63. 襲撃のソール(2)
― ドサッ ―
崩れ落ちた男の脇の下に手を掛けて引きずり、そのまま植え込みの影に入って行く。
倒れた彼は、背後から静かに近付き首元に手刀を当て気絶させただけで、暫くすれば気が付くだろう。これは重要な案件であって、見知らぬ彼には申し訳ないが、少し休憩していてもらおうという事である。
「すみません、ちょっと借ります」
聞こえていないと知りながらも、一応謝罪をしてから男の着ている物を脱がせ、下ばき一枚になった彼をそっと幹に寄りかからせる。そして今度はそれを速やかに身に付けていって、ホッと息を吐き出した。
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今朝、演習場にレッド班が揃った頃になってレインはそっと部屋を抜け出した。服は目立たぬよう、いつもの制服を着用している。
宿舎の入口から左右を見回し人が居ない事を確認して歩き始めた所で、レインは素早く木の陰に身を滑らせた。
そして、目の前の渡り廊下を歩いてくる団員を見て息を潜める。
出て早々、人に見付かっては騒ぎになってしまうだろう。病欠の者がなぜここにいるのかと。
その為、これからは絶対に人に見付かる訳には行かないのだ。特にレッド班の面子には……。
気配を抑え騎士団棟の裏にある木々の陰を通りながら、レインは目指す城へと向かって行く。城の敷地へ入るには正面の道から入る必要があって、そこは黒い制服に出会わぬ事を願いながら、何食わぬ顔で入って行くしかない。
(うっ、めちゃくちゃ緊張する)
城へ続く道を通りながら、内心ビクビクしている事を噯にも出さないのは案外骨が折れる作業だった。流石に白騎士団員が行き交う城の周りで、怪しい行動をとる訳には行かない。ここで呼び止められては終了である。
レインは丘の頂点にある王城の敷地に入るや否や、人が周辺に誰も居ない事を確認し、西側に並ぶ木々の間に身を滑らせた。この奥にある場所に行く為には、今着ている黒い服では入る事は許されていない。
その事が一番の懸念事項だといって良く、ルーナでもギルノルトと散々話し合っていた事だった。
そこでギルノルトがルーナに提案したのは、『白騎士団員を捕まえて、服を借りる』である。
「え? 借りるって、ロイ以外白騎士団に知り合いはいないぞ?」
「俺もいない」
バッサリ言い切るギルノルトは、そう言いつつも口角が上がっている。
その顔に嫌な予感がして、レインは半目で見つめつつ次の言葉を待つ。
「本当は、白騎士団員の更衣室の場所が分かればいいんだが、俺はそれを知らない」
「俺もだ……」
「そこで、だ」
「おっ、おう……」
ゴクリと唾を飲み込んで、レインはギルノルトを見つめた。
「レイン。一人で歩いている団員を捕まえて略奪しろ」
「はあ?」
「ああ、言い方がおかしかったな。白い制服を貸してもらえ」
「どうやって?」
「それは、あれだ。ちょっと突いて眠っていてもらえばいい」
「おい、眠ってもらうって…」
「ああ~もうレインは察しが悪いな。俺は、白騎士団員を昏倒させて服を剥ぎ取れと言っているんだ!」
「………」
他人事だと思って、ギルノルトは言いたい放題だ。
しかも簡単に言ってくれるが、それはレインにしてみればハードルが高いと言える。
その為、無言で見つめ続けるレインにシビレを切らしたギルノルトが、口を尖らせて言った。
「何だよ、だってコレしかないだろう? レインが真面目な奴なのは知ってるが、そうも言ってらんないじゃないか」
「う……」
「それとも何か? レヴィノール団長にレインのスキルを話して、協力してもらうのか?」
「いや、それはちょっと……」
「だろ? レインは選択肢がないんだ。ちょっと眠ってもらうくらい、仕方がないと割り切れ!」
「……わかったよ……」
仕方がない、ともう気持ちは割り切った。申し訳ない事に変わりはないが、ここは王族の命を護ろうとしているのだから致し方ないのだ、と思う事にした。
ルーナでのそんな会話を思い出しながら、レインは木々の間から条件に合う者が通るのを待っていた。
仮令一人で歩いていようとも流石にレインと体格が違い過ぎれば、サイズが変だとすぐに気付かれてしまうだろう。その為、レインと背丈が似通った者を探しているのだ。
大丈夫、時間はまだたっぷりある。そう自分に言い聞かせ、レインはその時が来るのを待つことにしたのであった。
そうして待つ事30分。巡回の為か一人の近衛がレインの前を通過したところで、レインは背後から回り込んで昏倒させたという話である。
「後で必ず返しますから……」
そんな言葉を置き土産にレインは姿勢を正すと、陽の光が降り注ぐ場所へと歩き出して行くのであった。
レインはこの先に続く道を、ルーナでは王弟直々に案内してもらっている。
あの時なぜ、エイヴォリー総長がそうしてくれたのかは分からないが、そのお陰でソールである今も迷うことなく進む事が出来ているのだ。
もう会う事もないだろうと思っていたエイヴォリー総長は、第一騎士団の一件から時々声を掛けてもらう機会もあって、その為レインはエイヴォリーに対する緊張も薄らいできていた。
そして今回の事では、図々しくもレインから声を掛けさせてもらえば、まるでレインが知りたい事が分かっているかのように、レインを現場まで案内してくれたのだ。
(エイヴォリー総長も、不思議な人だよな……)
そんな図々しいレインでも、どうしてもまだ左眼の事を聞く事だけは出来ないのである。
とても気になる事ではあるが、あの時のロイの態度から見ても、それは余り触れてはいけない事だと思われたからだった。
(いけない。今は余計な事は考えないようにしないと)
時間は刻々と昼に近付いており、緊張しているレインは朝の食欲はどこへやらだ。腹が空くどころか、胃が痛くなってきている気さえする。
レインは背筋を伸ばしながらも気配を消して、庭園に通じる道を歩いて行くのだった。
そうして滑り込んだ庭園、ここは王族のプライベートエリアである。
緊張しているため意識せずとも伸びる背筋に、フラリと入って来たレインに気付く者は誰もいない。
そこはルーナに見た時と同じく、色が溢れる場所だった。
そして噴水の立てる水音と忙しく動き回る侍従などが立てる足音の他、風に揺れる木の葉のさざめきと小鳥のさえずりが響いているだけである。レインには眩しく、穏やかな時間が流れている空間に息を飲む。
その中に配備されている近衛騎士団員が立てる靴音は皆無。流石にそこは訓練されているなと、感心せざるを得ないレインである。
そんな庭園の片隅で全てが視界に入る場所へと移動して、レインは見張りと化して立ち止まった。
もちろん、何かあればすぐに駆け付ける事の出来る距離である。
(俺に防げるのか……?)
レインが今立っている場所は、襲われた場所から10m程離れた場所。レインの3m先に石畳があり、城から出てくる王子がその前を通過するはずで、そして襲われるはずだ。
本当ならばこうして待機するよりも実行される前に声を上げたいところではあるが、証拠もなくただ騒いだだけではレインが連行されてしまうだろう。
ここから見える犯人がいた例のクスノキには、こうして注視していても姿を確認できず気配すらないのだ。まだそこに居ないのか既に待機しているのかレインには判断がつかず、迂闊に近寄り犯人が移動されても困るために何をする事も出来ない状態だ。
運命のその時まで、ルーナでは居なかったレインの存在も、誰ひとり気付かせる訳には行かないのだから……。