17
途中経過を報告し終えるとシロは瞬きを二回した。
「自殺を促すゴーストであるならば、妹の力と相似しています」
「まだ何も分からないけどね。推測でしかないよ」
「ゴーストになっても能力は使えるのでしょうか」
「少なくともシロは能力が使えることは証明されてるよね」
「はい」
「問題はシロが魂の状態なのかゴーストの状態なのかってところだけど……」
「判断方法はあるのですか?」
「僕には分からないよ。そもそもゴーストが機械人形に乗り移ることだって世間的には眉唾ものの話なんだよ」
「ネットワーク上でもそのようです」
「ゴーストが能力者になることはないと思う。けれども能力者がゴーストになった場合、能力が残る場合と消える場合があると授業では教えられる。基本的に感応系や治癒系は残りやすい。当然、肉体がきえるから強化系は発現不可と言われるし、発火や発電も残らないことが多いらしい。念力は残りやすいんだっけかな」
テストで出た範囲を思い出しながら説明をすると、シロは苦も無く返した。
「間違いなようです。ネットワーク上に同様の意見が2万件あります」
常にネットワークと繋がっているシロに講義をすることが間違っていた。人工知能は人間のサポートという役目があるのだから、知識で劣っていては話にならない。しかし、質問をしてきたのはシロだ。
「常にネットワークと繋がっているといっても、それは意図的にアクセスしないと知識として入ってこないの?」
「そうですね……人工知能の思考ルーティンは不明ですが、少なくとも私は自分の中の記憶ストレージを検索し、該当がなければさらなる検索ワードを得るために質問をしつつ、ネットワークへの検索を行うといった順のようです」
「なんだか他人事みたいな言いぶりだね」
「どうも不思議な感覚なのです。私に感情はあるはずですが表立つことがないように思います。また生前の記憶はありますが、どこか遠い場所にあるようです。アクセスに遅れが出ます」
シロの話からすると、彼女は中学生程度の年齢のはずだった。しかし僕よりも落ち着いているし、判断も的確のように思える。
作り物の話の中での天才少年少女は往々にして冷静沈着さと幼さを兼ね備えているけれど、ネットワークにつながったことにより知識量が増大したシロもそういう状態なのだろうか。
ならば、現代の人間はチップさえ入れれば常に同等のレベルに到達できるのではないか。実際そうなのだろう。外部記憶装置とチップが入っている人間は、シロと同等なのだ。
では人間と機械の違いはなんなのだろう。
先ほど、シロは感情と記憶の話をしていたが、そこに差別化に必要な何かが――
「――ご主人様? 耳鳴りを感じますか?」
「え?」
「突然口を閉ざされましたので、思考ルーティンがマスターの健康チェックへと移行しました」
「ああごめん。僕の悪い癖なんだ。元気だよ」
「さようですか。かしこまりました」
「とにかく探してみるよ。見つかったところでどうするかは分からないけれど」
「仮に見つかったとして」
シロは僕をしっかりと見た。
「さらにそれが妹だったとしたなら……それがご主人様の命を狙ったのであればまよわず駆除をしてください」
なんだか矛盾した意見にも思える。妹が大事。でも僕の命の方が大事ということか。
「でも君の妹さんだ。一方的に駆除っていうのはどうなのかな」
「もしも私のように過去を遠い記憶と処理できるのならば問題はないでしょう。しかしあのときの感情を保持し続けているのならば、妹はとても危険な存在です。誰彼かまわず傷つけることでしょう。あの時の私は誇らしい気持ちもありましたが、今となってしまえばもう取るに足らない感情です」
「それはシロの意見だ。妹さんの感情を否定できないよ」
シロは黙ったが、すぐに先の鋭い言葉を投げつけた。
「ご主人様は恐れております。さきほどから動悸があがっています。駆除という単語がキーとなっているようです。あなたは自分が駆除をされるのが怖いのです。あなたにはあなたの考えがあるのに、それをすべて否定され一方的に敵とみなされることが怖いのです」
「いきなり何を……」
僕の胸のうちがかっと熱くなる。氷でも冷やせないほどの熱量が脳へと移る。
しかしそれはすぐに消えた。
「ご主人様。私はそんなあなたに救われております」
「……なぜ? 僕は何もしていないよ」
「私はおそらく『普通』にあこがれていました。普通の生活がしたかったのです」
「普通って何?」
「わかりません。でも自分ではない自分になりたかったのです。この部屋から外の風景をみていれば、勝手に夕暮れになります。鳥が飛びたち、次の日もまた訪れます。雨の日は水が流れ、晴れになると水は空へ上ります。私はそれを自分の目で見たかった。勝手に動き出す世界に包まれたかった。管理された命ではなく、時間に翻弄されたかったのです」
シロは泣いていない。機械人形にはさまざまな機能がついているが、純粋に「泣くための涙」というものは初期装備にはない。機械に悲しむ表情以上の表現は不要なのか。もしくは人間に近づくことを禁じられているのか。
僕は彼女の人生を思い返した。
施設に売られ監禁され実験道具に使われ脱出を試みるが死んだ。
彼女が何をしたのだろう。
彼女の姉が人を恨むことがそこまで悪いことなのだろうか。
だから彼女の姉の駆除だってやはりやめるべきで、きちんと生かしてあげないといけないのではないのだろうか。
「ご主人様。もしも私が何かしらの理由で人を傷つけるのならば」
シロは僕の心を見透かしたように断言した。
「どうか私の事も駆除してください。けれど私はあなたを……兵藤さんを恨みません。むしろ感謝するでしょう。ですから約束してください。姉が危害を加える存在であるならば迷わず消してください」
「それは……」
君に搭載された人工知能の『倫理コード』のいずれかに引っかかっているのではないか。それが君の勝手な感情をかき消し、人に危害を加えない最善策を提示しているているのではないか。
続きの言葉は出せなかった。
僕はうつむいた。こんなことを年下だろう女の子に言わせている。僕はとても情けない。
たしかに僕は弱虫だ。ひとりぼっちのさみしがりやだ。
いつか国の基準が変わった時僕の力は害悪とみなされるかもしれない。
もしも僕の正体がばれたら僕はゴーストと同じく駆除されるかもしれない。
やりたいことも。
好きなことも。
楽しいことも。
何もかもを一方的に否定されて消されるかもしれない。
それが怖い。怖くてたまらない。
だから僕はゴーストを駆除したくない。駆除されるまえにどうにかして望みをかなえてもらいたいと思う。そうすればきっと僕を敵とみなした人たちも考えてくれると、バカみたいに信じている。
でもそんなこと、まやかしだ。
能力者が法に守られる前の人間は忌み嫌われる存在だった。理解など得られなかった。きっと最初で最後であるだろう僕のような存在は危険視された時点で排除される。僕と同じ例はないのだろうから。
シロが頭を下げた。
表情など分からないけれど、もしも断ったのならまた部屋を出て行ってしまいそうな雰囲気が伝わってくる。
「ご主人様。約束してください。お願い致します」
「……わかった。君の言うことを尊重する」
僕は静かに頷いた。
その時が来ないことを願いながら。
*
室長さんがどんな人なのかは知らないけれど、とても直観的な人なのだと思う。
自殺多発現象と名付けられたその事件は、シロと出会った同じ時期に一時的に発生したという。
確認が取れているだけでも総勢17名の人間が自殺したという。他にも事故と判断されたものも自殺だった可能性がある。
自殺者はまず女子中高生から始まった。その数9名。しかしその女子高生たちに面識はなく、接点といえば、近隣の中高校の学生だったということ。あとは最近悩んでいるように見えていたり、いじめの対象になっていたりとあまり良い精神状況ではなかったようだということ。
それからはサラリーマンや主婦、はては老婆までと節操がなくなる。死に方も飛び降りや飛び込み、首つりなどルールはない。が、やはり自殺者はとある地域に住んでいる人間ばかりだった。しかし自殺大国と呼ばれつつあるこの国で、どの自殺を関連付けるかは容易いものではないだろう。
「次はこのビルか……」
たいていこういう場合は、その自殺者に共通項があると相場できまっている。僕も小説で読んだことがある。しかしそんなものはなかったし、共通項だけで検索をすると学生だけがヒットしてしまうなど、無理がでてくる。
そこで室長さんは、自殺した人間の生活圏を円で囲ってみた。すると特定の地域に円が重なったらしい。そこを重点的に探したが何も出てきておらず、室長の勘が外れたとなるわけらしい。
スポットを轟さんに教わった僕は、あやしげな場所を探ってみた。場所は市街地からわずかに離れた地域だ。とはいえ、僕の住む市は県内でも一番大きな市である。すこし外れてもビル群は続いている。
これまで2つの雑居ビルを見てみた。最近は空きビルが目立つという。それは2035年後に起こった起業思想の衰退から起こったという。つまり事業に失敗すれば、雑居ビルに空きが目立つということなのだろう。
これまで見たビルに異常はなかった。
南向きのため、日のあたらない通りに面したビル。この地域では最後の空き雑居ビルだ。人がいない場所に原因があるとも限らないが。
入ろうとした雑居ビルから足音が聞こえてきて、僕はハッとなる。しかし隠れる場所もないし、向こうにも僕の存在はばれているだろう。
「おい、貴様」
女性の声。
貴様とは元は相手を敬う言葉だと聞いたことがある。だから警戒するのは少しだけ待ってみた。
ちなみにこの雑居ビルは周りに鉄の柵で侵入ができないようになっている。つまり僕は不法侵入者だ。
ビル内の階段から降りてきたのは、一人の小柄な女性だった。子供ではない。その顔は凛々しく成人していることが分かる。しかし成人にしては随分と小さい。150センチもないだろう。黒く長い髪が揺れている。視線は鋭く、僕を値踏みしているようだ。
横に機械犬がいる。アンティークアニマルとも呼ばれている「機械動物」だ。
機械犬はずいぶんと大きかった。俗にいうSP犬というやつだろう。子供を一人で外出させるときなどに、そばにいるのを街で見かける。対象を守ることに特化している。それは見た目には可愛らしい小型犬を模していたりするし、一見すると生きているようにも見えるが、危険を感じるとおそろしいほどの力を発揮する。災害時にもアニマルセラピー兼捜索機器として使われるそうだ。
女性の横の機械犬は皮をかぶっているわけでもなく、金属のフレームだ。完全な戦闘用だと思う。たしか町で引き連れるには許可証がいるはずだ。
「貴様、ここの関係者か」
女性は凛とした声で問いかけてきた。
「ああ、いえ、えっと」
犬の目が怖い。赤く光るセンサーで僕を見ていた。
女性はおもむろにポケットをまさぐっている。今気が付いたが、コートに見えたものは白衣のようだった。
ポケットから出した手には何かが握られている。ビーフジャーキだった。犬にあげるのかとおもったが、そんなわけはない。
自分の口にはこぶと、もぐもぐと先っぽを噛みながら器用に話した。ずいぶんと滑稽だったが、いいしれない威圧感があった。
「関係ないなら出ていけ。そしてこの地域には近づくな」
「地域?」
「? なんだ。何かあるなら言え」
「いえ、わかりました」
頭の中で地域地域と連呼していたものだから、同じ単語を使われたことに反応してしまった。この人も何かを探しているのだろうか。
反抗してもしょうがない。悪いのは不法侵入をしている僕なので、いったん鉄作をずらして外へ出る。背後を振り返ると、白衣を柵にひっかけている女性が機械犬に助けてもらっていた。よくわからない。
しばらく経ってから再度ビルへ向かう。
女性はいなかった。僕は諦めが悪い。
5階建てのビルだ。
1階ごとに20畳ほどのフロアが広がっているらしい。
この辺りは大体同じ構造をしている。しかし、これまでと違う部分があった。外からでは分からなかったが、内部に入ってから違和感をかんじている
4階まで調べる中で何かいいしれない感覚を覚えた。中の階段を上がるたびに、背筋がぞわぞわする。
当たりかもしれない。もしかすると僕が侵入したことにより何かが反応したのだろうか。
しかしそれがシロと関係があるのかは分からない。
ただのゴーストかもしれない。集団自殺に関係があるとも限らない。
思考に反するように、やけに冷たい汗が背中をつつと流れ落ちた。
どういうことだろうか。
僕は今、危機感を感じているのではないだろうか。
今、連綿と続いていた場面が強制的に切り替わった気がする。
(死になさい)
僕は今、戻らなければならない気がする。どこへ? とにかくここではない違う場所へ。なぜこんなことを考え始めたのだろうか。今さっきまで別の思考を保持していなかったか。
(死になさい)
何か言い知れない恐怖を覚え始めた。だから帰るべきなのだ。なのに足は止まらない。5階へ続く階段を上がり始める。
(死になさい)
さっきから、何かが聞こえている。頭の中に何かが響いていないだろうか。
(死になさい)
僕は死なないといけないのだ。
そうだろう。
いや、何を言っているのだ。
5階にたどり着く。
広いフロアの中心に、不可解なものが浮いていた。
それは棘の生えた球体だった。大人の頭ほどの大きさもある。色は赤く半透明に見える。まわりの風景がゆらゆらと蜃気楼のように揺れている。
強い力を感じた。
単一の力だ。
(死になさい)
僕はこれと似たものを知っていた。
結晶だ。
ゴーストを駆除した際に現れることのある結晶に似ていた。あれはサイズも色も形も様々だが小さな粒に大きな力を感じる。
だが目の前の存在は結晶とは段違いだ。熱波を吸い込んでしまったような重圧を感じるほどに、確固としてそこに存在している。
(死になさい)
僕は無意識のうちにそれの正体を心得た。
それは魂だ。
人の魂に違いない。
霧散する前の魂だ。
(死になさい)
「僕は……死ねない」
さっきから頭に攻撃的な意識がぶつかってくる。そこへ僕の体の中の「何か」が拮抗していくのを感じた。僕の中には異物が居る。
なぜ魂がこうまで具現化しているのは知らないが、こんなもの普通の人間が直撃したら自殺でもしてしまう。それこそ人生が嫌になっている人間なら一発だろう。家に居たって感応してしまったら終わりだ。
(死になさい)
「だから死んだのか。つまりこれが自殺の原因」
「おい。貴様なにをしている」
背後から声。僕は咄嗟に危機感を覚える。こんな場所に普通の人間が来てはいけない。だって僕は普通じゃない。
「お前、なにをしている」
声の主はさきほどの女性だった。機械犬も居る。
「早くここから逃げてください!」
「? なんだ、貴様。何を言っている」
(死になさい)
今一度衝撃。
しかし、女性はなんでもないように立っている。なんでもないように、ビーフジャーキーのかけらをゴクンと飲み込んでいる。
「見えて……いないんですか?」
(死になさい)
「何がだ。さきほどから貴様は何の話をしている。何に怯えているんだ。話せ」
「だ、だってここに! 見えないんですか?!」
瞬間的にひどい頭痛を感じて僕は逃げたくなる。
心が動揺する。焦りが隙を生んでしまった。一瞬の隙に単一の感情が流れ込んできたが、やはり僕の中にいる「何か」が拒絶した。
女性はうろんげな顔をしてフロアの中心へ歩いていく。
足元がふらついた。先ほどの一撃はきつかった。
「近づいちゃだめだ!!」
「貴様は何が見えている! 私にも分かるように説明をしろ!」
いらいらとした声を女性があげた。まるで騙されているかのように、その種をあばこうとするかのように僕の視線を追う。
どうしよう。なんだか知らないけれど、彼女に精神感応は届いていない。
これはシロにも関係のあることかもしれない。ならなおさら僕は介入しなければならない。足がうまく動かせない。女性が警戒するように僕から離れるように、しかしフロアの中心へ向かう。
(死になさい)
「そっちへ行っちゃだめだ!」
「黙れ! 私に指図をするな! アクセル! 目の前の男を見張っていろ! 攻撃はするな」
機械犬の視点が僕に合った。
「く……っそ」
あと数メートルで赤い物体へ体が重なる。
あれは僕にしか見えていないようだ。声も聞こえてはいないようだ。しかし確かにそこにある。なぜあれほどの存在を感知できないのだろううか。
こわばる足で地面をける。体が崩れ落ちるが、手が地面に触れた。好都合。
「止まってくれ!」
僕のスタートと同時に機械犬が吠えた。その声に反応して、僕は無意識に能力を使った。地面をするように走り、機械犬の四足にむかって発氷。地面と足が氷で固まり、機械犬は身動きが取れなくなる。
「止まれ! 頼むから!!」
そう叫んで僕はたったの十数メートルを駆けた。
女性が今まさに魂に触れそうになる。まるでそこに何もないかのような足取り。僕はそこへ飛び込んだ。
女性が僕の能力を確認し、驚き、すぐに腰を落として警戒した。
構っている必要はない。
僕は魂と女性の間に割り込んだ。
背中が熱くなる。
「かっ……」
背後にそれが当たっているのが分かった。
身が焦がされるような痛みを感じた。
(知っている)
(死になさい)
(知っている)
(死になさい)
最後に聞こえたのはそんな声。
「お、おい! やめろ!!」
女性の声を振り切って僕は走る。
くもった窓ガラスがはまっているが気にもならない。
体ごとつっこむ。
僕はさも当然のようにビルの五階から飛び降りていた。
だって死ななければならないから。
(死になさい)
それは僕の頭の中から聞こえた。
(……、……)
胸の奥が熱く、そして冷たくなっていく……。
*
僕は夢を見ていた。
そこは白い部屋で、無駄なものが一切おいていなかった。
窓はなく照明が天井についているだけ。
そこには二人の少女が居た。
髪が白く、肌も白い。二人の顔はそっくりだ。双子のようだ。
突然ドアが開き、大人が入ってくる。
一人の少女はぼんやりとした顔で大人たちを見上げた。
一人の少女は怒りの見える視線で大人たちをにらんだ。
それから数人の大人は少女たちに非道な行いをしていく。それは繰り返し繰り返し行われていく。僕にはどうすることもできず映像を見させられるだけ。
大人たちをかたっぱしから殺してやりたかったが、その思いは急速に消えていった。