79. 想像以上
それは今朝の事。
食事の席で今日起こる出来事を話した後、レインが傭兵になる事までは決まったのだが、少々思うところもあってロイに話しかける。
「なぁ、ロイ」
「何かな? まだ不安要素でもあるのかい?」
「いや、何かあるって訳じゃないが……頼みがある」
「頼みとは?」
ロイは食後のお茶を口に含み、首を傾ける。
「俺は、いつも王都で街の巡回をしているだろう?」
「そうだね」
「それで街中ではよく、名前を呼ばれるんだ」
「それはそうだろう。団員同士は声を掛け合うのだしね」
レインは頷いて、眉を下げた。
「という事は、もしここの連中が王都と繋がっていたら、レインという名前を知られている可能性もあるんじゃないかと思うんだ。まあ俺ごときが注目される事はないだろうが……」
ここまで話せばレインの言いたい事に気が付いた様で、ロイはレインへ楽し気な笑みを向けた。
「――それで?」
「俺に別の名前を考えて欲しいんだ。余りかけ離れていると自分と気付かない可能性もあるから、似たような名前で。何かないか?」
「ほう。レインに偽名を付けるのだね?」
「ああ、頼めるか?」
「それでは、“レイム”がよろしいでしょう」
急に言葉を挟んで来たリーアムに、目を瞬かせて視線を向けるレイン。
「レイム? ゴロは悪くないな……。因みに、それはどういう意味だ?」
「さて、何だったでしょうか」
顎の下に手を当てて惚けているリーアムを、ロイはジト目で見つめている。
しかしロイの反応がよろしくないところを見れば、ろくでもない意味かもしれないと思うレインである。
「ロイ、どういう意味か教えてくれ」
意味を知っていると思しきロイを見つめれば、ややあって、根負けした様にロイが口を開いた。
「…………ダサい、だ」
「ダサい?!」
レインは弾かれた様にリーアムを見るが、リーアムは澄ました顔でお茶を飲んでいた。
「おや? お気に召しませんでしたか? 元々の名前と近いですし、良いかと思ったのですが」
「リーアムさんはもう黙っててくれ」
ブスッとした顔を見せれば、リーアムは肩を竦ませた。
レインは「はぁ~」と脱力してため息しか出ない。
「それでは部下のお詫びに、私が良い名前を考えよう」
その場を取りなす為か、ロイが苦笑を浮かべて言う。
「……“ダサい”以外で頼む」
クックと笑うロイを睨め付ければ、「それでは」と表情を改めて口を開いた。
「“レオ”でどうだろうか」
「………どういう意味だ……?」
胡乱な目でロイを見つめるレインに、ロイは涼しい笑みを湛える。
「端的に言えば、“強い”とか“勇敢な”という意味だな」
「それにする!」
「クックック」
と、ひと悶着あって、レインはこの街では“レオ”と名乗る事にしていた。
まぁ臨時の傭兵の名前なぞ然程気にしないとは思ったが、念には念を、という事だ。
こうしてレインは、今日からメイオール領の傭兵“レオ”として過ごしていく事になったのである。
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「こっちだ」
オルダーと名乗った男はレインを連れ、西へ向かって歩いて行く。
その後ろを黙って付いて行けば、奥の角を曲がって領主館へ続く道を進んでいった。
多分今のこの状況を、ロイ達はどこからか見ているはずだ。
ロイ達は領主館周辺を調査すると言っていたし、レインが夕方に傭兵にスカウトされる事を知っている。
(そっちも頑張れよ)
と心の内で彼らにエールを送り、レインは館の正面の門を横切り、敷地に沿って道を北上する。
「今のところは表門で、俺たちゃあ使わねえ。これから通る裏門を使え」
「わかった」
レインはオルダーの説明を聞きながら、倉庫の脇にある小さな扉から領主の敷地へと入って行った。ここがその裏門らしい。勿論その小さな門にも、傭兵が2人出入りを見張っている。
レイン達は傭兵がたむろする広々とした庭を抜け、オルダーは館には入らず横にある建物に入る。そこは灰色のレンガを積み上げただけの、殺風景な建物だった。
大きな扉を潜り、所々に灯された明かりだけが光源の廊下を歩くと、オルダーは一つの扉を叩いた。
コンッコンッ
「オルダーです。連れて来やした」
「入れ」
ぞんざいな野太い声で返事が聞こえたかと思えば、オルダーは軋む扉を開き、顎をしゃくって中に入れとレインを促す。
レインはここまで何の説明も受けずに付いてきており、一体ここが何なのかも良くわからない。このまま何も説明がなければ後から聞かねばならないなと、ため息を堪えてレインは部屋に足を踏み入れた。
その中も一面灰色の殺風景な部屋で、一応窓はあるものの、これに格子が付いていたらまるで牢屋だなと思う。
広さは2人部屋くらいだろうか、壁際の棚には紙が無造作に積み上げられていたり、酒瓶が置いてあったりする。
そしてささくれた木製のテーブルが中央に配置され、そこにも酒瓶が1本と大柄な男が一人座っていた。
騎士団の整然とした部屋を見ているレインには、到底傭兵が仕事で使っている部屋には見えずに困惑する。部屋には酒の匂いが漂っているからだ。
「こいつです。多少剣が使えるって言ってやした」
オルダーが話した相手は、椅子に背を預けてこちらを睨み付けている男だ。この部屋には、今この男一人しかいない。
「ご苦労だったなオルダー。下がっていい」
「へい」
とレインを一人残し、オルダーはいそいそと部屋を出て行ってしまう。
「………」
荷物を手に外套も羽織ったままのレインは、扉の前に立ったまま取り敢えずその男に視線を注ぐ。
男は40代くらいだろうか。深紫の髪に厳つい顔の上、黒い眼は三白眼で目つきがすこぶる悪い。レインがムルガノフ副団長の顔を見慣れていなければ、怖くて跳び上がっていた事だろう。ただし、ムルガノフ副団長は冷静な光を湛えた眼差しであるのに対し、この男は敵意をむき出した視線を向けてくるが。
「お前、名前は」
暫しの沈黙の後、急に男が口を開いた。
「レオ」
「どっから来た」
「サモッサ」
「スキルは」
「剣術」
「魔法は」
「少し」
「ユニークは」
「ない」
男はじっとレインを見据え、矢継ぎ早に質問を投げかけたのだった。
その中でレインが答えた“サモッサ”とは、王都の南東にあってザンヴィーク領の東に当たるニールセン領の街の名前である。流石に王都から来たとは話せない為、ロイに街の名前を教えてもらい、レインはそこから来た事にしたのだ。そしてユニークスキルの事は、当然教えるはずがない。
(だがこの調子で聞かれたら、ユニークスキルの事をうっかり話す奴もいそうだな……)
この男は今も圧を掛けつつ、レインの一挙手一投足を見逃すまいと睨み続けている。この圧に耐えられなければ、うっかり全てを話してしまう事だろう。
(本当にこいつは傭兵なのか?)
確かにこの男は傭兵と同じ枯れ草色の制服を纏っているが、レインの勘が尋常ではないと訴えかけてくる異様な雰囲気を纏った男である。
「いいだろう、合格だ」
男の圧に耐えたからだろうか、男はそう言ってニヤリと嗤う。陰湿な笑みだ。
そして圧を解除した男は「俺が隊長だ」と言い、そう呼べと言い放つ。
「わかりました、隊長」
「それでいい」
これで仕事は終わったとばかりに、大声で人を呼べば、後ろの扉が開いて新鮮な空気が入って来る。
心の中で盛大にため息を吐いたレインは、今度は再び知らぬ男の後について行く事になったのであった。
(騎士団とは全く異なる場所だな)
領主の傭兵とは騎士団と似た雰囲気であろうと、レインが気軽に考えていた事は否めないが、それにしてもこの街の傭兵は柄が悪過ぎではないだろうかと思わずにはいられない。
(これじゃ宿舎も、期待しない方が良いだろうな……)
という心の声は、幸い誰にも聞こえてはいないのである。