80. 仄暗い宿舎
レインを連れ行けと呼ばれた男は、レイン促すと、入って来た廊下を戻り牢屋の様な建物を出て行った。
そして建物を出て庭へ足を踏み出したところで振り返る。そして自分はアルタという名で21歳であると、唐突に自己紹介をした。年が近そうだから、仲良くしてくれと言い添えて。
「俺はメイオールの農村地出身なんだ。この領地で仕事と言えば、麦を育てるかどこかの店で働かせてもらうしかないから、俺は3年前にここの傭兵になった」
レインはアルタの話に、首を傾ける。
仕事の選び方は自分に出たスキルに影響されるはずで、だからレインは迷いなく騎士になったと言えるのだ。
「スキルでは選ばなかったのか?」
このアルタという男は初見でも快活な人物だと分かり、少し緊張を解いてレインが話しかければ、気を悪くした様子もなくアルタは肩を竦ませただけだった。
「俺のスキルは“器用”なんだ。だから仕事を“コレ”と限定しなくても、職種は選び放題だったんだけどな」
仕事が選べないから無駄なスキルだったよと、アルタは苦笑いを浮かべる。
「へえ、羨ましいスキルだな。何でも出来るという事だろう?」
「まあ一応。ただ、全てが“それなり”な感じになる。剣もすぐに使える様にはなったけど、怪我をする事なく扱えるという程度だよ。要するに“器用貧乏”というやつだね」
「それでも凄いスキルだな」
レインが素直に褒めれば、アルタは屈託なく笑みを浮かべた。
「あ、宿舎はこの建物だよ」
その時アルタが指をさしたのは、思った通り、屋敷の敷地の隣のある倉庫のような建物だった。
いや、どう見ても倉庫だ。
「倉庫?」
「まあぶっちゃけ、倉庫だね」
困った笑みを浮かべるアルタは屋敷側にある引き戸を一人分開くと、「こっち」と言って入って行った。
彼に続いて中に入れば、人が通れる道は作られているものの所狭しと棚があり、そこに食料品や薪、日用品などが無造作に積み上げられているのが見えた。
(小麦もあるんだな)
レインも宿で腹いっぱいパンを食べたので、ここで小麦らしき麻袋を見てもさほど驚かない。
しかし王都では商店にさえ小麦が不足しているのだから、余り良い気はしないのは確かであるが。
そんな倉庫の中は冷やりとしていて、確かにここを暖める訳にも行かないなとこっそり苦笑する。
そうして迷いそうな程奥へと進めば、アルタはその先にあった扉を開いて中へと進んで行った。
(倉庫の奥にも部屋があるのか……)
一応迷わないようにはここまでの道順を覚えてみたが、目印になる物が同じような物ばかりで自信はない。
「――アルタは、良く迷わずに行き来できるな?」
レインが思った事をアルタの背中に問えば、アルタは振り返って「慣れだよ」と笑っていた。
とは言えレインは慣れるまでここにいるつもりはない為、思わず遠い目をするのである。
アルタが入った部屋は4人部屋程の空間で、そこには剣などの武器や防具などが雑然と並んでいる場所であった。
良く見ればその一画には下へ続く階段が見え、アルタはどうやらそこへ向かっているようだと気付く。
(宿舎って言ってなかったか?)
レインが想像する宿舎とは、勿論王都の騎士団宿舎の事だ。
だがここの宿舎は、地下にあるらしい。という事は、もしかして窓もないのだろうか……。
そんなレインの考えをよそに、アルタはやはり地下へと続く階段を下りて行った。
階段の幅は狭く、2人がすれ違えるギリギリの幅しかない。10段ほどの階段の壁には1つだけ明かりが設置され、辛うじて足元を照らしていた。
階段を降り切ると、廊下の様な場所へと辿り着く。床はタイルが敷いてあるだけで、壁は土色と味気ない。その壁にはにポツポツと明かりが灯っている。
灰色と土壁の空間は階段下から左右へと延びており、両方とも奥は曲がり角になっているのかどちらも土色の壁が見えている。
「こっち」
階段を下りて歩いて行くアルタは、迷いなく左の道を進んで行く。
所々にある明かりが逆に寒々しく、レインはブルリと体を震わせた。
「ちょっと寒いんだけど、毛布はあるから大丈夫だよ」
そんなレインの身震いに気付いたのか、アルタが苦笑している。
(いやいや、ちょっとどころじゃないぞ?)
とは言えぬが、倉庫の地下で火を熾すわけにも行かない事を理解し、レインは曖昧に笑みを浮かべるにとどめる。
そうして左奥の突き当りを左に折れ、そこからは左側に道が幾つもあるのだと知る。ひとつ目の別れ道を指さし、アルタは言う。
「こっちは上司の部屋がある。解りやすく言えば、階段に近いところに上司の部屋があるって事だね。だから俺達はもっと奥」
「はあ」
「その先だよ。間違っても他の人の部屋を開けないように」
「……ああ」
取り敢えず、言われた通り間違えないようにしなければとレインが曲がり角を見て行けば、その角には数字が刻まれている事に気付く。ただし、土壁を掘っただけらしく目立たないが。
「数字?」
「そう、数字が振ってあるんだ。見えないけど」
ハハッと笑うアルタが、この地下で一番明るく輝いて見えるのは気のせいではないだろう。
「傭兵の宿舎は、2年前からこの倉庫の地下になったんだ。迷った奴がいたのか、いつの間にか誰かが彫ったみたいだね」
「え? 前はここじゃなかったのか?」
レインはそちらが気になった。
「前はさっき入った建物だったんだ。でも2年前にこっちに移れって話になった。それからこの地下が傭兵の寝床だよ」
「へえ。何でまたこっちに?」
「推測だけど、その頃に傭兵の人数が増えたからじゃないかな。一気に50人くらい人が増えたんだ。それであっちには入りきらないって事なんだと思う」
「一気に50人も?」
「………そう」
何か言いたそうな顔だが、それ以上何も言う事なくアルタはひとつの扉を開けて「ここだよ」と言った。
「俺と相部屋だ。結構余裕があるから、適当に使っていいよ」
と見せられた部屋は、灰色のレンガで囲まれただけの四角い場所で、3人部屋ほどの広さがあった。そこにベッドと呼ぶには憚られる程の、木箱を寄せ集めて並べただけの簡易的な寝床が2つ用意されていた。それ以外にはまったく何もない部屋である。
(騎士団の牢屋の方がましだな……)
「俺はこっちを使ってるから、レオはそっち側を使ってくれ」
「ああ、ありがとう……」
その箱の上には畳まれた毛布が数枚置いてあり、それを使えという事らしいと苦笑する。
そして取り敢えずレインは荷物をその箱の上に乗せ、アルタへと振り返った。
「アルタ、さっき何か言い掛けなかったか?」
と先程の事を尋ねてみれば、苦笑しつつもアルタは口を開いた。
「入ったばかりの人に言うのもどうかと思うけど、先に知っておいた方が良いから言っておくよ。ここの傭兵は、皆雇われだからかも知れないけど、ちゃんとした人はいないんだ」
「どういう意味だ?」
「ん~なんていうのか、一気に人が入って来てから柄が悪い奴らが増えたんだ」
「まあ傭兵だからな」
レインが考える傭兵とは、元々流れの騎士崩れのような者たちの事を指すと思っている。騎士にはなれなかったが、それなりに剣の腕もある者の事だ。そんな中では当然自分の身を護る為に受け身ではいられず、自然と横柄な態度を取るようになる事も理解できた。アルタは、その事を言っているのだろうとレインは思ったのだ。
「まぁそうなんだけど、何人かは昼間っから酒を飲んでいたり、見回りもしないでダラダラしているし。それを注意する者もいないから、傭兵というよりも盗賊の集まりみたいだなって思う事もある」
「へえ……」
「前はそうじゃなかったんだ、俺が入った時は。昔騎士をしていた人が上に立って皆を纏めていたんだけど、その人は死んでしまったから……」
「死んだ? 高齢だったのか?」
「いや、まだ50代だったはずだ。死んだというより、殺されたんだよ」
ベッドに腰を下ろして後ろ手に身を預けるアルタが、苦虫を噛み潰したような顔でそう言った時、どこかで木を叩く音が聴こえてきてアルタの表情が苦笑に変わる。
「あの音は食事の時間の合図だよ。覚えておいて」
そう言って立ち上がったアルタは「食事に行こう」とレインに声を掛けると、今入って来たばかりの扉を開いたのだった。