51. 再会と謝罪
バジリスクの一件から一週間、第二騎士団は特に変わりなく過ごしている。
その“変わりなく”とは、依然、窃盗犯を殺した犯人を捜しているという意味だ。
しかし、それも犯人の人相が分からないのだから当たり前。“俺が犯人だ”と背中に書いてあるならまだしも、普通に街に紛れ込まれていては、全く判別がつかないのだ。
あの時取り逃がしたことが悔やまれる。
そんな訳で一応捜索を続けてはいるものの、時間が経ったことで第二の皆も以前のピリピリした空気はなりを潜めつつある今日この頃であった。
その街中をいつもの様にぶらつくレインは、ルーナである休暇日だ。
そして今日はどんよりとした空から、時々、白い物がチラチラと舞い落ちていた。
(そろそろ暖かくなる頃だが雪か…)
王都はローリングス国の北部に位置するものの、その背後にある山脈が雲を止める事もあり、冬の季節、寒くはあるが雪が積もる事は余りない。その為物流が滞る事もなく、王都は活気を保ったままでいられるのだ。
レインはそんな空を見上げ目を細める。
先日の一件が大事には至らずに済んだこともあり、今日は少しだけ気を緩めて街中を歩いていた。
そんなレインに声が掛かる。
「おっ、お前は確かレインだったな。今日は休みか?」
ここは北東地区にあるマルセル工房の近く、そして「おはようさん」と続けたのは久しぶりに会ったマルセルだった。
「おはようございます、ご無沙汰していますマルセルさん。はい、今日は休みなんです。マルセルさんはこれから買い出しですか?」
「おう、これから昼食の買い出しだ。ちょうど集中力も切れたんでな」
「じゃあ、俺もご一緒します」
「そりゃあ構わないが、今日はモックス商会まで行くから少し歩くぞ?」
「はい。問題ありません」
マルセルと合流したレインは、その後の様子を尋ねた。
「問題はありませんか?」
「問題はないが、あの後トラスから注文を受けてな。実用的で可愛い物を作れと言ってきた」
「え?」
マルセルの口から似合わない言葉が聞こえ、思わずレインは目を瞬かせた。
「かわいい…?」
「ああ。話を聞けば、トラスは可愛い物が好きらしくてな。いきなり難題を吹っかけられた気分だったぞ」
ガッハッハと笑うマルセルは、口ではそう言いつつも楽しそうだ。
「儂は今まで可愛いとは無縁だったからな。“可愛い”がどんな物かを理解する所から始めたのには骨が折れた」
何とトラスはこの武骨なマルセルに、“可愛い”を要求したらしい。
「それで、出来上がったんですか?」
「まあ何とかな。しかしそれまでには何度も駄目だししやがった…」
流石にマルセルの眉間にしわが寄った。
「しかも物はナイフケースだぞ? ナイフケースが可愛いって、お前は理解できるか?」
「………」
その問いに思考を巡らせてみるが、レインも可愛いについては素人だ。全く思い付くはずもない。
「いいえ…」
「まあ結局は、曲線と色を駆使して納得してもらったがな。あいつのナイフケースは、目が覚めるような桃色だ」
「は…?」
何度も瞬きしたレインを見たマルセルは、その反応にガハハとまた笑った。
「そうは言っても、職人としては引き出しが多い方が良いからな。儂も勉強になった、という事だ」
流石に職人は器がデカいなと、レインはそんなマルセルの言葉に笑みを浮かべたのである。
そうしてレインとマルセルが大通りに着けば、人々が沿道の端に集まり、そこを通る集団に視線を向けていた。
「あん? これじゃあ通れねえな…」
「ああ、王子が出発する時間だったんですね。今日から数日間、視察に出ると聞いています」
レインもそう言えばと、昨日聞いていた話を思い出す。
今日の午前中、第二王子が視察に出るため街中を通過するので、普段よりも一層警戒に当たる様にとの事であった。しかしレインは休暇日に当たる為、さほど気にも留めてはいなかったのだ。
「それじゃ、通り過ぎるまで待つしかないな」
王子だとレインが言ったにも関わらず、にべにもなく待ち時間が出来た事に顔をしかめたマルセルである。
そんなレイン達の前を、近衛騎士団に囲まれた馬車が通り過ぎていく。
王族が乗る馬車にしては質素な外見をした馬車であるが、中はさぞ乗り心地が良いのだろうと思うレインである。
結局レインも王族には関わる事などないのだから、余り興味がないのはマルセルと同じだった。
その一団を見送り人々が散開した頃になって、漸くレインとマルセルはモックス商会へと辿り着いた。
「ああ? 何かあったのか?」
「どうしたんでしょうね…」
そのモックス商会の前では、店主であるホサリー・モックスが客に向かって頭を下げていたのである。
「申し訳ございません。今日の分はもうなくなりまして…」
「え? まだ午前中よ? 買い出しもこれからだって言うのに」
「誠に申し訳ございません。明日の朝、また補充させていただきますので…」
そんなやり取りを目にし、レインとマルセルは顔を見合わせる。
そうしてその客の対応が終わった頃、レインとマルセルがホサリーに近付いて行った。
「モックスさん、おはようございます。何かあったんですか?」
レインの声に振り向いたホサリーが、レイン達の顔を確認してホッとした様に話し出す。
「ああ、レインさんとマルセルさんでしたか。おはようございます。いえ、別にトラブルという事ではないのですが…」
「しかし浮かない顔だな。何かやらかしたのか?」
マルセルも、ホサリーの顔を見て片眉を上げる。
そうして話し出したホサリーの言によれば、今の女性は小麦を買いに来た客で、その女性に在庫がない事を謝っていたとの事だった。
「あん? 商会が小麦を切らしたのか?」
「はい…。ですが、切らしたと言っても最近は流通が少なくなっておりまして、在庫はまだ多少あるのですが、日々少量ずつしか店頭に置けていないのです」
「それじゃあ、パン屋たちは困るんじゃないのか?」
「ええ…。ただそちらの方々にはある程度優先的にお出ししているのですが、それでも全体的に制限させていただいております。本当に申し訳ない事ですが…」
少しやつれた様な顔のホサリーに、レインは問いかける。
「今年は凶作だったんですか?」
そもそも物量が減っているという事なら、小麦自体が取れなかったという事なのだろう。
それに答えたのはマルセルだ。
「そんな話はついぞ聞いた事がない。もしそんな事なら、王都にも話が届いているはずだ」
「ええ、私どももそんな話は聞いていませんでした。しかし数年前から少しずつ王都に入る小麦が減っておりまして、最近では目に見えて流通が滞っております」
続いたホサリーの言葉も、マルセルを肯定するものだった。
それはおかしいのではないか、と流石のレインでも気付く。
凶作でもないのに品物が入ってこないという事は、小麦はどこに行ってしまったのか。
「強盗にでもあったんだろうか…」
ポツリと零したレインの呟きは、可能性としては低いものだ。
強盗にあったのだとしても、1度や2度取られたくらいでは、ここまで品薄になるはずもない。
「それも多少は影響があったかも知れません。数年前に小麦が減り出したころは、盗賊に襲われて荷が着かないという話でしたので」
「盗賊…」
品物の流通と言えば、荷馬車を使って運ぶ事が一般的だ。
その為、その長い道中で盗賊に襲われる事も多々あるだろうとは思う。しかし、それらはその地域を治める貴族たちが治安を維持するため、討伐に乗り出しているはずで、そこまで長引いているはずはないだろう。
「まあ、今は盗賊という話は聞こえてきませんが、どうにも小麦だけが足りない状態でして…」
と、ホサリーはため息を吐いて肩を落とした。
「小麦って事は、パスタも在庫がないのか?」
「はい…。小麦を使った品は、品薄になってしまっております」
「はあ~。儂は今日、パスタの気分だったんだが…。仕方がない、ライスに変更するか」
「申し訳ございません」
マルセルとホサリーのやり取りを眺めつつ、レインは記憶を探る。
言われてみれば確かに、数年前から人々の話の中にパンや菓子の話題が上っていたと思い当たった。
という事は、レインはその情報を聞き流していたのかと、今更ながらに自分の愚かさに気付いて眉をひそめた。
(その時に気付いて調べていれば、ここまで深刻な事にはなっていなかったのかも知れないな…)
レインのワンセットが繰り返すのは、その日だけだ。
だがどうせなら任意で時を遡れれば良かったのに、と思わずにはいられないレインなのであった。




