6. 未知なる時間
レインには、今日の記憶が既にある。
だが、他ならぬレイン自身が出来事を変えてしまった為、ここからはレインも知らぬ世界に突入する。
まだ街中に居るならば良いが、ここは街の外。しかも魔物の活動期であり、その魔物を排除する為に出てきているからには、再び魔物と遭遇する事は目に見えている。
先程までとは違う緊張感を纏い、レインはデントス班長の指示に従って進んで行った。
レイン達は平原へ戻り、木々に沿うように南へ移動している。
まだ新緑の季節には少し早く、樹冠をまばらにしている為ある程度見通しは良く、穏やかな風が通り過ぎていく。上空に薄い雲は広がっているが、陽の光も団員達へ十分に届き、動いていると体も暑くなる程過ごしやすい日だった。
そうして昼過ぎまで木々に沿って南下し、そこから折り返して王都まで戻れば今日の任務は終了する。
王都の南東にあるこの森にはまだ十分な自然が残されているが、ここは住民たちが生活する為の木材を調達する場にも使われている。その為、普段は木こりなどの職人がこの森に出入りし、陽の当たり具合も調整しながら木々を伐採していると聞く。
そんな場所であるが故に、魔物が頻繁にうろつくこの時期は、その木こり達も森に来ることを控えている。その間、第二騎士団が魔物の活動期が終わるまで見回りを続け、皆の安全を守っているのだ。
午後になり折り返しての復路、気が緩んでいたとは言いたくないが、そこに再び魔物の気配が飛び込んで来た。
「チッ、近いな」
それに一早く気付いたのは、班長のデントスだった。
しかし魔物の気配に気付くのが遅れ、木々の間にもうその姿が見えている。
「こちらに出て来られては厄介だな…」
デントスは独り言ちるように呟いてから、腰の剣構える。
「レイン!」
「はい!」
森の中から何かが勢いよく飛び出てきた所で、レインが魔法を唱え平原側に半円の壁を作った。
「母なる大地よ、天へと立ち昇れ “土壁“」
ゴボリと音を立てて立ち上がる土の壁。
しかし後手に回っていた為にそれは無意味なものとなり、じわじわと高さを増していく壁を、魔物はあっけなく飛び越えてしまったのだ。
「魔法を許可する!街へは近付かせるな!」
「「「応!」」」
普段、第二騎士団員たちは魔法を使わない。それは街中の警護である事が最大の理由で、近くの人達を巻き込まない為だった。だが今は街の外で障害物もなく、第一に魔物を逃がさない為だろうとレインは理解する。
平原に走り出た黒い魔物はバイコーンと呼ばれる物で、馬の姿に似ているが、頭部に2本の角を持つ気性が荒い肉食の魔物である。バイコーンの角は貴重な薬などの材料にも使われるため高額取引されていると聞くが、レインはその辺りの知識が乏しい。
だが気性が荒い為に、人を見れば無差別に襲い掛かる。
レインは、走って行ったバイコーンが再びこちらに向かって来ていると気付き緊張が走る。どうやらあの魔物はここにいる者達に狙いを定めたらしいと、向けられる殺気を感じ取った。
レインは戦闘の場所を確保する為、一度出した土壁を即座に消した。
この魔物を閉じ込めるのならもっと高い壁を作らねばならないが、作っている間に飛び越えてしまう事は目に見えている。壁を消したレインを見ていたデントスが頷いたところを見れば、これで良いのだとレインも頷き返した。
「一か所に固まるな!散開して注意を分散させるんだ!」
「「「応!」」」
デントスの的確な指示が飛ぶが、その間にも勢いを付けた馬が駆けてくる。そして16分の1に狙いを絞ったのか、バイコーンは真っ直ぐに新人団員へと近付いて行った。
その向かった先はグストルという、レインの一つ下で細身の青年だ。まだ入団したばかりで体も出来上がっていない為、これから鍛えていくのだと頑張っている青年だった。
そのグストルも自分に向かって来ていると気付き、懸命に盾を構えるが腰が引けている。それでは体当たりを食らえば、潰されてしまうだろう。
そう思ったレインは咄嗟に走り出すと、盾を構えて彼を庇うように前に躍り出た。
―― ガキーンッ! ――
「グッ」
バイコーンはレインが構えた盾に体当たりした上、頭部の角で盾ごとレインを弾き飛ばしていた。
一声上げたレインは、後ろにいたグストルを倒して森の方へと飛ばされて行きながら、皆がグストルを護るように飛び出して来たところを見て安堵する。
「レイン!!」
そこにギルノルトの切羽詰まった声が聴こえるも、次の瞬間背中に強い衝撃を受けたレインは、肺の空気を吐き出すと同時に意識を暗闇の中に落としたのだった。
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ゆっくりと瞼を上げたレインは、消毒液の匂いのする部屋の白い天井を見て目を瞬かせた。
レインが視線を巡らせ人の気配がする方を見れば、見知った者の背中が見えて溜息を吐いた。
(あのまま俺は、意識を失ったのか…)
レインの吐息が聞こえたのか、振り向いてレインを見た彼は、座っていた椅子から立ち上がりこちらへ向かってきた。
「やあ、起きたようだね」
「…アーロンさん、ここは医術室ですか?」
声を掛けてくれたアーロン・シエルは、肩までの水色の髪を一つに纏め、白衣を纏った医術局勤務の30歳の男性だ。その彼はいつも第二騎士団員達の体調を見てくれており、レインもこの一年間に何度もお世話になっていた。
「そうだよ。ギルノルト君が背負って帰ってきたようだったね。レイン君、魔物に弾き飛ばされたんだって?」
「ええ、お恥ずかしながら…」
「まあ、聞けば相手はバイコーンだったというから、その程度で済んで良かった方だと思うよ。体の損傷は切り傷程度だし、他に頭痛とか違和感はないかい?」
「はい。特に問題はなさそうです」
レインが眉尻を下げてそう告げると、アーロンはにっこりと笑みを浮かべて微笑む。
この穏やかな彼はいつも笑顔を向けて患者を安心させてくれるため、レインもそこで安堵の息を吐いた。
「それから今日はもう、レイン君は部屋に戻って良いと伝言を預かっているよ。後はゆっくり体を休めて、明日に備えるようにって」
「そうでしたか…伝言までありがとうございます。あの、他の団員たちは?」
レインは気になっていた他の者達の事を聞いてみる。一応ここには他に誰も収容されていない為、問題はなかったのだと思いたいのだが。
「他の者は、そのまま職務に戻って行ったよ。今回の負傷者は、レイン君だけだったからね」
レインはその言葉を聞きながら起き上がり、更に眩暈や異常がないかと確認されてから王城の2階にある医術室から出ると、自室がある寮に向かって歩いて行く。
(今日の外回りは全て終わったという事だな。という事は、今日の負傷者は俺だけだった訳だ…)
レインは苦笑を浮かべて頭を掻く。
最初のウォルターを助けるところまでは予期していたが、まさかその後にバイコーンが出てくるとは予想していなかった。お陰でとんだヘマをやらかしたと、レインは残念なため息を吐いた。
それにここまで背負ってくれたギルノルトにも、ちゃんとお礼を言わなければと考えて立ち止まり、レインは城の窓から演習場を見下ろしてその姿を探す。
夕陽に染まり始めた空の下、演習場には約200名の第二騎士団員が集められ、演台に登るレヴィノール団長から終業の挨拶を聞いているところらしい。
レインは夕陽に染まる窓辺に頬杖を付き、そんな仲間たちの様子を暫し眺めていたのだった。