76. 白と赤
こちらを覗き見ている視界の端に捕らえた人物は、どうやら枯れ草色の服を纏っているようだと気付く。
(傭兵? 何の用だ?)
先程から感じる視線は敵意あるものではなさそうで、どちらかと言えば探る視線であると言えた。
(もしかして、目を付けられてしまったか……?)
レインが軽々しく街の者と接触してしまったからか。見知らぬ者が少年達の相手をしているため、心配して様子を見ているのかも知れないと思い至る。
だが今のところ向こうから動く気配はないため、警戒しつつもそのまま彼らと打ち合いを続けていた。
だがそんな考えも杞憂に終わったらしく、暫くすればその姿は消えてレインはホッと胸を撫でおろす。
その後は特に変わった事もなく、夕暮れになるまで少年達と束の間、楽しく剣の練習をしていたレインであった。
「それじゃあな、兄ちゃん!」
「まったなー!」
「またね~!」
「おう、またな」
こうして夕方になると、少年達はレインへと手を振りながら家へと帰って行った。
この短時間ですっかり気を許してくれたようで、レインも笑みを添えて手を上げ彼らを見送った。
(さて、この後はどうするか。宿に戻るにはまだ早いからな……)
一考して踵を返し荷物の方へと歩き出そうとしたレインに、背後から声が掛けられる。
「おいアンタ」
(チッ、やはり怪しまれていたか……)
再び戻って来ていた傭兵に、心の中で悪態をつきながらも努めて平静を装い振り返れば、背後から来た男は警戒した風でもなくこちらへと近付いてくる。
「何か用か?」
男が来るのを待って、首を傾げるように軽く返すレイン。本人は警戒心がない風を装っているつもりである。
「アンタ、剣を使えるみてえだな」
「まあ、多少はな」
「旅のもんだろう? この街には暫くいるのか?」
「なぜ俺にそんな事を聞くんだ?」
レインは目を瞬く。
「アンタさえ良けりゃ、職を紹介してやるよ。1か月の短期でも問題ねえ、ここの領主の傭兵だ。給料は良いし泊まるところも用意される。旅銀の足しにやらねえか?」
「領主の傭兵?」
「そうだ、領地を巡回する人手が足りなくて人を集めてるんだ。どうだ、今日からすぐに泊まれるぞ?」
まさかこんな所で傭兵のスカウトをされるとは思いもよらず、レインは目を瞬きながら、さてどうするかと頭を働かせる。
「……もう宿は取ってあるから、悪いが今すぐには返事はできない」
「それじゃ一晩考えて、明日ここに来て返事をくれればいい」
「わかった。明日ここで返事をする」
レインの返答に頷いた男は、そのまま踵を返して街の中へと消えていく。
その男が完全に見えなくなるまで見送ったレインは、さてどうしたものかと荷物を取りに歩き出したのであった。
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「さっき、そんな事があった」
その後レインが宿の自室に戻って待機していた所へ、リーアムから部屋に来るようにと声が掛かり、ロイの部屋で夕食を共に取っていた。今テーブルに向かうのはロイとリーアム、そしてレインの3人。
そこでレインは今日あった事を報告しているのである。
「なるほどね……」
考えるように腕を組み、ロイは窓の向こうにある暗闇を見つめている。
「暫く俺が広場で子供達と棒を振っていたのを見ていたから、それで剣が使えると思ったんだろうな。人手が足りないと言っていたし、俺を探っているというよりは本当に傭兵に誘っているようだった」
「人手が足りないという話は多分本当だろう。ここのところ傭兵は、街から出る準備をしているようだしね」
そう言ったロイは視線をレインに戻し、手にする淡黄色のワインを揺らしていた。
「そうか。一応ロイに相談してからと思って、返事は保留にしてある。とは言え今日はまだルーナだから、ロイの話し次第でソールでは即答するかも知れないが」
「そうだね。――ではレインは傭兵に就いてもらおうか」
口元だけを上げたロイが、レインを見つめる。
「………了承する前に、ひとつ聞いても良いか?」
「勿論だとも」
「俺が傭兵になっても、騎士団の規約違反にはならないか?」
レインの本業は王都の騎士団員だ。その騎士団員は入団する時に規約書を渡される。
その中には職務について口外しない事や、隠れて他の仕事をしてはいけない旨が書かれているのだ。尤も目の前のロイの職員という秘密の部署には入ってしまったレインだが、それは総長も知っている事であり“隠れて”という部分には該当しない。
だが今回は休暇中で総長に相談する訳にも行かない為、“隠れて”仕事に就く事にはならないのかと、そこを心配しているレインである。
「それは心配いらないよ。私が責任を持つからね」
「なら良い。こんな所で就職したが為に、騎士団を首になったら目も当てられないからな」
「……貴方は変な事を心配するのですね……」
視界の端に写るリーアムが呆れた目を向けている事は、気付かない振りをしたレインなのであった。
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その頃、2人の男が小さな家の扉を開けて中へと入って行った。
ここはいつも煙だらけで視界が悪い、と口には出さぬが、男は顔をしかめて奥へと進んで行く。
店の名前は“宝石”。
しかし看板は掲げておらず、この名前は一部の者しか知らないはずである。
「いらっしゃい、旦那」
「うむ」
「今日もいつもので?」
「ああ」
この店はいつも数人の客がいるだけで繁盛しているようには見えないが、それは表向きであるとこの男も知っている。それは店の客が、いつも同じ面子である事に関係していると言えるだろう。
ここは、ある組織の隠れ家。
そして何を隠そう、ここを用意したのは自分だ。
とは言え、使われていない寂れた家を買い取り、単に場所を提供しただけ。決して治安が良い場所とは言えないが、この者たちには全く問題ない場所である。
サイクス・ハイウィルは店の奥の扉を開き、続く薄暗い廊下にずかずかと入って行く。
行き止まりに建つこの建物の入口は狭いものの、その先には部屋が9つもあり、おまけに広い地下室もある。外からは小さな民家にしか見えないが、元が宿屋だったのか結構な人数を収容できる建物だった。
サイクスは護衛を連れ、地下室へと下りて行った。そして騒めきを遮断している扉を開ければ、そこは明るく照らされた部屋で既に10人程がテーブルを埋めていた。この中も薄く漂う白い煙に包まれている。
「うわ~また負けた。くそっ次は勝つ」
「いっひっひ。今夜は調子がいいぞ」
「もう一枚」
「はいよ」
様々な声を聞きながら、サイクスは空いている席に座る。
「いらっしゃい、旦那」
「今日も頼むよ」
「へい」
ここは男達が酒を飲みながら、目の前に出されるカードを巡って金を掛ける場所だ。
薄汚れた身なりの者は今日手にした金を持って来ているのか目を充血させながら一心不乱にカードを追い、サイクスのように身なりの良い者数人は、優雅にたばこの煙をくゆらせている者もいる。
ここは一見ただの飲み屋に見せて、その地下は賭博場だ。
別にこの国で賭け事をしてはいけないという法はないが、それには届け出が必要で店は国に管理される事となる。だがここはその手続きをしておらず、しかも店を回している者はこの国の者ではない。
明らかに裏賭博場である。
サイクスもそんな事は百も承知だ。なにせここを用意し一番に利用したのはサイクスなのだから。
そしてもう2年もの間、そういう場所として王都の影で栄えてきた場所だった。
それを知って店に入って来た者は、この部屋に来るか女を抱きに来るかだ。上の部屋ではどこから連れて来たのかしらないが、女も用意されている。ここで負けた者が憂さを晴らす為に利用する事もあれば、秘密の性癖を満喫するために来る者もいるらしい。まぁサイクスにはそれもどうでも良い事だ。
サイクスは彼らと一緒に動いている訳でもないし彼らが王都で何をしているのかは知らないが、自分が城に出入りできる立場から、その情報をここにいる者たちに流しているだけだ。
それは「そうしてくれ」と言われたからで、その代わりここを自由に利用して良いと言われているだけなのだから。
しかし自分の流した情報絡みで色々な噂が流れてくるのだから、何を聞かずとも何をしているのかは大体想像がついている。そこまでサイクスも馬鹿ではないのだ。
「それでは今日もお楽しみください、旦那」
「ああ、勿論だとも。その為に足を運んでいるのだからな」
サイクスは出された深紅のワインの香りを楽しむように、グラスを口元に運び、薄く笑みを浮かべたのだった。