93. 逸脱する理由
薄闇の中で目を開けたレインは、横になったまま思わず顔に腕を乗せてため息を吐き出した。
今も口の中には血の味がするようで、更には鳥肌も立っている。
気配を全くさせずに立つ隊長を見た時、正直やばいと思った。
『おもしれえ奴だ』と口では言っていたが、それは換言であろうことは明白だった。
あのままあいつと対峙する事になっていれば、どうなっていたかはレインも自信がない。
ゾクリとした感覚にひとつ身震いすると、ゆっくりと体を起こした。
あの場はレインがソールに入った事で事なきを得たが、これからの時間はもう巻き戻す事は出来ない。今日は慎重に進めねばならないとレインはグッと目を瞑り、そしてしっかりと目を開いて起き上がった。
こうしてはいられない。
まだソールになって数時間しか経っていないと思われたが、これからこっそりとロイの部屋に向かわなければならないのだ。
今日をやり直す為に。
そしてルーナでの事も踏まえ、慎重に気配を消して、アルタの寝ている部屋を後にするのだった。
一度、東の倉庫の陰で立ち止まり、レインは大きく息を吐き出した。
そして周辺の気配を探り、何も気配がない事を十分確認すると、ロイがいる宿へと静かに向かっていった。
宿はレインも泊まっていた為、夜間に通れる扉と室内の配置は知っている。裏からスルリと扉を抜け、目的の2階の奥へと向かう。
宿の中は皆寝静まっており、足音が響かないかと細心の注意を払った。
コンッコンッ
小さく扉をノックすれば、室内の気配が俄かに動いた。
こんな夜中と呼べる時間に来訪がある事がおかしい為、それは正常な反応であるとレインは一歩下がって扉が開くのを待つ。
すると案の定、音もたてずに開いた扉から、リーアムがレインへ向かって剣を突き付けたのである。
両手を上げて眉尻を下げるレイン。
「あなた……なぜ来たのですか……」
「それは中に入って話す」
互いに小声で話し、仕方がないと眉間にシワを寄せたリーアムはレインを室内に入れる。
「レインがここに来るという事は、何かあった……という事かい?」
察しの良いロイはこんな時間でも起きていたのか、しっかりと身繕いを済ませていた。
「ああ。ルーナでロイから聞いた話を……伝えに来た」
それで意図が読めたのだろう。ロイはレインをソファーへと促しリーアムもロイの隣に座った。
そこへエリックがお茶を持ってやってくる。
まさかエリックまで出てくるとは思わず、レインは恐縮して頭を下げる。
「夜分にすみません」
「いいえ。私の仕事ですから」
と爽やかな笑みで下がって行くエリックを見送って、レインはロイへと視線を戻した。
さて、何から話そうか。
レインはまだあの話をまとめ切れておらず、動揺しているとも言えた。それを考える暇もなくチャフルに捕まったのだから、動揺するなという方がおかしいというものだろう。
じっとロイを見つめたまま言葉を選んでいたレインが、ようやく重たい口を開いた。
「ロイ、緊急時のみに使用される連絡方法は、こちらからも使用できるのか?」
その言葉に、ロイとリーアムがハッとした様に瞠目した。
そしてこれから話す事が、余程の事であると気付いたのだろう。
「………ああ、こちらからも使用できる。だが、あくまでも緊急時のみの使用となる」
「勿論、知ってる」
「―――そうか。それではそれ程までの事がある、という事なのだな?」
ロイの言葉に神妙に頷き返した。
レインはロイから聞いた話を、余すことなく伝えていく。
今日の夜、満を持してあの店へと立ち入ったエイヴォリー総長率いる第二騎士団は、途中までは順調に事を運んだように見えていた。しかし、団員達全員が建物に入るのを待っていたかのようなタイミングで、店にいた店員が建物を爆発させ、レインの仲間達第二騎士団員を含む者達に死傷者を出す結果となった。
建物の地下は崩壊し、周辺の建物にも被害が及んだ。周辺の住人には幸い死傷者はでなかったものの、夜にも係わらず王都は騒然となったのであると。
そして急ぎ現状を把握したエイヴォリー総長が王太子殿下へと報告し、緊急の連絡手段でロイへと連絡してきたのだ。
「ロイは、カウンターにいた者がユニークスキル持ちではないかと言っていた」
「理由は?」
ロイは自分が推測した事をレインに尋ねているが、これは致し方ない事である。
「まずは、店員が何かを言った時に建物が爆発した事」
ロイはゆっくり頷く。
「まだ地下の検分は終わっていなかったようだが、もし地下に爆発する物を置いてあって火魔法でそれを爆発させたとしても、その前に他の者が匂いに気付かないのはあり得ないとも言っていた」
「そうだな、爆発物は特有の異臭がする。客など、何も知らされていない者が異臭に気付き、事前に騒ぎだしていてもおかしくはない」
「だからその線はないだろう、と」
「そうだな……確かにユニークには“ファイナルマーカー”というものがある。誰かが爆発させたと考える方が筋は通るね」
「ああ。その一人のせいで、大勢の死傷者がでた……と」
レインはその中にギルノルトがいた事は敢えて言わなかった。
これからその未来を変えるのは自分達で、いつまでも悲しんでいる訳には行かないのだ。そんな未来など絶対に回避するのだと、レインは拳を握って心を落ち着かせた。
「そうか………」
ロイはそれだけ呟くと、静かに瞼を閉じた。
そうして再び瞳を見せた後のロイは、決意に満ち溢れるものとなっていた。
「では、本日エイヴォリー公率いる団員達を死なせぬ為には、起爆元となる男を先に滅する必要があるな」
「その男を殺せば、ユニークスキルは起動しないのか? そんなユニーク持ちであれば、体の中に起爆する引き金があるようにも思えるが……」
「レイン、ユニークはどうやって発動させる?」
ロイの問いに、レインは目を瞬かせる。
レインが己のユニークスキルを発動させたのはもう何年も前だが、その時はサニーを助けるために無我夢中で祈ったのだと思い出す。
「発動させる為の気持ち……?」
「ああそうだ。ユニークスキルは己の意志により発動するもの。それゆえその前に意志を絶てば、発動は防げる」
「そう考えれば確かに。瞬殺すれば起動はできない……か」
レインが納得し頷き返したところで、ロイが居住まいを正した。
「まだ今日は始まったばかりと言えど、これは至急を要する事態と考える。―――これより王都へ緊急の連絡を取る。まだ来ぬ時間の為に定められた用途を逸脱する事になるが、これは非常事態であり私の責任において遂行する。リーアム、聞いていたな?」
「はっ」
ソファーから下りてロイの足元に跪いたリーアムは、恭しく首を垂れて敬意を表した。
そんな彼らを、レインも身が引き締まる思いで見つめていたのである。