04 大人の先生
私たち子どもは、大人に囲まれて生活をしている。子どもでは解決できないことが多すぎるからだ。例えば、子どもはするべきことを忘れてしまう。大人が言ってやらなければ思い出すことはない。遊びにうつつを抜かす子どもを叱り(あるいは怒り)、道を正す。また、体調が悪かったり気分がすぐれなかったりする場合に、解決策を講じることで、子どもの命を救う。
もちろん、子どもたちだけで解決をするときもある。特に私たちの中では、ヴァルコが指揮をすることが多い。彼女の采配は的確で、どんな問題もたちまち鳴りを潜めるのだ。それでも彼女は一人しかいないし、彼女の目と耳は二つずつしかない。やはり大人の力は必要である。
とにかく、私たちは大人の言うことを聞かなければならないのだ。
そんなことを思っているうちに、鈴の音が鳴った。子どもたちは荷物を皮袋に詰め込んで、教室の外に飛び出していった。私は手帳に付着した涎を裾で擦った。すでにしみを作ってしまい、灰色の円が紙上に広がった。そして、私は証拠を隠すのが遅かった。
「アラギさん、寝てましたか?」
暖炉の炎のような暖かい声がした。私は耳の付け根が熱くなるのを感じた。顔を見上げると、赤い眼鏡を掛けた大人が微笑んでいる。
「い、いや……少し、考え事を」
「ほう!」大人は大げさに身体をのけ反らせる。「いいですね。考えることは大切です」
周りの女の子たちが呆れたように嗤っている。ヴァルコが細い眼差しを向けている。再び目と目の間が締め付けられた。
「あの、先生」
先生は弧を描くように口元をほころばせている。
「なんでしょう」
「……なんでも、ないです。寝ててごめんなさい」
喉の奥がくっついている。言いたいことがあっても言えないときに起こる感覚だった。それはそのはずで、視線だけを周囲に向けると、先生の後ろで女の子たちが私を見つめていた。目と目が合った瞬間、彼女たちは慌てた様子で教室を飛び出していった。私と先生だけの教室になろうとも、先ほどの質問を心の底から引っ張り出す気力は起きない。
「寝る子は育ちますよ。立派な大人になれるといいですね」
悪意のない笑顔が私に向けられる。先生のこの表情は、この街の子どもにも、大人にもない、純粋なもので作られていた。私は先生の笑顔が好きだった。いくらこれが嘘の顔だと言われても、私は信じないだろう。
先生は勉強机の整理をし始める。私も立ち上がって手伝いをした。机は前列から横に四個、四個、最後尾に二個で合計十個ある。ほぼ全ての机がずれていた。「子どもは元気が一番です」と先生は一つ一つの机を丁寧に移動させた。私の机も例に漏れず、右に旋回していた。右利きだからだろう。
「先生は、いつ大人になったんですか」
私は昨日食堂の前で水をかけてきた男の子の机を直しながら訊いた。机上には鉛筆でたくさんの線が描かれている。そこに手をつくと、手のひらが黒くなっていた。
「さぁ、いつでしょうか。うーん……気づいたら、かな」
「そんな突然になるんですか?」
「そうでもあるし、そうとも言えない。難しいけどね」
こうして授業後に話す先生は、少しずつ口調を砕いていく。授業中や先ほどの丁寧な物腰はそのまま、声音を本来の音域——張りのある高音から穏やかな中音へと——に戻していくのだ。もちろん私は、元の中音域の声の方が好きだ。
「大人って、やっぱりならなくちゃいけませんか」
男子の机を全て整理し終える。彼らの机は例に漏れず、落書きがしてあった。手帳は配布されているにも関わらず、どうして机の上に描くのだろうか。広い場所を求めているのだろうか。それならば外に出れば、雪こそ無限に広がる手帳でもあろう。しかし男の子は外で絵を描くどころか、雪を固めて武器にするのだから、そんな発想はないと思った。
「それは簡単。ならなくていいんだよ」
「え」
意外な回答に私は先生を見た。先生は机に手をつき、揺れ具合を確認している。
「そりゃあそうだよ。大人になんて、ちっともならなくていいのさ」
「でも、みんな、大人になりたいって言ってます。早く子どもをやめたい、とも」
「みんなはみんなの考えがある、それだけだよ」
「でも……いつかは大人になる”儀式”を受けるんですよね? その”儀式”を受けないことなんて、できるんですか?」
その答えが返ってくることはなかった。教室の扉が勢いよく開かれ、三人の男が入ってくる。彼らは子どもたちの机の上に腰を置いた。ガラガラ、と引きずる音が立った。
「授業は終わったんだろ? いつまで残ってんだ」
「す、すいません……」
「センセーも困るぜ、子どもは早く返してもらわないと」
彼は煙草に火をつけ、吐き出した煙を私に向けた。埃を濃くしたような匂いに咳をした。この匂いは子どもたちは嫌いだった。少しでも煙草の匂いがするとひどく糾弾される。私は自分の机上にある道具を革袋に流し込み、紐を結んだ。
「し、失礼します」
私は大人たちの顔も見ずに教室を飛び出した。廊下に出た瞬間、温度差にくしゃみをした。教室内は腕まくりをしたくなるほど暖かかったが、今は氷の上を歩いているようだった。
外扉を開けると、さらなる寒さに身が震えた。結局、いまだに外套を返してもらっていない。次こそは、次こそは——心の中でそう自分に呼びかけ、背負った革袋の紐を強く握る。かじかんだ手の肉にきつく食い込み、切れたような痛みがした。地面の雪はすでに人々によって踏み固められていたため、コンクリートを歩いているようだった。私は獣に食事を持っていった時のように、また夜に出歩きたいと思った。誰も踏み固めていない、誰の手にもかかっていない、新しいものを独り占めしたいと思った。
相変わらず強く吹き付ける吹雪の中、視線を横に向けると、あの獣が囚われている建物が見えた。灰色に染まった世界の先で、外装を真白に包まれながらもなお存在感を放っている。まるで暖炉に燃え盛る炎のように。