73. メイオール領ボンドール
ノルトスから1日掛け、夕焼けの中で辿り着いたメイオール領の都ボンドール。
ここは郭壁と呼ぶには頼りない程低い壁に囲まれた街で、開放的な雰囲気とも言い換えられる街だった。
街に入れば立ち並ぶ建物は低く、空が広いという印象だ。都というにはいささか活気が足りない気もするが、それは王都で暮らしているレインの感覚であり、この街ではこれが普通なのだろう。昨日立ち寄ったノルトスよりも静かな街であるように見えた。
そして馬車は迷いなく、街の中を進んで行く。
レインは馬車から行交う人々を眺めながら、こんな閑静な街に、自分達は嵐を巻き起こすのではと身震いするのだった。
「ここに暫く滞在する」
馬車が止まり、ロイの言葉に頷く。
馬車を降りてその先を見れば、2階建ての茶色の屋根が付いた建物が見えた。建物前には広場とも呼べる庭が奥まで続き、突き当りには小屋の様なものがある。
御者が出てきた者と話をしている様子を視界に入れながら、足を進めるロイの後ろをついて行く。
道中で聞いたところ御者はロイ付きの侍従で、名前はエリック・バークハート。彼もれっきとした貴族なのだが、そんな宮仕えの者が馬車も操れるのかと驚いたレインである。
しかし言い換えれば、王族の侍従とは何でも出来なければなれないのだろう。それも大変な仕事である。
そうして3人が宿の中に入って行けば年配の女性が待っており、そのまま廊下を進み部屋へと案内される。
女性に続き、受付から続く廊下を少し行ったところで階段を登り踊り場を折り返せば、目の前には直ぐ2階の廊下が見えてくる。全部併せても30段無いくらいだろうか、木製の床がギシギシと音を立てる小ぢんまりとした階段だ。
(王族が泊まるにしては、随分と簡素な宿だな)
レインの感想はそんな感じの宿である。
そうして2階の廊下を歩き突き当りの扉の前で、前を歩くリーアムが急に振り返った。
「貴方の部屋はこちらです」
と一つ手前の扉を指さした。
「私達はこの奥になりますので、呼ばれたら来るように」
「あ、さようですか……」
突然の説明に少々驚くも、確かにロイは王族であり同室な訳がないのは理解できるので素直に頷く。
「レイン、今はこのまま一緒に付いてきてくれ」
「……わかった」
「……………」
リーアムが何か言いたそうな顔をしているが、ロイに言われたのだから致し方ない。
そうして歩みを進めるロイを追って、レインも奥の部屋に入って行った。
そこは開放的な空間で調度品は豪華でないものの、スッキリとしたデザインの家具も配置され、居心地は良さそうな部屋だった。
ここからは扉が3つ見えるので、他にも幾つか部屋があるのだろうとも思う。
「こちらのお部屋でよろしいですか?」
「ええ。問題ございません」
二言三言リーアムが店員とやり取りしている言葉を聞きながら、レインはソファーへと向かって行くロイを見つめていた。
壁際から距離をあけて中心に配置されたソファーは、使用感はあるものの艶やかだ。そこへ腰を下ろすロイは、既にこの部屋の主であると一目でわかる様子を呈していた。
(いるだけで存在感があるもんなぁ)
「レインも座ってくれ」
「ああ」
いつまでも立っているレインに向かって、ロイが席を勧めてくれたので有難く移動する。そんな間に店員との話は終わっていたらしく、レインが席に着くころにはリーアムがロイの後ろに立った。
そして時を置かずしてノックの後に入って来たのは、御者を務めていたエリックであった。
「馬車は厩に預けました。馬はいつでも使えるようにしてございます」
「わかった」
「今お茶のご用意をいたします。少々お待ちください」
「ああ、よろしく頼むよ」
レインはそんな会話を眺めているだけで、一人取り残されている感じだ。
今入って来たばかりのエリックは休む間もなく動き、これからの滞在中、一人で彼らの面倒を見るようであると知る。
(ですよね……)
この一瞬でロイ達の本当の姿を見た様で、少々居心地が悪いレインであった。
そうしてエリックがお茶を用意したところで、エリックに頷いた後カップに手を伸ばしたロイがレインに視線を向ける。
「今日はもう日も暮れているため、行動は明日からになる。旅の疲れもあるだろうから、今日はのんびりしてくれ」
「わかった」
ロイは美味しそうに目を細め、湯気の立つ紅茶を嚥下している。ロイはこれからの予定を話してくれるのだと気付き、レインは居住まいを正す。レインも喉が渇いているが、取り敢えず後回しである。
「私達は明日から別行動を取る。私は街の奥にあるハイウィル伯の屋敷の周辺を探るつもりだ。第一騎士団に頼んだ時も小麦は発見されなかったため、まずはそこから探る」
「では、俺はどうすればいいんだ?」
「レインは取り敢えず、好きに動いてくれ」
「え? 俺も何かするんじゃないのか?」
レインをわざわざ連れてきたのだから、一緒に動くと思っていたのだがどうやらそうでもないようだ。
「いいや、レインはいつもの感じで過ごしてくれれば良い」
「いつもの感じって、街の巡回?」
「そうではないよ。レインの休暇はいつも何をしていると言っていた?」
「……情報集め、だな」
「そういう事だね」
「了解だ」
こうして話していれば、再び宿の者が現れ料理を運んできた。そうして次々にテーブルへ並べて行く料理に、レインはごくりと喉を鳴らした。喉も渇いているが腹も減っているレインである。
「それでは後程、食器を下げに参りますね」
「ええ、よろしくお願いします」
宿の者と対話をするのはリーアムの役目なのだろう。
優し気な表情で話すリーアムに、レインは目をグルリと回す。人によって態度が全然違うんですけど、という言葉を飲み込んで。
そうして出された物は、バスケットに積まれたバターをふんだんに使った三日月型のパン。そして持ち手の付いた深型の皿にはチーズが敷き詰められ、その表面にはこんがりと焦げ目がついているのでグラタンではないかと推測する。他にも乳白色のスープや色とりどりの野菜が乗ったボウルが置かれ、そこから各自が取り分けるのだろうトングも添えられていた。
― グウゥ~ ―
レインの腹が鳴る。
それにクスリと笑ったロイに視線を移し、レインも流石に引きつった笑みを浮かべて頭をかく。
「食べながら話そう」
「……助かる」
そこでやっと飲み物に手を付け、レインはパンをひとつ取る。
口元に運ぶとふわりとバターの香りが立ち、まだ焼きたてであるのか手の中のパンも温かい。
だが口を開けて今にも口に入れそうなまま、レインは動きを止めた。ごくりと喉が鳴るが、一旦それを口から離しロイを見つめる。
「どうかしたのかな?」
そんなレインに、目を細めてロイは視線を向けた。
よく見ればレイン以外、まだ誰も食事に手を付けていないようだった。
「なあロイ。ここにある料理は、小麦を使った物が多くないか?」
「そのようだね」
「やっと気付きましたか……」
ヤレヤレと、リーアムが呆れた目をレインに向けた。
「他の街には小麦を出せなくても、自分のところ用には確保してあるという事なのか?」
「さて、どうだろうね」
「それをこれから調べるのです。この場で騒いでも何も意味がありません」
「まぁそうなんだが」
「ただ、レインもその視点に立ってくれて嬉しいよ。そう思わねば、何も進まないからね」
「そういう事だな……。その辺りを探れという事か」
ニッコリと笑みを浮かべ、ロイはレインを見つめる。
“良くできました”とでも言われている様で、レインはムズムズする背中を伸ばし、やっとパンを口に入れた。
「美味い」
「ここは小麦が取れる地だが、隣のザンヴィークからの品も多く入ってくるからね。その為、乳製品を使った料理を家庭でも多く作られているらしい」
「へえ。じゃあ食事も楽しみだな」
フォークを手に取ったレインは、熱々のグラタンにも着手する。
「ここへは食事に来たわけではありません」
という誰かの小言も聞こえたが、それは聞こえなかった事にして、まずは目の前の小麦料理を腹いっぱい食べることにしたレインであった。