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女性のことを調べるのはとても簡単だった。図書館で大体のデータはそろう。
氏名は『甲斐 七恵』。
年齢は17歳。普通科の高校生で……とはいえ当時は基本的に普通科しかなかったのだろうが、年越しを控えた12月14日に通っていた高校の一室にて死亡とあった。
第一発見者は美術部の部員。
朝、部活の準備をしようと入室したところで発見したらしい。死後3日が経っていたようで、金曜日に死亡し月曜日に発見されたことになる。
死亡原因は腹部に刺さったナイフによる失血死。
当時、あの部屋は美術準備室だった。端に棚があるだけで、他は床が露出していたようだ。その中心で女子生徒が血を流して死んでいた。
棚にはペンキなどが保管されていて、事件当日はペンキが被害者を囲うように流れ落ちていたという。
棚は倒れておらず、なぜか使ったペンキの缶はラベルをそろえてまで棚に戻してあった。
意図的なのか偶然なのかは不明だが、部屋のど真ん中に倒れていた遺体を囲むように、ペンキが流れていたという。
想像してみると、海に囲まれた孤島真ん中で死んでいた感じだ。そのペンキの海には足跡が一人分だけ残されていた。行きと帰りの分だ。それは第一発見者のものではないため、犯人のものと推測されたらしい。
これらは当時の週刊誌から読み取れたが、合わせて考察が書いてあった。なぜペンキが周りに落ちていたのだろうかという点についてだ。不自然なほどに綺麗に遺体を囲っていたという。なのに足跡を残していてはなんの意味もない。警察への挑戦だろうか、とも煽っていた。
まず自殺の線を考察していたが、そうなるとペンキの問題が浮き出る。ペンキは被害者のまわりを綺麗に囲っていた。であるのに使用済みの缶はラベルをそろえてまで棚に戻っていたのだ。
ペンキを飛び超えていくことは不可能だということで、それだけの幅の海のような円を作り出したあとは缶を戻せないなら、被害者は円の中にいたということになる。
外から作れば円に入れず、中から作れば缶を戻せない。さらにはナイフに指紋が一切ないということも重要で自殺の線は消えた。
次に犯人がペンキで何かを隠そうとしたという予測。しかし床にはなにもなかったという。残ったのは足跡だけ。
次に犯人が他人を陥れようとした説。
残っていた靴跡は犯人が別の人間のものを履いたのではないか。足跡という決定打をつくるために一策を講じたのではないか。だがその場合は、誰かが中心に向かう理由を作らねばならない。誰かを陥れるにしてもチープすぎる。
人が倒れていれば行くだろうともあったが、それだけでは罪を擦り付けられないだろう。仮にそうだったとしても、凶器には指紋がついていなかった。足跡だけでは心もとない。第一、発見者は靴の持ち主ではない。
さらにペンキは発見当時乾いていたらしく、つまり本当の第一発見者および犯人は3日間も隠れていたことになる。擦り付けるにしてもチグハグな感じが否めない。
他にもいくつかの予測が書いてあったが、考察はただの思考実験で終わっていた。
事件もあっけなく幕引きとなったようだ。
ナイフの挿入具合や角度などから自殺ではなく他殺と判断された数日後に男性の身柄が確保された。靴の持ち主だ。名は西条俊大。42歳。どうやら同校の美術の教師だったらしい。教師が生徒を殺害ということで、いっきにニュースとして広まった。
しかしその後、足跡以外の証拠がないということで釈放されてしまう。彼は終始、黙秘していたらしい。世間では一時、不可解な事件として騒がれたようだ。『沈黙の美術講師。女子生徒との接点は?』という見出しがあったがペンキの謎などはもはやどうでもいいようだった。さらに一週間後には別の事件で新聞は持ち切りであり、噂は75日も持たなかったようだ。
容疑者だった西条も事件の2か月後に自殺していた。妻も子もいたようだが、事件後に退職をし、離婚もしたようだった。未来が潰えたことに絶望したのだろうか。遺書もなにもなかったという。
ひとつ驚いたことがある。
これらのデータはスキャンされた新聞のデータや雑誌から読み取ることできたが、もっとも古いもので発行日は2035年12月15日だった。
つまり、あの霊は60年もの間、存在し続けているということになる。
能力者の開眼が世間を賑わした2045年よりも10年前の話。駆除をされなかったのはそういったことが原因なのかもしれない。
「分からないな」
そしてここまでを調べたうえで、分からないことが一つあった。
ここまではっきりしているのに、なぜあの女子生徒は『自分の死因を聞く』ようなことを問題としてあげたのだろうか。
事件の結末として、犯人が見つかっていないのだ。つまり真実を知るものは、犯人と被害者しかいない。なのにその被害者が「真相を知らない」という。
気分を変えるために水を飲みにいく。足で踏むと出てくる給水装置はもはや絶滅していた。
「ええ! そんなのずるい!」
給水場所ですれ違った親子が「なぞなぞ」について熱い論議を交わしながら去っていった。父親が何かずるい問題でも出したのかもしれない。大人と子供では知識の前提からちがうから、勝負にならないのかもしれない。
今の時代でもなぞなぞなんてものが存在しているとは、どこか嬉しくなる。
席に着きなおして考えを再開した。
「なぜこうなったのかを教えてほしい……」
周りは衝立があるため、かすかな物音しか聞こえない。
現在の図書館は、昔でいうネットカフェのようだ。紙媒体の本はすべて撤去され、代わりに端末の設置されたスペースが解放されている。端末もデスクトップ型が机に埋まったようなものから、ヘッドマウント型など取り揃えているようだ。
世代毎に慣れ親しんだ筐体があるのだろう。そういう僕もデスクトップ型が一番しっくりとくる。
著作権の切れたものは自由に自分の端末へ移すことが可能であり、新作などはデータロックがかかっていて、利用アカウント数が設定されているようだ。物には限度がある。しかしデータが自由に復元される時代には、人間側で制度を作らねばいかないらしい。楽なんだか面倒なんだかわからない。
「なぞなぞ、か」
先ほどの親子を思い出しながら、端末から離れた。なぞなぞだとしても、何が問題なのだろうか。
*
再度会いに行く前に、話の整理をした。
彼女が何を知りたがっているのかということだ。
気が付いたが、彼女はゴーストである。さらにはゴーストとは死んだあとすぐに発生するものでもないという。そして記憶も混濁するのかもしれない。
魂が弱まり、ゴーストデブリとなる直前であればなおさらではないのか。となれば、「なぜこうなったかを教えてほしい」というのは単純に事件の顛末を伝えるだけでよいのではないか。彼女は記憶喪失になっているのではないか。
まず、死因を知らない場合だ。
あなたは誰かに刺されたと教える。
次に、状況だ。
あなたはペンキに囲まれていたが足跡が残っていたので決め手となったが、容疑者は証拠不十分で解放された。
次に犯人。
あなたの学校の美術講師が容疑者だが、真犯人かはわからない。
犯行動機。
それも分からない。あなたにそういった思い当たる節はあるか。
どうしたことだろう。そこまで考えて、やはり『本人と犯人』だけしか知らないことが多く、彼女を救えるのは犯人だけなのではないかと錯覚した。
彼女を満足させるにはどうしたらいいのだろう。
満足するような意識は残っているのだろうか。
彼女はなぜこれまで駆除されてこなかったのだろうか。無理矢理に駆除することもできる。ではなぜそれがされなかったか。もしかすると、駆除されるような相手の前に出ていないのではないか。
それは危機感を覚えているからできる行動だ。ならば意志や意識はあるということだ。ならば本人は事件のすべてを知っているはずだ。だが記憶障害を起こしている可能性がある。だが会話は成立しているし自身がゴーストとも認識しているようだった。
すると僕には駆除されないと判断したのだろうか。雪さんから言わせれば僕の生命力の巡りは人間とは異なっているらしい。そんな相手の前に出てくるだろうか。同類だと思われたのか、無害だと判断されたのか。
「あー駄目だ。分からない」
考えれば考えるほど迷路に迷い込む。最後には思考の軸すら見失った。
ある程度の情報が集まったところで彼女の元へ赴むくことにした。
答えが知りたい――救われようとしているのが、どちらなのかさえ分からなくなっていた。
*
教室に入ると、女子生徒はすぐに姿を現した。
『また来てくださったのですね』
また、と彼女は言った。やはり理性を失っているようには見えない。彼女は意志のあるゴーストだ。
「今日は色々とお伝えできることがあると思います」
『そうですか。それはとても……嬉しいです』
「最初に確認をしたいのですが、あなたは『甲斐 七恵』さんでよろしいですか?」
『ええ、間違いありません』
「あなたはここで腹部にナイフが刺さった為死亡した。それはご存知ですか? 間違いはありますか?」
『そうですね。そのようです。間違いありません』
「容疑者は証拠不十分で釈放されていますが、その後、自殺しています」
『……残念です』
「殺害方法はナイフでの刺殺のようです。自殺も疑われましたが、状況からみて殺人と判断されたようです」
『ええ。そのようです』
「知っていたのですか?」
『大体のことは』
僕は言葉に詰まった。
今まで調べていたことを『知っていた』なら何が知りたいのだ。
少々の苛立ちを必死に隠して僕は聞いた。
「……では、あなたは何を知りたいのですか」
『それを私が知りたいのです』
「どういうことでしょうか」
『あなたは何を知っているのですか?』
「何を? それはつまり事件の真相ですか?」
『ええ、その通り。私へ新聞の記事を教えてくれた人はあなた以外にも数名居ました。だからそんなことは知っています。私は『あなたの考え』を知りたいのです』
駄目だ。まったく分からない。
『ねえ。もしよろしければ、あなたの知っていること……そう、つまり、あなた自身のことをおしえてくれませんか』
「僕?」
『ええ、そうです。私はこんな場所にずっと一人ぼっちで居るのです。あなたのお話を聞かせてください』
それで満足をするのだろうか。分からないが、彼女の言葉に僕は同情していたのは事実だった。
一人ぼっち。
それは無視のできない単語だ。
「僕の経験は……あまり話せるものでもないのですが」
『駄目ですか?』
彼女の声音は単調で、感情は希薄だ。でも先ほど以上に寂しさを感じる気がした。
「いえ。あなたになら良いのかもしれません」
人に話せないことも、ゴーストであれば許されるかもしれない。
僕は自分の過去を話し始めた。
それは目を覚ましてから始めての経験だった。