75. 視線
「昨夜、怪しい者が訪問いたしました」
その声はレインが聞いた事がない女性の声で、落ち着いた淡々としたものであった。
「やはり何者かが出入りしているようだな」
「そのようですね」
ロイ達には話が通じているらしいが、レインにはさっぱり意味が分からないため見守るに留めている。
ロイは人差し指を出し、クルークの額に当てて言葉を紡いだ。
「わかった、続けて監視を頼む」
そう言ってから指を放せば、クルークは肩の上で『クルッ』と一声鳴いて、開け放ったままの窓から飛び立って行った。その姿をレインは見送る。
この状況を推測するに、クルークの連絡はここに配置していると言っていた者からだろう。
そして今の情報が自分に必要なものであれば、聞かずともロイは話してくれるはず。その為ここで何も言わないのであれば、まだレインには必要でない情報なのだろうと解釈した。
「それではレイン、これ以降は自由行動だ。夜に報告を頼むよ」
「ああ」
こうしてレインはまだ話を続けるらしいロイ達を残し、宿を出て旅人を装いぶらぶらと街を歩き始める。
(今日は街の中を散策だな。どこに何があるのかも知る必要がある)
外套を羽織るレインの腰には、ロイから支給された剣が下げられている。それは騎士団の剣と同じく鋼の剣で、使い慣れたレインには有難い物である。
流石に今回騎士団で支給されている剣を持ってくる事は出来ず、ナイフ1本では少々心許なかったので助かった。
因みにロイが所持している剣は、あの時のナトレイスの物だ。
馬車の中でこの剣を渡された時にロイの剣を見せてもらえば、レインが想像していた物とは趣が異なるものであった。
ロイが鞘ごと差し出した剣は若干細いものの、一目見ただけで見事なものとわかった。
だが装飾はレインが想像していたよりも簡素なもので、艶のある漆黒の鞘に一筋の虹色の模様が描かれていただけである。
しかし鞘に描かれたその細かな模様は、よく見ればロイの紋章にも描かれていた雪の粒の集まりで、その虹色の雪ひとつひとつは金で縁取られ、この剣が特別な物であると物語っていた。
「綺麗だな……雪の粒か」
「ああ。その模様は貝殻で描かれている」
「この虹色の部分が全部貝殻なのか?」
驚いて顔を上げれば、ロイは目を細めてレインを見つめていた。
貝殻とは海に住む生き物が纏う物だとは知っているが、レインが住む王都には海がないため貝自体を見る事は稀である。
このローリングス国は南北縦に長い国で、王都から遠い南に海へ接する街がある事は知識としてあるが、そこで獲れる物は南部以外での流通量は余り多くない。
海で獲れる物は鮮度を失うと食材としての価値がなくなるらしく、特別な保存方法でなくば王都までは輸送できないのだという。その為レインは海の物を良く知らないが、王族であるロイならば模様を描く貝がどんな生き物なのかを知っているのかもしれない。
ひとしきり鞘の美しさを眺めた後、ロイに断り鞘から剣を引き出してみれば、刀身は根元から刃先まで殆ど同じ太さで、しかも片刃というレインが使う剣とは全く異なる物であった。
そして刃先まで虹色に輝いている。
「珍しい剣だな……刃が薄い。折れないのか?」
「そこはナトレイス工房が名匠と言われる所以だな。その薄さでも簡単に折れる事はない」
「凄いな……。これなら軽いし取り回しも良さそうだ」
「そうだろう? 片手でも使える」
と、ロイは嬉し気に目を細めていた。
確かにこんな剣が存在すると知れば、1本は欲しいと思うのも道理。レインですら欲しいと思うのだから、ロイが欲しがるのも無理はないとレインは頷いた。
(俺もいつかはあんな剣が欲しいな)
レインはボンドールの広い空を見上げながら、人が行き交い始めた街中を歩いて行くのだった。
街中はまだ朝の内だからだろうか、しかしそれを加味しても王都を見慣れているレインには閑散と見える。
そうして商店が建ち並ぶ通りを真っ直ぐに進んで行けば、最奥の右手には大きな建物が見えてきた。
近くまで行くと敷地の周りには、木々に隠れるようにして格子状の柵が見える。そしてその中にはこの街中にはない、見上げるような建物があった。
(ここが、ロイが言っていた領主の館って事か)
チラリと見えた敷地内には、枯れ草色の制服を着た者たち何人かがうろついているのが見える。
(傭兵か)
そうであればレインはこちら側には近付かない方が良いだろうと、踵を返して移動するのだった。
そしてレインは歩いてきた道に戻りながら、現在地の確認をする。
朝陽はレインが来た方角から出ている為、その逆にある領主の館は北西にあたる。今向いている方角が南になるのだと頭に地図を作りながら歩いていく。
その後半日かけて街を歩いて分かった事は、街は長方形の低い郭壁に縁どられていて東の門から続く道が真っ直ぐ西へ伸び、その道沿いに人々の生活に必要な商店が並んでいるという事だ。通りの中央には広場があって水流の弱い小川も見え、そこで大人が見守るなか小さな子供たちがで遊んでいた。
そして道を隔てた北側には倉庫や工房、そして教会などが立ち並び、その最奥の角に領主館がある。
南側には低い家が立ち並び、農機具に籠など畑で使われる道具や鶏などの家畜も見えて、街人達が住んでいる区画だと理解する。
(よし、大体こんなもんかな)
レインは踵を返し、中央の広場へと向かって行った。
ここまで街の中を歩いてみて、人々が少ない事もあり街の情報はまだ入手できていない。そのため昼食は宿へ戻らず、店頭で美味しそうな匂いを漂わせている串焼きやガレットなどの軽食を購入したが、それらの店主からも天気の話くらいしか聞けずじまいである。
だがひとつ、道行く人がどこか怯えた表情である事が気になった。
(まだルーナだし、焦る事もないか……)
そして何気なく広場の一角にある切り株に座り、ガレットを食べながら街の様子を見守った。
本人は一応、あたかもフラッと街に寄った暇そうな旅人を装っているのである。
それからしばらく水辺で遊ぶ小さな子供達を眺めていたレインの耳に、小気味良く木々がぶつかる音が聴こえ始めた。
「やー!」
― カーンッカコーン ―
「とおぉ!」
― カーンッカーン ―
気付けばもう学校が終わる頃合いで、少年達も街へと姿を見せる時間になっていたらしい。
レインは視界を転じ、そちらへと顔を向ける。
「せいっ!」
― カーンッ ―
「くあーっ!」
― ポコーンッ ―
(ポコン?)
「いってー! ケンちゃん、当てるなよ」
「グンちゃんがよけないのがわるいんだろー」
「ちょっとお、終わったら代わっててばー!」
レインから少し離れた広場の一角で、少年たちが木の棒を振り回しガヤガヤと何かしているらしい。
(ここでも子供は変わらないな)
レインの顔に笑みが浮かぶ。
よしっと立ち上がったレインはガレットを持っていた手をパンパンと払って、いつものように少年達に近付いて行った。レインが少年達と棒を振り合う事は、もはや趣味のようなものである。
「君達、剣の練習をしてるのか?」
今にも取っ組み合いをしそうであった少年たちは、レインの声にバッと振り返る。
「「「………」」」
そこで訝し気な視線を向けられるレインは、苦笑しつつ頭をかく。
「急に声を掛けてごめんな。俺も剣の練習に混ぜてもらおうかと思ったんだ。駄目か?」
「「「………」」」
揉み合っていた3人はレインの言葉に顔を見合わせると、ニヤリと笑みを浮かべて頷きあった。そして1人の少年がレインの前に出て腰に手を当てた。
「いいぜ! 一人たりなくてちょど良いから、兄ちゃんも入れてやる!」
鼻の下を擦り、少年はレインを見上げる。その両隣には今しがたまで掴み合っていた少年が2人並んだ。
「入れてやるけど、手かげんしないぞっ」
「ケガしても自分のせいだからな!」
「お、おう」
王都の少年達よりも威勢の良い彼らに、レインもタジタジである。
こうして仲間に入れてもらったレインは、外套を脱ぐために広場の端へ歩いて行く。
その際、剣が見えないように外して外套に包んで木陰に置く。ここならば人が来ない場所なので、つまずいたり取られたりすることはないし、万が一にも剣があると気付かれる事はないだろう。
一応不審がられないよう、レインが剣を持っている事を気付かれないようにしているのだ。
うんと頷きそこから戻ってきたレインは、少年が差し出した木の棒を受け取る。
その棒は剣と呼ぶには不格好であるものの、樫木なのかずっしりとした重みがあり、子供の頃にレインも握った事がある物に近いと感じた。
「お? しっかりしている棒だな」
「棒じゃない、木剣だ!」
「それはすまなかった。長さも丁度よい木剣をよく見つけて来たな」
「これはこの広場に代々受け継がれている剣なんだ。大きくなった兄ちゃん達も使ってきた物だよ」
「へえ。どうりで年季が入ってるはずだ。柄部分も使い込まれて、握りやすくなっているな」
レインが褒めれば、3人は笑みを見せて胸を張っていた。
それからレイン達は2人ずつに分かれて木剣を振り、さしずめ“軽い鍛錬”といった風に剣をぶつけあって行った。
当然レインは手加減をしているが、それは気取られてはならない。
この年頃の少年たちは自分達の成長を望み、大人と対等になったと思えればこそ、楽しく日々の鍛錬が続けられるのだ。もしかするとこの中から王都の騎士団に入団する者も出てくるかもしれないなと、レインもそれを楽しみにしつつ、対面する少年の木剣に子気味良く木剣を当てて行くのだった。
「やあ!」
― カーンカーンッ ―
「とわっ!」
「えいっ!」
― カコンッカコーン ―
レインは向かってくる少年の剣を受けとめながら目を細め、自分もこれくらいの頃は父親に剣を習い、毎日汗を流していた事を思い出していた。
「つぎはオレが兄ちゃんとやる!」
「あ~ケンちゃんずるい! ボクがさきー!」
「まてまて、皆と順番にやるから心配するな」
「うん、絶対だよ!」
と珍しいレインを取り合うように、少年達が代わる代わる入れ替わってレインとの打ち合いを楽しんでいた。
だがレインは剣を打ち合いながらも、通りの端からこちらを覗いている視線に気付いていたのだった。