85. 交錯
「ぐっ………」
片膝をついたまま幹に手を伸ばし、レインは体を支えた。
ここからボンドールまでは、直線距離でも1日分程の距離がある。
そのうえ魔法を重ねて発動した事もあって、レインの魔力は殆ど使い切ってしまっていたのであった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……ぎりぎり……だったな」
全力疾走をしたかのように肩で息をしながら、レインは支える腕に体重をかけた。そして体を回転させ幹に背を預けて腰を下ろしたレインは、ぼんやりと空を見上げる。
あの短い言葉だけで、伝わっただろうか。
伝えたい言葉は沢山あったものの、魔法で出現させる言葉は無限とは言えず、言葉を選び、残りの魔力を考えながら送った報告だけで精一杯だったのだ。
虚ろな目でそう考えながら、レインは同じ空の下にいるロイを思う。
だがここにいつまでもいる訳にも行かず、レインは呼吸が落ち着いてきたところで幹に手をついて立ちあがる。
ここへ来て既に5分以上が経過してしまっている為、レインはふらつく体を何とか叱咤して歩き出すのだった。
道へと戻り暫く歩いた所で、前方から一人が駆け寄ってくるのが見えた。
いつまで経っても追いついてこないレインを心配し、アルタが駆けつけてくれた様である。
「レオ! 大丈夫?」
「ああ。追いつけなくて、悪いな」
そう言って顔を向けたレインを見て、アルタは悲鳴を上げた。
「うわぁ! 大丈夫じゃないよ! さっきより顔色が悪くなってるじゃないか!」
「そうか……」
レインは魔力切れで貧血に近い状態になっており、気付かぬ内に顔から血の気が引いていたらしい。
意図せず、本当に体調不良の外見になっているようだ。というか、本当に体調不良である。
アルタがレインの隣に並び、肩を貸してくれる。
「悪い」
「そんなの気にしなくていいよ」
その親切に甘え、レインはアルタにもたれ掛かるように進んで行く。
見晴らしは良いので前方には集団が見えており、元から進みが遅い事もあってレイン達は集団を見失う事なく後方を歩いて行く事が出来た。
そして漸く追いついたのは、結局前方の集団が休憩に入ってからの事であった。
その頃にはレインの魔力もある程度回復してきており、先程よりは顔色も戻っているらしく、アルタもレインの顔を見てホッと胸を撫でおろしていた。
「もう大分良いから、この先は一人で歩けそうだ。ありがとう、アルタ」
「礼なんていいよ、俺も前は先輩に助けてもらってたんだから。困った時はお互い様だろう?」
「そうか」
屈託なく笑みを向けるアルタにレインも笑みを返したその後、レイン達はルーナと同じ森の中へと進んで行くのだった。
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「今の話しじゃ、どうやらこの街にネズミがいる様だな」
酒瓶をドンと机において、鋭い目を更に細めて目の前の男を睨む。
視線を向けられている者はそんな視線にも慣れっこなのか、怯えもせず淡々と返事をする。
「へい。数日前からチョロチョロと動いているのを見た者がいやす。王都の手の者かも知れやせん」
「ケッ、あいつの手の者か。どこにいても目障りな奴だ。死にゃあ良かったのに悪運だけは持っていやがる」
現在ハイウェル伯爵の領地で自警団の隊長として収まっているダラク・テキエは、つい先日この建物の上階にある自室に現れた人物を思い返した。
それはいつもダラクが寝た頃に気配もなく現れ、王都の情報と本部の動きを知らせるという定期的な連絡をして去って行く。田舎の街を任されているダラクからすれば、その者の訪れは本部の動きを知る唯一の機会なのである。
だが気配に聡いダラクでもその男の来訪は唐突で、目を開ければ突如として目の前に立っており、何度か本気で切りそうになった事もある。
その男の名はダラクも知らない。本部の者であるという刺青を見せられただけで、男は名を名乗らないからだ。だがダラクは別にそんな事には興味もない。元々名前なぞあって無いような者達なのだから。
その男はダラクが目を覚ました事を感知すると、一方的に話し始める。
「邪魔なイタチは、死に損なっちまったぁ」
「ふぅん? 王都に派遣された奴は毒男と聞いてたが、まさかあいつがしくじったのか?」
男は誰がとは言わぬものの、ダラクも王都の第二王子が目障りであると知っているため、そいつの事だと当たりをつける。
「そういうこったなぁ。毒男には最後のチャンスだったから、失敗したアイツは処分される前に自分を処分したってよぉ。ヒッヒッヒ」
肩を竦める男の言葉に、感情は一切籠っていない。事実を淡々と告げているだけで、この男が感情を見せる事はない。情報をやり取りする者には、自分の感情はいらないのである。
王都を攪乱させる為に選ばれた男は、通称“毒男”と言って毒を操るユニークを持っていた奴だったはずだ。
そいつは生まれながらに暗殺者として訓練された者だと言われる程、今まで他の場所ではしくじった事がないと言われていた男だった。しかし王都では尽くミスを犯していたと聞いていたから、最後に自分が消える事で責任を取ったのだと理解する。
「まぁイタチは当分動けないだろうが、警戒は怠るなよぉ」
「言われるまでもない。―――本部からの指示は?」
「今のところはこれまで通りで行けとよぉ。ヒッヒッヒ」
それなら問題ない。今後も指示通り、ダラクはメイオールの自警団隊長として居座るだけである。
ダラクが暗闇の中で頷けば、瞳だけを光らせる男は物音ひとつ立てずダラクの部屋を出て行ったのだった。
そうした連絡を受けていたダラクであったのだが、これで多少は動きやすくなるかと思っていたところに、部下から怪しい者がいると報告が上がってきたのである。
「すぐに調べろ」
「へい」
頭を下げて退出する部下に「フン」と鼻を鳴らし、ダラスは酒瓶を手に取ると今の記憶を洗い流すかの如く、喉を焼く液体を一気に流し込んだのだった。
ダラク・テキエは、2年前ここに住みついた。
領主が住む街にしては小ぢんまりとしたこの街で、痩せこけた男と共にこの地の領主ハイウェル伯爵に会った。それが2年前だ。
「王命で向かった自警団は、盗賊討伐を成し遂げてくれたようですなぁ」
応接室に通された男は、この街の自警団が盗賊を蹴散らしたと報告する。
しかしその情報はまだ1日も経っていないもので、聡い者であればその矛盾に気が付くはずであるものの、目の前の伯爵は目の輝きを失っており、思考も機能していないのかはたまた興味がないのか。
「そうか」
と言葉少なに頷いただけである。
「ただぁ」
勿体ぶって言葉を止めた男に、伯爵の濁った眼差しが向けられた。
「隊長さんは残念ながらぁ、部下を護って死んでしまったんですよぉ」
その言葉に、一瞬ピクリと眉が動くがそれだけだった。伯爵の心はここにはないらしいと、傍観しているダラクは感じた。
「それでぇ、代わりになる腕の立つ者を連れて来たんですよぉ。是非伯爵のお力になりたいと思いましてねぇ」
「……」
男の言葉で、やっと伯爵の視線が動きダラクへ向けられた。
「好きにしろ」
そっけない返答に、男は口元だけで哂う。
「この者はダラクと言いましてねぇ。今後は伯爵の治める領地を上手く纏めてくれるはずでぇ、伯爵は大船に乗ったつもりでこの者にお任せください。ヒッヒッヒ」
「………」
伯爵の目が再びダラクに向けられ、ダラクは口角を上げて胸を張る。
「警備はその者に任せる……荷の件も話を進めよう。それで良いな?」
「ありがたき幸せでございますぅ。ヒッヒッヒ」
こうしてダラクはボンドールに着いた日から仲間を呼び集め、自分の城をつくり上げていくのだった。