69. 輪舞の岬
それから数日して、レインは輪舞の岬へと呼び出された。
勿論、相手はロイだ。
笑みを向けて部屋へ案内してくれるマノアに、レインの胸中は穏やかでない。
(この人も貴族だったんだよな……)
立場を知れば、気軽に顔を見ている事も出来なくなってしまったレインである。
目の保養だったのに、残念だ……。
そんな思考は重要な問題ではなく、レインは続く扉を開き、呼び出した者の姿を認めてため息を吐く。
「はぁ……」
「おや? 傷が痛むのかい?」
気安く声を掛けてくるロイは、こう見えて実はこの国の第二王子であった。
そんな彼は既に席についており、細めた視線をレインに向け、手にしていたグラスを揺らしていた。
「あぁ、先にいただいていたよ」
「それは構わない」
王子なぞもっと好き勝手にやるものだと思っていたが、思いのほかロイは、レインを見下した態度を取らないのだ。レインにもひとつひとつに断りを入れ、感謝の言葉を怠る事もなかった。こうした事がロイのひととなりを現わしている為、レインも素直になる事ができると言えるのかもしれない。
その後レインが向かいの席に座るのを待って、ロイもグラスをテーブルに戻して指を組むと、レインの表情を読むように見つめてくる。
「いいや、傷の方はロイにもらった薬で大分良くなった。もう殆ど治ってるから痛みもない」
「そうか、それは良かった」
ロイの表情が少し和む。
「俺が言いたいのは……ロイ、この前襲われたばかりだろう? 街中にホイホイ出てきて大丈夫なのか?」
「――ああ、私を心配してくれていたのだね、ありがとう。しかし問題はないよ。こうして私が城を抜け出している事を、向こうは知らない事もあれで確認できたしね」
つい先日ロイは城の敷地内で襲われ、下手をすればそれは致命傷になったはずだった。
そんな事があったのにロイは今まで通り城を抜け出し、レインと時間を共有しているのである。
そして今ロイは、「向こうは知らない」と言い切っていたが。
(ああ、そういう事か……)
何かに思い当たったレインの表情に気付いたらしく、ロイは口角を上げた。
「レインも気付いたようだね。そう。私がこうして城を抜け出している事を知っていれば、わざわざ厳重な警備が配備されている城などでは襲わない。私の警備が手薄な、街に出ている時に襲えば済む事だからね。という事は、向こうは私がこうして出歩いている事を知らない、という訳だね」
「ふふん」と、聞こえてきそうな顔でロイが言う。
確かにそうかもしれないが……。いや、もう何も言うまい。
「それに、リーアムも傍にいるから問題はないよ。彼も強いからね」
「え?」
今この部屋には2人で、その彼の姿は見えない。
レインがキョロキョロと周りを見ていれば、ロイは「隣の部屋にいる」と教えてくれた。
「実はこの部屋は隣と繋がっていてね、レインとここで話す時はいつもリーアムが隣室で待機している」
「あ、そうですか……」
そうだよな、というのが率直な感想だ。確かにロイがフラフラと一人で出歩く事は皆無だろう。
「だからここでの話は、リーアムにも聴かれていると思ってくれ」
「さようですか……」
まあ別に何を聞かれていても問題はないが、こうして色々と種明かしされれば、今までレインの知らぬ所では色々とあったのだと思い知り、遠い目をするレインである。
「それで、今日ここに来てもらったのはリーアムの事ではない」
言葉は冗談めかしているが正面から見つめるロイは、これから大事な話をするのだという真摯な眼差しを向けていた。
それでレインも居住まいを正し、首肯する。
「レインには今まで伝える事の出来なかった事を、これから話す予定だ。君も職員になった事で、ある程度情報の共有が出来ると私は考えている。レインのユニークは、云わば“やり直し”が出来るスキルだ。私はこれからある事をするつもりでいるため、その手助けを頼みたい。ここまでは良いかい?」
「ああ。俺の方も今まで協力してもらっていたんだ。俺の方からも協力は惜しまないつもりだ」
レインとロイは互いに頷きあうと、レインはこれまでの事をロイから聞く事になったのである。
「今王都では、小麦の流通量が減っている事を知っているかい?」
そんなロイの言葉に、レインは目を瞬かせた。
まさかここでその話が出てくるとは思っていなかったし、王族がそれを把握していた事にも驚いたためだ。
今街中では小麦の話で暗い顔をし、国が何もしてくれないという不満も多く聴こえていたからである。
「ああ。この前モックス商会でその話を聞いた。数年前から入荷量に変化があって、今では小麦を確保するのも大変だと言っていた。―――だがそれは1度目の時にした話だから、モックスさんは覚えていないだろうが」
「そうか。レインもその話を知っているなら話は早い。私は1年前にその事を認識し、内々に調査を進めていた。小麦の生産地である全地域の書類を確認し、そしてある場所の書類に目を留めた」
ロイは指を組んだまま、レインを見つめている。その表情は消え、何を考えているのかをうかがい知る事は出来ない。
「それで私は、ある者にその書類を見せる事を思い付いた」
(そういう言い方をするなら、ユニークスキル持ちという事か?)
「それは君も良く知る、サニー・クレイトンだ」
「は?」
驚き過ぎて言葉も出ないが、よくよく考えてみればサニーのスキルは公に知らされているものであり、文官として配属される事が決まった時には、スキルなどを記した書類も提出しているはずだ。
ロイはそれらの官吏の情報までも把握し、その書類をサニーの審議に掛けようと思ったのだろう。
サニーのスキルは“必中”。言葉通り“当てる”スキルであり、「真実と異なる部分を当てる」という観点で調査すれば、サニーにはそこに何かが見えてくるはずなのである。
「だから、サニーに護衛が付いているのか………」
「ああ。内々に調べてもらったつもりではあるが、どこからかサニー・クレイトンが関わっていたと漏れるだろう。そうなれば、それを煙たがる者は何かしらをしてくると予想して、彼には念のために護衛を付けていたのだ。尤も護衛を連れ歩く者も多くいるため、不審には思われぬはずであったのだが……」
ロイは眉間にシワを寄せ、口を引き結ぶ。その目算が外れたのだ。
「それでサニーのスキルに気付かれた、という話なんだな?」
「ああ。彼に護衛を付けている理由を探られていた様だ。そして私が裏で何かをしている、というところまで気が付いたらしい」
「それでサニーもロイも、襲われたのか……」
これで、なぜサニーに護衛が付いていたかの理由が分かった。
だがここまでわかっていて、なぜ何もしないのかとレインは落としていた視線を上げてロイを見る。
レインの視線の意図に気付いたのか、ロイが渋面を作った。
「ただ、確たる証拠が何もない。出された書類も表面上は特に問題のないものだ。それを無視して処罰する事は、王族である私が出来る事ではない。王族であれば尚の事、個人の意見だけでは動く事が許されぬ。確たる証拠なくば、決を下す事が出来ない」
「……そうだよな。偉い奴が、怪しいとか気に入らないってだけで処罰していたら、その国は亡びるもんな」
「ああ」
そういう事か、とレインも肩を落とす。
確かに証拠がなければ、そいつを捕まえても言い逃れされて終わるだろう。何かひとつでも証言や証拠があれば進められるものを、それがない為に手を出す事も出来ないのだ。
唯一その手掛かりとなったであろう犯人は、ロイを襲った際に再び捕まえたものの、またしても毒を煽りその口を閉ざしてしまっていた。
レインも王子を助ける事に注力しており、犯人の事まで気が回らなかったのだ。
そしてその犯人を追跡して突き止めたあの店も、証拠がない為に踏み込むことが出来ないのが現状である。
「なあ、という事はサニーも例の職員なのか?」
「いいや、彼は職員の事を知らない普通の文官だよ」
まさかサニーまでロイの管理下にいるのかと思いきや、そこは普通の官吏として働いているだけの様で安心する。今までの事も踏まえ、職員になればレインのように危険が付きまとう事は想像に難くない。
「そうか、それなら良かった……」
とレインは取り敢えずその答えに、肩の力を抜くのだった。