07 雪を除く
日中の仕事内容は除雪、植物園の管理、狩猟の三つに分類される。それぞれを三日ごとの輪番とし、そこへ男女の能力差を考慮して割り当てられる。例えば男子は三人とも活発なため、除雪と狩猟に割り当てられることが多い。対して女子は二人は植物園の管理と除雪のみ、私とヴァルコはこの三つを均等に割り当てられる。つまり、除雪は子ども全員が行い、残りは能力に応じて適宜割り当てられる。これは大人たちが全て独断で作成するため、子どもの異議はほとんど通らない。といっても、異議があるのは私だけである。私はどうして狩猟に割り当てられるのか、不思議でならない。一度も動物を狩ったことがないし、血を見ることも苦手だ。そして何より、身体を思い通りに動かせないタチなので、この手の動きに関していえば野生動物の方が圧倒的に上だと思える。それでも大人は私を狩猟に割り当てる。おそらく、笑いものやら必要悪とやらにするためだろう。
今日は除雪に割り振られていた。子ども部屋の割り当て表には除雪は私とヴァルコの二人になっていた。男子は三人とも狩猟、と書き換えられている。雪が止んでいるため、絶好の狩猟日和となるからだ。女子は変わらずに植物園。つまり私とヴァルコが狩猟から除雪に変わっただけである。
外に出ると、ちょうど倉庫から大人の女三人とヴァルコが出てきた。私は大人の男がいないことに安堵し、足音を立てないように合流した。
「アラギ、寒くないの?」
女性の一人が訊いてくる。私は薄い長袖を手のひらでこすった。
「寒いです」
「外套は?」
「……なくし、ました」
そう、と言って女性はスコップを私に手渡した。両手で受け取ると、肩がぐっと引っ張られた。雪上にスコップの先が子気味良い音を立てて刺さった。
除雪箇所は主に中心地だ。子ども棟、大人棟、植物園、倉庫の四つを繋いだ円環状に雪を退けていく。積雪は毎日のように行なっているため、中心地の周りは雪の壁が出来上がっている。除雪はその壁をなるべく崩落させぬよう、かつ地面を平らにするよう心がける。と言っても、私には仕組みがいまいちわからないため、ただ大人に言われたように掘るのみである。
私はヴェルコとともに子ども棟の入り口から除雪を行なった。入り口はすでに茶色の足跡が無造作に転がっている。子どもたちは食堂へ向かう際に必ずこういった足跡を残したがる。灰色の雪原に初めに証を刻もうとする。一番は誰かを明確にしたのち、今度はその踏み心地に陶酔する。こうして汚れた足跡が出来上がる。私は朝が苦手なため、まっさらな雪原を見たことはない。競争しようとは思わないが、少しだけ羨ましいとも思った。
ヴェルコはすでにスコップで掘った雪を手押し車に乗せている。白い息が風に流れて消えていく。赤くなった頬が雪の中でいっそう目立っていた。深緑の外套に茶色の革手袋、紺色のマフラー、黒いニット帽と、寒冷に適した服装だ。私と共通する装備は一つもない。彼女の物は誰にも借りられはしなかった。子どもたちはヴェルコに一目置いているからだ。それを名誉と取るのか、あるいは畏怖と取るのか、私は前者だと思う。
「アラギ、いつまで突っ立ってるの」外気に負けないほどの冷たい声で彼女は言った。
「ご、ごめん。今からやるよ」
私は両手で抱えていたスコップを雪に差し込んだ。しゃく、と心地よい音が立つ。りんごを噛んだ音と同じだった。足で金具を押し込み、一度雪から抜く。出来上がった一線を一辺とし、その周りに同じ要領でスコップを差し込み、四つの線を作る。そうして四角形が出来上がり、最後に初めに作った手前の線にスコップを差し込むと、雪の塊が簡単に抜ける。大人がそうやればいい、と他の子に言っていたのを盗み見た技術だ。以前はただ力任せに掘っていたが、足腰が痛くなる。技術は身を助けるのだと感動した。
ヴァルコは私と同じ技術で四角形を作っている。彼女は背丈ほどのスコップを難なく操っていた。その軌道に迷いはなく、無駄もない。私のような不細工な四角形ではなく、正方形を作っている。こういったところに性格は出るようで、やはりヴァルコは完璧な性格なのだと再認識する。私も負けじと正方形を作ることにした。
除雪は単調だが、私はこの作業が好きだ。一つのことだけに集中して身体を動かすと、ふと何も聞こえなくなることがある。子どもたちの笑い声、大人たちの話し声、風の音、スコップの音、吐息、衣服の擦れる音、何もかもが私からすっと離れていく。そして、私は今まで外に向けていた意識を自分の内側に向けるようになる。そして私の中心に、炎のような煌めきがあることに気づく。それは暖炉の炎というよりもロウソクの火に近いが、はっきりとした温かさを感じる。小さな炎は、私の身体を芯から温めてくれている。外套がなくとも、手袋やニット帽がなくとも、マフラーが欲しくとも、平気になる。私は今ならなんでもできる、と錯覚さえ本心だと信じてしまう。幻の炎が私の動力源だった。
雪で山盛りになった手押し車を押し、大人たちの談笑を横切り、倉庫のそばの灰色の山に雪を捨てる。手押し車を上に持ち上げると、タイヤが雪面を滑り、私のすねに激突した。思わず出しかけた声をぐっとこらえる。何度やってもこの工程はうまくいかない。大人たちがやっているように一気に雪を捨てることができない。私はスコップで手押し車の雪を捨てた。除雪した雪を再び除雪する。私が大人だったらこんな二度手間はかからないのに、と思う。しかしこうすれば怪我はしないし、何より余計な力は要らない。こちらの方が性分に合っているのだろう。
こうして空になった手押し車を押して戻ろうとする。何も乗せていない手押し車は雪の上を上機嫌に駆ける。そこでふと、倉庫が目に入った。道具の入った建物とは違う、別の倉庫だ。私はその前を通りかけて、足を止めた。シャリシャリとタイヤが雪と擦れる音がした。
小さな倉庫は、あの獣のいる倉庫だった。日中に見るそれは夜では気付かないほど、錆に包まれていた。外装は剥げ、今にも崩れてしまいそうだと思った。この中に獣は一人でいる。
——いったい、獣は何をしているのだろう?
私はあの夜の寒さを思い出し、身震いした。心の炎が風で揺れる思いを抱いた。そして、私以上に寒い思いをしているであろう獣の心中を想像して、胸が締め付けられた。今すぐにでも中を覗きたい衝動に駆られたが、仕事中に自由時間はない。怠けている姿を発見されれば、罰を受ける。それも、とびっきり痛い罰を。
欲望を打ち消し、私は逃げるように手押し車を押した。ヴェルコの元へ戻った時には息がすっかり上がっていた。喉の奥がぎゅっと締め付けられる。呼吸がしづらくなる。吐いた息が裏返る。
「どうしたの。なにかあったの」
ヴェルコは不審な目で私を見ていた。真黒い瞳は夜の暗い空と同じ色をしている。私は彼女の目が苦手だった。その瞳で見つめられると、私の胸の中をじっくりと観察されているような気がして、気持ちに余裕がなくなる。何も考えられなくなる。私は首を振って口元を歪ませることにした。
「なにもないよ。ちょっと考えごとをしてただけ」
言い逃れは他にもあっただろう。それでもヴェルコはなにも言わずに、作業を再開させた。彼女の追及がなかったことに、私は安堵をした。
呼吸が整ってから、私も除雪を始める。頭の中では私の炎は消え、代わりにあの獣の姿が浮かんでいた。
どんな姿をしているのだろう。人の言葉を話す獣。四肢は人と同じだけど、身体中毛むくじゃらで、堅い鼻がとんがり、耳が上にピンと立ち、瞳は獲物を探すようにギラギラとして、長い尻尾が生え、ぎらりと光る鋭い牙——脳内で組み立てられた獣は、しかしはっきりと思い起こすことができなかった。人も獣も見たことがあっても、人であり獣である存在なんて見たことがないからだ。見たことのないものは思い描けない。結局、想像の獣はあの夜の倉庫に広がっていた無限の暗闇を想起しただけにすぎなかった。
「そんなに気になるの、あの人のこと」
スコップの音に、声が混ざる。私はその声がヴェルコのものだとは思わなかった。顔を上げると、ヴェルコは視線を向けずに淡々と除雪をしているだけだった。確証は得られないが、私は彼女の言葉だと信じることにした。
「……どうしてあの中に動物がいるの?」
シャク、と子気味良い音が立った。
「動物を狩るのは食べるためでしょ。なのに、どうして生きたまま動物を閉じ込めるの?」
「あなた、ほんきで」
ヴェルコは出かかった言葉を飲み込む素ぶりを見せた。彼女は言葉を選ぶ力を持っていた。
「……あの中にいるのは動物じゃないわ。ちゃんとした人よ」
「え」
雪を穿つ音がしなくなる。私とヴェルコは手を止めて見つめ合っていた。急に顔が熱くなるのを感じる。身体が運動とは違った作用で火照ってくる。
「そ、そうなんだ……まぁ、そうじゃないかな、とは思ってたけど……」
「……名前、知ってる?」
「なまえ? しらないけど」
次会った時に尋ねなさい、と言って彼女はスコップを持ち直した。そしてそれ以上、私に夜の瞳が向けられることはなかった。
掴めない無限の暗闇が、人の形を作る。想像の獣が、想像の人になった。しかし、その姿は未だ闇のように黒いままだ。