59. 立ち止まった場所
レインを先頭に、半歩後ろにギルノルトが続く。
その足跡は真っ直ぐ南側に立ち並ぶ住宅の間に入ってから、住宅街の道の真ん中を悠々と歩き、大通りに向かって行ったようだった。
時々、人が立っているところや人が踏みしめて歩く道の下に光る物が続いており、それを辿るレインの目は見落とさぬようにとジッとそれらを見据えていた。
勿論、レイン以外の者にはその足跡は見えるはずもない。その為、もしレイン一人だったならば、ずっと下を向いて歩いているレインは不審者に思われた事だろう。
「ここも通ったのか……堂々としたもんだ」
ギルノルトの呟きに視線を転じれば、そこは見慣れた詰所の目の前だった。
「秘事は睫という事か」
「いいや。人相が分からないんじゃ、睫とは言えないぞ。しかし、気分が良いものではないな」
「ああ」
2人は詰所を見つめ、渋面を作る。
男がレイン達に見せる姿は黒ずくめ、黒っぽい目だけが分かる状態で髪色も人相も分からない。そのため悠々と詰所の前を通ったと知れば、悔しくない訳がない。
― ガチャリ ―
「おお? レインとギルノルトか?」
レイン達が詰所を通り過ぎようとして、その声に2人は足を止めて振り返る。
見れば中から出てきたブルー班のタルファ・ソリット班長が、扉から顔を出したところであった。
ソリット班長率いるブルー班はレッド班と度々巡回で一緒になる事もあり、ソリット班長とレイン達は親しいと言っても良い。そんな彼は少々脳筋タイプであり、考えるより先に体が動く人物である。要するに“熱血”なのだ。
「お前たちは仲が良いな。これから飲みに行くのか?」
笑みを浮かべつつ少々ズレた問いかけをするソリットに、いくらなんでも騒ぎがあったこんな日に、わざわざ飲みに出歩く者はいないだろう。とレインは心の中で、そっと突っ込みを返すのだった。
「ソリット班長、いくら何でもこんな日に飲みには行きませんって」
ハハハっと笑うギルノルトが、代わりに突っ込んでくれたようである。ナイス。
「それじゃあ、こんな時間に何をしているんだ?」
疑問に思われるのは当然で、レインとギルノルトは顔を見合わせて頷きあう。
「ソリット班長、今お時間はありますか?」
「んあ? これから巡回に出るつもりだったんだ……飲みには行かれないぞ?」
まだ冗談を言っているソリットに、ギルノルトはソリットの服の袖を掴んで道の端へと連れ出した。
― パタンッ ―
開けたままだった扉が閉まり、訳も分からず困惑するソリットだが、レインとギルノルトはソリットを囲んで話し出す。
「俺達は今、例の犯人を追跡してるんです」
小声で伝えたギルノルトの言葉に、ソリットの眉がピクリと上がる。
「本当か?!」
「はい。俺は今、追跡魔法を発動させています」
レインに視線を向けたソリットに、レインは手にする黒い布を見せる。
「これは北の城壁付近の、植え込みの中から発見しました。レッド班が上から追跡をしてくれていて、見失った場所でこれを見付けたんです」
「確かに、下ではグリーン班とアッシュ班が追跡、上からはレッド班が犯人を追っていたと聞いた。そう言えば、レインは当事者だったな?」
流石に班長ともなれば、詳細を聞いているらしい。
その問いに、レインは素直に頷く。
「はい。襲われたのは俺の弟で、街中で偶然会って一緒に歩いていたんです。そこで襲撃にあい、俺も途中まで犯人を追いかけました」
「ほう?」
驚きながらも嬉しそうに、ソリットはレインを見つめた。喩え休暇日でも、騎士団員ならば追跡するのは当たり前だと言いたいのだろう。
だが結局捕縛は出来なかったので、逃げられた事もわかっているはずだ。
「その追跡途中、奴に俺の魔法で目印を付けました。この布にその目印がついていたので、これが奴のものである事はまちがいありません。その為この布を纏っていた者の足跡を、現在追跡中です」
「レインには、奴の向かった先が見えているんです。余り時間が経つとその痕跡すらも消えてしまうので、今しかないって」
それで2人がこんな時間に街中を歩いているのだと理解したソリットは、先程の冗談を言っていた顔とは様変わりし、キリリとした騎士の顔になった。
「俺に話したという事は、俺にもついてこいという事だな?」
「はい。この件は報告する義務が発生しますので、ソリット班長のお時間があれば御同行いただければ一番早いかと……」
ソリットの問いに、レインはそうだと告げる。
言ってしまえば、ここで班長と行動を共にできれば、後からまた誰かを案内して説明する手間が省ける、という事だ。
「これは任務の最重要事項であり、そういう時の頼れる班長だよな? 俺で良ければ喜んでいくぞ」
流石班長、一を聞いて十を悟る。
脳筋寄りのソリットだが、頭の回転が速くなければ班長などにはなれないのだ。
「ありがとうございます」
レインは証拠品となる黒い布をソリットに渡し、奴の痕跡を追って再び歩きはじめるのだった。
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「レイン、止まれ」
小声で呼び止められ、レインはソリットを振り返る。
レインを先頭に、後ろにギルノルトとソリットが並び延々と歩いてきたが、一本の路地に入ろうとして足を止める。そのソリットを見れば、顎をしゃくってレインに戻れと合図を送っていた。
言われた通りレインは2人の下へと戻り、ソリットを見つめて首を傾げた。
「この路地を曲がった先に……」
“続いている”と言い掛けて、ソリットの表情に気付きレインは言葉をしまう。
「その先は行き止まりだ」
「え?」
眉間にシワを寄せるソリットに、ギルノルトも小さく声を上げる。
「その突き当りにあるのは、店だ」
そう言われて辺りを見回すレインにも、何だか見覚えがある場所であると気付いた。
「あれ? あの店……か?」
レインの囁きを拾いキョトンとするギルノルトに、レインはルーナで入った店だと目で訴えた。
「ああ、あのメニューがない店か」
「なに?!」
ギルノルトの言葉が聞こえたらしく、急に振り返るソリットに気圧されてギルノルトは後退った。それくらいソリットの顔面に力が入っているのだ。
結局このまま店の近くにいては拙いらしく、そこから離れた場所まで移動してソリットは口を開いた。
「お前はあの店に入ったのか?」
少々圧が出ているソリットの視線を受け、助けを乞うようにギルノルトはレインに視線を向けた。
確かに店に入ったのはレインだがそれは誰の記憶にも残っていないはずで、ここで言って良いものか少し迷った挙句ソリットには話すことにした。
「入ったのは俺です」
「なに?」
今度はレインへ、鋭い眼光が向けられた。
「ですが、メニューのないただの飲み屋でしたよ?」
「………」
「ソリット班長、拙かったですか?」
「……まずい訳ではないが、あの店は接触するなと上から言われている店だ」
重い口を開いて話すソリットに、それはどういう事かとレインとギルノルトは顔を見合わせた。
そうして一考したあと、ソリットはため息を吐いて話し出した。
「これは、班長までしか通達されていない話で他言無用だ。あの店は別案件で目を付けているため、接触禁止という通達が出ているのだ」
ソリットの話に、レインとギルノルトは目を瞬かせる。
王都にそんな店があるとは、正直知らなかったのだ。
「俺、何も知らずに入っちゃいました……」
何とも申し訳なく、眉を下げて小さくなるレイン。
「……それにしても、こんな奥まった店に何故入ったんだ?」
確かに人通りの少ないこの地域で、更に道の奥に隠れるようにある店だ。ハッキリ言えば、知らない人には辿り着けない場所だと言って良いだろう。
「俺は何となく飲み屋を探していて、たまたま近くを通った男に付いてきてこの店を見付けました」
「…………」
「それで入ってはみたものの店は狭いしメニューはないし、しかもちょっと胡散臭かったんで、1杯だけエールを飲んですぐに出てきたんです」
レインの話を聞きながら、ソリットは頭を抱えていた。
「お前、流石にそれは不用心過ぎるだろう……」
「……はい。もう二度と行かないと誓いました」
もう記憶からも抹消されかかっていた店を再び目にしたレインは、そう言えばロイに最初に呼び止められたのはこの店を出た時だったと思い至る。その時のロイも、この店に何の用だったのかと執拗に聞いてきてはいなかっただろうか……。
そうだとすれば白騎士団の案件という線が濃厚、もしかすると貴族絡みの店だったのか、とも思うレインである。
確かに、胡散臭すぎる店だった。
「わかった、レインが店に入った事はもう良い。今日の犯人が逃げ込んだ先があの店だった事も突き止めたのだ、一旦引き上げるぞ。これは俺だけでは手に余る」
苦虫を噛み潰したような顔のソリットは、これで引き上げるとレイン達に指示を出した。
こうして今日の夕方に街中を混乱に陥れた犯人は、一軒の店に入って行った事が分かったのである。