81. 連絡手段
アルタの後ろをついて、今きたばかりの道を戻る。
そして階段を登り連れて行かれた食堂は、なんと外であった。
出た場所は隔壁に近く、北の端であろうと当たりを付ける。
倉庫裏には木々があるだけの何もない空間があって、そこに火にかけたままの大鍋をかき混ぜる男が一人立っていた。大鍋から美味しそうな匂いが漂っており、その前には30人程が並んでいて順番を待っている。
「行こう。テーブルに置いてある器を持って並ぶんだ」
アルタは慣れた手付きで鍋近くにあった器を手にすると、鍋の前に出来ている列の最後尾に並んだ。
レインもアルタに習ってその後ろに並ぶ。
「外で食べるのか?」
「そうだよ。ここで朝昼晩、スープとパンが支給されるんだ」
いくら王都より寒くないとは言え季節は冬であり、スープからは温かな湯気が見える程の外気である。
随分と適当なんだなという言葉は心に仕舞い、レインはアルタに頷いて返す。まるで遠征中の炊き出しだ。レインの脳裏にサマンサの笑顔が浮かんだのは、仕方がない事だろう。
こうしてレイン達が並んだ後も、どんどん後ろに人が並んでいく。一体ここには何人くらいいるのか、ざっとみ50人くらいか。中には無精ひげを生やした者やよれよれの制服を着た者など、お世辞にも規律正しいとは言えない者達であるように見えた。
(貴族の傭兵がこれで良いのか?)
各領地の警備隊はこういうものなのか、王都の騎士団がしっかりしすぎているのかは分からないが、レインの想像をことごとく下回るボンドールの傭兵に、レインはため息しか出ないのであった。
レインとアルタも大鍋からスープをもらい、空いている場所に腰を下ろす。勿論地べたに、である。
貰ったパンは膝に乗せ、レインはスープを1匙口に入れた。具は小麦を練った物とジャガイモやニンジンなどの根菜が入っているくらいだ。味付けは塩と胡椒のみなのかさっぱりとした味で、不味くはないがレインにすれば少々物足りない。
皆はこれで満足しているのかと視線を巡らせば、他の者はこれが特上品であるかのようにガツガツと掻きこんでおり、次々にお代わりをもらいに立ち上がっていた。皆、質より量らしい。
彼はこんな生活を3年も……いや倉庫に移ってから2年だというから、少なくとも2年もこんな生活をしていたんだなと感心してしまう程である。
色々と聞きたい事もあるが周りに人が居る以上、アルタも迂闊な事は言えないのだろう。部屋以外では言葉を濁しているのだから、レインも注意が必要である。
それなら、皆に聞かれても良い話をしようか。
「なあ、俺は領地の見回りに出るとしか聞かされてないんだが、その見回りはいつ行く予定なんだ?」
レインはオルダーと話した時に知った情報以外、まだなにも知らない状態だ。
まぁ自分が仕掛けた事ではあるものの、いきなり連れて来られここへ放り込まれたのだから、先行きが不安で仕方ないレインなのだ。
「ああ、領地の巡回は明日からだよ」
「は?」
そんな近々の話なのに、誰も教えてくれないとは……とレインは頭を抱えた。
「聞いてない?」
「ああ。最初にオルダーという奴と話をしただけで、隊長も何も言わなかったな」
「……オルダーさんは小隊長だから、呼び捨てはまずいよ」
と、アルタは小声で教えてくれた。それも初耳である。
苦笑しつつ、レインは「わかった」と頷く。
こうして色々教えてくれるアルタがいてくれて、本当に良かったと思いながら。
ただ明日ここを出発するとなれば、ロイと連絡を取るのは今夜の方が良いのだろう。だがアルタと同室になったしその部屋が地下である為、どうやって繋ぎを取れば良いのかを考えねばならない。
レインは、他愛もない話題に切り替えたアルタの声を聞きながら、思考はロイの事へと飛んでいたのである。
その心配は見事に当たり、レインは夜になっても一人になる事が出来ずにいた。
アルタと部屋に戻った後、制服を取りに来いだの明日の集合時間の連絡だのと結構バタバタしたのだ。
常に倉庫や館の周りには誰かしらが立っており、うかうかクルークを呼ぶ事も出来なかったのである。
そして時間はもう深夜になろうという頃、アルタはベッドで早々に寝息を立てているが、レインは腕を枕に天井を見ながら、連絡手段を思案中なのである。
因みに今はソールなので、このまま寝ずに日を跨ぐ事は問題ない。普通に翌日へと繋がって行くからだ。
宿舎とは名ばかりの地下室の廊下は、常に人が動いている気配がして、それもレインの懸念の一つである。
(まずいな……ロイも連絡を待っていると思うんだが)
そう思った時、いつの間にか何かの気配が近くにあってビクリと肩を揺らす。
静かに身を起こして気配の元を辿れば、それは1匹のネズミだと知りレインは苦笑を漏らした。
ここは倉庫の地下で、このネズミは食料品などを狙ってこの倉庫に住みついているのだろうと思い至る。
そして地下に通されている小さな通風孔を伝って、縦横無尽に歩き回っているらしい。
「おい、ここに来ても食料はないぞ?」
アルタを起こさないよう、苦笑しつつ小さな声でネズミに言う。この部屋はベッドとは名ばかりの、寝床があるだけの空間なのだ。それ以外に本当に何もない部屋である。
『今は空腹ではない為、問題ありません』
(んん? いま何か聴こえたか?)
囁き程度の声で返事があった事に目を瞬かせるレインへ、ネズミは真っ黒なつぶらな瞳を向けている。
『貴方が、“レオ”さんですね?』
そもそもネズミが逃げて行かない事と声が聞こえる事を鑑みれば、どうやらこのネズミは意図してレインに話しかけているらしいとそこで気付く。
チラリとアルタを見れば深く寝入っており、声に反応した様子もない為、レインは会話を続けることにする。
「なぜネズミが人語を操る?」
『私は、この体を借りているだけの人間ですから』
「体を借りている?」
『話せば長くなりますのでそれは追々。“レオ”へ伝言をお持ちしました』
そこで漸くレインは、このネズミがロイの手配してくれた職員なのであろうと思い至り、深く頷いた。
『貴方がここにいるという事は、万事うまくいったと認識いたしました。私はそれを見届ける事と、何か伝言があればそれを運ぶようにと指示されて参りました』
黒い目がじっとレインに向けられており、ネズミと会話している事に戸惑いを感じるが、今それを気にしている場合ではないだろう。
「こちらからは連絡が出来なくなっていたから、正直助かった。問題なく入隊は出来たが、明朝から俺は領地回りに出る事になった。その為連絡を取れなくなるかも知れないと伝えてくれ」
『承知いたしました。その旨お伝えいたします』
うん、と頷いてレインは続ける。
「それと、ここより南では時々盗賊が出ると言う噂を耳にした」
『……盗賊ですか』
「ああ。襲われた者は皆殺しらしいから、報告も上がらないと言う事らしい」
『わかりました。その件もお伝えいたします」
「よろしく頼む。今のところそれくらいだ」
『それでは、ご武運を』
「ありがとう」
ネズミに激励されるのも変な気分だが、ネズミはそれだけ言うと天井付近にある通風孔へと器用に這い上ると、穴の中に消えていく。
ネズミを見送って、レインは再び頭の下に手を添えて横になる。隣を見て、アルタは起きた様子がない事にホッとする。
そして思考を今の声を届けた者へと向ければ、それは今朝クルークで伝言を運んできた女性の声と一致することに気付いた。
(あれも多分、何かのユニークスキルなんだろうな)
一体何のユニークスキルなのかは分からないが、ネズミの体を借りる事が出来るのなら、色々な場所にも入る事が出来るのだろうと想像する。羨ましいほど便利なスキルである。
自由に身動きがとれないロイの代わりに、レインと同じく今回は何人もの職員に協力を要請しているのだろうと思われる。
だがレインのユニークスキルは余り使い勝手が良いものではないが、ロイはそんなレインにも協力を依頼したのだ。今回はそれだけもロイの気概が伝わるというものである。
レインはそんな思考を巡らせながらも、明日に備え、ゆっくりと瞼を閉じるのであった。