに入っている一個体の完全知能とは別なんだよ」
勉強は嫌いだと公言しているのに専門的な用語をすらすらと言ってのける佐島。現代では当たり前の知識だから苦もないのだろう。
チップというのは脊髄チップのことだ。
2000年初期にも体内にチップを埋めこむことで脳の機能を制御できないかという実験を行っていたらしい。
植物状態の人間が『イエスorノー』という簡単な意志を伝達することができたという結果から始まった分野らしいが、今では大した手術を必要ともせずに体内にチップを埋め込むことができる。
そしてそのチップは様々な情報を人間へ与えるというのだ。
僕はその話を初めて聞いたとき、人間がパソコンの一部になった気がして不気味に思ったものだ。あげく思考の大半を補助的とはいえ人工知能に任せるなんて、ものすごい怖いことではないだろうか。
外部記憶装置に繋ぎ記憶力のサポートをすることも日常的だというのだからもう訳が分からない。当然、現代の試験は通信が完全にシャットダウンされた状況下で行われる。
現在では16才以上であれば保護者の許可と共にチップを埋め込むことができる。
機能としては体の中にスマートフォンが入ったような感覚らしいというところまでは、時代遅れの僕の頭でも理解ができた。
情報は専用のコンタクトレンズやグラス型端末、もしくはヘッドマウントディスプレイや単純なディスプレイに表示させることができる。角膜に埋め込む装置も、任意だが可能らしいが訴訟件数も少なくはない。
チップでできることは当然外部の端末でも実行可能だが、チップにした場合のネットワークと生活との一体感が段違いなのだという。またチップ専用のアプリもたくさんあるそうだ。すべて伝聞調なのはもちろん僕が未搭載だからである。
しかしここまで考えるといつも思うが、人間がパソコンになってしまったというか、IoTという枠組みに人間がカテゴライズされているだけではないか。
「えっと、たしか完全な人工知能は……『ヒューマノイドおよびそれに準ずる機器等』にしか搭載できないって授業で習った」
佐島は腕を組んだ。
ボーイッシュな風貌は、さばさばとした行動がよく似合う。
「うーん。たしかに違法という噂もあるけど……そもそもそれ、人工知能なのかどうかも分からないし。あとネットワーク上からダウンロードするものでもないらしいんだよね」
「じゃあ、どうやってチップにいれるの?」
「なんかねえ、人からもらうんだってさ」
「招待制ってこと?」
「まあ、そんなところじゃないかなあ。アメーバ式っていうらしいよ」
「ふーん。で、何ができるの?」
僕の質問に佐島はきょとんとした。
「便利らしいよ」
何も知らないらしい。
しかし脊髄チップで何ができるかを他人から聞いた時も『便利になる』としか教えてもらえなかったから、現代人の考えなどそんなものなんだろう。21世紀初期だってスマートフォンをもって何ができるかと聞かれても『なにかと便利だよ』程度の回答なのだ。
「あまり危険なものはインストールしないほうがいいよ。脊髄チップって怖い代物だとおもう。親からもらった身体に傷をつけちゃいけないよ」
「うーん。なんかりんりんっていつもお祖父ちゃんと同じこというよねえ」
「お祖父さんって年齢はいくつ?」
「えっと……ことしで90歳ぐらいかなあ。今は老人ホームでペインケアソフトに常時つながってるから、良い夢見てると思うよ。ナノマシンの報告だと癌の心配はないみたいだから、100歳は余裕みたい」
「それなら同い年ぐらいだ」
「え? だれと?」
僕の答えはチャイムの音にさえぎられた。
*
昨日の出来事を僕は忘れていない。あれは夢ではなかった。
学校がえりに斎藤さんの元へ寄ると、すでにそこにはガイノイドが居座っていた。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
僕の姿を認めると、立ち上がって頭を下げる。
メイド風の服をきていた。あらかじめ着用していたものだ。秋葉原に居そうな存在になっているが、今の秋葉原にはメイド喫茶はない。コスプレガイノイド喫茶ならあったけれど。メイドが一般的になったいまでは商売にならないのかもしれない。
「ああ、きたか」
斎藤さんが髪の毛をタオルでふきながら、二階から降りてきた。シャワーが好きなのだ。
「どうでしたか」
抽象的な質問にも、斎藤さんは的確にこたえる。二人の問題意識は同じということだ。
「特に問題はない。それが問題なわけだが」
「そうですか」
「なぜ治ったのかは不明。いつ止まるかも不明」
「単純に電池がきれていたとか」
「それは昨日確かめた」
「どこかネジが外れていたとか」
「『なんとなく治った』と言わないだけ褒めたほうがいいのか?」
斎藤さんはつまらなそうに、ほれ、と椅子を差し出した。
「まずはお前の右足から見る。そのあとにこの機械人形を連れて行け。お前のものだ。様式1と様式5は出しといてやる。サービスだ」
「様式1? 様式5?」
「国へ提出しなきゃならない『様式1・完全人工知能保有届』と『様式5・素体の譲渡による新規所持届』。お前もマスターになるんだから勉強しておけ」
「ああ、なるほど、ありがとうございます……とっ」
椅子に座ったとたん斎藤さんが右の大腿部に手を伸ばした。そこにあるはずのものが感じられなくなると、僕の右足は斎藤さんの作業台の上に置かれていた。
僕の右足は機械義足である。
現代の義足はつなぎ目を見ない限りは分からないレベルだ。アンドロイドに使用されている技術とまったく同意のシステムが人体に適用されているらしい。
それらは人工臓器などとは違い、完全な機械である。骨や筋肉や皮から構成される四肢はバイオテクノロジーの発展から補うことはできるようになったが、臓器ほどの適合は見られない。
元々あったものを追い求めるよりも、人の手によって造られた機械のパーツを着用していたほうが、よほど便利な時代なのだ。
僕としては左足だけで生活することに慣れていたらしいのだが、やはり右足があると便利だ。それに斎藤さんの技術は素晴らしいので、僕はいつも誇らしい気持ちになる。
右足を見せるためにズボンを脱いでいた。あらかじめわかっていたのでボクサータイプのスパッツを履いてきている。
何気なく視線を動かすと、ガイノイドは自身の足元に目を向けていた。先ほどまで僕を観察するように見ていたはずだ。
視線に気が付いたのだろうか。斎藤さんが作業台から目を離さずに言った。
「マスターへのプライバシー順守行動だ。知能は正常に動いているみたいだな。いろは3型は日本製なだけあって、細かいところに余計なしぐさをする。余計な電力も食うが、そういうところもロマンがあって私は好きだ」
確かにそうですね、と僕も頷く。
日々の不具合や改善要求などを聞かれながら、右足の検査は進んでいく。途中、斎藤さんが我に返ったように尋ねてきた。
「お前の家、ガイノイドは一緒に住めるのか?」
「どういう意味ですか?」
「だって、狭そうだ」
図星だったので黙っておく。
ちらりとガイノイドを見るとどこか物憂げな感じに見えた。狭い家が憂鬱なのかもしれない。
「そういえばこいつの名前はどうするんだ? 届出には必要ないが、命令文で使用するぞ」
「そういえばそうですね」
うーん、と僕は首をひねる。
ひねりすぎて一周する前に決めたかったが、優柔不断の僕には無理だった。
助けてもらおうと斎藤さんを見ると、眉をひそめた後に決めてくれた。
「シロ。肌が白いタイプだから」
まるで拾ってきた犬のようだったが文句は言うまい。
ガイノイドにそう伝えると、かしこまりましたと頷くだけだった。異論はないらしい。
●
どんな服装で外出させればいいのか悩んだが、結局斎藤さんの作業場を出た時もガイノイド――シロには当たり前のようにメイド服を着させていた。前の主人の趣味がうかがえるシックなつくりのもので性的な印象はうけない。
はずかしながら僕はメイドタイプのガイノイドどころか、高価な機械人形を持つこと自体が初めてだ。
それ以外にも掃除ロボや愛玩ロボ、セラピーロボなどもいるが何も持っていない。とはいえ機械人形はそれらの機器の中でも最上位に位置する価格帯であり、一般家庭では普及しているとは言い難いのだからあたり前でもある。僕はまだ高校生なのだ。
家までついてきてほしかったので、なんとなく命令文を出すと、なんなく従ってくれた。優秀だ。
斎藤さんは「人として接しようとするとおかしくなるから、慣れるまでは家電と同じ扱いをしろ」とアドバイスをくれた。たしかに人間として考えてはいけない存在のようだ。
しばらく歩くと我が家が見えてくる。
メイドを呼べるほどの大豪邸なのだ――といいたいところだが賃貸の安マンションで、裏が空地なので風通りがいいことぐらいが利点の物件だ。
階段をあがり二階へ。
鍵をつかって開錠。鍵と言ってもカードキーである。今や大抵のものが電子キーだ。
部屋の掃除をしたかなと悩み、そもそもそれをやってもらうロボだろうと考えながらゆっくりとドアをあけると、女性が僕の自室でくつろいでいた。
体がこわばる。
が、一瞬で知人だと分かった。命の恩人でもある存在なので無碍にはできない。
「はあい」と女性は言って両手をひらひらとさせた。
軽々しい挨拶はいつも通りだ。
小柄で色白。顔は小さいが目は大きい。小動物のようだが妙な存在感がある。目を引くのは髪。腰まで伸びた長い髪は真っ白だった。
彼女は始祖――たとえば《雪女》と評されていた存在の《根源》にいる存在だ。雪や氷や冬に関するすべての民話や童話や伝承や怪奇・伝説のパクり元である。彼女いわくそれは、有名税のようなものらしい。
名前はないらしく僕は便宜上『雪さん』と呼んでいた。
「どうしたんですか。何か用事ですか」
僕は後ろのシロをどうにか隠しながら訪ねる。正直、僕以外の人間がかかわるべきではない。
「あら。子供の家に遊びに来た親に、その言い方はないんじゃないかしら」
ふてくされたようにいう姿は少女そのものだが彼女は1000歳近い。白いワンピースを着てはいるが人外の存在だ。
『子供を救う』ということだけが存在する理由らしい。
人ではない存在が長い間、具現化し続けるには『存在理由』というものが必要らしい。始祖とはいえ精神的な存在でもある彼女は、器を持たないむき出しの魂のような存在だ。
それが霧散しないように形を保つには、確固とした意志と理由がいる。だからこそ雪さんは子供を救い続けなければならないのだ。とはいえ、助けた相手は自分の子供でもなんでもない。
つまり僕は雪さんの子供ではない。そしてなぜ子供を助けなければならないのかを僕は知らない。
ずいぶんと部屋が荒らされている。雪さんは、ちりばめられた花弁の真ん中にちょこんと座る可憐な少女のようだ。
「会いに来ていただけるのは嬉しいんですけど、勝手に部屋を荒らさないでください」
「なにかエッチな本があるかなって思ったの。リンくんって淡泊じゃない? 雪さん、心配になっちゃって、今日の存在理由はリンくんのフェチ探しなの」
「なの、じゃないです。探さないでください。それに今の時代は本じゃなくてデータです」
「80年前の人間がなにを言っているのかしらって、雪さんは思うわ?」
「あ、ちょっと」
あまりよくない方向へ話が進んだので、会話を切った。
僕は昔、雪女の幻想種――つまり雪さんの力を怯え恐れた人々の恐怖心や信仰心などが生みだしてしまった《偽物の雪女》に誘拐された。
その後およそ80年以上もの間、雪女の子供の一員として人ではない生活を続けていたらしい。『らしい』というのは僕に記憶がないからで、いつの間にか雪さんに救われていたというわけだ。
気が付いたら80年、気が付いたら時代が変わっていた。コールドスリープによる一方通行のタイムスリップのようなものだ。
そのとき失ったものは2つ。
それは右足と、80年以上も子供であり続けた為の弊害で体の成長スピードが常人の5分の1程度であること。加えるならば、知り合いがほぼ死んでいたことぐらいだろうか。浦島太郎状態というやつだった。
僕の変化を見て取った雪さんは背後のシロに気が付いたようだ。怪訝な顔をする。
「リンくん、それなにかしら」
「メイドです」
「そう。まあ、別にいいけどって雪さんは思ったわ」
雪さんは興味を失ったかのように「さて」と立ちあがると、玄関ではなく窓をあけた。
サッシをずらすと窓枠に足をかける。いつの間にか靴を履いているが彼女の衣服は自由自在なので驚きはしない。
「私は九尾のばあさんに会ってから旅にでます。最近活動していなかったから消えてしまいそう。しばらくしたらまた会いましょう。元気そうで良かったと思います」
雪さんはかしこまった風に言い残すと跡形もなく消えた。文字通り粉雪となって消えてしまった。
後に残るのは妙に冷たい一陣の風だけだ。それは僕の頭あたりをそっと撫でると暖かい外気に混ざった。
室内を見せないようにしていたので、シロの視覚情報には何も入力されていないだろう。
僕はあらためてシロを部屋へ招き入れた。




