46. どうしてこうなった?
レインは渡された包みを持って、言われた通り厩に向かった。
外に出ればもう空は白み始めており、刻々と時間が進んでいる事を思い知る。
レインが郭壁から彼らの姿を見たのが昼頃だった事を思えば、後数時間もすればバジリスクと戦闘に入るのだろうと、レインの額には嫌な汗が浮かぶ。
(俺が厩に行って、誰かにコレを渡せば良いのか?)
その人物が今から馬を走らせれば、ギリギリ間に合うだろう。
それを見越してロイが人員を手配してくれているのだろうと、レインは少し肩の力を抜いた。
(俺の出来る事はここまでだな。やはりロイに知らせて良かった…)
頼れるロイを思い出して薄っすらと笑みを浮かべ、レインは騎士団棟の奥にある厩へと急いだのだった。
小走りで向かった厩には、早朝であるものの既に人影が動いていた。
忙しそうに動くのは馬を引いている者で、その近くに立っている人物に馬を渡している様子がうかがえた。
(あの人にこれを渡すんだな)
レインは歩調を緩め、馬の首を叩く人物に近付いていく。
「あの…」
と声を掛けようとした言葉が途切れ、レインは琥珀色の目を見開く。
それは自分が声を掛けようとした人物が、レインに顔を向けたからだった。
「ああ、来たか。君がレイン・クレイトンだな?」
その相手は、ルーナで少しだけ話をしたエイヴォリー総長だったのだ。
「な…」
「なんで?」と思わず声を出しそうになって、慌てて口を噤む。
総長に気安い言葉を使うところであったと、レインの背中にピリリとしびれが走った。
レインには一度会話した記憶があるものの現状は初対面、総長はレインの事など知らないはずなのである。
そんな挙動不審なレインにはお構いなしで、エイヴォリーは口を開いた。
「私は今日君と行動を共にする、リチャード・エイヴォリーだ。今日は私の指示に従ってもらうのだから、そう身構えずとも良い」
(――はあ?!)
驚いた顔のままで固まるレインに、エイヴォリーは言葉を続けた。
「だが話は後だ、事は一刻を争うゆえすぐに出発する。移動に伴う荷は用意してある為、このまま現地に向かう」
まだ挨拶すらも発する事が出来ないレインだが、レインの言葉は聞く必要もないらしい。
(総長と馬で出る? そもそもなぜこんな人が動いてるんだよ!)
唖然とするレインには言葉も出ない。一体ロイは何をしてくれたんだと、レインの顔が引きつる。
だが内心ではそう思いつつも、レインの返事はひとつしかない。
「はい、承知いたしました」
そうしてレインが返事をすれば、厩務員がもう一頭の馬を連れて近付いてきた。
「もう一頭も御用意いたしました。こちらも今日は状態が良い馬、問題なく走ってくれるはずです」
「そうか。ではクレイトンはそちらを使ってくれ」
「はい…」
もうレインには何が何だか分からないが、取り敢えず言われたまま行動するしか道はない。
そうして準備もそこそこに、エイヴォリー総長と一介の騎士であるレインは、馬を並べて王都を出発して行く事になったのである。
(今日の俺の任務はどうなるんだろうか…)
無断欠勤か、はたまた行方不明として騒ぎになるのか、考えるだけで冷や汗ものだ。
だがそんな事はこの人物に聞く訳にも行かず、レインは半ばやけっぱちで覚悟を決めたのだった。
城門を出てまだ人通りの少ない大通りを下り、常歩で馬を進めていく。街中で馬を疾走させる訳にも行かず、これは致し方ない事だ。その間に会話はなく、前方に目を据えたまま黙々と手綱を握るエイヴォリー。
その斜め後ろに続くレインはチラリとその広い背中を見て、どうしてこうなったのだと自問自答するのだった。
以前の窃盗犯の時には、第二騎士団のレヴィノール団長を介して応援を手配してくれたロイ。
その時もどんな手を使ったのかと不思議に思ったが、今回はレヴィノール団長の更に上、しかも王弟であるエイヴォリー総長を担ぎ出してこき使っているとは、一体ロイは彼らのどんな弱みを握っているのかと顔が青くなるが、その答えなど知る由もないレインである。
そうして王都の大門を通過すると、徐にエイヴォリーは振り返る。
「クレイトン」
「はい!」
「隣に並べ」
「…はい」
言われるままレインは、エイヴォリーの隣に馬を並ばせた。
「これからの我々の行動は、まず20km先にいるはずの第一騎士団と合流する。そして状況次第では戦闘にも加わるので、そのつもりでいるように。その相手は、滅多に姿を見せないはずのバジリスクという魔物だ。クレイトンはバジリスクを知っているか?」
その声を聞きながら、レインの目は徐々に見開いていき言葉を失った。
どうしてエイヴォリー総長は、今日起こる事を知っているのか…。
可能性があるとすれば、ロイに伝えた話がそのまま総長に伝わっているという事だろう。だとすれば、ロイが総長に全て伝えた事になる。だがよく考えればこんな高位の人物を担ぎ出す為には、全ての事を伝えなければならなかったはずで、総長に自分の事も話されてしまったのかとレインは一気に顔色を無くしたのだった。
そんな思考に陥って返事もままならないレインに、チラリと視線を向けたエイヴォリーが目を細めた。
「向こうに着けば、心強い仲間が大勢いる。クレイトン一人で戦う訳ではないのだから、今からそう身構えずとも良いのだぞ」
レインの表情を怯えたと捉えたのか、続く言葉は予想外にレインを気遣うものであった。
「……っはい!」
そうだった。今は自分の事よりも、この先に待ち受けるであろう惨事を止めねばならないのだ。そう思い直し、レインは姿勢を正してエイヴォリーを見る。
「バジリスクの事は、話だけは聞いた事があります。バジリスクの鱗は相当硬いらしく、剣も通り辛いとの事です」
と、やっとレインが先程の問いかけの返事をすれば、前方を見つめたまま頷くエイヴォリー。
「あと…これは確実ではありませんが、弱ってきた頃に毒をまき散らすようです。それまでは毒を吐かず、尾を振り回して近付かせないようにすると聞きました」
この際ここで、レインは1度目に聞いた状況をエイヴォリーに伝えていく。
戦闘をするにあたり、レインはエイヴォリーの指示を仰ぐ事になるのだから、少しでも魔物についての情報があった方が良いだろうと思っての事だ。余計な事かも知れないが、何も言わないよりはましだろう。
そんな事を考えてエイヴォリーへと視線を向ければ、こちらを見つめている視線と交差した。
その時、いつもは隠れている左目がチラリと見え、レインは一瞬動揺する。
(左目が青い…?)
普段見えているエイヴォリーの右目は金色だ。だが馬に揺れる前髪の隙間からチラリと見えた左目は、青い空の様な涼し気な色をしていたのである。いつも左目を隠すように伸ばされた前髪は、その色の違いを見せない為のものなのかとレインは思い至った。
(チラッと見えてしまったが、ここは気付かぬふりをしよう。うん…)
そんな思考を続けるレインを見ても、エイヴォリーは特に何も言わなかった。ただ少しだけ口角を上げたくらいで、前方に視線を戻した。
それからは馬の速度を上げて走らせる事30分、そこで一旦ふたたび常歩に変えて進む。馬はずっと走らせることが出来ない為、駈歩と常歩を交互に繰り返し、先を急ぐレイン達であった。
レインはもうエイヴォリーの事を考える事はやめ、ただエイヴォリーについて行くだけにする。今レインが考えねばならない事は、この先にいるはずの第一騎士団の事だ。
結局1度目では、父親であるジョエルの顔を見る事は出来なかった。通達の際に集まった食堂でも、父親の姿が見当たらなかったのだ。もしかすると重傷を負って医術局の病室にいたのかもしれないが、今となってはレインに確かめる術はない。
けれど、ムルガノフ副団長からは“父は無事である”と聞いていた。今はそれだけ分かっていれば十分だろう。
(怪我をしたとしても、命は助かったという事だ…)
そんな思考に沈みながら、レインは第一騎士団との距離を半分進んでいたのだった。