48. 塗り替えた時間
エイヴォリー総長の声で、総員が大きく飛ぶように後退する。
そしてバジリスクを取り囲む輪が大きく広がったと同時に、鎌首が前に躍り出た。
その正面にはエイヴォリーらが並び立っていたが、鎌首は途中で軌道を変え、自分を攻撃した者を特定したかのようにレインへ鎌首を向けたのだった。
レインとバジリスクの視線が絡む。
(―― しまった!! ――)
化け物級の魔物と視線があってしまった事に体は硬直するも、今はそれどころではないと血の気の引いた体に力を入れる。だが体は思うように動かず、後退する事もままならない。
このままここにいれば、全身に毒を浴びてしまうという距離だった。
(解毒薬はある…辛うじて助かる可能性は残っている…か?)
一瞬の間にレインの思考は回転し、現状を把握する。
そのバジリスクはゆっくりと動いて見えて、レインはまるで時間の狭間に取り残されているようだった。
しかし、レインが何度か瞬きをしてもバジリスクはこちらへ向かってはこず、毒をまき散らす事もないまま…。それ以前に、完全に動きを止めている様にすら見えていたのである。
「あ……れ?」
気の抜けたレインの声に被せるように、そこでエイヴォリーの声が響いた。
「総員、頭を狙え!」
「「「「おおおおおーーー!!!!」」」」
レインに的を絞ったまま動きを止めたバジリスクの頭は今、剣が届く所まで下りてきている状態だ。
そこに急所があるとでも言うように、エイヴォリーの指示が飛んだのである。
一斉に動き出す騎士達はバジリスクへと群がっていく。
しかしやはりその頭も硬く、何度も剣を叩きつけて辛うじて傷をつくる程度だ。こうして狙いを特定してもはやり剣では刃が立たないらしく、怒りの咆哮を上げる団員達もいるくらいだった。
そんな彼らを視界に入れつつ、レインは己の出来る事を模索していた。
(後1回分、魔力はある。いけるか)
この鋼鉄長槍という魔法は少し特殊だ。元々は鉱物などを識別する為の魔法だったものを、レインが有り余る時間を使って改変し、任意の鉱物だけを呼び出して槍に成形し放っているのである。しかしここまで大きなものはごっそり魔力を消費するため、レインでは2回使えるかどうかという代物で、レインの奥の手とも言える魔法だった。
こうして体内にある魔力の残量を把握し、魔物が動きだした瞬間に備えるためレインが詠唱を始める一方で、目の前の団員達の何人かが、唯一剣が通る場所へ次々と剣を突き刺していくのが見えた。
それは――目。
「どりゃー!」
― ザクッ! ―
「うおぉー!」
― グサッ! ―
「くたばれ!」
― ズサッ! ―
何度も両目に突き刺されたその痛みゆえか、動きを止めていたはずの魔物は、いきなり呪縛が解けた様に数本の剣を目に突き刺したまま起動したのだった。
『ギュァアァァァーーーッ!!』
その声は大地を震わす程に大きく、そのうえ怒りが満ち溢れていた。
地面に叩き付けられそうな程の咆哮と威圧に、団員達は我に返ったが如く散り散りに後退していく。
だが依然、魔物の顔はこちらへ向けられたまま。
「おい! お前も後退しろ!!」
どこからかレインに声を掛ける者がいた。
だがその威圧をもろに受けたレインは動く事もままならず、全身から冷たい汗が噴き出していたのだった。
硬直する体をよそにレインの頭はやけに冴え、集めた魔力も維持したまま。
レインの視界に映るバジリスクの後方、遠くに居る黒い人影が崩れ落ちるところを誰かが支える姿もみえた。そんな周りの景色までを認識し、レインは固まった口元を解すように最後の言葉を唱えた。
「……“鋼鉄長槍”」
それは目に突き刺さる剣で視界を奪われていたバジリスクが、もう一度毒を吐こうと鎌首をもたげたところであった。それは最後の悪あがきとでも言いたげに、レインに向かって振り下ろされたのである。
『シャアァーーーッ!!』
――― ズシャッ!! ―――
バジリスクが毒を吐き出したのと、レインがその頭上から槍を打ち込んだのは同時であったと思う。
だがレインは今放った魔法で魔力が殆ど尽きてしまい、体は制御を失ったようにバランスを崩して膝をついてしまった。
そこへ降り注ぐ紫の雨。
「おいっお前!!!」
「まずいぞ!!」
「うわー!!」
「逃げろ!!」
周りにいた者たちが逃げまどう中、一人取り残されたレインはその声を聞いていた。
(終わったな…俺)
目を瞑り地に縛り付けられたように動けなくなるレインへ、容赦なく土砂降りの雫が降り注いだのだった。
―― ザァーーッ ――
せめて息を止めて目を瞑り、体内への吸収を押さえねばならない。
毒を被ったのがまだレイン一人であった事に少し安堵し、レインはただ毒の雨を受けていたのだった。
地面に手をつくレインの体はゆらゆらと揺れる。膝をついているのに、体を支えるのがやっとな程だ。
(ああ、このまま倒れるのか…俺は)
レインがそう考えた時、そこに被さるように歓声が溢れたのだった。
「「「わあぁーーー!!!」」」
「「「やったぞ!!!」」」
「「「うおぉおーーー!!!」」」
実を言えばレインの体がグラグラと揺れたのは、バジリスクが絶命する際の痙攣の影響に他ならないのだが、目を瞑っているレインには知る由もないのであった。
そうして佇んでいるレインの体に、またしてもいきなり液体が掛けられた。しかも今度は大量で、レインはその衝撃で崩れそうになるほどだった。
(は? 今度は何だ?!)
毒の吸収を抑えるために目を瞑っているレインには、周りの状況が全く分かっていなかった。だが今盛大に浴びせられたものは正真正銘の水、レインが受けた毒を洗い流す為、駆けつけてきた団員達が放った魔法だったのである。
「大丈夫か?」
誰かにそう声を掛けられ、レインは目を瞑ったまま顔を上げる。
そこへもう一度顔面に大量の水が当たり、レインは止めていた呼吸を吐き出し驚きに目を開いた。
「プハッ!」
辺りを見れば、レインを取り囲むように黒い制服の男達がレインを見下ろしていたのである。
「レイン・クレイトン、ご苦労だった。よく耐えたな」
と声が聞こえると同時に、周りを取り囲んでいた皆が振り返り一筋の道が開いて行く。そこから包みを手に持ったヘッツィーが、ゆっくりと姿を見せたのだった。
「ヘッツィー団長…」
か細いレインの声にしっかりと頷いたヘッツィーは、その包みから一つの瓶を取り出してレインに突き出した。
「早く飲め。水で洗い流したとはいえ、皮膚からでも毒はいずれ回るだろう」
「…はい。ありがとう…ございます」
早速レインは手渡された密閉瓶をポキリと折り、そこから一気に薬をあおったのだった。
レインが持ってきた解毒薬は、結局レイン自身を救う事になったのは皮肉なものだが、こうして2度目では誰も死ぬことはなくバジリスクを討伐する事に成功したのだった。
レインは解毒薬を飲んでゆっくり立ち上がると、周りで忙しく動き回る団員達から横たわるバジリスクへと視線を巡らせた。
そのバジリスクは今、団員達によって解体されつつあった。
大きな体ごと全て持って帰る事は出来ないであろうが、せめて次の解毒薬を作る為の材料は確保しなくてはならないのだろう。多分、その指示はエイヴォリーが出したものだと、レインは根拠なく思った。
魔力切れのレインは、そんな解体作業には加わらなくて良い事になった。
確かにきびきびと動き回る事もままならず、レインは有難くその言葉に甘える。そのヘッツィーに負傷者の居場所を尋ね、バジリスクを解体する団員たちを横目にゆっくりとそこへ向かった。動きまわる団員達には笑みが浮かび、通るようになった魔法で体を刻む競争をしている者もいる程だ。
そうして辿り着いた救護班のエリアには、30名程がまだ傷の手当てを受けているところであった。
レインはその中の、横たわる人物に近付いて行く。
「とう…中隊長」
声を掛けたレインに向け目を開いたジョエルは、服の上から胸周りを包帯で固定されている状態だった。
「ああ…レインか。情けないところを見せてしまったな…」
あくまで父親であろうとするジョエルに、レインは首を振って笑みを浮かべる。
「情けなくなんてない。後ろで見ていたんだ…格好良かったよ」
「ははっ…つっ」
笑おうとして、痛みに顔を歪めたジョエルの隣でレインは膝をついた。
「無理しないで良いよ。それより傷の具合は?」
「…なぁに、あばらを何本かやられた位だ。すぐに良くなるさ」
それでは笑うと傷に響くだろうと、レインは苦笑する。
「暫くは、母さんの世話になるようだね」
「おお、そうか…」
と母親の話を出せば、ジョエルの表情が緩む。きっと母親に世話を焼かれている自分でも想像しているのであろうと、そんな父親に目を細めるレインである。
こうして父親の無事を確かめたレインはそこを離れ、報告のためエイヴォリーの下へと向かうのだった。