64. 襲撃のソール(3)
もう昼も近くなった頃、王子が出てくる場所とは違う扉に動く気配があった。
それはレインからは遠く、奥の東屋に近い場所だ。
その扉が開くと数人の侍女が現れ、真っ白に輝くドレスを纏った女性を案内しながら奥の小径を歩いていく。
(昼食相手は女性? デートか?)
遠くて顔までは分からないが、その金色の髪をした女性は若そうだ。
エイヴォリーは“さるお方”と言葉を濁していたが、こういう事だったのかと納得する。
(それじゃ相手が“誰”とは言えないよな)
まあ聞いても分からないため言う必要がないという意味もあるだろうが、とレインは曖昧に微笑むのだった。
そんな奥の動きを見つつも手前の城壁側にあるクスノキに視線を流し、現状を確認する事は怠らない。ただここまで、何の動きも見えないのだ。時折風にそよぐ木々の葉が揺れる為、それに合わせて忍び込まれては認識することすらできないだろう。
元々気配が薄い奴だから、こういう事に秀でているのか…と今更ながらに思考は巡るが、もうその時は目前に迫っており、余計な事を考えている暇はない。
レインの魔法も準備は整ってはいるものの、次第に大きくなる心臓の音を止める事は出来ない。
先程奥に向かって行った一行が、東屋に到着したらしい。
白いドレスの女性を席に座らせ、周りの侍女が慌ただしくその衣服を直しているようだ。どんな立場の女性かは知らないが、王子と会う以上、身だしなみは大事という事なのだろう。
その時、王子が出てくる扉周辺が俄かに動く。そこもレインからは離れており、白い制服を着た者が集まって行った事くらいしか見えなかった。
(とうとう、出てくるんだな……)
胸に手を当て心臓を落ち着かせようと試みるが、今のところ成功してはいない。
そしてゴクリと唾を飲み込み、その動きを見つめる。
(大丈夫だ、イメージは出来ている。ここに来た時に……)
そうして扉が開き、近衛2人に挟まれて姿を見せた人物が王子なのだろう。その姿は辛うじて、象牙色の衣装を着た人物である事がわかる。背筋を伸ばした立ち姿からも、彼が上位者であるという威厳を漂わせていた。
その両脇の騎士はまっすぐ前を向き、両名とも左腕にはラウンドシールドを装着していた。何かあればすぐに対応できるよう、速度を重視した中型の盾だ。それが時折光を受けて輝いている。
そんなレインの目は王子達に向けられてはいるが、思考はその先の映像を追いかけていた。
大きく息を吸い、近衛を両脇に連れた人物が扉を通過した事を確認して、レインは視線を流し例のクスノキに固定した。
後数十秒で、レインがここまでしてきた行動の結果が出る。
仮病を使って鍛錬を休み、物陰に隠れながら辿り着いた王城、そして近衛を昏倒させてこの制服を借り庭園に忍び込んだ。
レインの準備は万端なはず。魔法の準備も心の準備も、だ。
視線の先のクスノキからは未だ何の気配もないが、絶対にあいつもいるはずだと確信している。
こうしてクスノキに意識を集中していれば、いつの間にか王子がレインの前を通過していった。
すれ違いざまにフワリと起こる風は花の香りを運び、ここが庭園である事を思い出させるものとなる。
そこからの出来事は、レインにはまるで時間の狭間に落ちたような感覚だった。
周りのひとつひとつの動きはゆっくりと見え、全てを記憶に留めるための時間のように感じられたほど。
そうしている間にも王子はレインから5m程離れて行き、あと数歩で襲われた場所に到着するだろう頃になっていた。
その時、レインの視界でクスノキの葉が不自然に揺れた。ほんの微かな揺れだが、注視していたレインにはそれが何故なのかと瞬時に理解できたのだ。
(奴だ!)
レインは一瞬片足に体重を乗せた後、前傾姿勢になりトップスピードで飛び出していく。
王子との距離は8m。周りの者が反応する隙もなく、それは一瞬で追いつく事になったのである。
「クスノキに賊だ!」
そう叫んだと同時に王子を突き飛ばす。
体勢を崩した王子は、レインの視界の隅でそのまま右にいた近衛と一緒にゆっくりと倒れていく。
クスノキ側の近衛はレインの声に反応した様で、そこから何かが飛んできた事を瞬時に理解し、左腕を王子がいた場所に突き出したのと同時。
「“土壁“」
レインが唱えた詠唱で、倒れる王子の前に70cm程の高さの壁が一瞬で立ち上がった。
エイヴォリーの話では近衛の盾では防ぎきれず、軌道が逸れて王子の足に当たったと聞いた。その為にレインはまた同じことが起こるかも知れないからと、倒れた後に隠れられる程の高さの壁を作り上げたのだ。この壁の高さが低ければ低いほど、壁も瞬時に構築できるのである。
クスノキから飛んできたものを弾く「キンッ」という音が聴こえた時、レインは王子と入れ替わるように飛び込んだ場所で宙を舞っていた。そして次に土壁に何かが当たる音が聴こえた事で、レインは毒の弾を防いだことを知る。
(良かった、今回は誰にも当たらずに済んだな……)
そう思い改めて王子の方へと視線を巡らせれば、驚愕に見開いた紺色の目がレインを見つめていたのだった。
(あれ? どこかで見た顔だな)
そう思った瞬間、顔の左に影を感じて振り返ってみれば、レインの目前に近衛の盾が迫っていたのだった。
(こんな模様があったのか……)
そう考えられるくらいにゆっくりと流れた時間は、次の瞬間、突如として終わりを迎える事となる。
― ガツンッ! ―
目の前に迫った盾に顔面を強く打ち付けたレインは、視界が暗転し意識が暗闇に包まれて行った。
「――レイン!!!」
薄まる意識の中で甲高い悲鳴に混じり、誰かが自分の名前を呼ぶ声を聞いた気がするも、その声を確認する事なくレインは意識を手放したのだった。
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― カタッ ―
何かの音がして、レインの意識は浮上した。
ゆっくりと目を開ければ、そこは真っ暗な部屋に小さな灯りがひとつ灯っているのだと分かる。
ただ薄暗いながらも部屋の形状からして、ここは自分が借りている宿舎ではなさそうだと気付く。
いつの間にかもう、陽の落ちた時間になっているようだった。
「……ここは……どこだ?」
少しかすれ声になったのは、眠っていたからだろうか。
ゆっくりと体を起こせば、近くに居たらしい人影が揺れた。
「お目覚めになられましたか?」
それは女性の声だが聞き覚えもなく、灯りも背後にあって顔も見えなかった。
「あの……?」
体を起こそうとしたまま止まった状態で、困惑しているレインへと女性は話し出した。
「本日貴方様は庭園でお倒れになったために、こちらでお休みいただいておりました。今主をお呼びいたしますので、今しばらくそのまま横になってお待ちくださいませ」
「あ、はい……」
レインの返事に頷いた女性は、そのまま扉を開けて部屋を出て行ってしまう。
何だか分からないが、そう言われてみれば確かに庭で気を失ったのだとレインは思い出す。
そして現状を確認する為に頭を触れば、レインの頭には包帯が巻かれている感触があった。記憶を辿ってみると、レインは近衛の盾に顔面を強打したはずで、どうやらその時にどこかに傷を作ったようだと推測する。なぜか包帯を確認した途端、頭が痛い気もするから不思議である。
「あっやば……あの後逃げる予定だったのに、失敗したのか……」
はぁ~と鈍痛がする頭を抱え、レインは暫し撃沈する。
いくら緊急事態とは言え、レインは近衛の制服を盗んで立ち入り禁止エリアに忍び込んだのだ。レインは王子を助けた後、騒ぎに紛れてその場を抜け出すつもりだったのだが、それが失敗したのだと悟った。
これは言い訳出来ないよなぁと落ち込んでいれば、ノックの後、手に明かりを持った男を先頭に、2人の男がレインが運ばれていた部屋に入って来たのであった。




