87. 小さなほころび
森の中にいるレインの視界に、緑色の鳥が映る。
クルークはレインに接触する事もなく、樹木の陰に隠れて様子をうかがっていた。この場所をクルークが特定してくれただけでも報告は伝わったのだと理解し、レインは胸を撫でおろした。
一団はまだ荷馬車の傍で商人と小隊長2人が話を続けており、今度は名前を呼ばれた5人の傭兵も進み出て会話に加わった。
「今回はこいつらだ」
オルダーが商人へと伝えれば、5人は誇らしげに胸を張った。
「わかった。これからの事は追々伝える」
「「「「「へい!」」」」」
5人は喜色を浮かべ頭を下げた。
その後、商人は馬車を動かして移動していく。
ルーナでもこの後国境まで進み、そこで商人とは別れた。そして先程の5人もなぜか国境を越えて行ったのである。
それはソールも同じであり、レインは首をひねるしかない。
レインの知らぬところで特別な任務でも与えられたのだろうかとも思うが、その答えは導けぬまま、再び2日を掛けて隊列はボンドールへと戻ったのである。
-----
街に到着したのは夜で、レインは冷たい部屋に戻って息を吐いた。
数日前商人を見送った時、なぜそのまま5人が国外へとついて行ったのか。それを誰かに尋ねて良い雰囲気でもなかった為、レインはモヤモヤしたままここに戻っていたのだ。
あれから何度も考えている。その先の護衛という事ならば、商人が向かった先で隣国の護衛が付くはずではないのだろうかと。
レインは腰かけていたベッドで視線を上げ、対面で寝ころぶアルタを見る。
「なあ、アルタ」
「ん?」
少し眠そうなアルタの声に、眉尻を下げてレインは続けた。
「疲れてるところ悪いが、聞きたい事がある」
そんなレインの言葉に、アルタは体を起こしてレインと視線を合わせる為に座った。
「いいよ、レオも同じだろうし。それに分からない事を教えるのは俺の役目だからね」
とアルタは笑った。
「それじゃ教えて欲しいんだが、何で傭兵は商人について行った?」
その事かと呟き、アルタは肩を竦める。
「それは俺もいつも疑問に思ってる。毎回何人かあの人たちについて行くんだ。前に他の人に聞いた事があるけど、“お前は知らなくていい”ってそれっきり」
「アルタも知らないのか。―――しかも毎回なのか?」
レインは眉をひそめた。それでは毎回、何かしらの任務があるという事なのだろうかと。
「うん、毎回。今回は5人だったけど、前回は1人。その前は2人だったかな」
「彼らはいつ戻ってくるんだ?」
「え? ―――そう言えば、戻ってきてないね」
「……それじゃどんどん、ここの傭兵が減って行くんじゃないか?」
「ああっ! だからだね。小隊長がレオみたいに、街に来た人に声を掛けて人を入れてるんだ」
「いなくなった分を補充してるって事だな……」
レインの言葉に頷いて、アルタは背後に両手をつきベッドの上で胡坐をかいた。
「でも、ボンドールは剣を使える人よりも、小麦を売ってくれって来る商人の方が多いからね。中々補充できないみたいだよ」
「そうか」
「――あっ言い忘れてたけど、商人に小麦の事で声を掛けられたら、一番東側の倉庫を見せるようにって言われてるんだ。伯爵に小麦は無いって断られても、俺達にまで言ってくる商人もいるからね。レオ1人の時に声を掛けられるかは分からないけど、その時には東の倉庫の中を見せて帰ってもらってくれ」
「一番東の倉庫? 何が入ってるんだ?」
レインは眉根をよせる。
レインは傭兵として雇われたものの、入った翌日には何も聞かずに巡回に出てしまったのだ。
その為、ここ以外の倉庫に何が入っているとか、街中の巡回当番などについても何も知らないのである。
「別に何も入ってないよ。空っぽの倉庫を見せて納得してもらうんだ」
「へえ……」
「でもこの話は、職務上の規約で話しちゃ駄目って言われてるから、他の人には話さないでよ?」
アルタの言う“職務上の規約”というものをレインは知らないが、取り敢えず「わかった」と返事をしておく。
傭兵になってから、本当に何も伝えられていないレインなのである。
「……前はそんな事をしなくても良かったのに、伯爵が小麦を出さなくなったからね」
ポツリと零したアルタの言葉に、レインは瞠目する。
「アルタ。――――それはどういう事だ?」
レインの問いに、アルタは眉尻を下げた。
「え? ああ、ここから言う話も職務上の事だから、他の人に言っちゃ駄目だよ? でもまあ、この街の人達も知ってるけどね」
傭兵が商人について隣国へ行った話から、気付けばいつの間にか小麦の話題になっていた。
雲行きが怪しくなる話に、レインは固唾を呑む。ロイ達が探している情報は、まさにこれなのだろう。
「レオは、メイオールの小麦が沢山取れるのは知ってるよね?」
「ああ」
「でも隣の国では、何年も小麦が取れなくて困っているらしいんだ」
「そうなのか?」
「――――伯爵がそう言っていたと聞いた。伯爵が言うんだから、間違ってないと思うんだ」
「……そうか」
「この国じゃ、メイオール以外でも小麦が取れるだろう? だからここで取れる小麦は国内には出さずに、困っている国に渡していると聞いてる。だから買い付けにくる商人達には、在庫がないと言って帰ってもらってるんだ」
確かに良く考えてみれば小麦を作っているのは領地の民で、その殆どを領主へ渡しているのだ。それに、国内の商人が買い付けに来ても断っている時点で、領民も知っていて口裏を合わせている事になる。
多分今の話を聞いて気の毒な隣国の人々を助けるために、メイオールの領民は伯爵に協力しているのだろうとは推測できる。
レインではそれが嘘か真実かは分からないが、もしそれが本当の事であれば、国外に小麦を出している事の正当な理由にはなるだろう。だがロイは虚偽報告と言っていたのだから、国に提出する書類に嘘があるという事になる。
それを正直に伝えて正しい書類を提出した方が良いと考えるのは、レインが無知ゆえなのだろうかと首を傾げる。
そうすれば疑われる事なく、堂々と善い事をしていると胸を張る事も出来るのではないのかと思うのだが……。
「しかしそれじゃなぜ、収穫量を国に偽っているんだ?」
レインの問いに、今度はアルタが瞠目する。
「え? 偽ってるってどういう事?」
「俺が知ってる話だと、メイオール産の小麦生産量全体が少なくなっていると国へ報告されているそうだ」
「え? ほんと?」
「ああ」
「それは違うよ。収穫量はここのところ安定していて変わってないはずだよ? 俺の親も毎年豊作だって……」
そこまで話して、アルタは眉根を寄せた。
自分で話した事は、隣国を助けるためと思ってやってきていた事だ。しかしそれが国に嘘をついてやっていたのであれば、一歩間違えればそれは犯罪になると気付いたのだろう。隣国は可哀そうだとは思うが、自分達が嘘をついてまで行って良い事ではないはずである。
「え? じゃあどういうこと?」
「さあな。俺も知りたいくらいだ」
「…………」
レインとアルタは顔を見合わせて沈黙した。
レインがメイオールの事やこの街の事を知らないのは当然だが、この街に住むアルタにも知らない事があったらしい。アルタもレインの話で様々な疑問が生じたのか、先程から何か言おうとして口の開閉を繰り返している。
アルタ自身も、レインの言葉に混乱しているのだろう。
さてどうしたものかとレインは部屋の通風孔を視界に入れ、暗闇に浮かぶ2つの光へ向けて肩を竦めるのだった。




