82. 領地の巡回
ボンドールの街はメイオール領の北東に位置し、縦に長いこの国の中心よりやや北西にあって、そのメイオールは横に長い領地を形成している。
ローリングス国の中央、王都から南北に繋がる1本の長く延びた街道が、この国の主要道である。
各領地はその主要道から左右に分かれて広がっており、したがって領主が住まう街は国の中央に集まってきていると言えるだろう。貴族は王都に住まう王族へと顔を見せねばならぬ事もあるのだから、移動しやすい場所に居を置くのは道理にかなっている。
そして王都の北にあるフォルティス山脈から流れる川が西を流れている事で、西側では南に向かうにつれ水分の豊富な農産物の育成に適した土壌になっていた。
メイオール領も昔の領主が開墾を行った際、川からを領地に水を引き入れ小麦の水やりを円滑にするための工夫がなされているため、現在も麦の生産が盛んに行われているらしい。
そんな話をアルタから聞きながら、レインは街道に沿うように南下していた。
「へえ。昔の領主が川の整備をしたから、小麦がこんなに育つようになったんだな」
青々とした地面を眺めながら、アルタの説明に感心しているレインである。
「そうだね。麦の為の川でもあるけど水は生活にも欠かせないから、村の皆も凄く助かってるよ」
「ああ、そう言えばボンドールの街中にも川が流れてたな」
「そうそう、街の中にも水場を設けているね。広場の小川は子供の遊び場になるし、良いよね」
そんな気軽な会話を続けるレインの今日は、ソールである。
今朝ボンドールを出発した傭兵たちは、時々休憩を取りながら街道沿いを南下しているだけだった。
領地は横に長いはずであり、出発時レインは西へ向かうのかと思っていたが想像は外れたようだ。
そんな何もない街道沿いを夕方まで歩いた所で、前方から2台の馬車を連ねた商人が近付いてきた。
ここまで何事も無かったのはルーナと同じで、これからこの商人達と合流するはずなのだ。
レインはそんな前方の様子を注視する。
隊列が止まりレイン達は道を譲る形で脇に出て、メイオールの傭兵の中から馬に乗った2人だけが街道に残った。オルダーと、もう一人の小隊長だ。
そこへガラガラと音を立てていた馬車が並んで止まり、幌馬車から下りて来た商人風の衣装を着た3人が下りて来た。
前回、彼らから離れた場所におり話を盗み聞く事が出来なかったため、レインはこっそりと皆の後ろから彼らの方へと移動して行きその会話をとらえる。
「こんばんは。良い夜で」
「月明かりのお陰だな」
レインは眉根を寄せてその会話を聞く。
(知り合いか? 月とはどういうことだ?)
「ご苦労だったな」
「いやいや、今回も楽勝だった」
「塩梅は?」
「上々ってとこだ」
商人との会話にしては、内容がおかしい気がする。楽勝とはどういう事だとレインは訝しむ。
だがそこでの会話はそれで終わったらしく、オルダーともう一人の傭兵が振り向いた。
「お前達、今日はこの先で野営にする。酒も飲めるから楽しみにしてろ!」
声を発したのは、オルダーではない方の小隊長である。
「ひゅ~」
「やったぜ!」
「そう来なくっちゃ」
小隊長の声に、周りの皆が跳びはねながら一斉に雄叫びを上げだす。
本当にこいつらは領地を護る傭兵なのかと疑う程、態度も言葉も粗野なのであった。
ルーナではこのあと街道から西に向かって移動していき、陽が落ちる前に麦畑の傍らで野営になる。そこでこの商人が荷物から酒を持ち出し、傭兵に飲ませていた事を思い出す。
(なぜ商人が自分の商品を振舞う? 護衛としての報酬なのか?)
全く意図の分からぬ彼らの行動であるが、レインはただついて行くしかないのだった。
こうして薄闇が広がり出したころ、ルーナと同じ場所で野営を始めた傭兵と商人は、親しいものと宴会でもするように早々に酒を飲みだしている。
その周りでは数人が今夜のスープを作る為に火の回りにいるが、あとは好き勝手に動き、殴り合いをしている者までいる始末である。
(本当にどうなってんだ、こいつら)
レインが呆れた視線を彼らに向けていれば、隣に並んだアルタも眉尻を下げていた。
「俺が入った頃は……ほら、昨日言っただろう? 他の人が上にいたって」
話しかけるアルタを促しながら、レインは更に皆から離れた所に腰を下ろした。
ここなら誰にも聞かれる心配はないだろうと、周りを確認して腰を下ろす。
「騎士だった人だろう?」
隣に腰を下ろしアルタは頷いて、火の回りに群がる彼らに視線を向けた。
「隊長がいた頃はもっと纏まっていたし、上下関係は勿論あったけど、もっとちゃんとしていたと思う」
「まあ、上に立つ者で組織というものはガラリと変わるからな」
レインは酒を飲み始めた彼らを見ながら、遠い目をしてしまう。
王都にある白と黒の騎士団も、上にはしっかりとした者が立って皆を導いているのだと思い出す。だがふと、その両騎士団の団長と知り合いだと今更ながらに気付き、こっそり頭を抱えるレインであった。
「殺されたんだ。盗賊に」
そこでアルタの声が落ちた。
あれは2年前、アルタは領主の傭兵として昼間は皆と剣の練習をしながら、交代で街を巡回したり、当時の仲間たちと領地を護る自警団としての日々を過ごしていた。その頃の傭兵はまだ当時の隊長の下、真面目で規律正しく毎日を過ごす者たちばかりだった。
そんな皆は隊長から領主の奥方が亡くなったと聞き、静かになった領主館を見上げ心配していたものである。
そんなある日、領主の下へと白い制服を着た騎士の訪問があり、近くに盗賊が出ている為、すぐに討伐へ向かへと指示がなされたのだ。その騎士は国王からの命令だという手紙を携えていたらしく、心痛に沈んでいた領主は更なる試練に項垂れていたそうだ。
そこで隊長自らが願い出て、傭兵を率いて討伐に繰り出す事になったという。
当然その中にはアルタも含まれる。
「俺は入ってまだ1年の新米だったし、オロオロしていただけだった……」
「入って一年で対人は、ちょっとしんどいな」
「うん」
アルタの目は焚火に反射して輝いている。それが水分を帯びていたからだとしても、レインは知らない振りをするのだった。
「それで向かっている途中、大勢の者に囲まれた」
「え? 囲まれたってどういう事だ?」
「それは俺では分からいけど、隊長が“謀か”と言っていたのは聞こえた」
「……隊長は嵌められたと思ったのか?」
「そうみたいだ。でも俺はそういう経験がないし、どうなってるのか全く分からなくて、それからはただ我武者羅に剣を振り回していただけだった」
「そうか……」
ガヤガヤとした雑音の合間に、パチッと焚火が爆ぜる音が聴こえた。
「そうして気付いたら……隊長は死んでいた」
「……他の奴らは、大丈夫だったのか?」
レインはアルタへ振り返り、声を掛けた。
隊を率いる者がいなくなったとなれば、討伐は失敗した事になり、他の者は皆殺しになってしかるべき状況だろう。
「うん。急になぜか盗賊が逃げて行ったんだ。よくわからなかったけど、それで“助かった”と思って周りを見たら、隊長が倒れていたんだ」
「隊長を殺したから、奴らは引いて行ったのか?」
「俺には何も分からない。―――でも、小隊長が取り敢えず帰らなきゃって号令を出して、生きている者達でモンドールに戻ってきたら、そこにはもう新しい隊長……今の隊長がいたんだ。まだ隊長が殺されたって、誰も報告もしてないのに……」
アルタはそう言ってグシャリと髪をかき上げた。何が起こったのかを理解できず、苛立っているという風に見える。そんなアルタに掛ける言葉もなく、レインも思考に沈んで行く。
何かが思考の隅に引っ掛かる。今の話は一体どういうことなのか。
何かが脳裏をかすめては消えていき、レインは酒を飲んで騒ぐ彼らを見つめながら、思考は混乱を極めていたのであった。