平均令嬢は平凡になりそこねる
「トルネリア・バークス候爵令嬢!貴様との婚約、破棄させてもらう!!」
うっせーな誰だ?卒業パーティで自己主張激しいヤツは……と鴨肉を取ろうとしてた手を止めて騒ぎの方向を見た。
「何の騒ぎ?」
そちら側を見ていた自分の婚約者であるヒューズに聞けば、困ったような顔で首を傾けて返される。
この婚約者殿はわりと困ったような顔が標準なのだが。
「バークス候爵令嬢に第三王子殿下が婚約破棄を申し込んだみたい」
「へー?」
この世界そういう悪役令嬢系小説とか漫画とかの世界だったのか?何を隠そう私、モニカ・コルト子爵令嬢16歳は前世日本人の転生者なのである。
異世界転生っぽいのしたなとは思ってたんだけども、その元になる世界が何かは分からなかった。
読んでたのかも知れないが、アレ系の異世界物の量は莫大だ。一万どころではない。
そして大量摂取(多分前世の自分は活字中毒ってヤツだった)してる中から同じ世界を特定するのはちょっと難易度高い。
いやだって読んだ小説の国名とか覚えてる?
私は覚えてないよ。そもそも読んだ物とも分からないのに特定作業は出来ない。
分かるのはこの世界がよくある魔法が使えるファンタジー異世界ってことだけ。
そして転生特典のチート能力とかがあるのではと結構必死に色んなことやって確かめたが、結論としてチートは無かった。
そう、平凡。
悲しい程に平凡なる能力……!
学科試験でほぼ平均点を叩きだして『平均点を知りたかったらコルト子爵令嬢に聞け』と言う洒落が流れる程に。
泣いてないよ……嘘です。さすがに泣いた。
考えられるチートの為に色々と手を出した。
そしてその度に自分の能力は上位の人間、才能の塊達には勝てないと知らされてしまった。
魔法を教えてくれた兄が私には使えない上位魔法を指先で軽々と操る様に。
剣が下手だった婚約者が私と一緒に始めた槍術で私の倍以上のスピードで上達していく様に。
何をしてみても私は一流になれない。
転生してヒャッハーしたかった訳ではないけど自分に何か優れた所があるのではと夢は見たかった。
その夢は消えてしまい、自分は平凡なモブキャラみたいなものなんだなと悲しくも真摯に受け止めて普通の学生生活を送っている。
そして婚約者のヒューズの学園卒業パーティに付き添って参加していたら、婚約破棄イベントだ。
物語の締めか始まりかは分からないがテンションはちょっと上がる。
いっちょモブキャラらしく周りを盛り上げますかね?と騒動の先を見てあまりの人混みにそのやる気は早々と萎む。
「第三王子って兄様が側近候補してなかったっけ」
「してたけど、最近は距離を置いてるって言ってたよ。男爵令嬢に骨抜きにされてるのは知ってたけど……ここまで行ったか……」
兄はどうやらその男爵令嬢の毒牙にはかかってないらしく一安心。
そもそも兄は婚約者とはかなり仲が良いし、婚約者もとてもいい人だ。
毎回会うたびにモニちゃんと私を呼んで美味しい干し肉をくれる。
騎士として城勤めとなるから他人事ではないのか考え込んでいる婚約者殿は置いて騒動の前に取ろうとしていた鴨肉を取る。
一口食べるとソースと鴨肉の油が素晴らしいバランスで口の中に広がる。
うわぁうまい。語彙が溶ける。
次はバランス良く野菜のゼリー寄せに手を出す。この世界の良かった点は普通にご飯が美味しいところだ。
異世界にありがちな香辛料とか調味料まみれで素材がドン!という料理は……あるにはあるが、基本的には美味しい。
平民は数ランク落ちるとは聞いてるけど私は貴族なのでその辺りは知らない。
「お嬢様、こちらいかがでしょうか」
会場に配置されているコンパニオンににっこりと温和な顔で差し出された飲み物はフルーツの香りが付けられた水だ。
こんな騒動の中でもちゃんと仕事してて凄い。
満面の笑みでそれを貰い飲む。
香りだけかと思いきや、果物酢が薄く入れられていたそれは口の中をさっぱりとしてくれる。
コンパニオンのお兄さんに軽く礼を言って空のグラスを返した。
何種類かの料理を味見して、次は何を食べようかとしばらく色々な皿の上を見回す。
やっぱりもう1枚鴨肉食べとこうかな。これのソースが最高だったんだよなー。
「……モニカ」
名前を呼ばれてヒューズの方を見る。
なんか困った顔してるなあ。まあいつもしてるけど。
「婚約破棄してほしい」
「ふぇ?」
取りかけていた鴨肉が皿にボトリと落ちた。
顔を見た婚約者の少し後ろで先ほどのコンパニオンのお兄さんがびっくり顔でこちらを見ているのが印象的だった。
「チッ」
揺れる馬車の中で隠しもせず舌打ちするのはハビエル・コルト子爵嫡男様、私の兄である。
その正面で真っ青な顔で小さくなるヒューズ・リンクス元婚約者殿。
私?私はぼーっと馬車の外を眺めています。わあおそらきれい。
あの婚約破棄騒動は王太子殿下が第三王子殿下の不審な動きを把握していたらしく素晴らしい手腕で片付け、こう宣言された。
「今回の騒動で巻き込まれた者の補填は王太子である私が行う」
そしてね、騒動の外にいた筈の私も何故かその補填の為に一度王宮へ行ってる訳ですよ。
なんでも第三王子がやってるなら自分もやっていいだろ的なノリで他にも婚約破棄の宣言をした人間がいたらしくその辺りの片付けも王太子がやるらしい。
赤信号みんなで渡ろう精神の結果。あかんぞ。
私の元婚約者もその中の一人だったんですけどね!いや、婚約破棄自体は私的には別にいいんだけどさ。
元婚約者殿に恋愛感情無かったし。
実際、私とヒューズの婚約は両家共が「あーやっぱ駄目だったか。でもお家同士はこれまで通りに仲良くやろ!」で終了したのである。
あからさまに互いに異性意識してなかったというか兄妹か年違いの同性の友人ノリだったのを親達も気付いていたらしい。
じゃあ兄は何故キレてるのかというと、この兄はあの騒動の前に王太子に第三王子の状況を全てご報告、第三王子を踏み台として騒動の鎮圧を早めた手柄によって王太子殿下の側近になっていたのだ。
我が兄ながら恐ろしい鞍替えである。第三王子のあのやらかしっぷりを近くで見てたなら仕方ないとは思うが。
まあ、つまり騒動の後片付けとかで忙しいのに身内がいらん仕事増やしやがってと元婚約者殿にキレているのである。
いいぞもっとやれ。
そのせいでこれから王宮で王太子殿下とご対面しなきゃいけなくなったので婚約破棄はどうでもいいが恨みはある。
こちとら王太子なんて遠くから眺めたことしかないのにいきなり直接ご対面はハードル高いと思うの。
こちらを時折チラッと見て助けてオーラ出されても知らん。
ヒューズも私も哀れな子牛だからドナドナされるしかないのだ。ああ城が近づいてくるよぉお父さーん。
「なんであそこでやった」
「……第三王子がやってるからその、じゃあ自分もと思って……」
「場所が悪い。お前は馬鹿じゃないと俺は思っていたんだが?」
「ごめんなさい」
「婚約はどうでもいいが、どうしてあの場でやるんだお前の騎士としての査定に響いたぞ。近衛騎士に内定していただろうに」
いや、兄よ妹の婚約をどうでもいいは酷いよ。本人もどうでもいいと思ってるけど酷いよ。
「……うん。ごめんエル兄」
「……はぁ、反省しろよ」
軽く脛を蹴ってお説教は終わりらしい。
私がやらかしてたら倍は説教されてると思うので甘やかしだと思います。ずるい。
説教聞いてても楽しくないからいいけど。
「モニカもごめんね」
「ほんとだよ。……お城行きたくない」
「僕も行きたくないよ……おなかいたい」
「ヒューズは自業自得だ」
ゆっくりと馬車が止まり、城勤めらしい従士が出迎えてくれる。
馬車から兄の手を借りて降りると従士達と知り合いだったらしいヒューズが囲まれて全身をバシバシ叩かれていた。
従士の人たちは基本平民、たまに騎士爵みたいな人たちだけどヒューズは身分あんまり関係なく付き合いがあるようだった。しょんぼり顔だけど人を見る目はあるんだよなこの人。
おっと兄のお目々が怖い。怒られる前に呑気にするなってところか?
スタスタと歩き始める兄の背中を追いながらヒューズを呼べば慌ててついてきた。従士の方達が手を大きく振ってくれるのに小さく手を振り返した。
兄の知り合いらしい騎士が城の入口で合流し先導してくれる。
二人の会話を聞いていると、婚約破棄騒動の被害者になってしまったご令嬢と婚約することになったらしい。
ん、ということは私にも新たに婚約者が宛てがわれる可能性?
聞けば二人がそうだと返してくる。
「聞いてませんが?」
「言ってないからそりゃ聞いてないだろう」
「それはお断り可能です?」
「王太子殿下直々ご紹介の相手を断るのか」
権力者の犬め!
「会ってどうしても無理なら仕方ないだろうが、会う前から駄々をこねるな」
正論に返せずに唇を尖らす。
頭に手が置かれてぺちぺちと叩かれた。
「俺はもう会ったが、面白いと思ったぞ。好きだろ?面白い男」
「見てる分には大好きですよ……」
「俺もだ」
不安度がぐんぐん上昇するのですが。
そしてヒューズに至ってはもうその場で倒れるんじゃないかって程に顔色やばなんですが。大丈夫?
背中を擦ってやれば呻き声を上げつつ背筋を伸ばす。よーし偉い、グッボーイ。
……なんかつい甘やかしてしまうんだよなこの人。しょんぼり顔してるからかな。
騎士が立派な扉を叩いた。
ボス戦前の気持ちだ。セーブして一回休みたい。
数回のやり取りの後に開かれた扉の向こうには真正面に遠目にしか姿を確認したことの無かった王太子殿下。
そして数人の側近と思われる方が椅子に座って書類を捌いている。
入室のご挨拶を行って兄がヒューズの腕を掴んで王太子殿下の元へ歩いていく。
侍従と思われる方にお嬢様はこちらへと案内されとても質の良いソファへ座る。
正面に見たことの無い青年が小説を読んでいる。
この人胡散臭いな……。
存在感がぼんやりしているというか、もしかして王家の影とかそんな立場だったりする?
青年の見た目は普通のクリーム色の髪の青年に見えるけれど王太子殿下の執務室で読んでる小説が結構過激な王宮ラブロマンス小説だ。
官能小説に分類しても違和感ないレベルで、さらに舞台のお城の情景が明らかにこの今いるお城だとわかる描写なのでちょっと話題になったヤツ。
王宮で読む物じゃないんですよそれは。
あえての王宮で読むことによる没入感の底上げですか?
ちょっと引きつつ元婚約者と兄の方を見れば王太子殿下が元婚約者に壁ドンしていた。
え、嘘。
何でいつの間にそんな面白いことに。
さっきまで普通に挨拶してなかったっけ。
そしてそんな情景を兄は腕組んで横で眺めてるし側近全員無視してるし、侍従さんは紅茶をにこやかに私へサーブしてくださる。
小さなクッキーが数枚添えられてミルクポットは温かい。気遣いが細やかですねえ。
「ヒューズ・リンクス子爵三男。そんなに私が嫌いか?」
そんな痴情のもつれみたいな言い方危うくないです?大丈夫?ここ執務室ですよ王太子殿下。
あ、紅茶美味しい。
さすが王宮、良い茶葉ですね。
「い、いえ、そ、そんな、おおお、おお恐れ多い……」
プルプル震える姿は可哀想になってくるレベルだ。王太子殿下が怖いから絶対助けないけど。
「だったら内定していた近衛騎士から逃げ出そうとした理由はなんだ?」
「そ、そんなこと考えては」
「嘘をつけ、お前一人だけあからさまに騒動時の行動がおかしい。婚約者との仲は恋愛感情が無かろうと良好、お前に恋愛関係の人間はいない。あの魅了魔法撒き散らした阿呆令嬢との接近も無く、近衛騎士内定だったお前は普段の態度も調査済み。つまり正気の人間ならやらないことをやらかした、まともな思考の持ち主はお前だけなんだ」
「た、たんにきまぐれで」
顔を真っ青にしながらヒューズが言うのに王太子殿下はハッと笑い返す。
「きまぐれ?違うだろ。あの時に私がコルト子爵嫡男と現れたからだろう」
「……私と殿下が一緒に来たことであれが全て仕組まれた茶番で、仕掛けられたふるい落としと気付いたんだろ?」
元は第三王子付きの兄と王太子殿下が一緒にいたらそりゃ全部上層部知った上の計画って分かるからなあ。
それはわかったとしてもヒューズがそんなことする理由がいまいち思いつかない。ああ、だから『私が嫌いか?』と問いかけたのか。
「したかったのは自分の評価を下げ内定を取り下げることか?良かったな?実際に近衛騎士の内定は取り消しだ」
分かりやすく顔色の良くなってきたヒューズに呆れる。
兄もヒューズの顔を見て額を押さえている。
そして王太子殿下はわざとらしい程に楽しそうな声を出した。顔ははっきりと見えないが恐らく満面の笑みだろう。
「ヒューズ・リンクス。お前はしばらくは王太子離宮付き騎士だ。喜べ。お前と仲の良い従士達もみーんな一緒だぞ」
「え?」
「近衛騎士の一部人間が気に食わなかったんだろ?いやぁ、お前がやらかしたおかげで騎士と従士間の対立と優秀な従士が丸見えになって助かるよ」
ヒューズの良くなってきていた顔色が一気に土気色になっていく。
つまり今回の動機は職場環境からの逃避か。
元々ヒューズは貴族と平民の違いを気にしない男だ。それが近衛騎士となれば上位の貴族階級しかいない中に放り込まれる。
既に内定していたなら内部の人間がどういう人間がいるか程度は把握していただろう。
階級思想や選民思想の強い騎士達に囲まれて居心地悪く過ごすくらいならば、普通の騎士の立場で仲の良い平民である従士達ともそのまま付き合える立場に自ら下りようとしたのだろう。
わかるよ職場の人間関係って働く上で重要だもんね……。
そして王太子殿下はヒューズのそのおかしい挙動に気付き原因も特定し、差別意識の強い騎士達にやっかまれて攻撃されていた優秀な従士達を特定した。
特定した上で王太子離宮の見回りへ全員を突っ込むことにした。
撒き餌として。
王太子離宮の見回り兵を王太子殿下自ら任命する行為はつまりそのまま出世を期待される兵の証明だ。
未来の陛下の周りを固める兵な訳だからね。
差別意識があっても頭のいい人間は王太子殿下の狙いに気付いてそれを表には出さないようになるだろう。
阿呆はホイホイとその餌に釣られ喧嘩を売りに来るだろう。
王太子殿下はヒューズに対して『人間関係気に食わなかったなら、そいつらを自分を餌にして追い落とせよ?道具は揃えてやったぞ』と仰ってる訳だ。
怖い。
「あの騒動の中で即興で立ち回れる頭があるんだ。これだけ揃えれば更に楽しい物を見せてくれるだろう?楽しみにしているよ」
ヒューズは小動物みたいにぷるぷる涙目で震えている。
「ヒューズ・リンクス覚えておけ、私は目を付けたモノを簡単に逃がす程に愚鈍ではないんだ」
……もしかしてヒューズが近衛騎士に内定していたのは王太子殿下が関わっていたのかもしれない。
目を掛けようとした騎士に貴方の近く怖いんで嫌でーす!とスタコラ逃げようとされたらそりゃあキレるだろう。
可哀想に……あれは逃げられないわ。
元婚約者殿は頑張って欲しい。餌として。
にこにこのご機嫌顔でヒューズを獅子の如く崖から叩き落とし宣言された王太子殿下はゆっくりと王者の貫禄で歩いてきて優雅にソファに座られた。
キラキラ金髪碧眼のお顔は美しいけど怖い。
さっきの追い詰めっぷりを見ていたせいで余計に怖い。
さすがに胡散臭い青年も本を閉じてテーブルに置いた。いや、そのタイトルからして過激な小説をテーブルに置くな。
兄が直ぐ隣に座ろうとするので少しだけ身体を浮かせてスペースを空ける。
顔を合わせると少しだけ気の抜けた顔をしている。
そう言えばさっきまでのヒューズを追い詰める一連の流れを兄も知っていた筈だ。ということは馬車では素知らぬ振りで演技をしていたのか。
安心させて突き落とすとか酷いなこの兄。
「コルト子爵令嬢は今回は災難だったな」
「御手を煩わせてしまい申し訳ありません」
「なに、面白いことも色々と見つかった。私には不利益は無い」
面白いことの1つだろうヒューズは殿下付きの騎士に応接室から外へ誘導されていた。その背中には哀愁が漂っている。
かわいそ。
「アレもそうだが、ハビエルといい君といい面白いな」
兄は分かるけど私も面白に含めるんです?思わず首を傾げてしまう。
パンと叩かれた手の音に背筋を伸ばす。
「さて、君に新しい婚約者候補を紹介しようか」
その男らしくも美しい手が王太子殿下の隣に座っていた不審な青年を示す。
「気付いてはいただろうがこの男だ。貴族ではないが君は気にしないだろうし、趣味は読書で気が合うかと思ってね」
「アガパンサスのアドルファスと言います。よろしくモニカ・コルト子爵令嬢、モニカ嬢と呼んでも?」
胡散臭くにこやかに出された手と顔を見る。
「どうも……あの、もしかしてハーフの方なんですか?」
「ああ、ご存知でしたか。いえ、ハーフではなく生粋のエルフなんだ」
パチンと弾けるような音と共にクリーム色の髪の普通の青年が銀鼠色の髪を持った美形へと変貌していく。特徴的な尖った耳と濃い肌の色は分かりやすくノワールエルフの特徴だ。
ちなみに前世ならダークエルフとか言われていただろうがこの世界ではノワールエルフで、前世のエルフはブランエルフと呼ばれていて、引っくるめてエルフ種族。
この国では基本的に貴族は人間、パターン種族しかいない。他の種族は迫害と言う程酷い扱いではないが国の中枢には関わっていない。
緩やかな差別って感じだ。
ちなみに私が何故エルフと分かったかと言うと、エルフ種族は自己紹介の際には森の名前か植物名をくっつけるのだ。パターン種族の平民とかだと領地や町の名前。
植物名の町もあるにはあるが、アガパンサスなんて地名聞いたことない。
しかし幻術をあの精度で掛けているとは流石魔術に秀でると言われるエルフだ。
やろうと思えば完全な隠ぺいも出来るんだろうな。魔術師としての重用か。
「王太子殿下の影の方かもとか色々ふざけて考えていました。すいません」
「いえいえ、元暗殺者なのでわりと近いし良い勘してると思うよ」
「あ、そうなんですね」
……今凄いこと言わなかった?
「この男は元は私の命を狙う人間に依頼された暗殺者でな」
「数日観察したことによって、王太子殿下が俺の理想にしていたカリスマドS王太子殿下であらせられたので、この方を殺すのは世界の損失と一念発起して王太子殿下に忠誠を誓っちゃったんだ」
幻聴が発生したのか?と一瞬自分の耳を疑う。
そんな美しい照れ顔で何を言っているんだこのノワールエルフ。
「私が進める予定の政策に、亜人種族や女性の中枢への進出があるのでそれにちょうど良いので雇った。王太子の寝室まで気付かれずに来れる男が優秀じゃない訳がないのでな……まぁ、ちょっと、何を言っているんだと思う時はあるが」
王太子殿下は呆れた顔でエルフ青年を見る。
待ってください王太子殿下。
そんな貴方すらちょっとどうなのかと思う男を私と婚約させるおつもりです?
「趣味が読書と言っても読む物の方向性は色々ありますので、お話が合うかどうか……」
「でもモニカ嬢これ読んだことあるよね?」
エルフ青年、アドルファスさんはそう言ってテーブルに置かれた本を指先で叩く。
そう、官能小説スレスレの王宮ラブロマンス小説を!
「……何故?」
「俺が読んでるのを見て顔をしかめた後に周りを伺っていたから」
「タイトルからして過激な小説とわかります」
『密溢れる庭園に鳴く』というあからさまで分からん奴いないでしょ!
王太子殿下と兄がキョトンとした顔で本を見る。
「装丁が凝っているので内容が難解寄りなのは分かるが、過激なのか?」
「……推理系の小説じゃなかったのか?」
装丁の凝りが複雑になるほど読む為の想定年齢は上になっている。確かにタイトルだけで考えるとそうなるか……え、そうなる?本当に?
手を口元に当てた状態でクスリとアドルファスさんが笑う。
「本のタイトルを見て中身が分かるのは中身を知ってる子だけなんだよモニカ嬢」
……そんなことないもん前世の記憶では中身説明してる小説いっぱいあったもん。凄い長いタイトル正直20文字越えたら少しは削れよと思う程に長いのいっぱいあったもん。
わかりやすく墓穴を掘ってしまった。
「あの婚約破棄騒動に気付いても気にせず食べ物に向かってるところも可愛かったし、コンパニオンにもニコニコ対応してくれて、亜人と気付いても嫌悪感抱いてなさそうだし、趣味も一緒で色々話せそうだし、俺の中ではモニカ嬢は凄い評価高いよ。見た目も可愛いし。モニカ嬢……俺じゃ駄目?」
墓穴を掘ってへこんでいるところに色々畳み掛けながら、トドメとばかりにその綺麗なお顔で眉しょんぼりの首傾げはうっかりほだされてしまいかねないので止めてほしい。
「この男は裏だけで働かすには勿体ないからな。せっかく忠誠を誓われたんだから扱き使いたい。その為に足りてないのが身分だ。そこを補える相手として君はちょうど良かった」
アドルファスさんのこの顔なら相手はいくらでも選べるし、身分だけなら他にもいるだろう。この王太子殿下がそれだけで私を選ぶ筈がない。
警戒心を深めていると王太子殿下は目を細めて楽しそうに笑う。
「平均令嬢」
そう言われ顔を取り繕ってしまう。
しまった。この流れでは余計に不自然だ。
「コルト子爵令嬢の学園での呼び名だな」
そう、平均令嬢は不名誉なる私の渾名である。
「資料を見たが確かに素晴らしい平均値の取り方だった。呼び名に相応しい成績だ」
けなされている!
思わず威嚇顔に移行仕掛けたところで、にこやかだった王太子殿下の顔がスッと冷やかになる。
「だが、令嬢としては異質過ぎる」
「え?」
「学科試験だけなら普通の令嬢と言ってもよかったんだが、問題は実技試験だ」
侍従さんが王太子殿下に紙の束を手渡す。
その束を王太子殿下の指先が叩いた。
「その前に認識を照らし合わせた方が良いな。コルト子爵令嬢、卒業迄に普通の令嬢がクリアする実技試験の難度はどの辺りだと思う?」
「え、と……魔術は中級を属性2つ以上、武術は中級を1つ……ですかね?」
実技試験は魔術が地水火風の四属性と光闇属性、治癒属性に時属性と空間属性、そして無属性の合計10種。
武術は剣、弓、槍、短剣、盾、騎馬に体術と護身術で8種になる。
魔術も武術も初級、中級、上級に別れていて上級をクリアした人間は魔術師団や騎士団の入団試験への切符が獲得出来る。
難易度の差は初級は500メートル走で中級が5キロ走だとすると上級はフルマラソンくらい。あくまでも例えだけれど上の級になる度に難易度ヤバくなると思ってくれたらいい。
ちなみに私はまだ初級しか受かっていない。
卒業する頃にはなんとか中級取れるんじゃないかなって感じの成績だ。
パチパチと手が叩かれる。
「そうだな。だいたいの令嬢が獲得する平均的な課程はその辺りだ。だが、普通の令嬢は魔術と武術の実技試験を全ての種類受けない」
「ちなみに全部受けたのモニカ嬢一人らしいよ」
王太子殿下の持つ紙を覗き込みながらアドルファスさんが笑う。
その内容に耳を疑う。
「クラスの子で全種受けたと言ってる子は多かったですよ?」
私の横に座っている兄も初級は全種受けたって言ってたし。
「私の所へ来た情報では、全部の試験を受けたと表記されているのは君だけだ」
紙束がテーブルの上にパサと乾いた音を立てて置かれる。
その紙束の1番上に書かれているのは見間違いでなければ私の成績表だ。
権力って凄い。プライバシーが無い。
テーブルの上に置かれた紙に兄が手を伸ばす。
パラパラと目を通しながら顔を不満そうにする。
「モニカは私の補佐役代わりに使う予定だったから、出来れば殿下にはバレたくなかったんですが」
「ヒューズ・リンクス子爵令息が悪い」
「あれは可愛がられ末っ子気質でしたね」
アドルファスさんポロポロいらんこと言うな。わかるけど。
「ああ、やっぱり魔術全種と武術全種はいますね」
「優秀な人間は取るからな」
やっぱり全種はいるんじゃん!
兄の顔をそれ見たことかと見ると呆れた顔で紙束で顔を叩かれる。
「魔術全種っていうのは地水火風の4属性のことだぞ」
「武術全種は剣、弓、騎馬、護身術の4種だ」
え、それで全種呼びは詐欺じゃないですか?え、嘘、私だけ知らなかったの?
魔術師団と騎士団の入団試験の際に基礎となる種別、さっきの一部を基礎全種と呼んでて、入団試験概要にも書かれてる?
そりゃ知らないよ!
入団試験概要なんて読んだこと無いもん!!
「つ、つまり教室で皆が言ってた全種は……」
「間違いなくこちらのことだろう」
「先生が言ってた将来迷ってる奴も全種は取っておきなさいって台詞も……?」
「モニカのクラスは嫡男外の生徒を集めているクラスだから将来を見越してそう言うだろうな」
「将来的に魔術か武術かまたは文官かと決めかねていてもとりあえず取っておけと言うことだろうな。良い教師なんじゃないか?」
確かにクラスの先生は生徒の相談にもよく乗ってくれる良い教師だ。
「モニカ嬢が全部の試験を受けるって知って試験割りを見直してそれぞれの試験官にも事前に通達してスムーズに受けれるように調整してくれてたようなので、かなり良い教師ですね」
え、そうなんだ……私に渡された試験表そんな手助けがあったんだ……先生ありがとう。
でもそこで私の勘違いを指摘して欲しかったよ!ありがたいけど!
「これで自分が如何に面白いことをしでかしていたか分かったか?」
項垂れる私の背を兄が緩く叩く。
「コルト子爵令嬢、君は平均的かもしれないが、それを覆す程に出来ることが多すぎる。完全な全種の試験を初級でも全て受かることの出来る人間は恐らく君が思っているよりも遥かに少ない」
王太子殿下の横に資料を持った青年がやって来て資料を手渡す。
「調べた限り王宮魔術師団も王宮騎士団も特化型ばかりで、コルト子爵令嬢のような万能型はいませんでした」
「突出した人員の良さは分かるが、応用に乏しくなりかねないからな……横の繋がりが作れる仕掛けを考えるべきか」
大量の資料を凄い速さで確認して何かを書きつけていく。
王太子ってやっぱり忙しくて大変なんだなあ。
滑らかなペンの動きを紅茶を飲みつつ追っている(なんとペンがガラスペンだ。こっちでは初めて見た)とアドルファスさんがスラリとペンを差し出してくる。
王太子殿下が使っている物と同じ型の物だろうそれは緑色に金の散ったガラスの軸をしている。羽根ペン主流なので本当に珍しい。
ついでのように差し出された紙束には一番上に試し書きか誰かの名前が書かれている。
書類とかの書き損じを集めた物なのだろう。試し書きにはちょうどいい。
数枚捲られて、綺麗に空いたスペース。ここにどうぞと指で示された場所に簡単に自分の名前を書いてみるがサラサラとした書き心地にちょっと欲しくなっている。
お幾らですかとアドルファスさんに目線を合わせると立てられた指先は3本。……羽根ペンのお高いのが金貨2枚でガラスは高級品、且つガラスの中に封入されている金は魔術行使が可能な媒体で簡易魔杖の代わりも行えそうということを考えると、たぶん金貨30枚程か……うーん、ちょっとお小遣いでは即金は出せないな。
「あのぅ、分割払いとかは」
「駄目」
キラキラの笑顔で即座に否定される。
ぐうぅ。2回に分けてならギリギリ払えるのに!
使用している材料代が八割超で受注生産状態だから分割払いが利かない?それは仕方ないというか逆に技術代も考えると安すぎない?欲しさが上がるぅ。
取り置き交渉を行っている間に王太子殿下のご用事も終わったらしい。ペンと紙束が回収されていく。
「婚約者になるならもう少し違う会話をして欲しいところだが」
「ある意味合っていると思いますよ」
王太子殿下と兄の呆れたような目線に思わず顔を逸らす。
話の続きだと促すように石の嵌め込まれたテーブルが王太子殿下の指先で叩かれ、その美しい顔へ目を合わせる。
「コルト子爵令嬢、君のような全てを一通りこなせるという人間は集団の核となる人間の近くで動かすのが一番活きるタイプだ」
ここまで言えば分かるだろうとでも言いたげに王太子殿下は麗しい顔をにこやかな笑みの形にしてこちらを見てくる。
私も自分の下で働けと言う遠回しな通告ですかねこれ……。
既に兄が側近となっている状況でこれ以上の名誉はいらないし女性が側近?そもそも一つの家から二人も側近とか聞いたことないし、婚約者(予定だけど)の人も側近とか側近の過集中にも程がある。
ちらりと王太子殿下を見上げれば、わざとらしい笑顔の中で目だけがさらに楽しそうに弧を描く。
あ、これ、こっちが考えてること読まれてますね?
「主にアドルファス殿の補佐として周りには見せかける訳ですね」
「懸念するだろうことは私も分かっている。だが使えるところでは使わせてもらう。何しろこれほど便利な人材はいない」
「その辺りを解決する為の俺との婚約ですし、王太子に取り立てられてる亜人種族の平民を貴族のご令嬢が補佐するのはおかしくないでしょう」
「令嬢の異質さを隠すためにわかりやすく異質であるアドルファスはちょうどいい目眩ましだ」
「たまに俺が使っても大丈夫なら俺は特に文句はないですよ」
「それは勿論、兄妹が手伝い合うのは当然」
周りが勝手にやいのやいの言ってる。
そもそも私に拒否権……無いな。
兄達の言うことが解らないくらい馬鹿だったら文句言えたのに。反論が直ぐに出てくるくらい頭良かったら切り抜けれたのに。
中途半端に、中途半端に賢いばっかりに何も言えない!
でもこれアドルファスさんが矢面に立つことになるんじゃないかな。と本人の顔を見ると楽しそうに笑っている。
……元暗殺者で凄腕なら搦め手の手法はお察しだろうし荒事も対処可能、正面からの罵りは王太子殿下がドSであることに喜ぶ位なら屁でもないだろう。
あ、つまりこれ自体そういう狙いの……釣りが趣味でいらっしゃる。素敵な趣味デスネ。
ここから入れる保険はないんですか?
まあこの世界は保険制度なんて無いんだぜ!似非中世だから!
くぅっ!どうにか、どうにかできんか!?
「いや、待ってください。まだ私は婚約者候補であって正式な婚約者じゃないですよ!これは婚約者になっていることが前提ですよね!?」
これだ!
この部分で駄々こねたらなんとかイケるのでは?
「婚約してるよ」
「父上がもう承諾書類を提出している」
「そもそも一応、王家補填による婚約なのだが?」
この似非中世がよぉ!
そりゃそうですよね。むしろ私に説明してくれてるだけ優しい。
場合によってはいきなり結婚式とかもあるのに婚約なのも優しい。だけど足掻かせてもらう。
「あの、でも私は結婚したら平民ということになるので王太子付きとしては使えないのでは?」
王族付きとして働けるのは貴族のみ。
アドルファスさんを一代男爵とかにしたらいけるとは思うけど、亜人種族の平民でしかも経歴が暗殺者な男を一代男爵にするのは難易度がとても高い筈。
そこで王太子殿下と兄が溜め息を吐く。
「それなんだが、コルト子爵家は陞爵の代わりとして男爵位を持っていた。これは令嬢が結婚しだい譲られることが既に今回決定済みだ。前の婚約者の時は二人の性格からして要らないし婚約者が騎士と言うことで使う気がなかったとのことだ」
「あれ多分、子爵は持ってること忘れてただけだと思います」
なんだと?
あの暇さえあれば母と祖母を連れて釣りに行ったり山にハイキングしたりピクニックしたり、隙あらば妻の膝枕を要求し甘えまくり、妻と離れたくないと母と祖母の足元で毎朝むせび泣く男共が複数爵位持ち?
……爵位上げたら母と祖母と離れてる時間が増えるからとか言いそうだしやりそうだわ。
頭を抱える私の肩を兄が頷きながら叩く。
兄は盛大に顔を顰めている。
祖父と父と仲が悪い訳ではないが、毎朝玄関で駄々を捏ねてる男を尊敬出来るかといえば出来ないわけで。
「ハビエルには叙爵まで頑張ってもらう。二代続けて爵位を拒否したのはコルト子爵家くらいだ。上にいるべき家が上に行かないと王家は褒賞を与えないのかと貴族達に不信感を持たれてしまう」
王家に迷惑かけてる!
兄は両手に顔を埋めて深い溜息を吐いた。
「そんな訳で爵位に関しては心配しなくて良い。君は卒業後に結婚次第、コルト男爵と名乗れる。領地は無いがそこはハビエルと交渉してくれ」
王太子殿下は目頭を押さえて軽くため息を吐いた。
本当に色々と……すいません。
麗しいお顔のエルフお兄さんはニコニコとした嬉しそうな顔で手を出してきた。
「仲良くやろう」
顔による攻撃力高いなあと思いながらその手を握る。恐らく剣だこのついた手は固かった。
「……よろしくお願いします婚約者様」
「うん、よろしくね婚約者様。今度会う時は俺の好きな本も持っていくよ。モニカ嬢の好きな本も教えてね」
「……初回はできれば様子見の本でお願いします」
さすがに官能小説見ながら婚約者と会話は出来ないし、したくない。
あと初手から性癖オープンされても困る。
それはこう、同性でも相手の様子を見ながら少しずつ開示していく物だから!私間違ってるか!?合ってるよね!?
美形だからって許される訳じゃないんだぞ!
大人の事情だらけの婚約が成立したのだった。
いや、もう既にしてたのだけど。
王太子殿下の執務室を出て元婚約者のヒューズを回収しに行きながら、兄がポツリと言った。
「面白い男だっただろう?」
無言で横腹に拳を埋めた。
こうして、王家の近くでキャラの濃い婚約者に振り回されてしまう未来が確定したのだった。