84. レオ、腹を壊す
目覚めたレインは現在地を確認し、視界の隅にある数字を見る。
―2―
巻き戻ったソールなのだから、まだあの商人と一緒に畑の中を西へと移動中である。
レインはゆっくりと体を起こした。
外套にくるまり地面に寝ころんでいた為に節々がきしみ、レインは立ちあがって体を解す。
周りを見ればようやく昇り始めた太陽の光が、雑魚寝というよりも行き倒れの様相を呈している傭兵たちを照らし始め、今日の訪れを告げていた。
「アルタ、朝だぞ」
「………ん……んん~」
まだ皆は寝ているが、レインの起床時間はいつも同じだ。しかもレインは今回の移動中、殆ど眠っていないと言っても良い。皆だらけてはいるが一応野営になるのだから、いつ何時なにがあるのか分からないのだ。予期せずとも魔物や盗賊などに襲われる事もあるのだから、これでよく熟睡できるものだと感心するレインである。
少しして頭が動き出したのか、アルタが体を起こして頭をかく。
「おはよう、レオ」
「おはよう」
さて、今日は昼過ぎには森の中に入る日だ。
レインはルーナで見た事を、証拠になるか否かに係わらず報告しなければならない。
まだ眠そうなアルタを待つ間、蹴り起こされる傭兵達を眺めながら、レインはロイへの連絡方法を検討するのだった。
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「アルタ、悪いが少し抜けるぞ」
一団が移動を開始して間もなく、ぞろぞろと前を歩く列の最後尾でレインは歩みを緩めた。
「え? どうかした?」
「ちょっと……腹の具合が悪い」
「ええ? それは大変じゃないか。水が当たったかな……。薬は飲んだ?」
「ああ。だが用を足しに行きたいんだ」
「それじゃあ俺、小隊長に言ってくるよ」
「いや、少し抜けるだけだ。――すぐに戻るから言わなくていい」
「そう? それじゃ遅れないように早めに戻ってくれよ?」
「ああ。悪いが何か言われたら頼む」
「わかったよ」
レインは、ポツリポツリと道の脇に生えている後方の木へと当たりを付け、ゆっくりと向かって行く。
振り返ればアルタが心配そうにレインを見ているが、そんな彼に「行け」と手を振って促せば、頷いて前へと向き直り歩いて行った。
何だかいつも腹の具合が悪くなるな、とレインはこっそり苦笑する。
「ふぅ~。さて、余り時間はないだろうし何とかやってみるか」
道の脇にポツンと生えている木は、裏に回れば彼らからレインの体を隠すくらいの太さがある。その木の上部にまだ葉は繁っていないが、取り敢えず姿を隠せれば良いため問題はない。
レインは彼らから隠れるように木の裏に回り込み、片膝をついた。
そして手の平を地面につけて目を瞑り、体に魔力を満たすと囁く。
「内なる慈愛、豊穣の奇跡を我に展観せしめたまえ “探査”」
紡いだ言葉は魔力に溶け、レインの手から溢れ出していく。
魔力は地中を辿りボンドールの方角へと延びていく。それが這い進むにつれて、レインは魔力の出力を上げていった。
この魔法は探査魔法で、普段は現在地周辺の地中を探査する為に使うものである。
しかしレインが今行っている事は、その範囲を一点に集中させて任意の方向へと伸ばしているのだ。その為、通常の探査に比べて、距離が延びれば延びる程それに比例して魔力を送り込まねばならないのである。
この使い方もレインが独自に編み出したものでレイン以外が使えるのかは知らないが、唯一レインが使える土魔法で連絡を取る為には、この方法しか思いつかなかったのだ。
だがレインでさえもまだ遠距離では実行した事がない為、魔力が足りるかの判断がつかないという不安もあるが、今はそれについて考えている余裕はない。
「……ロイ、何処にいる……」
1分程度でレインの魔力はボンドールの街へと到達し、今は地中からロイの気配を辿っていた。
だが宿の方角から探査を進ませてみたものの、ロイが宿にいる気配は既になかったのである。
このまま街の中を探し続ければ流石にレインの魔力が尽きると考えた頃、漸く目的の人物の気配を近くに捉えたのであった。
「居た。ここは広場か……」
ロイは朝から広場に出ているらしく、近くにはリーアムの気配もある。
そしてもう一人知らない気配がある所をみれば、誰かと話しているのかとも思うが、今はそれを気にしている時間はない。
レインは再び詠唱を始め、魔力の出力を更に上げた。
「恵と試練を与えし大地よ、その一片の貸与をここに求めん “隆起”」
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ロイは宿での朝食を簡単に済ませると、傭兵の少なくなったボンドールの街へと繰り出した。
そうして他の宿に泊まっている部下と落ち合う為、まっすぐ広場の隅へと向かって行ったのである。
そこにはベンチというには心もとない木の切り株が並べてあり、小川で遊ぶ子供を見守る大人が良く座っている場所がある。
ロイが迷いなくその場所に向かえば、その片隅には既に1人の農夫が座っており、首から垂らしたタオルで顔を擦っていた。
ロイは農夫の隣に腰を下ろし、小川を見つめる。リーアムはその小川へと近付いて片膝を立て、そこでロイの警護のため周辺の気配を探っていた。
「今日も良い天気になりそうだな」
「そうですねえ。雨の心配はなさそうですよ」
のんびりと農夫へ軽く声を掛けると、ロイは遠くを見つめたまま足を組んだ。
「どうだ?」
ロイは声のトーンを落とす。
「傭兵は商人と合流し、西へ向かいました」
「その商人はどこの者かわかったか?」
「はっきりとはわかりませんが、南部からきた者のようです。ですが少々様子が変でした」
「どの様に?」
「始めから、彼らと合流することが分かっていたかのように振舞っておりました」
「ほう?」
「馬車を見付けた傭兵は隊列を止め、馬車が近付いてくるのを待っておりました。そして親し気に話した後、馬車は街道を逸れ、傭兵と共にメイオールの領地へと進んで行きました」
「なるほどな。知人という線も出てくる訳か……」
「ですがメイオールの傭兵と南部の商人が顔見知りな上、連れ立って行動するとは……」
「まぁ普通は余りないだろう。どのような知り合いなのかを探る必要があるな」
「承知いたしました。それでは……」
――!?――
その時リーアムが急に立ち上がりロイの背後へ回り込むと、外套の中の剣に手を添えて広場の中央に視線を向けた。
リーアムからはピリピリとした気配が漂い、何を言わずとも危険が迫っている事をロイに伝えている。
ロイと農夫に化けた部下も立ち上がり、リーアムが注視する方角へと向き直った。
「何事だ」
「……それが良くわかりませんが、何かの魔力を感じます」
小声で交わす言葉にも緊張が含まれている。
そんな中、ロイ達から1m離れた場所でこぶし大程の地面が突然隆起したかと思えば、それは一瞬にして消える。
「「「…………」」」
3人は目を見開き、一体何が起こっているのかと周辺を見回すも人の気配はない。それは人の気配を避けて集まった彼らなのだから、この広場には人が居ない事は確認するまでもないのだが。
驚いて動きを止める3人の前で、再び地面が勝手に動き出していった。
“ロイ”
地面の土が一部盛り上がり、薄っすらと文字を形成する。
「―!!― 土魔法、レインか……?」
とロイが独り言ちたところで、地面は姿を変えた。
“南西”
“森”
“国境”
“倉庫”
“出荷”
次々と変わり文字を描く地面を、ロイ達3人はただ目を見張って見つめている。
“麦”
そしてその文字を最後に魔力の気配が途絶えるも、ロイ達は地面から目が離せずにいた。
「彼はこの様な事も出来るのですね……」
「そのようだな」
リーアムが感嘆したように呟き、ロイも首肯した。
そこに冷静な声が入る。
「今の言葉は、南西の森、国境、倉庫、出荷。そして麦、と書かれていたように見えました」
ロイは農夫を見ると、神妙に頷いた。
「御報告した商人達は、国境へと向かっていた……という事ですか」
「ああ。その国境の森には麦の倉庫があるという事だろう」
「―――ですが日程的にはまだ、彼らは国境へ着く前では……」
「ああ、そこは気にしなくて良い。この者が独自の方法で事前に調査したのだ」
「さようでしたか……」
姿に似合わず、神妙な表情で頷く農夫である。
「そして国境まで行き、同行する傭兵が商人へ麦を渡した……とは、どういう事でしょうか?」
最後にリーアムが言葉を挟むが、ロイは視線を巡らせ苦笑する。
「それは我々が調べねばならぬところであろう」
「「はっ」」
2人の返答に頷いたロイは空を見上げ、離れた地にいる友へと思いを馳せるのであった。