68. そしてレインは……
「俺は、騎士団を辞めなければいけないんでしょうか……」
しょんぼりとするレインの口から、小さな声が落ちる。
それを耳にした2人が顔を見合わせ驚いた表情を浮かべていたが、俯くレインの視界には入っていない。
「どうしてそれを聞く?」
続くロイの低い声にやっと視線を上げたレインは、その睨むような眼差しにたじろいだ。
「俺は、騎士団を辞めたくないんです。俺は父の様な騎士になる為に、子供の頃から頑張ってきました。それを……」
今更諦めろと言われても、レインには納得できないのだ。
ここまで知られている状態で、レインに選択肢はないのだろう。しかし最後に正直な自分の気持ちだけでも伝えたいと思って発した言葉であったのだが、ロイの視線にその気持ちも萎む。
レインは握り締めた両手に視線を落とし、自分の発した言葉が甘い考えであるという叱責が飛ぶであろうと身構えていた。
先程見たロイの眼は、街で見る時の気安さなど微塵もなく、為政者が持つ強い光が宿っていたからだ。
「…………」
「プハッ」
暫し続いた重い沈黙の中、突然変な声が聞こえた。
(え? “プハッ”って何だ?)
恐る恐る視線を上げればエイヴォリー総長は横を向き、ロイに至っては口元に手を添えて肩を震わせていた。
「……あのぉ」
「クッ……」
たまらず声を掛ければ、エイヴォリーが声を漏らした。
「――――― プハッ、もう駄目だ。耐えられない」
「クックック、マリウスはレインで遊び過ぎだ」
2人の会話にキョトンとするレインを見て、更に笑い声が響いた事は言うまでもない。
「え? という事は、俺は騎士団を辞めなくても良いんですか?」
漸く2人の笑いが収まり笑っていた理由を聞けば、レインの話は突拍子もない話であって、一人で勘違いしているらしいレインを揶揄ったとの事であった。
レインは全身の力が抜けた。本当にロイは……もう何も言うまい。
「そうだよ。私が組織する職員たちは、普段はいつも自分の仕事に就いている。叔父上を見ればわかるだろう?」
「え、そう言えば確かに。総長は黒騎士団の総長ですね?」
「ああ。私は普段、黒騎士団総長の任に就いている。そしてマリウスも、普段は近衛騎士団の団長職にある」
「へ?」
それは初耳だ。
ロイが白騎士団員だとは勝手に解釈していたが、まさか団長だったとは思いもしなかったレインである。
「とは言え、私は殆どお飾りの様なものだよ。兄上を補佐する為に、近衛を掌握するという意味で団長を拝命しているだけだからね」
「またマリウスはその様な事を……。普段から鍛錬を怠らぬ団長を見ているゆえ、団員もマリウスに付き従うのだ。何もせぬ愚者では、臣下の信は得られぬ」
「叔父上は、私にも甘いですね」と肩を竦ませるロイは、思いのほか嬉しそうであった。
レインは、そんな2人のやり取りをただ見つめていた。
いくら第二王子と言えど、王子というからにはそれなりに政務もあるのだろう。そして近衛騎士団の団長としての立場と、ユニークスキルを持つ者たちを管理し、彼らの動きを活かすために頭を働かせている。
今聞いた情報だけで、ロイは寝る暇もないであろうことがレインですらわかるのだから、ロイは大丈夫なのかと心配せずにはいられない。
「ロイ、体は大丈夫なのか?」
「ああ、心配してくれるのだね。まぁ今のところ大丈夫だよ」
とレインの問いに、「ありがとう」と苦笑を添えるロイである。
この段階ですっかりロイに向かって敬語が取れているが、ロイが何も言わないのでそのままで良いという事らしい。だが、レインはその事にも気付いていなかったのであるが。
揶揄ってはいても、ロイもレインに甘かった。
「それで、レインにはこれを渡しておく」
ロイがレインとの間にあるテーブルに置いた物は、直径1cm程の小さな金色のピンバッジだった。
「これは……」
「手に取ってみてくれ」
ロイに促され、レインはそれを摘まみ上げ手の平に乗せる。
「それは私の紋章が入っている。解るものには、それを持つ者が私の庇護下にあると分かるだろう」
両側が同じ大きさで一見するとどちらが表かわからないが、よくよく見れば片側は小さな柄が彫り込まれており、その上から透明な薄紫の釉が乗せられていた。
レインは手の平に目を凝らす。
真円の中、その円に沿って下から上に向かい2枚の羽根があり、真ん中には天から地に向かうように1本の剣が、そしてその背後には六角をした細かな模様が描かれていた。
ロイの紋章を知らない者が見ては、何が何だか分からない柄だ。レインも当然知らなかった。
「羽根と剣、真ん中には何が書いてあるんだ?」
「それは雪の粒だね」
「雪の粒は、こんな形なのか?」
「ひとつひとつは小さく人の目には殆ど見えないだろうが、それは間違いなく雪の模様だよ」
「でも、なんでロイの紋章が雪なんだ?」
レインの質問に、見守っていたエイヴォリーが首を傾けた。
「マリウス、彼の前で魔法を使った事はないのか?」
「―――そうでした。ありませんね」
ここで何故魔法の話が出てくるのか分からないが、レインは取り敢えず事の成り行きを見守る。
「それでは分かるはずもない。レイン、マリウスは水魔法を使うのだ」
「え、はい……」
それでもまだ目を瞬いているレインに、ロイは苦笑を零して説明した。
「レインは土属性だからピンとこないだろう。水属性は雪を作る事が出来る。それで“雪”という訳だ」
「あぁ、なるほど?」
そう言われてもまだ飲み込めていないが、これは紋章の柄が重要な事ではないのだ。
「それをいつも、見えない所へ付けておいてくれ」
「え?」
「これは何かあった時の為の物で、皆に見せて良いものではない。例えば、今回のように王族専用の場所に入る場合など、入口に立つ者に見せれば私の関係者として通してくれる。ただし、それの本当の意味を知る者はごく一部に限られているから、そこは安心してくれ」
「へ?」
「これは、私が預かる職員全員に渡している。これを相手が持っていれば、相手も同じ立場の者だと思って良い」
「は……」
レインは上手く言葉を飲み込めない、というか、情報量が多すぎて頭がついて行かないのだ。
「クックック。レインは面白いな」
「叔父上……」
「先程から一文字しか言っていない。クックック」
レインはキョトンとしながらも、エイヴォリー総長はこんなに笑う人だったのかと思考を飛ばしていたのだった。
再びエイヴォリーの笑いが収まるのを待つうち、レインも大体状況が理解できて来た。
「そういう事で、今後も今まで通りよろしく頼むよ、レイン」
「――はい」
「私と連絡が取れない緊急時には、叔父上に直接話を通してくれても良い。よろしいですよね、叔父上」
「ああ、問題ない」
「―――承知しました」
ここまでの話が、レインが執務室に呼ばれた事の内容だった。
今までレインへは身分を偽り、ロイはただの協力者として会っていたのだが、今回の件でロイがマリウスであると知られため、ロイの立場を話す事にしたようである。
そうなればエイヴォリーを通し、今まで以上に密にやり取りが出来るという事だ。
ただ、普段はクルークを使って連絡すれば良いという事なので、レインにとっては今までと何ら変わりなく過ごせることになったのだ。
レインが噂で聞いていた秘密の部署は本当にあった。しかしそれは個人を縛るものではなく、あくまでもそれぞれがロイの密偵のような形で動くため、レインは騎士団を辞めることはなく心配事は杞憂に終わった。
いいや、密偵と言ってもロイからの指示はあくまでレインから情報を出した中での指示に従うという程度で、こちらが動きやすくなるだけという有難いものなのだ。
どちらにせよ、レインの毎日はこれからも続いて行くのである。
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その後の執務室のひととき。
「あの、ひとつお聞きしても良いですか?」
「構わないぞ?」
ゴクリと喉を鳴らし、レインはエイヴォリーを見つめた。
目の前のエイヴォリーの左眼はまた隠されているが、その瞳が澄んだ空の色だとレインは知っている。
「エイヴォリー総長も、ユニークスキルがあるとうかがいました」
「ああ、言ったな」
「それはどんなスキルですか?」
レインは自分以外に、ユニークスキルを持つ者を知らなかった。
その為、少々の好奇心で王族であるエイヴォリーに質問をしている無謀な奴である。
「スキルの内容が知りたいのか? それともスキルの名か?」
「あ、出来れば両方で……」
「プッ」
と、左から何か聴こえたがレインは無視した。
「うむ、構わないぞ。スキルの名は“ブラックボックス”だ」
「へ?」
「ップーッ」
また左で噴き出した奴がいるが、視界の外なので気にしない事にする。
「あの、すみません。聞いておきながらそのスキルの事を知らないのですが、どのようなスキルなのですか?」
「まぁユニークスキルの名なぞ、知らないのは当然だ。私のスキルは、魔物を抑制する事が出来るというものだ」
「よくせい?」
「そうだ。魔力を使い、暴れる魔物を一時的に静止させる、と言えば理解できるか?」
「あ、もしかしてバジリスクの時……ですか?」
第一騎士団と共闘したあのバジリスクは、レインと視線を合わせた後一時的に動きを止めていた。実はそれがエイヴォリーのユニークスキルの効果であり、それに魔力を使うと言ったその言葉からも、あの後エイヴォリーが魔力切れを起こしていた事も納得できるものとなった。
あれだけ大きな魔物を抑えていたならば、さぞ大量の魔力を消費しただろう事は想像に難くない。
レインの答えに満足したらしいエイヴォリーが、金色の眼を細める。
「ああ、その時にも使用している。私は魔物を一時的に抑えている事が出来るゆえ、黒騎士団の任に就いているとも言い換えられるだろう」
対魔物のユニークスキルとは、レインのものより希少ではなかろうか。その為、魔物と対峙する機会の多い黒騎士団の任に就いている事は理解できた。
「はぁ~そうだったんですね……。でもスキルの名前からは想像できませんね。“ブラックボックス”……」
「プッ」
チラリとエイヴォリーがロイに視線を向けたが、それは再びレインへと戻された。
レインはそもそも無視である。
「私もなぜその名前かは分からぬが、発動時、魔物の意識を暗い箱の中に閉じ込めるような映像が浮かぶ。それゆえ、その中に魔物の意識を閉じ込め身動きを封じている、という事であろうと解釈している」
「それで“ブラックボックス”なんですね」
「……ップーッハッハッハッ。もう我慢ができない」
と、何かのツボに入っていたらしいロイが一人で笑い転げていたが、レインとエイヴォリーは、そんなロイを見なかったことにしたのであった。
いつも、拙作にお付き合いいただきありがとうございます。
誤字報告も併せて感謝申し上げます。
昨夜は、シドの番外編にお付き合い下さりありがとうございました。
このお話で第四章は終了となります。
その為明日はちょっと一休み、人物紹介(参考資料)ページを投稿いたします。
続きの69話は、5月18日の朝に投稿いたします。
次回からは第五章、レインを待ち受ける出来事とは…。
このお話しの続きが読みたい、楽しみにしている等々ございましたら、
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それでは引き続き、レインの物語にお付き合いの程よろしくお願いいたします。