65. 訪れた人物
頭を抱えたままその2人が近付いてくるのを視線だけで追えば、灯りを持った男が灯りを近くのテーブルに置いたため、それでレインの周りが一段明るくなる。
後ろにいたもう一人が進み出てベッド脇の椅子に座り、灯りを持っていた者がその椅子の後ろに立った。
「まだ頭が痛むのか?」
急に声を掛けられ、レインの肩がビクリと揺れる。
(どこかで聞いた声……?)
恐る恐る顔を上げてそちらを見れば、金の刺繍が光る黒い衣装を纏ったロイがそこに座っていたのだった。
「え? ロイ? 何でここに?」
そう声に出してすぐ、ここが城の中であれば近衛であるロイの管轄で、いるのは当たり前であったと気付く。しかしそんなレインの思考に気付く様子もなく、ロイはいきなり頭を下げた。
「今日は助かった。レインが来なければどうなっていた事か……」
「え? ………ああ、じゃあ王子は無事だったという事か?」
「おい、言葉を改めよ」
「は?」
急に後ろの男が話を遮り、一歩前に進み出た。
「良い、レインは友人だ。問題ない」
「しかし……」
「リーアム」
「っ………かしこまりました」
何だか訳の分からないやり取りを繰り広げる2人を、レインはただ見つめるしか出来なかった。
(言葉を改めよ? 友人だから問題ない……? ロイが貴族であると俺にバレたから、か?)
キョトンとしつつもレインが視線をロイに向ければ、そう言えば今日ロイを何処かで見かけた様な気がしてくる。
目の前で心配そうに覗き込んでくるロイを見ていれば、段々と記憶が浮かび上がる。
薄い紫の髪、紺色の目、一体それは何処で見たんだったか。あっそうか、今日庭園で俺が突き飛ばした……。
(―― えぇぇぇ~?! ――)
そしてレインの目が徐々に大きくなって見開かれた頃には、ロイは苦笑を浮かべていたのだった。
「?! ロイは第二王子だったのか!?」
「おい!」
身を乗り出して口を挟もうとしたリーアムの前に腕を出し、ロイがリーアムの動きを止めた。
「すまない。だますつもりはなかったのだが、わざわざ話す機会もなくてね……」
それはそうだ。
もしロイに、話の途中で「自分は王子だ」と言われても冗談としか思えなかったし、もし逆に本当だと思ってしまえば、気軽にクルークで呼び出す事も出来なくなってしまっただろう。
それ以前に立場上、気軽に身分を明かす事も出来なかったであろう事はレインでも想像がつく。
「それはいいんだ……。あっすみません、それはお気になさらず」
「レイン、わざわざ言い直さなくても良いよ」
「え……でも……」
ククッと笑うロイの後ろを見れば、フンッと鼻息が聞こえた。
「ああ、後ろの彼はリーアムと言ってね、私に仕えてくれている侯爵家の者だよ。少々口うるさいのが玉に瑕だが、私の補佐として良く働いてくれている。今後は顔を合わす機会もあるだろう、レインも覚えておいてくれ」
「改めまして、リーアム・ウェルズと申します。ロイ様の側近としてお仕えしております」
「あ、どうも…。レイン・クレイトン……です」
堂々たる態度のリーアムに、レインは肩を縮こまらせて自己紹介を返した。
何かちょっと威圧してないか、この人……。
「あれ? でも何で“ロイ”なんだ? 確か第二王子はマリウスって言う名前じゃ……」
「コホン」
「あっすみません」
リーアムの咳払いに即座に謝る。
マリウスという名前はレインの中でも“王子”の事で、なぜか気安く呼ぶ事は憚られた。“ロイ”とは気軽に呼べるのに不思議である。
「ああ、名前の事か」
と当のロイは気にする様子もなく話を続ける。それに頷き返せば、種明かしをしてくれた。
「私の名前は、マリウス・ロイス・ロードラムだからね。ロイはミドルネームだよ」
「ミドルネーム……。あぁそうなんだ……はは」
レインの常識とはかけ離れた言葉に、レインは何も言えず曖昧に笑ってごまかす。
レインはただのレイン・クレイトンで、ミドルネームなる物は持っていない。王族など位が高い者には付けるのかも知れないが、レインたち庶民には馴染みのない名前である。
「だからこれからも私の事は“ロイ”と呼んで欲しい。尤も、外ではマリウスの名は出せないからね」
「そうだよな……」
そこでレインも納得する。
確かにマリウスと言われれば、真っ先にこの国の第二王子を思い浮かべるだろう。そして一度でも本人の顔を見た事があれば、すぐに身元が分かってしまうのだ。
「という事はロイが王子だって、マノアさんも知ってるのか?」
「ああ勿論だとも。マノアはリーアムの姉だ」
「はぁ?!」
そんな話に思わずリーアムを見てしまう。
するとリーアムは当然だと言わんばかりの顔をしていた。
「全然似てないんですが……」
「ええ。私は父親似で、姉は母親似ですから。ですが目の色は同じです」
確かに言われてみれば顔の印象は違うものの、マノアの眼の色はここにいるリーアムと同じ翠色であると気付く。
それで一気に気が抜けたレインは、大きな息を吐き出した。
「はぁ~。……でも侯爵家の人が、飲み屋を?」
「それは私が頼んだのだよ。街中で落ち着ける場所を作ってくれと言ってね。そうしたらマノアが買って出てくれて、あの容姿で元々料理好きな事も幸いし、今では知る人ぞ知る人気店だ」
フフッと笑うロイに、何と言って良いのか分からずレインは曖昧に微笑んだ。
知らずにレインは、侯爵家の人間と接していたうえ不躾に見つめていたのだ。もう何が何だか分からない。
「レイン、まだ傷は痛むかい?」
と、ここで最初の話に戻ったロイの質問に、レインは首を振る。
「いいや、もう大して痛くもないよ。こっちこそ治療してくれたみたいで助かったよ」
「当然だろう?」
どうやらレインが盾に激突したのは、レインの前にいた近衛が振り向いた為だったようだ。襲撃犯に反応して毒を弾いたものの、その行く先を追って振り向いた時に派手に腕を振り回し、すぐ後ろにいたレインの顔面に激突したという。レインとしては、何とも情けない醜態をさらしてしまったと頭を抱えたのである。
そこで思考を止めていたレインはここまでの疑問を思い出し、この機会に口にする。
「なあロイ、今朝今日の事をロイに伝えようと魔鳥を呼んでみたが、全く応答がなくて焦ったんだ。ロイが王都を離れているならわかるけど、なんで今日は応答がなかったんだ?」
言われてロイが、バツが悪そうに口元を歪めた。
「すまない。まさかこんなことが起こるとは予期せず、今クルークにはメイオール領へ伝言を運んでもらっている」
今ロイが名前を出したという事は、このリーアムという人にはクルークの名前は出しても良いのだと知る。確かに側近ならば、クルークを介してやり取りをする事もあるのだろう。
そしてもう一つ、続くメイオールという名前にレインは引っ掛かりを覚えて首を傾げた。
「メイオール……?」
「ああ、先日視察に行った先だよ。今そこに人を数人残してきていてね、その連絡でクルークには動いてもらっている」
「そういう事か……はぁ~」
確かに、第二王子は数日前に視察から戻ってきた。
そしてその場に残した部下とのやり取りで、クルークは動いていたのだから呼んでも来なかったのだ。馬車で片道2日掛かる場所にあるのだから、いくら魔鳥でも数時間で往復できる距離ではない事は理解できた。
だが、レインはそれを知らずにクルークを呼び、その応答がない事で随分と心配したのだ。理由を聞いて、思わず脱力してしまったレインである。
「どうした?」
「ずっと、ロイに何かあったのかと心配してたから……」
「それは……申し訳ない事をしたね」
「いや無事ならいいんだ、もう気にしないでくれ」
ふにゃりと力の抜けたレインの顔を見たロイは、心底嬉しそうにレインを見つめ返していたのだった。
ロイが第二王子でした。
それを推測されていた皆さま、正解です。笑
漸くロイの身元は判明しましたが、レインは今後どうなるのでしょうか…。
引き続き、お付き合いの程よろしくお願いいたします。