20
目を覚ましたとき、僕は白い部屋にいた。
デジャブだ。
今までのことは夢ではないかとも思ったが、背中が痛むことと、下半身に尿を自動的に排出させるためのチューブがはいっており、僕はそれが現実だったと悟った。
覚醒してから一番最初に僕のもとを訪れたのは予想通りというべきか轟さんだった。さらには、白衣をきた小さな女性と機械犬を同行させていた。
轟さんはニコニコしているだけで、会話の中心は室長だった。
「貴様には驚かされてばかりだ。褒めているわけじゃない。逆だ」
ことのあらましを聞く。
まず僕の皮膚下には発信機が埋め込まれていたらしい。全く気が付かなった。
信号は病院を出た後、動きまわった。室長さんは僕を自由に動かせて、何が起きているのかを見極めようとしたが、突然その反応が消えたという。
「盗聴していた通信も、途中からノイズが入った。まったく理由がわからない」
その後、再び発信機が機能した。その時はすでに市内から飛び出しており、急きょパトカーを手配して乗り込んでみれば、建物火災が発生し、そこらじゅうに死体や負傷者がころがり、あげく氷の檻の中には身元不明の子供がつめこまれているわで、事態の収拾のつけ方だけで時間を食ったという。
「私が動かしていた案件だ。さすがの私でも事細かに事情を聴かれたが、分からんものは分からん。だから警視正にも『分からん』の一点張りで通した。感謝しろ」
つまりそれは、僕のことは公に出ていないということだろうか。というこの人、警視正にため口とか、どういう関係なのだろうか。
「22%程度は感謝しろ」
室長さんは根拠不明の数字を提示しながら、白衣のポケットからビーフジャーキーを取り出してむしゃむしゃと咀嚼した。
「では説明をはじめろ」
映画の試写会にでも来たような気軽さで、室長は先を促した。
僕は悩んだ。
言うべきことと、黙るべきこと。その狭間にただよう問題に○×をつけていく。
それから、おおまかな経緯だけを伝えるために口を開いた。
私的な理由から探し人をしていたが、偶然あのビルでゴーストに出会った。非接触型の対個人精神感応型だったようで、僕にしか見えなかったようだ。それはおそらく、あの研究所での被験者だった。非道な実験が起きていることを知った僕は研究所へ赴くことにした。そこで理由不明の事件に巻き込まれ、緊急事態だと判断したので、能力を使用し、解決を試みたが、成功したか失敗したかは不明である。
話してみて思ったが、まるで雪さんのような行動理由である。
「……ふん。納得してやろう」
室長さんは全く納得していないように顎をあげた。
「いやあ兵藤君、お手柄だよ! いや、お手柄とは言い難いかな!? あの建物、表向きは製薬会社の持ち物だったんだけど、実際は君の言う通り実験施設だったんだよね! つまり君は社会の闇を見ちゃったわけで、ちょっとやばいかな! だから室長が助けてくれなかったら、もしかすると……」
バン、と手で拳銃の形をつくって僕の胸をうつ真似をした。
「やめろ、ばかもの」
室長が意外にも大人な対応を見せて、轟さんの腕をはたいた。
「兵藤リンといったな。またいずれ貴様には話をきくからな。今はやすんでおけ」
優しさとも受け取れる言葉と共に室長は退室した。案外良い人なのかもしれない。助けていただいたようだし、今度、きちんとお礼を言いに行こうと思う。
次いで轟さんは、僕の下半身にとりつけられた尿排泄チューブをみて「うわあ、痛そう。ま、がんばってね!」というと、室長の後を追った。
*
僕の入院記録を誰が知り得ているのかは知らないが、目覚めた初日から二人以外の誰かが訪れることはなかった。もしかするとそれは室長のいう『守る』という範囲に含まれているのかもしれない。
縫合処置をしたという僕の背中には、今後も刺し傷がうっすら残ってしまうようだった。医者が「能力者ってのは、すごいもんだね」とほめてくれたのは、傷が見かけほどひどくない為で、それは傷口を氷で凍結させ、止血をしていたからだという。能力を応用した応急処置というわけだ。しかしそれは僕の発想力と能力ではないので、曖昧に頷いておくにとどめた。
そういえば、退院間際のこと。
ふと目を覚ますと雪さんがベッドの脇に立っていた夜があった。
雪さんは少しの隙間さえあれば、どこへでも忍び込めるという。まるで妖怪のようだが、それら風説の原初の一角を担っているのだから驚くこともない。
月夜だけが頼りの病室内。あいかわらずシミどころか繋ぎ目さえ存在しない純白のワンピースをまとった雪さんは、細く白い指先で僕のおでこをそっとなでた。
「リン君。今回はあなたらしくない頑張りをみせたのね」
「……どういうことですか」
「悪くないってこと」
「意味が全くわかりません」
ふふ、と雪さんらしい笑みが広がる。
「まだ子供ね。そういう時は親を頼りなさいな。だから今回も――」
僕の返事を待たずに、ぱっと粉雪が舞った。
雪さんは当たり前のように消えてしまい、その後すぐに見回りの夜勤ナースが室内に入った。「私の逃げ足は天下一品よ」と自慢なのかなんなのかよくわからない宣言をしていただけある見事な消え方だった。
こうして僕の夏休みの主たるイベントは病室にて終わりを告げ、それからはやっていない宿題をどう片づけるかだけを考える消化試合となった。
斎藤さんの作業場に久しぶりに顔を出すと、ぽかりと頭をたたかれた。
「こんな最悪な状態になってから、のこのこと平気な顔で来るんじゃない」
機械義足のことを言っているのだ。随分と酷使してしまったようだ。一般人からすると不調は見受けられないが、職人からしたら許せない行為なのだろう。
「退院したばかりなので、少しは優しくしてください」
「なに? 入院していたのか?」
「ああ、まあ、そんなとこです。いや、どうだろう。してないかもしれない」
「いい加減にしろ」
ぽかりともう一撃。斎藤さんは斎藤さんで、思う所があるのだろう。しかし巻き込むわけにはいかない。空白の期間は他言しないほうが良い。僕は素直に怒られ続けることにした。こういう日常も悪くない。
ふと部屋の片隅に目を向けると、何かにかぶさった布のふくらみを見つけた。斎藤さんらしく、変なところが雑で、布がうまくかぶさっていない。足が出ているところみると素体のようだった。
「あたらしい素体ですか。どこから手にいれたんですか」
「どうしたんですかって……お前、知らないのか? 逆に私が聞きたい。あんな芸術品みたい代物をどこでどうやって誰から手に入れた」
「すみません、話が全く分からないんですが」
「……? おかしいな。お前に依頼されて、うちに持ってきたと聞いているが」
「誰からですか」
「いや知らん。なんかやけに色白の外人だったぞ」
「色白の外人……?」
「いや、外人じゃないか。日本語ぺらぺらだったし。でも髪は白くて、小柄の女だった」
病室でのワンシーンがよみがえった。
「雪さん……?」
「なんだ。知り合いじゃないか。じゃああれは、お前の品だ」
とにかく先の読めない展開だ。
整備が済んで調子のよくなった足をつかって、布をはがしに近づく。
布のはがれた先には、裸の素体が寝ていた。
色白で銀髪。とても美しい顔立ちだ。どこか雪さんに似ているような気もしたが、顔立ちというか、まとう雰囲気が似ているようだった。つまり人離れした造詣。
「それオートクチュールだぞ。ツルシじゃない」
ツルシというのは量産素体の事だ。ハンガーにつるされているからそう呼ばれているらしい。反面、オートクチュールというのは完全にオリジナルの型で、世界に一つしかいない特注品だ。
「へえ、そうなんですか?」
「ああ。市場価格なら3千万以上するんじゃないか? パーツも接合部も全体のバランスの調整も私の技術をはるかに超えてる。じいちゃん以上かもしれない。正直なところ、製作者と話がしたかったんだが、その調子だと知らないようだな」
「さ、さんぜんまん!?」
つかんでいた布が落ちそうになる。
まさかシロがいなくなった代わりに、雪さんから僕へのプレゼントとでもいうのだろうか。
雪さんならそういった事もしそうだ。あの人は各国の通貨を、様々な方法で所持しており、お金などいらない存在のはずなのに、かなりの大金持ちである。が、残念ながら僕はしばらくガイノイドと暮らす気はなかった。不要の品だ。
「あの、斎藤さん。これよかったらどうぞ。ここのお手伝いにでもしてあげてください」
「はあ? そもそもこれお前のだろう?」
「ああ、まあ、そうかもしれませんが、そのうえで差し上げますという話です」
「とはいったってお前、シロがまた動かなくなったんだろ? 変わりの素体じゃないのかこれは」
「ええ、まあ……ってあれ。なんで知ってるんですか?」
「それを持ってきた人が言ってたから。で、そこに同じもんを積んでくれと頼まれた」
「同じもの?」
「金持ちの道楽とまでは批判しないが……意味があるのかどうか、停止したブラックボックス。人工知能の要。つまりシロのそれを積んでくれという依頼だ」
「え……?」
咄嗟に眼下の素体に目を向けるが、当然、起動はしておらず、する気配もない。
残念ながらシロが生き返ることはないだろう。
あれは魂が素体に宿っていた結果であり、ブラックボックスが関係しているわけではないのだろう。それを積み替えたところで、同じ答えが出るはずもない。
僕の思考を読み取ったのだろうか。斎藤さんは先に話を進めた。
「で、残念な話だが――」
「――動かないんですよね?」
「ああ。残念だが、またブラックアウトしてる。もうシロは諦めろ。そうだな、お前に私からプレゼントしてやってもいい。いろは型じゃなくて……そうだな……RJ型がいいんじゃないか? あれは男受けがいいというから。嫌じゃなければ、思考バイアス周りは私がチューニングしてやってもいいが……?」
「ありがたいですけど、今回は遠慮しておきます」
「む、そうか。まあなんだ。残念だったな。次なる良い巡りあわせを祈るよ」
慰めてくれていることにようやく気付いて、僕は頭を下げた。神を信じない斎藤さんが祈ってくれるということは、最上級の気遣いなのだろう。
斎藤さんはシャワーを浴びるために、二階へあがっていった。
僕は作業場で一人考えた。
雪さんが何をおもってこんな素体を用意したのか、またどこでシロの素体につまれていたブラックボックスを手に入れたのかは分からない。
とはいえ雪さんに常識などあてはまらず、さらにその行動全てに無駄はあれど、虚偽はない。そんな風に自分を騙せるのなら、始祖の持つエピソード――雪さんの場合は『子供を助け続けることが存在理由である』というものだが――に打ち勝っているはずだ。だからこれは間違いなくシロのブラックボックスが搭載された素体なのだ。
しかし結果的には何も変わらない。
シロは戻ってこない。
僕は見慣れない素体に布を掛けることにした。
「そういえば名前も聞いてなかった」
シロの名前はなんというのだろうか。
たった一か月だけの同居生活だったが、ずいぶんと素っ気ないものだった。今考えると自分の甲斐性のなさが恥ずかしくなる。日本にホームステイにきた外人に、ずっと地下室を勧めていたようなものだったのではないか。
目の前の存在は、いわば死んだ脳を移植した人間のようなものだろう。脳を完全機械化するという話はまだ実現していないけれど、犬の脳をアンティークペットへ搭載することは既に実験済みであり成功しているらしい。
だからシロにとって、もしかするとこの素体はお墓のようなものなのかもしれない。そう思うと、声もかけたくなった。
「おやすみ、シロ」
その時だ。
素体の目がぱちりと開いた。
僕の動きは停止した。まるで氷漬けにされた人間のように固まった。
出会いと同じ光景。しかしそれは過去とは異なる話に違いない。
――シロではない何かが素体に入ったのか? 目の前の存在はただの人工知能が搭載された素体なのか、そうではなくまた何かの問題が――
素体がゆっくりと口を開いた。
「私に名前を聞かないのですが?」
人外のような容姿。やけに落ち着いた雰囲気に圧倒され、僕の口は勝手に動いた。
「……君の、名前は?」
どこかで聞いたようなセリフ。
しかしその先は違った。
「お忘れですか? ご主人様がつけてくださいました」
なぜだろう。
何が起きているのだろうか。
本当の名前など知らない。だから僕の口は二文字を紡いだ。
「シロ……?」
「はい、ご主人様」
「なんで……こんなこと……」
素体はゆっくりと身を起こした。僕は手助けをする甲斐性さえないまま、シロの言葉をまった。
「我思う、故に我あり――今、私はここに存在しています。それが全てです。もしかすると、これこそがゴーストとなって素体を操っているという状況なのかもしれません」
「……ゴースト?」
ソウルからゴーストが生まれる。
もしもあの時、消滅したはずのシロの魂の一部から、何かを望む幽霊が生まれたとするのなら整合性はつく。それはあたかも、ウイルス感染をしたシステムが、自己を守るためにデータをシステム外へ切り離すようなものだ。
仮にそうであるならば、今の彼女の望みはなんなのだろう。
妹を止めてほしいという望みを僕は叶えたはずだ。
では、その先にどんな望みがあるというのか。
シロは微かな笑みを浮かべた。
「積もる話はありますが、まずは買い物に行きましょう。それから夕食を作ります」
僕の望みはなんだろう。
消えたくないだとか、寂しいだとかマイナス的な話ばかりで、希望的な話を考えてこなかった。退院後もどこか虚無感を感じており、前には進めていなかった。
どうしたことか視界が滲んだ。斎藤さんを大声で呼んだがシャワーの音にかき消されているらしく反応がない。
僕は一つ咳払いをして、彼女の目を見た。その眼はとてもきれいなブルーで、雲一つ見当たらない澄み切った青空のようだった。
急に恥ずかしさがこみあげてきて、僕は質問をしてごまかした。
「今日の夕飯はなにかな」
「そうですね――」
ああ、そうか。
唐突に気が付く。
無意識に発露した質問こそが、今の僕の望みなのだろう。
脳や自意識ではなく、心や魂からの言葉こそが、純粋な望みなのだろう。
それが人間。
僕は今、じつに人間らしい行動をしたのかもしれない。
「――今日はカレーにしようかと思います」
いつもと同じじゃないか、なんて心からのツッコミは胸にしまっておくことにした。
☐Case-??
目を覚ます。
僕は雪の世界に仰臥していた。不思議と寒さは感じない。
「君は今日からまた人として生きるのよ」
僕を見下ろすように立っていたのは、ワンピース姿の白髪の女性だった。寒くないのだろうかとぼんやりと考えるのが精いっぱいだった。長い長い夢から覚めた後のような鈍い痛みを目の奥に感じていた。声を出そうと思ったが出ない。
女性は矢継ぎ早に言葉を発した。
「今は君の生きていた2015年ではない。君は幻想種という偽物に主従関係のもと使役していた。そして君を助けるためには、君を拘束していた幻想種の魂を埋め込むしかなかったの。上位を消してしまったらあなたまで消えてしまうだろうから上下関係を維持したまま下位の中に上位を封じた。ようするに、裏が表で表が裏っていう例のあれね。まあ、うまく使えば悪いものではないでしょう」
矢継ぎ早に話されているが、いったい何の話なのだろうか。
女性は僕の反応が薄いとみると、とりあえず帰りましょう、と言って僕に目を閉じさせた。
その手を妙に優しく感じたことだけが印象的だった。
*
それから僕は様々な事実を知り、非現実的な体験をした。
まず疑似的にコールドスリープ的な体験をしたということを知った。
そして世の中には能力者というものが認められているということを教えられた。
それからゴーストと呼ばれる霊が存在し、国が駆除をしていることを理解した。
さらに科学が発展し、人工知能が生まれ、人型のロボットが生活に取り入れられていることを実感した。
極め付けは、忘れ去られているだけで、世の中には始祖と呼ばれるような規格外の存在がいることを思い出した。
僕の知識は時代遅れか、もしくは部分的な記憶喪失状態になっており、子供ながら頭を抱えたものだ。
しばらくは雪さんと生活をしていたが、力の制御ができるようになると九尾の狐の世話になり、その援助のもと街に降りて、それから一人暮らしを始めた。
はじめての一人暮らし。
生前からも家族も親戚も知り合いもすくなかったが、未来に来てしまっては、それらすべてがリセットされていた。
新居のドアを開けるようとカードキーを取り出した時、何か、とてつもない絶望感を味わっていた。
一人で暮らすことの悲しさ。
ずっと一人であろう未來への絶望。
自分が生きている意味の模索。
それらすべてが一挙に降ってきた。
開錠し部屋に入る。
綺麗な台所を見て、将来はここで何かを作るようになるのだろうかと疑問に思う。
僕はずっとひとりでここで生き、人から外れた時間の中で死んでいくのだろうか。
とても悲しいけれど、しょうがない。
きっと僕はこの部屋でずっと一人ぼっちなのだろう。
*
青く澄んだ空を、同じような色の瞳で見上げ、双子の姉は思った。
――この空はどこまでつながっているのだろうか、とそう思った。
FIN




