02
☑case-0.1
兵藤リン(ひょうどうりん)は、今年で十七才になる男子高校生だ。
身長は並。体格も並。ついでに顔も並。外見での固有さといえば髪の色がわずかに灰色がかっていることぐらいだった。
元は山奥の小さな村に住んでいたが、数えでの年齢が十六の時に上京し、私立高校に入学した。
今は一人暮らしである。わけあって家族はおらず、直接的な金銭的支援をしてくれる縁者は居ない。
しかし何でもそつなくこなす性格が幸いし、定期的な収入源は確保していた。多いとはいえないが協力者もいる。かつては悲観ばかりの日々だったが、時間に慰められて前向きになったと本人は信じていた。
リンがとある事件に巻き込まれたのは幼少のころ。それが解決し、一段落。そして背を押されるように上京をしてから一年と少しが経った現在――事件によって失ってしまった右足を、機械義足で復元してくれた技師『斎藤』の作業場へと入り浸る日々だった。
「なんというか……お前は友達が居ないのか? 毎日こんな場所にこなくても、他に楽しいことはいくらでもあるだろう」
斎藤はスタイルの良い妙齢の女性で、祖父が優秀な技術者だったという。本人曰く「わたしはいつまでも、じいちゃん以下」らしいが、機械人形から機械義肢の整備までと幅広い知識を有している。ちなみに祖父は既に他界していた。
斎藤のゆれるポニーテールを見ながらリンは言った。
「斎藤さんの仕事を見るだけで楽しいですよ。僕には想像もできない世界です。あと友達はいるような、いないような……」
斎藤がため息をつく。
「整備方法なら教えてやるって言ってるだろう。こんなものはお前ぐらいの年齢から真剣にやれば、すぐに私以上になるさ。友達はまあ、今いなくてもいつか見つかるだろ。わたしは居ないけど……別にさみしくはない……本当だぞ……」
「そうですか」
「嘘じゃないぞっ」
「疑ってないですって」
「そ、そうか。ならいいんだが……で、教えてやろうか? 整備技術」
「僕には無理ですよ。なにせこの世界は夢みたいだから。触れようとしても、触れられない気がします」
「ふうん……なんか、古臭い言い方だな。お前とじいちゃんは気が合いそうだ。会わせたかったよ、一度くらい――ま、わたしはどちらでもいいさ。お前が傍で見ているだけでも、夏場は涼しくて良い」
「褒めてます?」
「もちろん褒めてる」
「なら頑張ります」
リンは力を強めた。部屋の温度がさらに下がる。
彼は能力者として国に登録されている。今も体の一部に能力者証明のバッジをつけている。〈☆〉を三角部と中心とで六ヵ所に分け、更に色で区切ったものだ。
これは超能力者が現代で生きる上での免罪符であり、発動部位と能力の種類を端的に視覚化したものであり、能力者に義務付けられた数々の制約のうちの一つである。
たとえば〈視認〉による発動で〈非接触型〉の〈発火能力〉であれば、星の天辺の△が赤く塗られ、斜線が入っている。
目のある頭部が発動パーツなので天辺の三角、属性が熱であるため赤色、触る必要がないため無印――といった風になる。これが〈右手〉による〈接触型〉の〈発雷〉であれば、向かって右側の三角が黄色になり、要接触を表す斜線が描かれるというわけだ。
およそ五十年前。選ばれた人間に幽霊が見える――という現象が多発した。ゴーストは人に害をなし、自然災害ならぬ霊魂災害という言葉が地球上を覆った。
ゴースト騒ぎから五年後――混乱の沈静化が見えぬ中、〈ピグマリオン彗星〉が地球の傍を抜け、その一部が地球上に落下した。その後、人々の間には特殊な能力を開眼させるものが現れたのだ。それが超能力者である。
授業でも必ず習うその社会現象は〈特殊能力者の一斉開眼〉と名づけられた。ヨーロッパ圏での俗称は〈ピグマリオンの成就〉であるが、彗星落下が関連しているという確証はない。
繰り返される論争は現在に至るまで、ただの一つの結論も見出してはいない。
例えば『超能力者はゴーストや〈ゴーストデブリ(残滓幽霊)〉を駆逐するために必然的に現れたのだ』と主張する有識者もいたし、『能力者がいたからこそゴーストが出たのだという』運命論者もいたし、『これはまったく関連性のない別々の現象が偶然共鳴し合っただけなのだ』と断言する政治家もいた。
唯一まとまった意見と言えば、差別はいけないが区別はせよ、という共通認識だけだった。
〈国際連合 特殊能力区分制定〉の制定した大まかな能力は七つ。
発火。
発雷。
念力。
治癒。
強化。
感応。
特殊。
である。
当初確認された能力者はその全てがこれらに分類されたということであり、逆を言えばそれ以上の区分けはない。近頃、半世紀前の区分をいまだに使っているのはおかしいと議論されはじめた。
今現在、能力ホルダーは全人類の8%程度にまで及び、国に登録・管理されている。
ゴーストは〈死後の人の魂が変貌するもの〉と定義されており〈意志〉がある。ゴーストデブリはそのゴーストの残滓――つまり魂の残り香であり、行動理由はあれど意志はなく、機械的に同じ行動を繰り返す。
人々にはどちらも〈厄介な幽霊〉と認識されており、現代社会の弊害の一つだ。警察にもそれ専門の課が発足して、数十年が経つ。
魂をはじまりとする『ゴーストやゴーストデブリ』と『一斉開眼した能力者』の社会的な関係は単純明快だ。人が死亡し、魂が何らかの理由によりゴーストへ変貌すると、人の行動に害をなす現象が起きることがある。それらを能力者の持つ能力で駆除するという図式だ。逆をいえばその関係性以外では接点がなく、能力者の存在意義は脅威でしかなくなる。
たとえば車を執拗に壊そうとするゴーストデブリは、ふたを開けてみれば交通事故で死んだ人間の怒りが発端となっていた。それを退治したのは車とはなんら関係のない発電の能力者だった。力に力をぶつけるだけの単純な関係だ。死したものに対してのグリーフケアなど存在しない。轢いた人間は刑期を終えると生活に戻り、死して尚、現存する霊は抹殺されていく。
開眼する能力者は大抵10歳ごろまでに能力を発露させるが近年では例外も目立つ。リンは七能力に限定されない特殊能力者としてカテゴライズされているが、実際は訳が違った。
斎藤が作業に移りながら肩をすくめた。
「しかし《発氷》とは変わった能力だよな。発火と発電だったら作業所には入れたくもないが」
リンは自分の話を少しだけしようと考えた。一年以上付き合いがあるが、斎藤へ話すのは初めてだ。
「斎藤さん。雪女って知ってます?」
「雪女? なんだそれ」
「うーん。とても昔の……能力者みたいな感じかな。妖怪って知ってます?」
「溶解? なにを溶かすんだ」
「21世紀……すくなくとも2015年にも、そういった存在は現存していたんですよ。始祖というすべての始まりの種族と、そういった脅威を人間が一方的に神格化したり恐れてしまったり――思い込みから生まれた偽物の存在。ベースはゴーストで味付けが人の信仰心って感じですね。〈幻想種〉と呼ばれることが多いです」
「……さっぱりわからん」
斎藤は何もわからないようだったが、それも当たり前のことだった。
リンが幼少時に聞かされた昔話――たとえば、座敷童だとか雪女だとか、そういった《妖怪》の類は、現代では『好事家と一部の関係者および専門家』のみが知るところとなっている。
人工知能が開発され、機械人形が普及し、ゴーストや能力者がニュースを賑わせているせいで、そういった昔話は消えうせたのだ。民話や口伝の伝承など見る影もない。情報の海に翻弄された人間は『今と未来』だけに目を向けることになった。過去から残っているものといえば娯楽性の高いもの――たとえば耐性のついたウイルスによるパンデミックだとか、噛まれると脳がおかしくなる虫だとか、そういったB級のものが映画の題材で使われたりするだけだ。
どれだけ情報の海が広がろうとも、本棚に綺麗に整理されていようとも、背表紙が見えない本など、興味もなければ見つけようもない。手の届かない本には手を伸ばそうともしない。今の時代はそういった情報過多社会の最たるものだとリンは感じている。
「まあ……とにかく雪女っていう恐ろしい存在が確かに居て、でも本物と偽物がいたってことです。昔の話ですけど」
「昔って50年前よりもっとか」
「ゴーストの発生や一斉開眼なんて比べものにならないほど、もっと前の……数百年前からですかね。江戸時代って知ってますか?」
「それぐらいは知っている。バカにするな。トクガワだろ。イエヤスだ。あとはオダ」
やけに子供っぽくえらそうに言うものだから、リンは口角があがるのを抑えるのに必死だった。
「……じゃあそれぐらいから存在していますよ。急速に記憶から消えているんですね。授業でも教えないし、伝統というのは、価値を付加する人間が居なくなると消えるようです」
「そうなのか」
「猫又とか九尾狐も知らないですか?」
「化け猫なら知っているぞ。むかし絵本で似たようなものを見た。猫の妖精のニャアが地蔵におにぎりをあげると恩返しされるやつだ。鬼を助けて、海へ行くのもある」
随分とミックスされているぞと、リンはまたもや我慢をする。
「絵本って電子ブックのですか? 紙媒体のですか?」
「小さい頃だからあやふやだが、おそらく電子ブックだろうな。なあ、それって重要な差か?」
「どうでしょうね……ただ一つ分かるのは情報の伝達方法を電子記録に頼りすぎたんでしょうね。参照しなければ記録に意味はないですから、余計な話は消えていきますよね。アップデートによる無駄の消去。でも、無駄な話こそ人の記憶に残すべきだと思いませんか?」
斎藤は窓の外を見た。それから時計を見て、リンへ視線を戻した。
「……お前の話は難しすぎて分からん。じいちゃんと話してるみたいだ」
そもそも霊が50年前に現れたわけではないことをリンは知っている。
それこそ世界中でも知っている人間は知っている。45年以上前にも能力者はいたし、幽霊だっていた。氷をあやつる女性が雪女と名付けられ、子への教育に怪談を使用した例があることも知っているし、そのルーツとなった始祖がいたことも身をもって知っている。
そしてそういった人間の思い込みが、一部の適応のあるゴーストを昇華させることも十二分に知っている。
《妖怪・怪談・怪物》などには必ずルーツがある。リンの村には本物の雪女はいなかったが、リンの曾祖母は発氷の能力者だった。それが過去に発生した幼子の神隠しに対して〈雪女の仕業である〉という恐怖や興味を一層高めてしまったのだ。そんな村人の想像力が偽物を作り出した。それは何十年として現存してしまうほど、人の心の片隅に潜み続けた。
本来のリンはなんてことのない人間で、曾祖母と同じ発氷の能力を隔世遺伝で多少継いだだけだ。だが、幻想種である偽物の雪女はリンに目をつけ、そしてその人生を大いに狂わせた。
斎藤はすでに作業に戻っている。話の行き先に興味がないようだった。それは世の中も同じだ。生活にかかわりがなければ気にしない。不要な情報は淘汰されていく。災害の恐怖は記憶の彼方へ消えていく。
しかし50年前から再び幽霊が確認されはじめ、それと同時期に能力者が次々に開眼し、人間には想像さえできなかった問題が降りかかった。とある有識者は「歴史は繰り返すものだ。人が忘れていただけで、過去にもゴーストや能力者はいたのでは?」と仮説を立てていた。
「とにかく今の話はよくわからないが……」と斎藤は言ってから、目の前の代物を顎で指した。「やっぱり動かないな。私にできることはもうない。それだけは分かる」
「そうですか……」
二人の視線の先には、裸体の女性がいた。
否。
それは裸のガイノイドだった。アンドロイドとは基本的に男性をかたどった素体をさし、ガイノイドは女性のそれをさす。
生活費はあるが高価なアンドロイドを購入することのできないリンが、先日、知り合いの知り合いというつまり他人から譲り受けたものだ。仕事の報酬でもらうことになった。
小型のガイノイドで、元は金持ちの家のメイドとして動作していたらしい。人工知能は「いろは3型」と呼ばれる日本製で、家事手伝いへの知識収集と認識力が高い。
人工知能にも特性があり、《思考の指向性》というものが設定されている。
たとえば危険を察知した場合、好戦的であれば戦うし、お世話ロボならば主人を守るし、自己防衛をプライオリティの最上位に設定していれば主人を見捨てででも保身に走る。
知能とは単一的な行動論理ではなく、臨機応変に動かねば成立しないと定義されている。しかし人に素質があるように、思考には一定のルールや特徴が必要だ。基礎となる性格の傾向や物の考え方の方向性が人工知能の基礎となる。
もちろん、それらが完成に至っているかの判断自体が永遠の命題と評価されており、
現在でさえ人工知能は最前線で研究され続けている。
中には「未完成の人間が、完全な人工知能を作り終えた瞬間が世界滅亡の1秒前であり、起動させるためのエンターを押した瞬間が滅亡の瞬間である」と豪語した学者もいた。
そんな人工知能搭載のガイノイド・アンドロイドは機械人形とも呼ばれている。目の前のガイノイド――女性型の機械人形は、つい先日までは動作は良好だったが、突然、充電をするポッドの中から出てこなくなったという。
持ち主曰く《ブラックアウトをしてしまった》とのことだった。
「ブラックアウトって、もうどうにもならないんですか」
リンの問いに、斎藤は小さく頷いた。
「《ブラックボックス》と呼ばれるものが機械人形の脳の部分に存在する。人工知能に関するチップ類はすべてブラックボックスに収納されている。そこがアウト――つまり、いかれちまうってことだ。それも原因はわからずでな。普通の故障じゃない」
「うーん。原因がわからないなら、なんとかなりそうなもんですけど。わからないうちに、直りそうじゃないですか」
「お前はやけに文系だと最近気が付いたよ」
「だから斎藤さんに頼んだんですよ」
「まあ、とにかく無理だ。私がいつも言っていることを思い出せ」
リンは頭に浮かんだセリフを口に出した。
「『ブラックアウトは人工知能の自殺だ。機械に許された唯一の意図的な死だ』」
「そう。生命の究極は死にある。彼ら彼女らは、死を選ぶことによって本物の知能を手に入れる。完璧な知能とは死を恐れ、回避し、最後には受け入れることにある」
「師匠ってやけに文系だなって最近気が付きました」
「ふん」
斎藤はつまらなそうに鼻をならすと、髪をほどいた。
「さあ、今日はもう店じまいだ。シャワーを浴びるぞ、私は」
「うーん。じゃあどうしましょう、この素体」
「明日にでも分解して、使えそうなパーツは抜き出そうと思う。いいか?」
「まあ、しょうがないですね」
「鍵はあけたままで構わないからな、じゃあまた明日こい。右足の調子をみてやる」
一階の作業室から二階へとあがっていく斎藤を見送りながら、リンも席を立った。下校時に立ち寄ったため制服だ。
「念願のメイド生活は、一瞬の夢だったか」
6畳の部屋住まいではメイドなど全く必要がないが、夢に限りはないのであった。
「君、ばらされるってさ」
死刑宣告をされたようなものなのだろうか。リンはガイノイドが可哀想な気がして、裸のままの素体に、せめて大布でもかけてやろうと思い立つ。
そこでふと考えた。
さきほど雪女の話をしたせいだろうか。
都市伝説を思い出したのだ。
「ゴーストがアンドロイドを乗っ取る、か」
現代社会特有の都市伝説だ。
人には魂が宿っているとされ、それが人工知能との画一的な部分だといわれている。その思想があったからこそ、人工知能は人工知能たりえているとも言われている。機械と人の違いはなにか?――それはゴーストを作り出す魂であると。
人が死ねば、器である身体からは魂が抜ける。
それは本来、目に見えない形で霧散していく。時折可視化するものもあるが、いずれドライアイスのように霧散していく。
人が死んだときに体重が軽くなるのは《魂が抜けたからだ》と遥か昔から言われ続けていたが、あながち間違いではなかった。ただし魂に質量はないため、あくまで抜けるという点だけだ。
魂は体からこぼれ落ちると、アスファルトに吸い込まれる水のように大気へと混ざっていく。しかしそこで、人の強い『意志』が魂を変質させることがある。それは形を伴って幽霊となる。
ゴーストもやはり見えるものと見えないものが居り、また見ることのできる人間とみることのできない人間がいる。基本的に能力者は見ることのできるものが多いが、精神上でも物質上でも因子となるものは見つかっていない。
また、意志力が弱くゴーストに至らなかった魂は、単一の意志をもったゴーストデブリと呼ばれる現象になる。他の発生ルートとしては、ゴーストが弱体化した結果であったり、ゴーストの強い意志から生まれた行動の残りカスだったりもする。それらは意志とは呼べない単純な行動理由から、同じ行動を繰り返す。『縄張りを守るために外敵と戦い続ける動物のようなものですね』と著名な研究者が評している。
リンの思い出した『都市伝説』とは、そういった『意志はあるが肉体のないゴースト』が『意志はないが肉体は存在する機械人形』を乗っ取り、人間社会で第二の人生を送っているというものだ。かれこれ数十年も前からある噂だった。
現代人からすれば耳にタコの噂話であり、昔でいうところのゾンビ映画のような扱いにになっている話だったが、リンにとってはまだ新鮮な話だった。
意図するところもなく、思い付きを口にした。
「たとえばテレビを叩いて直すみたいに……僕の力を注入したりすれば……」
直ったりしないだろうか――その時だった。
ガイノイドの目が、ぱちりと開いた。
リンは言葉を失った。まだ何もしていない。
都市伝説が頭をよぎる中で、斎藤への言葉もよみがえる。
――勝手に直るかもしれない。
「えっと、お……おはよう」
一瞬で口が渇いた。噛んでしまう。
ガイノイドはゆっくりと視線を合わせた。駆動音は聞こえず、再び目をつむっても違和感はない。
言葉を思い出すような間を置いた後、ガイノイドはよく通る声で言った。
「おはようございます……ご主人様」
どこかぼんやりとしているように見える。無駄のない動線で上体を起こすが、手は使わずに腹筋だけを使うような機械的な動きだった。
「君、名前……ある?」
ガイノイドは起き上がると無感情に室内を見渡し、再びリンに視線を合わせて答えた。
「……名前はありません」




