ある勇者の娘
よろしくお願いいたします。
私を知る人に言わせれば、私はもっと明るくて華やかで、素晴らしい家族や友人に囲まれて、皆の憧れるような「幸せ」な生活を送れるそうです。だからその「幸せ」とはかけ離れた今の生活を選んだ私を誰も理解はできないのでしょう。
私はもちろん独身です。女性の結婚適齢期が18歳から20歳くらいのこの国では、立派な嫁き遅れと言われる年齢。私はここでほとんど自給自足のひとり暮らしを満喫しています。
私だって最初から一人だったわけではありません。それどころか、私には大層立派な家族があり、家族の友人、知人、そして庇護してくださる方々に囲まれて育ったのです。
あなた方もご存じのとおり、私の両親は「勇者」と「聖女」でした。数十年に一度の魔獣の大発生と、それを好機ととらえた隣国からの侵略という国の危機に立ち向かった父は、強大な魔力と優れた剣技で魔獣たちを打ち払い、その勢いのまま隣国の兵士も追い払いました。母は双方の戦いで傷ついた人々をその癒しの魔法で助けたのです。二人の力は過去に現れた勇者と聖女の数倍もあったようですから、今でも子供たちのおとぎ話や歌、演劇などで繰り返し聞かされますよね。国民全員が知っていることです。
国を救った英雄ですから、平民だった父は騎士爵に叙せられ、さらにその後、剣の腕を見込まれて軍務を司る伯爵家の養子となりました。母も父と同じ孤児でしたが、国王陛下直々のお言葉により別の伯爵家の養女として父のもとへと嫁ぎました。そして生まれたのが、兄、姉と私。
父も母も、そして兄姉も大変すばらしい人たちです。平民から大貴族の跡取りとなった父はもちろん苦労も多かったでしょうが、勇者の名に驕ることなく実直に将軍職を務めておりますし、母も慣れない貴族家の礼儀作法を懸命に身につけて今では誰もが憧れる貴婦人として有名です。
兄は、これも偉大な父の名に恥じないようにと自分を律し、卒業式では学年総代を務めるほど優秀でした。今は父の跡を継ぐべく、領地で働いているようですね。在学中から数多くの女学生に懸想されていたようですが、他の女性には一切目もくれず、幼馴染の侯爵家令嬢と結婚して子供もいると聞いております。
姉は母に似て大層美しく、だからと言ってそのことを鼻にかけるようなこともなく、誰にも優しい淑女の鑑と言われる令嬢でした。在学中に王太子様の従弟にあたる公爵家のご嫡男に見初められ、卒業後すぐに結婚いたしました。噂によると王太子様でさえ婚約者のかたがいらっしゃらなければ、姉と結婚したかったなどと口走ったようですね。そのため婚約者の方とギクシャクして、ご結婚が遅くなったなどとも聞いておりますが。
私は…月足らずで生まれたせいか体も小さくて弱々しく、母の癒しの魔法のおかげでようやく育ったようなものです。いくつになっても体つきも貧相で、誰に似たのか髪色も瞳もくすんだような灰色。年頃になっても女性らしさとは程遠く、痩せて目ばかりは大きいけれど母にも姉にも似ないごく平凡な顔立ち。すぐ熱を出すので外で遊ぶこともままならず、本と人形だけが友達のような生活。学校も休みがちで、成績は悪くもないけれど良くもない。
そんな何の取柄もない私ですが、両親も兄姉も大層慈しみ可愛がってくれました。私以外の家族は全員明るくて友人も多く賑やかなことが大好きでしたから、家には常に誰かしら訪れて楽しく過ごしていましたし、皆さん私にも必ずお土産を持っていらしてくださいました。少し大きくなって王都に連れていかれた時には、未成年である私まで王家の方々からお声をかけていただく栄誉に浴することすらあったのです。
小さい頃はそんな生活が当たり前だと思っておりました。でも成長するにつれ息苦しくてたまらなくなりました。私は人見知りで口も重く、賑やかな場所が苦手でしたが、普段から客人の多い我が家では兄、姉の誕生日などは華やかに祝いました。私の誕生日にはできれば家族だけで静かに過ごしたいと思い、そう伝えたのですが…私が遠慮しているとしか思われなかったようです。毎年毎年、別荘地に連れて行かれ、そこには両親の友人たちがこちらも家族連れで待っていて一緒に遊び、そのまま有名な飲食店を借り切って食事をする。体力のない私がぐったりして食欲もないのに、みんな笑顔で飲み食いして冗談を言い合って笑っているのです。誕生日おめでとうと言われ、贈物もたくさんいただきますからひきつった笑顔でお礼を言います。ありがとうございますと言ったきり会話を続けられない私を気に留めず、両親や兄姉たちと話すためにすぐに離れていく皆さんの背中。それが私の誕生日の記憶です。
姉が16歳になった誕生日のことでした。成人となって社交界に出ることも許される年齢になったので、いつも以上に大勢のお客様を招いての誕生会が催されました。既に婚約間近となっていた公爵家のご令息もいらして、姉と楽しそうに踊っています。最初の家族揃っての挨拶が済むと、私は父の友人である陽気なおじ様たちにも見つからないように、会場の片隅でじっとしていました。だってあのおじ様たちに見つかったら最後、否応なく賑わう会場の真中へと誘われ、見知らぬ人々に紹介され、もっと食べなければ大きくなれないぞとお説教されるのです。ええ、おじ様たちに悪気がないことはわかっていました。
私は一人で会場から抜け出すと奥へと向かいました。その日は大変多くのお客様がいらしていて、中庭や控室で休憩していらっしゃる方も多く、話し声が聞こえてきたのは全くの偶然でした。
「…そう、あの末娘のことだろう?」
「ああ、聞いてはいたが本当に家族の誰にも似ていないんだな」
家族に似ていない末娘。それは私のことです。思わず立ち止まり柱の陰に隠れてしまった私を、今の私は抱きしめてやりたい。
「やはりあの噂は本当なのだな」
「噂って、あれかい。伯爵家の末娘は、伯爵が孤児院から引き取った子だという…」
父と母は自分たちが孤児だったことから、領地の孤児院に手厚く援助し、孤児たちに教育を施し自立の機会を与えていました。でも孤児院から子どもを引き取った?それが私だと?
ああ、皆さまは私がそんな噂話に打ちのめされたとお思いなのですね。いいえ、私はその時心の底から安堵したのです。それが真実か否かは関係ないのです。たとえ血のつながった家族であっても、私とあの人たちとは違うのだと理解して私は安心したのです。それまで両親や兄姉と同じようにできないし、彼らが楽しんでいることを楽しいと思えない私は、やはり苦しかった。不甲斐ない私を可愛がってくれて、何もできなくても叱責されることもなかったのは申し訳ないような気持だった。更に言えば、最初から期待されていないのだと思って悲しかった。そんな凝り固まった気持ちが溶け出して、私は楽になりました。
それからの私は、自分の興味のあることだけに集中しました。家族と共に出かけることも、頻繁に開かれるお茶会に出ることも、社交界に出ることすら断り続けました。私が一番心惹かれたのは薬草です。家族の中で一番魔力が少なくて癒しの魔法など使えない私でも、薬草とその効用について勉強すれば病人や怪我人の役に立てます。ただ無口で人付き合いも苦手な私ですから、医師のように大勢の人と接する仕事は無理でした。私は兄、姉の通った学校ではなく、薬師を養成する学校に入り、私を理解してくださった先生の助言もあって今の仕事につきました。高地にしか育たない貴重な薬草を育てて大変効き目のある薬を調合する。そのために私はこの小屋に一人住んでいるのです。
一所懸命手入れをして手間暇かけても薬草はなかなか育ちません。ほんの少量しか採れない薬草から成分を抽出すると、薬として使える量は本当に少ないです。それでも毎日私は薬を作り続け、ある程度たまるとそれを持って麓の村まで降りて行きます。私の薬を待っている人たちが大勢いるのです。村の代表者と領主の代理人が私から薬を受け取り、それらがきちんと各地へ送られるのを確認するのが私の仕事です。代金を受け取って村の小さな市場で必要なものを買いそろえると、私はまた一人山の中へ戻ります。たまに家族からの手紙を渡されることもあるので一応受け取って帰りますが、ほとんど読むことはありません。領主の代理人の方には元気だから心配なくとの伝言だけ頼みます。
ええ、私はここで、この小さくて粗末な小屋で、たった一人で暮らして、最高に幸せなのです。
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尊敬する将軍の末娘が世間から忘れ去られたような隠遁生活をしている。そんな話を聞いた時は耳を疑った。将軍ご自身も普段顔に出されることはないが、子供の話になると暗い影がその眼によぎるのはなぜだったのか、初めて理解した。最近ようやく居所をつかんだのだが、手紙を送っても返事すらないのだと言う。その末娘を子供のころからよく知っている副長らにも頼まれて、彼女の住まいを訪ねることになったのだ。副長らはできれば彼女を連れ帰ってほしいと思っているようだった。むさくるしい男たちがいきなり訪ねても警戒されるだろうと、私たち3名の他に軍の事務職である女性二人も同行してもらった。女性のうち一人が慣れない山道で足に怪我をして助けを求めることになったのだ。
家とも呼べないような小屋から現れた彼女は小柄で実年齢よりもずっと若く見えた。足を痛めた女性を座らせると、てきぱきと動き回り必要な薬を揃えて治療を始めた。言葉は少ないが的確な助言をして、帰ってからも薬と包帯を取り換えるようにと伝える。それから茶を入れて私たちにもふるまってくれた。彼女のお茶は爽やかな香りがして疲れが吹き飛ぶような心地がした。
若い女性が一人でこのような場所に暮らすことに不自由なことや不安なことはないのかと問えば、魔力は弱いけれど一応結界を張っているので大丈夫と言う。なぜこんな所にいるのかと少しばかりしつこく尋ねると、ここにいることが幸せだからと答える。口々に言い募る我々に対して彼女の答えはほんのひと言だ。それでも一人は寂しいでしょう、誰かと一緒にいたほうが幸せではないですかなどと、女性たちが踏み込んだ質問を重ねたときだった。彼女のありふれた灰色の瞳が急に別人のような力を持ち、そして今までの訥々とした話し方が嘘のように自身の半生を語ったのだ。
話し終わると彼女はまたもとに戻って、私たちとは目を合わせなくなった。早く戻らないと山道はすぐに暗くなりますとボソボソと言い、小さな灯りの道具を貸してくれ、麓の村に預けてくれればいいからと言って、私たちを送り出した。
我々は黙って細い山道を降りて行った。誰からともなく立ち止まって振り返ると、小さな小屋にはほんのりと明るい光が灯されていた。あまりにも頼りないその小さな光を目に焼き付けて、また黙って歩き出した。麓に下りるまで誰も口を開かなかった。
ありがとうございました。